闇夜の死闘
月もない闇夜の中、屋根の上を飛び跳ねる一つのしなやかな影があった。
「未知の生命体か何かは知らないが、そんなのは関係ない。もうこれ以上、才円に付きまとわさせない。愚霊め、今日こそは絶対に尻尾をつかんでやる」
お銀はそうつぶやきながら、また一つ屋根を飛び越えた。
そうやって、お銀が数十軒ほど見回った頃だった。遠くの方に、人魂のように光る物体が、ボンヤリと現われた。
「来た!」お銀は、その光に気付くと、風のように素早く飛んでいった。
だが、急に光が消え去り、お銀が困って、屋根の上からキョロキョロと辺りを見回していると、遠くの屋敷の庭で、複数の黒い塊がうごめいているのが見えた。それは紛れもなく愚霊達だった。お銀は屋根にへばりつくように姿勢を低くすると、音も立てずに、少しずつ近付いていく。だが、愚霊達は突然、獣のように素早く逃げ出した。
「しまった!」
お銀は屋根から飛び降り、愚霊の一人に素早く飛びついた。すると、その愚霊は体をひるがえし、刀をギラリと抜いて斬りかかってきた。お銀は素早く小刀を出して、それを弾く。ギィン! という鋭い音が静寂を切り裂いて、闇が一瞬、またたき、火花が散った。
「きさま……」
愚霊はわずかに言葉を発すると、大きく刀を振り回し、鋭い風が何度もお銀をかすめた。お銀はたまらず、地面を転がって刀の雨を避け、一瞬のスキをついてふところの手裏剣を投げつけた。
それは、音を立てて愚霊の顔に当たり、愚霊は思わず体を反らせて、後にズシン! と倒れ込んだ。だが、愚霊は頭を少し振っただけで、すぐに亡霊のように起き上がると、その不気味で巨大なアーモンドのような黒い目で、お銀をギロリと睨んだ。
「こ、こいつ! 本物の化け物なのか?」
お銀が思わず、そうもらすと、愚霊は獲物を追い詰める獣のように、ゆっくりとお銀に近付いていく。その背はお銀をはるかに超えていて、その灰色の恐ろしげな巨体は、お銀の前に山のような影を作って彼女をゾッとさせた。
「へん、お前が化け物なら、あたしはかまいたちだ! もう二度と才円には近付かせない!」
お銀はそう叫ぶと、小刀を構えて、弾丸のように愚霊に飛びついた。だが、一瞬、愚霊の手元が銀色に光ったかと思うと、お銀は足をかかえて地面に転がっていた。その足からは、わずかに血がしたたり落ちている。
「くそっ!」
お銀がそう叫んだ時には、愚霊はもう屋根の上にいた。お銀は愚霊に飛びついた瞬間、かいま見た。愚霊の顔が少し破れ、中に木製の仮面が見えていた所を。やはり、愚霊とはただの変装だった。お銀は傷付いた足を引きずりながら、既に小さくなっている愚霊の姿を追った。
お銀は家々の屋根を何度も飛びつぎながら、疾風のように愚霊を追う。だが、愚霊も巧みに逃げていく。お銀はうまく動かぬ足を抱えながらも、それでも必死に食らい付いていく。だが、その差はどんどん開いていった。
「ちっ! こんな傷くらいで!」
荒れ放題の雑木林の中へ愚霊が消えると、そこにはもう闇しか見えなくなった。
お銀は持っていた提灯に灯りをつけると、林の奥深い闇の中に、用心しながら入って行く。自分の背丈ほどもある伸び放題の草をかき分けながら、奥へ奥へと進んで行くと、その草の隙間から、遠くに小さな小屋が見えた。
お銀は忍び足で小屋に近付き、木戸を小さく開けて、そっと中を覗いてみる。すると、その床下に大きな黒い塊が転がっているのが、闇の中にかすかに見えた。お銀が提灯の明かりを向けると、ヒゲの同心の死んだような横顔が浮かび上がった。
お銀は小屋に飛び込み、その同心を抱きかかえると、慌てて外へ連れ出した。そして、お銀が同心の背中にえいっ! と気合いを入れてやると、同心は目をパチクリさせて、慌てて周りを見回した。
「どうした?」
お銀がそう聞くと、同心は息を荒くして答えた。
「はあはあ、すまない……実は、ワシも愚霊を追ってここへ……だけど、木戸を開けて、中に入った途端、いきなり襲いかかられてしまって……」
だが、お銀は疑わしい表情で、じっと同心を見つめている。
(ひょっとしたら、こいつが愚霊なのではないか? 私から逃げる為に変装を脱いだのではないか? 最近、才円と仲良くなったというのも、才円の捜査を見張る為なのでは? しかし、証拠がない……)
その時、お銀は背後に怪しい視線を感じ、手持ちの小刀を、背後の闇の中へすばやく投げつけた。すると、すぐに、ガサガサという草むらをかき分ける音がして、それは次第に遠ざかっていった。お銀はすぐに後を追ったが、その謎の存在はかすみのようにかき消えていた。だが、お銀が小刀を投げた場所には、小刀が刺さった白い付けヒゲが落ちていた。
(あれこそが愚霊なのか? そして、私の行動を見張っていたのか?)
お銀はそう考えたが、すぐに頭を抱えて夜空を仰いだ。
(いや、それとも、愚霊の正体は、私が知っている以外の誰かなのか? ああ、誰もが怪しい……一体、誰が愚霊なのだっ?)
お銀は心の中でそう叫ぶと、悔しそうに、その白い髭を握りしめた。