婚約破棄に愛する人が反撃してくれるのは嬉しいのですが、それはそれとして一番キレてるシスコン兄が大層邪魔
「クラリス・ド・リヴィエール! お前との婚約を破棄する!」
王立学園のど真ん中でそう言ったのは私の婚約者、バティスト・カステルだった。
彼の傍には男爵令嬢フルール・ロワリエ様の姿がある。
幼い頃から私達は政略的な婚約を交わしていたが、残念ながら折り合いは良くなかった。
そんな中彼はどうやら本当に愛せる女性を見つけたらしい。
それがフルール様……彼の浮気相手であった。
愛する人を見つけた彼は私との婚約を解消したいと考え、またその際に自分の選択が正当であると示したかったのだろう。
結果――
「お前は男爵令嬢という、自分より立場の弱いフルールを虐め、彼女を孤立させた! 結果彼女は自殺に追い込まれそうになる程に思い悩んだのだ! 人を死に追いやる非道さを持つような女となど、結婚できる訳がない!」
……彼はありもしない罪を私へ擦り付けた。
厄介な事に、この手の噂は少し前から出回っていて、それに影響される方々も存在している。
私達の婚約は元々、バティスト側の家の強い願い立って成立したものなので、それが反故になる分には構わない。
しかし……虐めの悪評についてはしっかり否定しておく必要があった。
私だけでなく、我が家の顔にまで泥を塗ることになりかねないから。
「お言葉ですが……」
当事者である私の弁明がどれだけ有力であるかは定かではないが、ここで口を閉ざす事だけは避けなくては。
そう思いながら話を切り出した、次の瞬間。
「「待った」」
そんな声と共に、野次馬の生徒達の中から男子生徒が姿を見せる。
黒髪に青い瞳の麗しい青年。
彼は私を背に庇う様に立った。
……ヴァレリー・クーベルタン公爵子息。
一つ年上の彼は私の兄の幼馴染。
面識はあったし、私にとっても幼馴染のような親しい関係にある男性と言えた。
真剣な面持ちで彼はバティストとフルールと対峙する。
その凛々しい姿に、そして何より私の味方になろうとしている事がよくわかる振る舞いに、とくんと鼓動が速まる。
「彼女がフルール嬢を虐めたというのであれば、まずは相応の証拠を提示すべきだ。何の証拠も無しに着せて良い罪ではない事くらい、重々承知だろう」
嬉しかった。
周囲からは冷たい視線もある中で、怯まず進み出てくれた彼の想いが。
ロマンス小説のような、逆境に立たされた女性を庇う男性という構図。
そんな憧れのシチュエーションに出会ったというときめきすら感じた。
……けれど。
「…………貴様、今何と言った?」
何と、私の前に出たのはヴァレリー様だけではない。
私と同じ赤髪に翠眼という特徴を持つ男性が、凄まじい形相で立っている。
私の兄、エクトルだった。
「俺の可愛い可愛い妹クラリスが、誰かを貶めるような女だと、そう言ったのか?」
すっかり怒り心頭な彼のせいで私のトキメキは半減である。
ヴァレリー様を見つめればどうしたって視界に映る兄は、険しい顔のままバティストとフルール様を睨みつけていた。
「そんな訳がないだろう……! クラリスはな、昔から誰よりも努力を重ね、決して他者を見下しも嫉妬したりもせず、常に自らと戦い続ける気高き心を持つ自慢の妹だ。あろう事かそんな彼女を軽んじ、愚弄するとは……ッ!!」
冷静且つ論理的な話で詰め寄ろうとしていた、健全なヴァレリー様を置いて、お兄様はずかずかとバティストとフルール様へ距離を詰めた。
「ひ、ヒィ……ッ」
「ッ、え、エクトル殿……ッ! 暴力で俺達の主張を捻じ曲げるおつもりか!」
二人はすっかり顔色を悪くし、じりじりと後退る。
しかしその足よりもお兄様の歩く速度の方が圧倒的に速い。
そのあまりの気迫に腰を抜かしてしまった二人を、彼は睨み付け……。
「――どうなんだッ!! 証拠はあるのならばとっとと出せ! もし証拠がなくただの言い掛かりだというのであれば、今すぐにその事実を明かせ! これ以降に貴様らの悪意が明らかとなった場合、我がリヴィエール侯爵家は貴様らの家を政敵と見なし、相応の措置を取らせて頂くッ!!」
太くよく通る声を張り上げた。
その声に震え上がるバティストとフルール様。
また三人の様子を遠巻きに見る事になったヴァレリー様は参ったと額に手を当てながら溜息を吐いている。
お兄様は侯爵家の跡取りとして武も知も非常に優秀な人材として評価されている。
しかし同時に――とんでもないシスコンであった。
ヴァレリー様のように冷静に相手を論破するだけの頭脳を持ちながら、こと私の事においてはその知見が全くいかされない。
日頃氷の様だと囁かれるはずの彼は理屈ではなく感情のままに動いてしまうのだ。
そんな豹変した兄の様子を間近で見てしまったバティストとフルール様は……
「「す、すみませんでしたぁ…………ッ」」
――半泣きになりながら謝罪する事しかできなかったのだ。
***
(折角、ヴァレリー様が庇ってくださっていたのに!!)
翌日の放課後。我が家の庭園にあるガゼボでお茶を飲みながら私は不貞腐れていた。
「悪かったよ、クラリス。機嫌を直してくれないか……」
「いやです」
左側にはお兄様、右側にはヴァレリー様が同じ様にお茶を嗜んでいた。
「二人が自白してくれたからよかったものの……。あの場での最適解は私以外の第三者が証拠不十分を指摘し、論理的に相手の主張を破綻させる事――ヴァレリー様のように動く事だったはずです」
尤もらしい事を言ってはいるが、要は……ヴァレリー様があのまま理詰めでバティストとフルール様の主張を崩してくれるお姿を噛みしめたかったというのが私の怒りの主な理由だった。
そう。
私はヴァレリー様に恋をしていた。
貴族令嬢である以上恋心に左右される訳にはいかないと、幼い頃から抱き続けたこの想いに耐えてはいるものの、許される範疇で彼を感じていたいと思っている。
そんな中……お兄様はいつも私の推し活……もとい、密かな恋活を台無しにするのだ。
おかげで今回は、ヴァレリー様の活躍の場は殆どなく、それどころか「リヴィエール侯爵家のエクトル様は恐ろしい人物だ」という印象が皆に刷り込まれてしまう形となった。
「まあまあ、エクトルはそのくらいクラリスを大切に思っているという事だよ」
「私のせいで的確な判断が出来ないというのならばそれは問題でしょう」
「ウッ」
ヴァレリー様がお兄様の肩を持つも、私はそれを切り捨てる。
お兄様ががくりと肩を落とした。
「それと……ヴァレリー様は、私の事を大切には思ってくださらないのですか?」
「えっ」
これまでは婚約者がいた為諦めるほかないと考えていた恋心。
けれどお兄様の脅しもあってか、婚約解消に関する手続きは昨日今日で全て完了し、今の私は嫁ぎ先の決まっていない一令嬢だ。
そしてヴァレリー様もまた、婚約者を定めていない殿方。
となれば、もう遠慮する必要もあるまいと、私はここぞとばかりにアプローチを仕掛ける。
上目づかいでヴァレリー様を見れば彼は目を丸くした後恥ずかしそうに頬を赤らめつつ首を振った。
「い、いや。勿論大切に思っているよ。だからこそあの場で何としても君の無実を晴らさなければと動いたんだから」
彼がどんな返答をするか分かっていながらも問いを投げる私は悪い女だろう。
けれどわかっていたはずの彼の優しい言葉が、想像以上に嬉しくて、思わず頬が緩んでしまう。
一方のヴァレリー様も、恐らくは薄々、私の想いを感じ取っているのだろう。
そわそわとぎこちなく身動ぎしながら視線を泳がせていた。
婚約破棄の場ではあんなにも格好よかったというのに、今は目の前で初心で素直な反応を見せる彼がとても愛おしいと思う。
……が、私達が互いに照れ笑いをしている視界の端。
鋭い視線が私達を突き刺していた。
「暫くは身軽になった現状を楽しむよな、クラリス」
「さぁ」
圧のある声が投げられる。
それを簡単にいなせば、ガタッとお兄様が立ち上がる。
「すぐに婚約……などという話が出てくるのであれば、お兄ちゃんはぜっっったい反対だ! 暫くは家で傷ついた心を治す事に専念しなさい!」
「あ、バティストの件については全く傷付いていないので、お気になさらず」
「だ、だとしてもだな……っ!」
暗にヴァレリー様が相手であっても暫く婚約者を作ることは認めないと……というか、異性といちゃいちゃするなと言いたいらしい我が兄。
「だったらお兄ちゃんにしておきなさい!」
「絶対に嫌です」
「グフ……ッ」
「ああ、致命傷……」
まるで鳩尾に拳でも入れられたかのようにお兄様が勢いよくテーブルに突っ伏す。
それを憐れむような、半ば引いているかのような表情でヴァレリー様が見ていた。
「昔は『お兄ちゃんと結婚する』って言ってたじゃないか……」
「虚偽の記憶を作るのはやめてください」
生まれてこの方、恋心はヴァレリー様にしか捧げていない。
兄を好いているような言葉を伝えたことは多々あっただろうが、どうやら彼はそれを都合よく解釈しているようであった。
「こんなのが我が家を継ぐんですか……?」
「まあまあ……」
情けなくめそめそと泣いているお兄様を軽蔑していると、ヴァレリー様が苦笑しながら口添えする。
「君に対してはこんなだけれどね、君の兄は正真正銘、凄い奴だよ。……知っているだろう?」
私は肯定しない。
けれどそれは、ヴァレリー様の言葉に共感できなかったからではない。
単に、素直に認めるのが不服だったというだけだ。
お兄様が凄い人である事は、私だって知っている。
けれど、私の前ではなかなかそれを見せないので、認める機会すらないのだ。
あとは……私の恋路を邪魔する彼に対する、ささやかな抵抗でもあった。
***
それから一ヶ月が経った頃。
あの婚約破棄を機に、バティストとフルール様の悪評が社交界に広まり、二人は落ちぶれていった。
婚約破棄という行いそのものが相手を軽んじる行為、であるにも関わらずこれまで流していた悪評、そして婚約破棄の場で訴えた罪、それら全てが偽りであった事を、自らで打ち明けてしまったのだ。
最早社交界に二人の居場所はなく。
フルール様は自分の行いのせいで家ごと落ちぶれ、学園にすら姿を見せなくなった。
一方のバティストは、婚約破棄の判断を独自で行った事、おまけに家の評判すら落とすような振る舞いを取った事がご両親の逆鱗に触れたらしく、廃嫡された。
プライドの高い彼は弟に次期当主の座を奪われた事を屈辱に思い、またその原因が私にあると考え恨んでいるようであったが、夜会でも孤立している彼が私に何かを仕掛ける事も出来る訳がなく……彼自身が出来る目一杯の報復はすれ違う度に、私を冷たく睨み付ける程度であった。
そんなこんなで、ヴァレリー様とお近づきになりたい私と妹の嫁入りを遠ざけたい兄による攻防は続いているものの、生活そのものには平和が訪れた……
……ように、思っていた。
そんなある日の晩の事。
友人の誕生日パーティーに出席した私が一人馬車に乗って帰路に就いていた時の事だった。
馬車が突然急停車し、御者の悲鳴が聞こえる。
何事かと思えば、私の馬車を数名の大男が取り囲んでいる。
服装や所作から鑑みるに、ならず者の類だった。
誘拐か、政治が絡んだ暗殺か。
それは定かではないが、自分の身が危険に晒されているという事実だけははっきりとわかった。
けれど……相手は短剣を携えた男達。
逃げる事すら叶う未来が見えない私は恐怖に支配されて身をかたくする事しかできなかった。
停まった馬車の扉が乱暴に開けられ、ならず者の一人によって私は外へ引きずり出される。
「い、いや――」
その時だった。
「「クラリスッ!!」」
ゴッ、という鈍い音と共に、私を掴んでいた男の頭が蹴りつけられる。
私を掴む手が離れ、同時に男が倒れ込む。
視界の端で、赤色のが一瞬過った気がした。
そして自由になったのも束の間。
私は腕を引かれ、抱き留められた。
「クラリス! 無事かい!」
背中から抱かれたせいで相手の顔が分からず悲鳴を上げそうになった。
けれど私の身を案じるその声を聞いた途端――全身の緊張が抜けていくのを感じた。
「ッ、ヴァレリー様……ッ」
「怖かったろう。遅くなって済まない、もう大丈夫だ」
ヴァレリー様は抱きしめたまま私の顔を覗き込み、安心させるように優しく微笑み掛けてくれた。
それから彼の視線は、私達の前方へ向けられる。
「――彼がいるからね」
つられるように移した視線の先。
街灯の下で赤い髪が揺れる。
お兄様だ。
静かな怒りを湛えた彼は剣を抜き、ならず者達と対峙する。
そして次の瞬間。
目にも留まらぬ速さでならず者たちを一掃したのだった。
***
その後。
ならず者の襲撃は私へ逆恨みしたバティストが、痛い目を見せようと雇った者達だったらしい。
私の安全の確保という名目で密かに人を張り込ませたり周辺の情報収集に人を派遣していたらしい(後に事情を話されるまでそんな事は一切聞いた事がなかった)お兄様がいち早くバティストの企てに気付き、またその事情を聞いたヴァレリー様もお兄様と騎士を連れて私のもとまで駆け付けてくれた……というのが、事の顛末だった。
「まぁ、連れて来た騎士を振り切るくらいの勢いでエクトルが馬を走らせたせいで、間にあったのは俺と彼だけだったのだけれど」
「いや……仮にも次期侯爵ですよ? 荒事に真っ先に突っ込んでいくなんて、後先を考えないにも程があります」
「本当にね」
翌日、リヴィエール侯爵家の庭園の端。
私とヴァレリー様は声を潜めながら話をしている。
人が寄り付かないように、大きな木の幹の裏に隠れながら、私はヴァレリー様から詳しいお話を聞いて深々と溜息を吐いた。
「本当に、どうして私の事になるとあの人は……」
我が身を顧みない事が許される立場ではない自覚を持って欲しいものだ……だとか、ずっとこの調子ならいっそさっさと結婚して家を出てやるべきかもしれない、だとか様々な言葉が頭を過った。
けれど、げんなりとする私の傍で、何故かくすくすと笑う気配がある。
「けれど……格好よかっただろう?」
その言葉に、昨晩のお兄様の姿が過る。
怒りを滲ませながらも冷静に、的確な立ち振る舞いで敵を圧倒していく、大きな後ろ姿。
「…………まあ、少しは」
あれを見てしまえば、嘘でも否定は出来まい。
渋々頷けば、ヴァレリー様がより大きく笑った。
「お兄様には言わないでくださいね」
「言わないよ。調子に乗って、面倒になるのが目に見えている。それにね……君関連でマウントを取られるのは俺だってちょっと不服なんだ」
そう言って、ヴァレリー様は私の頬を撫でる。
近くで見つめ合った私達は、それぞれ頬に淡い熱を灯している。
それからどちらともなく目を伏せ、顔を寄せ合い、唇同士が触れ――
「――おーい、クラリス! ヴァレリーッ!!」
――るかと思った時、離れた場所からお兄様の大きな声が飛んだ。
がくり、と思わず私達は肩を落とす。
「隠れてないで出てこい! おいヴァレリー! お前クラリスに何かしたら絶対に許さないからなッ!!」
「まずい、こっちに来る」
「ヴァレリー様、こちらです!」
そんな声が徐々にこちらへ近づいている事に気付いた私達は、声がする方とは反対側へとそそくさと逃げ始める。
「少しくらい、空気を読んでくれたっていいじゃない……ッ!」
「はははっ! あいつから隠れてやり過ごそうにも、あれでは骨が折れてしまうね」
折角いい所だったのに! と悔しがる私の隣で、ヴァレリー様は何故だかとても楽しそうだ。
それにつられて、私も思わず吹き出してしまう。
――お兄様がいる限り、私の恋路には困難が付きまとうのだろう。
今後も続いていくであろう兄との攻防を想い、途方に暮れつつ。
全く、と私は盛大に溜息を吐くのだった。
……その頬が緩んでしまっていたのは、内緒の話である。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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また他にもたくさん短編をアップしているので、気に入って頂けた方は是非マイページまでお越しください!
それでは、ご縁がありましたらまたどこかで!




