第2話「繰り返される絶望」
……息が、できない。
腹の奥がねじれているみたいに痛く、肺に空気が入らない。
それなのに、目は開いていて、天井の岩肌がはっきりと見えている。
(……え?)
俺、死んだはずだ。
さっき――蹴られて、倒れて、動けなくなって。
黒い影に覆われて。
噛まれて、引き裂かれて。
痛みで頭が白くなって――終わった。
なのに、俺はまだ、生きている。
「……かはッ……」
息を吸おうとした瞬間、腹が裂けるように疼いた。
声が喉で潰れる。
体が言うことを聞かない。指一本、動かせない。
視界の端に、背中が見えた。
ガイアスたちだ。
俺を捨てた《銀翼》の連中が、迷いなく右の通路へ歩いていく。
誰も振り返らない。
誰一人、俺が生きているか死んでいるかを確かめようともしない。
(……助けて、って)
言おうとしたのに、口が開かなかった。
ガイアスたちが通路の奥の闇に消えて、しばらくして。
石の床の冷たさが、頬に刺さる。
反響する自分の荒い呼吸が、やけに大きい。
匂いが残る。
風が一方向に流れ、俺の汗の匂いを背後へ運んでいく。
……来る。
考えるより先に、背中が粟立った。
爪が石を叩く音。
鼻を鳴らす音。
低く唸る気配。
闇の狼――アビスウルフ。
(動け……!)
腹が痛い。
痛いのに、動け。
死にたくない。
体は、動かなかった。
黒い影が視界を覆い、次の瞬間、牙が肩に食い込んだ。
熱い痛みが走り、骨が軋む音が聞こえた気がする。
叫びたかった。
声は出ない。
息が漏れる。
漏れた息が反響して、余計に惨めになる。
(意味が……わからない……!)
噛み砕かれる感触とともに、意識が途切れた。
また、目が開いた。
同じ天井。
同じ冷たい床。
同じ腹の痛み。
(……また?)
今のは夢か?
いや、痛みが残っている。
噛まれた感覚が、鮮明に脳裏に焼き付いている。
あれは夢なんかじゃない。
視界の端に、同じ背中。
ガイアスたちが歩いていく。
(嘘だろ……)
動こうとする。
腹が焼ける。
息が止まる。
体が硬直する。
また、爪の音。
また、黒い影。
また、牙。
また、終わり。
三度目。
四度目。
何度目か分からなくなるころには、恐怖よりも混乱が先に来るようになっていた。
(俺、死んだよな)
確かに死んだ。
噛まれた。裂けた。終わった。
終わったはずなのに、目が開く。
(……もしかして、戻ってる?)
そんな馬鹿な、と否定するたび、次の死は同じ場所から始まる。
腹の激痛。
冷たい床。
去っていく背中。
背後から迫る影。
変わらない。
変えられない。
(なんで俺だけ……)
怒りが湧く。
理解できない現象より、理解できる原因に縋りたくなる。
原因は分かってる。
ガイアス。
エリーナ。
ドモン。
俺を荷物扱いして、蹴って、捨てて。
口封じのために「事故」にした。
(殺したのは、アビスウルフじゃない)
あいつらだ。
(俺を、殺した)
そう思った瞬間、喉の奥が熱くなった。
涙か、胃酸か分からないものが込み上げる。
でも――次の瞬間、別の声が頭の中で囁いた。
(違う。俺が弱いからだ)
戦えない。
速くない。
逃げられない。
荷物しか運べない。
だから捨てられた。
(役に立たないから……)
そうだ。
俺が役に立っていれば、捨てられなかった。
足止めじゃなく、守られる側になれた。
(……だからって、殺されていいのか?)
答えが出ないまま、また牙が来る。
ある死は、首を一噛みで終わった。
ある死は、足を引きずられ、骨が折れる音を聞いた。
ある死は、背中から押し倒され、息が潰れた。
どれも同じだ。
終わり方が違うだけで、終わりは同じ。
(終わらない)
死ぬたびに戻る。
戻るたびに殺される。
(このまま、ずっと死ぬ痛みを、恐怖を味わうのか?)
胃の底が冷えた。
怖い。痛い。苦しい。
それより何より、また同じ瞬間に戻るのが怖い。
逃げられない。
終わらない。
(嫌だ……嫌だ、嫌だ、嫌だ)
叫びたくても、もう声が出なくなっていた。
――ふと、背中の重さが、意識に引っかかった。
腹の痛みで身じろぎできないまま、
俺は自分の背に括りつけられた荷を感じる。
(……俺が運んでいた荷物は、ある)
だったら――。
手が震える。
腹が痛い。
痛いのに、頭の奥が必死に探し始める。
俺が持っているものは何だ。
俺にできることは何だ。
戦えない。
速くない。
強くなれない。
……でも、持っている。
(あった……ポーション……!)
ふいに思い出した。
低級回復ポーション。
自分の稼ぎを削って買った一本だ。
荷物持ちの賃金なんて雀の涙で、食費と寝床代を払えば、ほとんど残らない。
それでも、もしものためにと少しずつ貯めて、やっと手に入れた。
なのに――もったいなくて、使えなかった。
「いざという時」に取っておいて、
結局「いざという時」なんて来ないまま、奥に押し込んで、忘れていた。
(……今が、その時だろ...!)
震える腕を、腹の痛みに耐えながら動かす。
指先が革紐を探る。
袋を探る。
手探りで、瓶の硬さに触れた瞬間、胸が詰まった。
(あった……!)
栓が回らない。
腹を蹴られた痛みと、迫りくる死の恐怖で手が滑る。
苛立ちで泣きそうになる。
背後で、爪の音が近づく。
(早く……!)
ぎり、と音を立てて栓が外れた。
苦い液体を喉に流し込む。
薬草と金属が混じったような味が、胃を焼いた。
すぐに楽になるわけじゃない。
奇跡みたいに治るわけでもない。
それでも――
腹の痛みが、少しだけ薄れた。
体の芯に、かすかな熱が戻る。
(動ける……!)
俺は必死に体を起こした。
立てない。
フラフラと体を引きずるようにして歩きだす。
膝が笑う。
息が荒れる。
音が響く。
匂いが流れる。
それでも、動けるだけで違った。
(死にたくない)
ただそれだけを胸に、走り出した。




