焼肉
おそらく、俺たち人間も元来は火というものを恐れ、忌避する生き物だったのではないかと思う。
それが、火の生み出す熱と明かりに心を癒されるようになったのは、反復的な経験によるところ……。
とりわけ、これがもたらされる状況下において、空腹も同時に満たされてきたということが大きいのではないだろうか?
地域によって民家の造り方は違うだろうが、とりあえず、王都に存在する俺の生家では、毎日暖炉で薪を燃やし、その上にかけた鍋で日々の夕食が煮込まれていたものだ。
献立は、雑穀主体の粥や、具の少ないスープなど。
少なくとも、火を使わない家などというものは存在しないだろうから、これは大抵の人にうなずいてもらえる自信がある持論であった。
だから、目の前で炎が揺らめき、その熱と明かりに晒されていることへ、ありがたさと安堵を感じてしまうのは、人としてごくごく当たり前のこと……。
まして、洞窟内に避難してもなお極寒と言うしかない『白き絶壁』で、貴重な防寒着をクマの手でダメにされてしまった直後なのだから、なおのことであった。
しかも……しかもである。
先ほど解説した通り、生家における焚火の思い出は、母が作る夕飯と紐づいたものであった。
今、ここで揺らめいている炎にも、ジュウジュウと焼ける肉の香ばしい匂いがオマケとして付随している。
あー……いっすねえ。こいつぁたまりません。
まず、この炎で肉があぶられる音! こいつが最高っていうんですかぁ?
この脳髄に突き刺さる刺激的な音は、どんな楽器を使っても再現できないっすからねえ。
徐々に、徐々に、と……肉が消化可能な状態へ調理されていく過程を盛り上げてくれる。
この音は、神々が生み出した人類への恵みだと思うなあ、ボクぁ。
そして、音が高まると共にどんどん深まってくるこの香り!
肉が焼けてくるこの匂いも、マジたまらんですたい!
何しろ、これはクマ肉。
通常部位の肉でさえ、俺みたいな庶民には手の出せない高級品だが、今、あぶられているのはイイ感じの大きさへカットされた肝臓肉だ。
どうしても腐ってしまうため、通常ならば、狩猟を生業とする人々によって独占される部位であった。
噂で聞いたところによると、クセはあるもののやみつきになる味だという……。
つまりこれは、王都の市場にはまず出回らないだろう高級品ということだ!
俺は! 今! 王族でさえ食せないだろう豪華な肉が焼き上がるのを見届けようとしている!
……まあ、それを文字通りの「死」闘の末に倒したのは、他ならぬ俺なんだが。
しかも、だ。
「……便利だけど不気味だな。
宙に浮かんで、球形を描く炎っていうのは」
目の前に存在する火球としか形容しようのない何かを見ながら、俺は半眼でつぶやいた。
「いずれ慣れる。
この地で生活するには、必須の魔法だからな。
それともお主、まさかこの吹雪が吹き荒れる中、いちいち薪を拾い集めて使えるように乾くまで待つつもりか?」
一方、しれっと答えるのが、俺の斜め前に女の子座りでしゃがみ込んでいるユルナだ。
さっきクマをバラした奇妙な技と同様……。
この火球は、彼女が宙に手をかざし、ちょっぴり気合いを入れただけで生み出したものであった。
そんな彼女の手に握られているのは、俺が使っていた短剣。
その切っ先でジュウジュウと音を立て、俺を大興奮させているのが、クマさんのレバー肉である。
どうやら、俺のために焼いてくれているらしい。
「さて……そろそろ焼けたか」
その言葉に……。
我ながら現金な話だとは思うが、自分の瞳がキラリと輝いてしまったのを理解してしまう。
だが、これも致し方がない。
確かに、この体は飢えなどの限界を超越して動くことが可能になったようだ。
だが、彼女が教えた通り、それは飢えから解き放たれたことを意味しているわけではなく……。
散々に再生と悪あがきを繰り返したこの体は、そこで使った体力を食によって取り戻したいと、さっきから必死に訴えているのであった。
「ここでお主に肉を差し出すフリして、わたしが食べてもいいんだがな」
にたーり、と、意地悪な笑みを浮かべてくるユルナさんである。
「流れから察するに、身の上とか事情とかを話してくれる場面だろう? 今は。
だったら、空きっ腹じゃ頭に入らないぜ」
「それはその通り。
仕方がない……。
ほい――あーん」
「あーん……」
ああ、後になって思えば、なんと愚かなことなのだろう。
「――――――ッ!?」
差し出された短剣の切っ先から、口で直にレバー肉をくわえた俺は、そのあまりの熱さに悶絶したのであった。
「レッスンセブン。
熱による傷も、修復する」
……どうやら、レッスンはまだ続いていたらしい。
火傷を負った口内が素早く回復していくのを実感しながら、俺はうらめしげな眼差しを向けたのである。
レバ肉の味? あの熱さで分かるもんか。