魔王
「レッスンファイブ。
その体は――」
「――動き続けられる。
息は切れるし、疲れも感じる。
けれど、動き続けられる。
力尽きるということが、ない」
攻撃に次ぐ攻撃で服をビリビリに裂かれた結果、ほぼ真っ裸の状態となった俺は、目の前で痙攣するクマを見ながらそうつぶやいた。
「ふむ。
分かっていたようだな。
いや、ただ無我夢中で暴れ続けていた可能性も考えたのだが、ちゃんと狙って持久戦に持ち込んだか」
全裸の俺を見ても顔色ひとつ変えない美少女が、腕組みしながらしたり顔になってみせる。
まあ、彼女には股間どころか、内臓までガッチリと見られているしな。
さておき、彼女が言った通り……。
目の前で倒れ、ピクピクと震えているクマさんの体には、ある特徴があった。
ズバリ――致命傷がない。
あちこち、俺が短剣でつけたちょっとした傷はある。
ただ、それだけ。
普通、戦いの決着といったら、何か大きな……命に届く傷をもってつくものだと思うのだが、そんな格好のいいものは、存在しなかった。
だが、周囲を見回せば……おびただしい量の血。
俺が流した血は、欠損した肉体と同様に消滅することを確認している。
だから、これらは倒れているクマの血だった。
新しめの血液は、体温が残っているのかやや湯気が立っている。
今は感じないで済んでいるが、洞窟の中にいても、極寒の中であることに変わりはないということだ。
「ハァー……。
こちらは無限に動けるが、相手の体力は有限。
そして、どんな生き物であっても、血を流し続ければ、必ず死ぬ……」
深い……深い疲労感に包まれながら、クマの体へ蹴りを入れてやった。
――失血死。
こいつの死因は、出血多量による出血死だ。
一つ一つの傷は、浅く小さい。
だが、どんなに巨大な容器へ水を張っていても、ほんのわずかに穴が開けば、いつかは溜め込んだ水が流出しきってしまうのである。
「まあ、現時点で格上の相手と戦う場合は、不死性を活かした粘り勝ちにならざるを得ないだろうな。
逆に言うと、その形へ持ち込むことさえできれば、その段階で詰みであり、勝利しているということだ。
どうだ? 100回死んだ甲斐はあっただろう?
しかも、食料まで手に入れることができた。
万々歳だな」
腰に手を当て、カッカと笑いながらのたまうユルナだ。
なんだろうな……。
間違いなくこいつにハメられ、何度も何度も致命傷を負わされる羽目に……。
何度も死ぬ羽目になったわけだが、不思議と、怒りや恨みの気持ちは湧いてこない。
もし、痛覚の遮断などというものが一切なくて、痛みがそのままであったならば、終わらぬ拷問と化していただろうが……。
一定以上の痛みは一切感じずにいたため、自分の視点で起こっている出来事でありながら、どこか他人事めいた感覚で見れていたのである。
「死んだ回数は、100回どころじゃきかない気がするけどな。
ところで、食料って言ったけど……」
いつまでも息子をブラブラさせていても仕方がないし、興奮が冷めると共に寒さを感じ始めてきたので、いつの間にか取り落としていた背嚢に歩み寄った。
高価な外套などはズタズタに破かれてしまっており、背嚢にしまってあるのはその下へ着る薄い衣類だけであったが、裸でいるよりは遥かにマシだろう。
「ふむ、気になるか?
これは、体験しようと思うと時間がかかるので、今教えておこう。
レッスンシックス。
食わずとも動き続けることは可能だが、飢えは感じるし、排泄も行う。
飢えに関しても、限界を通り越せば痛覚同様に感じなくなるが、そうなるまでが苦しいのでオススメはしないぞ」
そういった彼女が、どうやら完全に絶命したらしいクマの傍らへしゃがみ込んだ。
そのまま、死体に手を当てる。
……何をするつもりだ?
「まだまだ、気になっていることが――」
「――まあ、おいおいの説明でいいではないか。
こういったものはな。
一度に言っても、仕方がないことだ。
だから、最も気になっているだろう二つの事柄だけ、説明してやろう」
そう言いながら、彼女が深呼吸した。
そして、次の瞬間、閉じられていた目が見開かれる。
「――ハッ!」
――ボンッ!
一体……。
一体、何が起こったというんだ?
あれだけ頑強で、大ぶりな短剣すらなかなか通さなかったクマの死体が、内側から弾けるようにバラバラと切り裂かれていく。
そうすると、皮が敷物のように広げられ……。
その上には、陳列するかのごとく解体された肉や内臓が並んだ。
まるで……。
まるで、これは――魔法。
「まず、お主を不死人にしてやれたのは、わたしがかつて、不死の魔王と恐れられた存在であるから……。
そして、クマがわたしを襲わなかったのは、これは簡単。
自分より強いものを襲う野生動物は、いない」
「はは……」
ドヤ顔とは、かくあるべし。
ドヤ顔のお手本と呼べる表情で胸を張るユルナに、乾いた笑いで返した。
「なるほど……魔王、ね」
そして、どうにかそれだけ、絞り出したのである。