ユルナ・エテルナ
「君は……」
謎の少女――そうとしか言いようがない――にかけた声が、いやにハッキリと自分の耳朶へ響く。
聴覚が戻ってきたということ……。
だが、蘇った感覚は、聴覚だけではなかった。
「――っ!?」
思わず両手で体を抱き締め、洗われた犬のように全身細かく震える。
つい、先ほどまで失われていた感覚……。
寒さ、という感覚が俺の中で蘇っていた。
ただ、『白き絶壁』へ足を踏み入れた直後と異なるのは、先ほど失われた耳に、猛烈な熱が宿っているということだが……。
「我が名はユルナ·エテルナ。
この地、エテルナにおける姫君である。
頭が高いぞ――と言いたいところだが、お主にとっては遥か昔に滅びた名も知らぬ都市の生き残り。
何より、お主は大事な契約者であるのだから、無礼を許そう」
「……ああ、そうですか」
大した意味などないと分かった上で、猛烈な足踏みを繰り返しながらつぶやく。
なんだろう? この子、頭おかしいのかな?
……と、平時の王都でなら考えたであろうが、あいにくと、今は平時でもないし、ここは『白き絶壁』だ。
このユルナという少女が、何か俺の想像を超えた存在であることは推察ができたし、どうやら、命が助かり、五感も戻ってきたのは彼女と契約とやらを果たしたからであると直感できた。
「それで、運命の契約者様よ。
わたしの名前を一方的に聞いて、お主は名乗りもしないのか?」
だから、目を開けるのもやっとな猛吹雪を背に、こちらへ手招きするような格好と共に尋ねる彼女へ、素直に自分の名を名乗ったのである。
「……ズビスタッド」
「ズビスタッド!
これから、よろしく頼むぞ!
……ふむ」
腰に手を当てた彼女が、周囲を見回す。
「き、君はどうしてそんな薄着で、平然としているんだ……?」
まるで、ここが初夏の森か、あるいは春の草原かと見まがうような軽装姿と振る舞いに、震えながらもそう問いかけた。
だが、その質問に答えはない。
「どうやら、ここでは落ち着いて話ができそうもないな。
ついて来るがよい。
色々と気になっていることはあるだろうが、それらには、落ち着ける場所で答えてやろう」
ただ、一方的にそう告げると、彼女は吹雪の中で歩き始めたのだ。
その足取りも軽やかなもので、本来なら彼女の体重くらい軽く持ち上げそうな風の勢いに、一切負けていない。
「一体、なんなんだ……?」
俺はつぶやきながら、彼女の後へとどうにか続いたのである。
--
――『白き絶壁』。
その地名には、二つの由来があった。
まず、白き……という部分。
これに関しては、説明不要だろう。
ある地点を境界として、急激に極寒の地と化すこの気候……。
冬場の今ともなれば、頻繁に吹き荒れる猛烈な吹雪……!
これを指して、白きと例えたのだ。
では、呼称の残り半分……絶壁とは、どういう意味か?
「これが、探検家の手記にもあった……」
彼女に連れられ、辿り着いたその場所を見上げながら、俺はただただ圧倒されていた。
そこにそびえていたもの……。
それは、ほぼ垂直に屹立し、連なる巨大かつ長大な断崖絶壁であったのだ。
ここが、北の果てと呼ばれる理由も、これを見ればよく分かる。
あまりに気候が過酷な上、先へ行こうとしても、この崖を越えることなど人間には不可能。
この地を挟んで隣接する海洋国家――オラーシャとは、ぐるりと迂回する形の街道交易で取り引きしているのだが、それも当然のことだろう。
とはいえ、いかなる巨大な存在にも、綻びはあるというもの……。
「こっちだ」
彼女に従い、崖沿いで歩くと……風にでも穿たれたのか、ちょっとした大きさの洞穴が発見できた。
「はあ……生き返る」
都合よくもヒカリゴケで満たされ、視界のきく内部へ入り、大きな溜め息と共にそう漏らす。
なんだろう……。
大げさではなく、暖炉で薪を燃やしている家の中に入り込んだような心地だ。
それだけ、外の世界とこの洞窟内部で、空気の冷たさが違うということ……。
外から強烈な風は吹き込んでくるものの、それでもここは、天国のように思えた。
……まあ、寝たりしたらそのままあの世行きであることには、何も変わりないが。
「ふむ、生き返る、か。
そうだな。
お主にはこの先、何度でも生き返ってもらわなければ、困る」
洞窟の地面は、ひどく湿っていて足を取られるが……。
そんなもの、お構いなしとばかりに彼女が内部を進んでいく。
「まずは、軽く100回ほど死んでみようか」
「――は?
え? 死?」
そうしながら吐かれた彼女の言葉へ、困惑と共に返す。
だが、俺は、すぐに言葉の意味を理解することになる。
「――ほい」
そう言いながら身を翻した彼女の背後から、何か巨大な影が現れ……。
そいつが、俺の顔面を横薙ぎに抉った。
いや――剥がしたのだ。