52 彼女の話19
引っ越した先は、弟の部屋の近くだった。もしもの時にすぐ行動できるようにと、祖父にお願いしたが、なかなか同意してくれなかった。それでも、弟を説得できるのはあたししかいないと言うと、渋々同意してくれた。
それから何度か、掃除屋の人に出会った。
「るり」という名刺を渡してあげた。あの子の名前の一部を用いた仮初めの名前だった。あたしは、昔のあの子になりきって、彼をからかった。反応を見るのが面白かった。
「あいつは、俺の昔なじみの養子だ」と祖父から教えてもらった。
祖父はなぜだか、彼の行動パターンの情報を把握していた。どうやら掃除屋の中に情報源がいるようだった。
あたしは、なんとなく察した。
母さんに事故を偽装されて殺された、お父さんの先生の息子さんだと。
しばらくして、祖父から連絡があった。
母さんが、行動を開始する。
部屋の内通者と、外部からの侵入者で、弟を拉致する。
母さんは、それだけでは止めないだろう。弟を使って、祖父を追い詰めるつもりだ。
弟は避難室にずっと閉じこもっている。
あたしは、祖父からの指示で彼を説得し、連れ出すように言われた。
「そのあと、お前たちを遠くに逃がす」と祖父は言った。
うまくいけばいいな、とあたしは思った。そして祖父にお願いした。
「明日、どこに行けば掃除屋さんに会えるか教えて」
教えてもらった場所に彼がいた。
初めて見る私服姿だった。
海の話をした。
遠い昔、父さんと母さんと弟の家族4人で海にいった。楽しかったはずなのに、もうみんなの顔を思い出すことができない。あの日が全てを上書きしてしまった。海の水で足を洗いたい。でも、もう人には見せられない。
変な顔をしていたかも、あたしは慌てて笑った。そして、「行けたらいいね」と言って別れた。背中を向けて、遠ざかりながら、彼に聞こえないように、
「さよなら」と呟いた。
夜になって祖父の手配した車がやってきた。
この顔になってから初めて弟に会う。
あの子、驚くだろうな。
今日、すべてが終わる。




