30 掃除屋の話30
先輩が手配してくれた病院は、養父と事故にあった時に運ばれた病院だった。
前回の受診から数年たっていたが、カルテが残っていた。
MRI検査などを受けたあと、担当した若い医師が、以前のカルテと見比べながら、「異常はありません」と説明してくれた。
「先生、私には血の海が赤い花園にみえるんです」
そう言いたかったが、我慢した。
病院からアパートに帰ると、部屋の中は綺麗に片付いていた。昨日応援に来ていた掃除屋がついでに掃除してくれたのだ。これでいつ引っ越してもいい。
目的と、目標が同時に消えてしまったから、私は、数日後にはこの部屋から出ていかねばならない。
昨日のバタバタのさなか、低地のマンションでひと騒ぎがあったらしい。護衛のうち数人が眠らされ、残りは姿を消していた。おそらく、別組織に寝返ったと見られている。こちらのアパートに動員された親分直属の部隊が、異常に気づいて駆け付けたところ、部屋はもぬけの殻だった。床に倒れた数人の護衛だけを残し、あの虚ろな目をした美しい人は、どこかに消え去っていた。
老人が事態の報告を受けたとき、どんな反応を示したのか、私は知らない。
色々想像しようとしたが、止めることにした。昨日は掃除の依頼は来ていない。
がらんとした部屋に入り、少ない荷物をまとめていると、連絡用の携帯が回収されずに残っていた。このまま置いたままでも構わないだろうかと考えていると、急に着信が入った。前と同じ非通知の表示だった。
出るべきか迷ったが、けっきょく応答した。
「もしもし」と老人とは違う声が聞こえた。低い男性の声だった。
「掃除屋の方ですか」と丁重な口ぶりだった。
「はい」と上ずった声で応じると、
「親分からの伝言です」と言った。
「よくやった、と」
それが何を指しているのか、勝手に仕立てられた囮の役目のことか、けれど結果的に「孫」が居なくなったことを考えると素直に受け取っていいのか、頭の中はぐるぐる思考が回り、思わず「意味が分からない」と言いたくなったが、ひとまず「たいしたことでは」と答えた。
「それでは」と電話を切られそうになったので、慌てて、「あの方は」と問いかけると、少し沈黙のあと、
「親分は、昨夜亡くなられました」
男は一段と低い声でそう言い、通話が終わった。




