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取り出した新しいペンで再び人生をまっとうする案にとりかかっていると、ノックの音が静かに響いた。
ベンハルトならノックと同時に「私の天使!」と叫びながら扉を開けるのでノックの主を開ける前に察したフローラは手を止めて姿勢を正した。
「もう起きあがって大丈夫なのかい?」
ゆっくりと扉を押し開いたのは予測通り、にこやかなスマイルを貼り付けた見目麗しい兄のカインだった。
「ご心配をおかけしました。もう大丈夫そうです」
「顔色もよくなったし熱ももうなさそうだね」
カインはフローラの額や頬に触れ温度を確認すると夕食はダイニングでとれそうかと聞いた。
「父上がそろそろ限界だからね」
困ったように笑う顔に疲労の色が見える。あの病的に過保護な父親が、この三日間部屋の前をうろうろと徘徊する気配は感じていたものの強引に入ってこなかったのは兄が止めていたからなのかとフローラは気づく。
「まぁ正直に言うと私がもう父上の足止めが限界なんだけど。きっと今も抜け駆けしたって言ってこの部屋の滞在時間を計っているよ」
フローラはカインの言葉にフッと頬と気が緩むと、久しぶりにお腹が空いた感覚を思い出した。
この三日間はこの部屋でスープや飲み物だけしかとっていない。
「お腹……空きましたわ。夕食楽しみです」
そう答えるとカインはまたにっこりと笑った。
フローラはカインの表情をじっと見つめた。
兄のカインも攻略者の一人で、カインルートでもフローラはヒロインに散々意地悪をしたり邪魔をしたりと頻繁に登場する。
カインは幼少期からワガママなフローラに振り回されたり、あの問題児の兄だという目で見られ散々足を引っ張られてきた。
カイン自身は聡明で優秀だったのにも関わらず、周囲からの評価は派手でトラブルばかり起こす妹と一緒くたにされる。
そんな周囲と上手くやっていくためにカインはいつも作り笑いで愛想よくしていた。そんな彼をヒロインが心を開かせていく。カインルートのシナリオはそんな感じだった。
フローラはまだ人に対して決定的な嫌がらせはしていないがクラウスへのストーカーまがいの行いで周囲の評判は最低だ。
(二年前から学園に通ってるお兄様には恥ずかしい思いをさせているのね……お兄様はもうとても美しい作り笑いを習得している……)
悔やんでももう過去の行いは消せない。申し訳ない気持ちと羞恥心が広がっていくのを感じ言葉をなくす。その沈黙を機に、「よかった。コックに伝えてくるよ」と立ち去ろうしたカインの手を思わず掴んでしまった。
振り返る兄が作り笑顔ではなく驚いた顔をしていたので、フローラは少しだけ安心した。
(きっとまだ間に合う)
「フローラ、どうしたんだい?」
「お兄様……! あの、あのっ……私今まで本当に……」
(ごめんなさい? 何に? いくらなんでも唐突すぎる)
「えーっと……その、お兄さまにもう迷惑かけません……から、えっと…………」
唐突すぎて当然伝わるわけもなく「風邪なんて誰でもかかるよフローラ。迷惑だなんて思ってない」とにっこり笑って頭をポンポンとして部屋を出て行った。
ああああああーーーーちがーーう!とフローラは思わず心で叫んだが呼び止めることはできなかった。
「行動で示すしかない」
そうして決意と共にゆっくりと机に向きなおし、人生をまっとうする案のノートにさっき書いた『親孝行する』の下に『兄孝行も』とそっと付け足した。