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父親のためにも断罪だけは避けなければならない。そう強く思ったフローラは『ヒロインにぜったい意地悪しない』そう大きくノートに書き込んだ。
婚約破棄を避けられなくても失恋を受け入れた今、ヒロインに嫌がらせをするつもりはまったくなかったが、それでも湧き上がる不安にフローラの表情が揺れる。
「大丈夫、よね……?」
その下にヒロインとクラウス様をなるべく避けるように。と書き足した。
自分には意地悪するつもりはなくてもゲームの強制力が働いて嫌がらせをしてしまうかもしれないと少し不安になったからだ。
さらにその下に二人目の攻略者の名前を書き足した。
『アッシュ・グランド』
彼は赤い髪が特徴のクラウスの幼なじみで、留学生として同じ学園に入学してくる隣国の第二王子だ。
クラウスルートでは詳しく語られないが、隣国は今王位継承権で内政がごたごたしている。彼の兄である第一王子が病弱なため、アッシュ本人が王位にまったく興味がないのにも関わらず、今の体制に不満を持っている層がアッシュを次の王にと言い出して対立しているのだ。
その争いに有力貴族が自分の娘を使い、思春期の青年には一番堪える形でアッシュが利用された。その思惑自体は上手くいかなかったが、アッシュの初恋は無残に裏切られた形となった。
その結果彼は、極度の女嫌いとしてゲームに登場する。アッシュルートではそんな彼の傷を癒し、ついでに兄の病弱も治しちゃうという話が大筋なのでアッシュルートではフローラはほとんど登場しない。だけどクラウスルートでアッシュはかなり頻繁に出てくるので避けた方が無難だ。
「学園ではこの三人とはなるべく距離を置いて目立たないように学園生活をおくろう……」
自分に言い聞かせるように小さく呟くと机の隅へ置いたままになっていた髪飾りの小箱の蓋をそっとしめクローゼットの奥深くにしまいこんだ。
机に戻るとさっきまで使っていた黒の万年筆が目に入った。年頃の女の子が使うには無骨なデザインのそれは、去年の誕生日にクラウスから贈られた物だ。華美なデザインを好むフローラの机に、迷い込んだかのように所在なく転がって浮いて見える。
「いきなりあんな完璧なプレゼントをくれたらクラウス様が自分で選んでないってバレバレなのに馬鹿だなぁ……」
今までクラウスがくれたプレゼントはフローラには似合わない簡素なデザインの機能性を重視した物ばかりで、よくも悪くもクラウスの趣味一辺倒だった。
この国の婚約者同士は頻繁にプレゼントを贈りあうが、フローラは誕生日にしか貰った事がない。
そんな彼女を人々は『愛されていないワガママお嬢様』と笑ったがフローラは気にしなかった。
たった一年に一度でも彼が自分で選んでくれたんだろうとはっきりとわかるおよそ女性向けではない贈り物は、無表情で不器用な彼を連想させるのでどれもすごく気に入っていた。この万年筆もずっと肌身離さず大切にしてきた物だ。
それももう終わりにしよう。机に転がっている万年筆と、他のプレゼントもかき集めて目につかない所へ押し込めると、また涙がこぼれそうになったが上を向き目をぎゅっとつぶりなんとか耐えた。
まぶたの奥に前の人生で最期に見たヘッドライトが浮かんだ。
(そうだ……今こうやって生きているだけでありがたいことよね)
「クラウス様のことは諦めても私は自分の幸せを諦めたりしない!」
たとえここがゲームの世界でも、エンディングの後も人生は続く。平凡でもいいから次は健やかに長生きする! そう強く胸に誓って再び机に戻ったフローラは少しだけ明るい気持ちになっていた。