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 王宮のベンハルトの職務室の机は、珍しく書類が積み重なっていた。にも関わらずベンハルトは椅子にずり落ちそうな程もたれたまま全く仕事をしようとしていない。最近のベンハルトはずっと態度が悪い。ベンハルトがこれまで仕事に熱をいれられたのは娘のフローラが将来この国の王妃になるはずだったからだ。それがなくなりそうな今、ベンハルトにとって王室の重要な位置で働くメリットのほとんどが消えたといえるのでさっぱりやる気が出ない。



「なんだベンハルト浮かない顔だな。まぁ仕方ないか……フフッ学園で最も優秀で! 上質な魔力を持つ者が選ばれる祈りの乙女は我が娘リナリーが選ばれたからな!」



 フェアドがニヤニヤとしながらやって来て、ベンハルトの机に書類をさらに積み上げた。ベンハルトは目線だけちらりと向けたが面倒くさそうにため息だけつくとフェアドを無視した。



「ふん……! 悔しくて声もでんか! まぁそんなに気を落とすな。リナリーは学力も優秀な上、強力な魔力に光の加護まで持っているからな。オマケに愛らしい顔立ち! 血は繋がっていないがこれぞ女神様のお導きだな。お前がどれだけ娘に愛情をかけようと無駄だ!」



「それがどうしたんだ」



「ハハッ負け惜しみか?」



「見た目がどうとか魔力がどうとか明日変わるかもしれないことで娘への愛を語るな」



「なんだと!?」



「魔力がある日なくなったらどうするんだ? もしも怪我をして顔が変わったら? お前は勝手に学力がつくと思っているのか? 勉強をやめて学力が落ちたらどうするんだ? お前はそのときも今と変わらぬ態度で私に自慢できるのか?」



「なっ……! あ、当たり前だ! 悔しいからって的外れなことを言いやがって、お前の娘なんて問題ばかり起こして自慢できることすらないではないか」



「フローラはな……もう自慢とかそういう次元じゃない……息してるだけですごいんだ……フローラという存在そのものが私を幸福にさせる。自慢できることなんていらぬ。しょーもない話をベラベラとまったく……恥ずかしくないのか」



「ぐっ……」



 言葉を詰まらせたフェアドにベンハルトは煽るようにニヤリと満面の笑みを浮かべた。



「私に娘への愛で勝とうとするなんて百年早いな」



 フェアドはわなわなと震え顔を赤くした。



「うるさいっ! お前がどう言おうが未来の王妃に選ばれるのもリナリーだ! クラウス様もリナリーを特別かわいがっているそうだしな!」



「なんだと?」



 ベンハルトがジロリとフェアドを睨んだ。



「なんだ知らんのか? クラウス様が学園でリナリーを側に置いてることを! ハハックラウス様にはリナリーの方がピッタリだと皆が思っているぞ! 運命の出会いだ!」



 二人が睨み合い嫌な空気が漂う中、ノックの音が響いた。



「あの……陛下がお呼びです……」



 フェアドがニタリと笑った。



 ベンハルトは国王に呼び出された。



「いい加減にしろベンハルト。最近のお前の態度は目に余る。あちこちから苦情がきているんだ。この前長い休暇もとっただろう? 何が気に入らんのだ」



「………………」



 ベンハルトは頭を下げたままだが不貞腐れた顔で口を開かない。



「お前がいい前例になればと思ってこれまで出産後の長期休暇や子の病気のたびに休暇を許可していたんだ。お前がそのような態度では私も庇いきれん」



「……別にかまいません」



「なんだと?」



「最初に言ったはずです。私がここにいるのは娘のためだと。なのでここにはもうなんの未練もありません」



「……それはどういうことだ?」



 王は眉間にシワをよせた。



「クラウス殿下は学園で懇意にしている令嬢がいるそうです。なんでも運命の人だとか?」



「そんな話私は知らないぞ!」



「クラウス殿下に直接お聞きになっては? いくら皇子とはいえ思いあっている人と一緒になるのがよいでしょう。魔力も強いようですし尚のことよいではありませんか。それにフローラを悲しませる男には嫁がせるつもりはないしフローラ本人もそう思っている」



「……クラウスに確認するから少し待て」



「真実なんてどうでもいい。フローラがそう思ったことがすべてだ。父親としてもう一度言う。フローラはやらない」



 ベンハルトは途中から敬語をやめきっぱりと言い一礼をし退室した。

 王は頭を抱えた。ベンハルトが子のこととなると何ひとつとして折れないことをよく知っているからだ。

 はぁ〜と項垂れた矢先に再び部屋の扉が勢いよく開きベンハルトの顔が覗く。



「悪いと思ってるなら! カインに定時厳守週休三日! 長期休み可の高給な仕事を用意しとくように!! これ婚約破棄の慰謝料とは別だから!!」



「おい! 待て! ベンハルト!!」



 既に閉まった扉に大きな声で呼びかけたが扉が開くことはなかった。



「こんなときにまでなんて奴だ! なんて……!」



(なんて羨ましい……)



 王は思わず心の中で呟いた。自分だって息子がかわいいが父親である前に一国の王だ。彼は常にその立場を優先してきた。クラウスには完璧であるようにと厳しく接し、甘えを許さず一線を置いて接している。しかしマティアスの反対を押し切って暴走直後のクラウスに婚約者をおいたのは自分のかわりに側で愛情をかけて欲しいという勝手な親心が大きかった。



「クラウスを呼んでくれ……」



(あのフローラが身をひくと言うなんてよっぽどだ。いくらなんでも不実な行動は許されない。クラウスにきつく言う必要がある。その後誠心誠意お詫びして婚約解消の正式な動きをとればいい。しかしその逆だった場合……)



 想像して王はまた頭を抱えた。クラウスがフローラを望んだ場合は、はるかに困難な状況が予想された。ただでさえフローラとの婚約は今も反対する声があるのに、ベンハルトがあの様子では婚約を維持するのは難しい。

 呼ばれたクラウスが部屋に到着したが王は口を開く気分になれなかった。クラウスは王の深刻な顔つきに何の話かと身構えたが、ようやく口を開いた王の質問に拍子抜けした。



「……学園での生活はどうなんだ?」



 クラウスは少し安堵し最近の学園での様子を報告し始めたが、王は違う違うそうじゃないと首を振った。



「…………?」



 言葉がとぎれ、しばし沈黙が流れた後、やがてクラウスの目をじっと見つめていた王が口を開いた。



「フローラ以外の娘を婚約者にするつもりなのか?」



「……おっしゃる意味がわかりません。私の婚約者はフローラだけです」



 王はその言葉を聞いて深いため息をついた。



「お前が学園で特別懇意にしている娘がいると聞いた。フローラとは婚約破棄をしてその子と婚約するという噂が立っているらしいな」



「……? リナリーのことですか? 確かに一緒に行動することが多いですがアッシュも一緒です。そんなつもりはありません」



「お前がどういうつもりでもフローラをほったらかしにしてその娘といれば周りはそうとってもおかしくない」



「ですが……」



 クラウスは食い下がったが王は続きを聞くことなく強く言った。



「すでにベンハルトがここになんの未練もないと言い切った。その意味がわかるな?」



 クラウスは全身の血の気がひく思いだった。



「……ベンハルトと話をしてきます」



 クラウスは退室の挨拶も忘れ身を翻した。



「待て! 今の状況であいつに何を言っても無駄だ! 先にフローラと話をするのが筋だろう!」



 王は慌てて声をかけたがクラウスの耳には届いていないようだった。

 王は深くため息をつきながら椅子にもたれ、近くの従者に手を伸ばして合図した。すぐに水差しからグラスに水を注ごうとした従者は慌てふためく。水差しの中の水は凍りついていて一滴も出ない。それを見た王はハッとする。こんな風にクラウスの魔力が漏れでたのは子どもの頃以来だった。

 クラウスは歴代の王族の中でもずば抜けて高い魔力を持って生まれた。言葉を覚え、自我が確立されていくにつれ、本人の不器用さもあってか、強すぎる魔力を扱いきれずこんな風にたびたび魔力が漏れて周りを凍りつかせた。そのたびに王は謹慎を命じ膨大な課題を課した。

 王はクラウスのほとんど変わらない表情を見るたびに幼い子どもの感情を殺させるなんて酷なことをさせていると胸を痛めたが、自分によく似た不器用な息子が、いずれ人の上に立つ人となるためには完璧を目指し努力し続けるしかないと、王は厳しくするのが正解だと信じていた。

 王は凍りついた水差しを受け取り覗き込む。氷にぼんやりと映る自分のシルエットは頭部にボリュームがなくなり、最後にクラウスの氷を見た時よりも老けたと感じた。違いはそれだけではなかった。王はあんなに目くじらを立てていた氷を前に何故か喜びを感じていたのだ。とっくになくなったと思っていたクラウスの激しい感情を確かめるようにもう一度水差しをくるりと回転させた。

 しかしベンハルトの意思をかえさせるのは簡単にはいかないだろうなと水差しを置き、再び頭を抱えるしかなかった。







 廊下を進むクラウスの足音が響く。執務室はこんなに遠かっただろうかとクラウスは思った。自分が冷静でないことを自覚していたが足を止めることはできなかった。チリチリと冷気が頬を伝うのを振り払うように歩いた。



 ――コンコン



 クラウスがノックをする扉の中、ベンハルトはいれたばかりの紅茶を口にやったが違和感を感じてカップを覗き込んだ。



「ふん、馬鹿な奴だ。今頃焦っても遅い」



 そう吐き捨てて少々乱暴にカップを置いた。さっきまで湯気の出ていた紅茶はベンハルトが飲もうと傾けたままで綺麗に凍りついていた。もう一度ノックの音が聞こえたがベンハルトは無視をした。その固く閉ざされた扉の向こうで、クラウスはさらにもう一度ノックをした。このとき自分の手が冷気をまといひどく冷たいことに気づいたクラウスはポケットの中からマティアスに言われて試しに外していたピアスを再び付けて呼吸を整えた。中から返事はなかったがクラウスは扉をあけた。ベンハルトは机に向かって手を動かしたままクラウスをチラリと見たがまたすぐに書類仕事に戻った。



「悪いが山のような引き継ぎの処理で手が離せないから話をする時間はない」



 クラウスが話を切り出そうとついた一息は、声になる前にベンハルトの一言で消え入った。

 ベンハルトのその有無を言わさない態度にクラウスは言葉をなくしたが少し感謝をした。クラウスが焦って口に出そうとした言葉がどれも陳腐な台詞にしかならないことを、愚かな言い訳をする前に察することができたからだ。

 少し冷静になったクラウスはまず今にも娘を隠してしまいそうな勢いのベンハルトに時間を懇願した。フローラともう一度向き合う時間が欲しい。それはクラウスが今心から切に願った事だった。



「下手な言い訳をしなかったのは褒めてやるがもう遅い。フローラの見返りのない愛情の上であぐらをかいていたお前に今さら何ができる? フローラに甘えていた自覚すらないだろう?」




 甘えていた。そう言われて初めてクラウスは自覚した。一般的な婚約者がしている贈り物や観劇やエスコートをしなくても、フローラの話に相づちすらうたず本に没頭しても、どんな態度であろうとフローラはいつも側で幸せそうにしていた。クラウスにはそれが当たり前だった。いつ見限られてもいい。そんな保険をかけつつもフローラの愛を信じていたのだ。それが甘えていたと言うのならまさにそうだった。



「私が愚かなのはわかっている……」



「わかっているだと……? いいや! お前は何ひとつわかっていない! 言葉にすることの大切さを! 目の前に愛を伝えられる相手がいることのありがたさを! 何故お前がわからないんだ!!」



 ベンハルトは声を荒らげた。



「だいたいなーにが氷の王子だ! いつもいつもフローラにお前ばかりかっこいいと褒められやがって! 言っとくがお前がかっこよかったことなんてないからな!? ……お前がかっこよかったのは一度だけだ! お前が母と別れたくなくて暴走したとき! あのたった一度きりだ!」



 ダンッ!っとベンハルトが机を強く叩いた音が鳴り、ハラハラと書類が落ちた。

 クラウスは自身の最大の汚点としていた日を肯定されたことで頭が真っ白になった。



「何故口を閉ざした……別れの辛さを知っているお前が……! 女神様に与えられた時間は限られているのを知っているだろう? 後で後悔しても遅いんだ……凍るぐらいどうでもいいだろ臆病者め……」



 ベンハルトは絞り出すような声で続けた。



「お前は口を閉ざすんじゃなく開くべきだった……言葉にしたって正確に伝わらないことばかりなのに……どれだけ伝えても足ることなどない……!」



 先程までのベンハルトの大声と机を叩く音が外に響いたのだろう。部屋にノックの音が響き「大丈夫ですか?」と言う声が聞こえた。



「話すことはこれ以上ない。決めるのはフローラだ」



 ベンハルトはそう言って後ろを向いた。



 

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