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「ひどい目元だねクラウス。ちゃんと寝ているのかい?」
残されたクラウスにマティアスが声をかける。
「……大丈夫です」
「行かなくていいの?」
クラウスの視線がいつまでもアッシュの背中を追うので、マティアスは見かねて声をかけたが、クラウスはフローラが望む態度どころか自分の気持ちさえわからない。クラウスがわかるのは自分には手伝いは必要ないと言ったフローラが、アッシュを頼った事実だけ。
「……行ったところで……私には何もできません」
「クラウス、何もできなくても行っていいんだよ? それにフローラは何もしなくても喜ぶと思うけどな」
「……私はフローラの気持ちに応えてやることができません。人を愛するということがわからないのです」
マティアスははぁとため息をついて鍋の中のカレーをひと混ぜした。重い雰囲気に似つかわしくないスパイスの香りが広がる。
「クラウス……フローラやベンハルトみたいなわかりやすい大きな衝動だけが愛じゃない。あの愛情表現を基準にしちゃダメだ。陛下が新しい后をむかえないのもお前に対する愛だよ。もっと些細なことでもいい。誰かの悲しむ顔を見たくないと思う気持ちだって………………」
「叔父上?」
「……いや、すまない…………とにかく人だけじゃなく動物や物でもなんだっていい。自分以外の何かに幸せを望む瞬間があるよね? おまえはちゃんと愛情を持った人間だ。おまえがフローラのために薬草を手配したのも立派な愛だよ」
「…………薬草は……叔父上でも用意できたはずです」
視線を逸らすクラウスにマティアスはトケイソウの花を差し出した。
「あの暴走でしばらく感情をなくしたのは……この花の強い鎮静効果を私の魔力でさらに高めて利用したからだ。あのときは私が未熟で強くかかりすぎたけど……この花に感情そのものを殺す作用はないんだ。そのピアスにも鎮静効果はつけてあるけどそこまで強くない。ちゃんと自分の気持ちに目を向けてみるんだ」
「…………」
「これまで放っておいて今更こんなこと言われても戸惑いしかないかな……? 私を恨んでいるだろうけど……」
「おーい! 焼けたぞー!」
マティアスの言葉を遮るようにアッシュの声が近づいて来たので二人の会話はたち消えた。フローラが笑顔でクラウスにかけよった。
ガラス屋根からの光が、魔力で心地良く調和された空気に馴染み、温室内の様々な植物達が木漏れ日を作る。テーブルは先日アンナが整えたままで花が飾られていて、マティアスが用意した食器は一見シンプルだが縁が花弁のように波打ち、レリーフが施されている繊細な造りだった。優雅なガーデンパーティーのような光景だったがそこに置かれたのは焼きたてのナンにスパイスカレー。
「……これ何? なんか……嗅いだことのない匂いが……」
アッシュがカレーを見つめ、顔を引きつらせながら呟く。
「君達が集めてくれた薬草で作った物だよ。カレーって名前らしい」
マティアスがナンをそれぞれのお皿に乗せながら答えた。
「お、おい! らしいってこれ誰が作ったんだよ! 昼食ってまさかコレ!? 食えるのかよ」
カレーを配るフローラはアッシュの言葉にムッとして言い返す。
「ちゃんと食べられます! 嫌なら食べなくてもかまいませんけど!」
「は!? これもフローラが作ったのか? まじで人体実験じゃねーか! これなんの薬だよ! ん……? おい待て、この色まさか……」
アッシュが見覚えのあるオレンジ色をしたカレーを凝視しているのを無視して、フローラはクラウスの前にカレーを置いた。
「クラウス様……クラウス様のお口に合うかわからないんですけどこれはカレーと呼ばれる料理で……このパンにつけて召し上がって下さい!」
「……薬草を使ったと言っていたがこれは薬なのか?」
「いいえ! 薬ではなく料理です! あ、でもちゃんと身体に良い作用はあります! 疲れをとったりストレスを和らげたり血行を促進して身体を温めたり! 一口食べて見てください!」
クラウスは頷くとフローラに言われたとおりナンをちぎってカレーにつけて口にした。
(クラウス様が!! 私の手料理を!! 私のパンが!! クラウス様の血肉に!? これは事実上結婚ってことでよいのでは!?)
フローラは目を輝かせ、今にも心の声が漏れ出しそうな口を手で押さえた。それでも口角が勝手に上がる嬉しそうなフローラを見ながらクラウスは思わず胸を押さえた。
「……本当だな。身体の中が熱くなるようだ。痛いぐらいだ」
「えっ痛い!? 辛すぎましたか? お口直しにこちらどうぞ! 好きですよね!」
フローラはさっき作ったばかりのクランベリーの砂糖漬けを差し出した。
「以外な好物だよな」
「……私はこれが好きなのか?」
アッシュがクランベリーを覗き込み感心したが、当のクラウスは他人事のようだ。
「なんだよそれ。本人が知らない好物なんてないだろ」
「いいえ! クラウス様が読書の時間によくつまんでいらっしゃる木の実やドライフルーツが混ぜられた物……その中でもクランベリーを選んだ数はここ一年だけでもおよそ三千は超えています! あまり手をつけないピーナッツとの差は歴然! 今ノートが手元にないので正確な数は提示しかねますが」
「お、お前……クラウスが適当につまんだナッツの数数えてんのか……?」
「え!? …………いえ、その……たまたま視界に入ったときだけですよ? お好きなのかなと気になっただけで……」
顔を引き攣らせたアッシュの反応で失言に気づいたフローラは差し出した手を引っ込ませクランベリーをそっと片付けようとした。
「まて、もらおう」
フローラを制止したクラウスはクランベリーをひとつ口にいれた。甘酸っぱい香りが口に広がる。
「そうだな……確かにこれを選んで口にしている」
(ウフフ……クラウス様は読書に熱中すると食が疎かになるから……だからたんぱく質も摂れるようにクランベリーのパンでお肉のサンドイッチがいいと思ったんだよね……サンドイッチなら本を読みながら食べられるし…………え……? これっていつの話だっけ……)
頭にズキリと痛みが走り、フローラは思わず額に手をやった。すぐにカインが気づいて声をかける。
「フローラどうしたの?」
「いえ……なんでもありません。頭痛を感じた気がしたのですが気の所為でした。魔力を使いすぎたのかもしれません」
「すぐに早退して医者に……」
「大丈夫ですってば! 今は痛くありませんもの! さ! お兄様もカレー食べましょう!」
フローラはそう言うと残りのカレーをカインの前に置き自分の席についた。
「今日はもう力を使うのは禁止だよ」
フローラが嬉しそうなのでそれ以上は何も言えず、カインは釘を刺すに留めた。
「じゃあ始めようか。カレー、どんな味がするのかな」
マティアスがそう言ってカレーをナンですくい頬張った。カインが昨日との違いをこれ見よがしに説明し、一番に食べたのは自分だとアピールしている横でフローラは天にも昇る心地で食べるクラウスを見つめていた。それぞれが思い思いに感想を言いながら食を進めるのを見てようやくアッシュは恐る恐るカレーに手をつけた。
「……うまい」
「フフ! アッシュ様が焼いてくれたナンも美味しいですよ!」
アッシュに笑いかけるフローラを見てクラウスはナンを一切れ口にいれながら胸がチリっと痛むのを感じた。それでもすぐにクラウスの方を向いてニコニコとするフローラを見るのは久しぶりで、クラウスは胸が熱くなるのを感じた。
「……スパイスというのは不思議だな。本当に胸が温かくなる」
じっとナンを見つめるクラウスだったがナンにスパイスは入っていない。
カレー試食会の終わりは慌ただしかった。学園の昼休みの時間は短くもないが、ナンを一から焼いて食べ、食後にゆっくり談笑するほどは長くもない。皆がぞろぞろと温室から出て行く中、クラウスは一人立ち止まりマティアスの方へ向いた。
「叔父上、さっきの話なのですが……誰かの幸せを願うのが愛なら……私は叔父上も愛してるということになります。恨んだことは一度もありません。むしろ叔父上が私を嫌っているのかと思っていました……」
「…………フフッかわいいこというね。叔父さんがイイコイイコしてあげよう!」
クラウスの言葉を聞いて一瞬呆気にとられたマティアスは表情を崩すとクラウスの頭をわしゃわしゃとかき回した。たじろぐクラウスの髪に触れながらマティアスはつまらない大人の兄弟喧嘩でたった一人の甥と距離を置いたことを後悔した。
「嫌ってなんかないよ。どうしてそう思ったの?」
「……私は母の……母の国葬を台無しにしました……」
珍しくクラウスの顔がぐっと歪む。
「あの暴走はクラウスのせいじゃない。幼い子が母との別れに冷静でいられるはずないのになんの対策もしていなかった大人のせいだ」
マティアスに苦々しい記憶が蘇る。
王妃であるクラウスの母が亡くなって三日後、国葬が執り行われた。厳かな空気の中クラウスは幼いながらに誰が見ても冷静に見えた。しかし最後のとき、棺が閉じられる瞬間にクラウスは叫んだ。
「……いやだ!! やめろ!!」
瞬時に棺を守るように氷の柱がたった。
「クラウス!!」
王がクラウスを呼んだがクラウスの耳には届いていないようで棺の周りの氷晶とクラウスの足元から氷が広がっていき誰も近づけない。人々は恐怖で後退り、魔力を使える者たちはなんとか氷を抑えようとしたがクラウスの魔力が強すぎて歯が立たなかった。
そんな中マティアスがすぐに鎮静の力を持つ花を使ってクラウスを本人を抑え込んだのは流石の判断だったと言われたが、マティアス本人の思いは違った。マティアスは当時学園を卒業したばかりだったが、在学中から天性の鋭い感覚と強大な魔力におごり、ろくに自分の力を学ぶことも活かすこともせずのらりくらりと生活していた。その結果咄嗟だったとはいえ力を強く使いすぎてしまったのだ。
閉じられる王妃の棺。クラウスはまだ乾いていない頬の涙の跡がついたままぼんやりとした暗い目で見送った。そんな風に最後の別れをさせたことをマティアスはずっと悔やんでいた。虚ろな目のまま王からの謹慎の命に「……はい」と答え自室に戻るクラウスをマティアスは見送るしかなかった。
天才と呼ばれ気楽に生きてきたマティアスが、初めて味わった自責の痛みだった。
葬儀を終えて間もなくクラウスに婚約の話が持ち上がった。
「こんなときに婚約なんて何を考えてるんです! 義姉さんの喪だって明けてない!」
話を聞いたマティアスは兄である国王に詰め寄った。
「クラウスは暴走以来まだ正常な感情がもどっていない! 婚約どころじゃ……」
「もう決めたことだ」
国王は固い意志を伺わせるようにきっぱりと言いきった。
「ロズベルグ家なんてなんの力もない! しかも娘は魔力も大してない上ベンハルトに甘やかされて相当なワガママらしいじゃないですか! 候補だったエーベル家の娘はどうしたんですか?」
「何もないからいいんだ。エーベル家が力を持ちすぎるのもよくない。何よりもあの子がクラウスを一番想ってくれている」
「そんなバカバカしい理由で!」
「感情豊かなあの娘が側にいたらクラウスにもいい影響があるだろう」
「はっ! 感情豊か? 物は言いようだね。いい影響は父親である貴方が与えるべきでは? だいたい何故クラウスを謹慎させているのです!」
「……私は常に王としての務めを最優先にし、クラウスが良き王となるよう手本として生きている。謹慎させているのもクラウスが将来良い王になるためだ」
「手本だって? 暴走したばかりでまだ抑制がかかっている息子を謹慎させるのが? それともワガママなお嬢さんをあてがうこと? 貴方はいつもそうだ! 国だの王だのそればかり! 堅苦しくやることしかできない!」
「黙れ! あらゆる責任から逃げ回り、ふらふらと遊び回っているお前に何がわかる! 二度とクラウスについて口を出すな! 二度と!! これは命令だ!」
一回り以上離れた兄が珍しく声を荒らげたことと、「責任から逃げ回りふらふらと遊び回っている」という図星を指されたことでマティアスは引き下がるしかなかった。かわりにマティアスは職についた。国の研究室ではなく学園を選んだのは学園の方が自分のペースで研究ができると考えたからで、やりたいことしか真剣に取り組めないマティアスらしい理由だった。それでもマティアスはすぐに飽きて辞めるという周囲の予想を覆し、温室を徐々に広げ薬学と魔力のコントロールの研究を続けた。
「クラウス……授業とは別に魔力のコントロールをもう一度一から学びに来ないか? 魔力が強すぎるから感情を抑えるなんてやっぱりおかしい。努力は得意だよね?」
「……努力だけなら誰でもできます」
「……はぁ……わかってないなクラウス。私はね、自分の高ーい能力やいい加減な性格を気に入っているけど、すごいとは思っていないんだ。本当にすごいのは下手だろうと興味がなかろうと黙々と努力できる人間だと思っている。おまえも、おまえの父親もそれがわからないみたいだけど……」
「……努力にそこまでの価値があるとは思えません」
「その泥臭い努力で国を治めている父親を否定するの? できないことは周りの優秀な人間を使うんだよクラウス。目の前に超優秀な先生がいるのにまだ一人でうじうじするつもり?」
「……父の命はいいのですか?」
「あーあれね。もうやめた。なんで言うこと聞いちゃったんだろ。兄上の残りの毛を毟ってでも謹慎なんて馬鹿げたことを止めるべきだった。でも……婚約者をフローラにしたのはさすがだよね」
「………………」
「クラウス、暴走したって私が何度だって止める。今度はうまくやるよ。私は天才だからね」
冗談めかして笑いながらそう言うマティアスにクラウスは頷き頭を下げた。




