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 午前の授業が終わった。ザワザワと席を立つ生徒達の中、アッシュがリナリーに声をかけた。



「リナリー、俺とクラウスはマティアス先生に呼ばれているんだ。いつ戻れるかわからないから昼は一緒に行けない」



「あ……そうなのですね……わかりました……」



 リナリーはなんとか笑顔を作ったが目の前がフッと暗くなる感覚を感じた。リナリーはあれからマティアスに何度か声をかけたが、マティアスからの返事はいつも同じだった。リナリーは今までの人生で歳上の人にマティアスのような態度をとられたことはない。いつも模範的なリナリーは特に歳上には可愛がられてきたのだ。



(どうして私は……いつも特別になれないの?)



 リナリーの心の陰がリナリーを遠い昔の過去の記憶へ引きずり込む。





 

「リナリー……貴女はとっても優しいいい子だね……私の自慢の孫……そうやっていつも笑顔で皆に優しくするんだよ……そうしたら皆も優しくしてくれるからね……」



 病床で祖母が弱々しく何度も何度も繰り返した言葉は幼いリナリーに深く刻まれた。

 リナリーの記憶の中での母は、いつもリナリーではない違う誰かを思って泣いていた。実の父親は顔も名前も知らない。抱き締めて欲しくて手を伸ばしてもリナリーの母がその手を取ることはなかった。祖母はそんな母を、背中をさすり優しく慰めているときもあれば、「いつまであんな男のことを! 平民を本気で相手にするわけないだろ! お前はいいように遊ばれたんだ!」と声を荒らげては一緒に泣き崩れるときもあった。

 リナリーはだんだんと理解する。母親にとって自分は辛い記憶を思い出させるだけの存在で、せめて笑いかけて欲しいという願いさえ叶わないことを。

 心を病んだ母親が早くに亡くなった後、親代わりになってくれた祖母も、七歳の頃病に倒れた。リナリーが初めて加護の力に気がついたのもこの頃だ。祖母に治って欲しい一心で祈ったそれは祖母の弱った身体を一時的ではあったが楽にした。それでも天命には逆らえず、毎日必死で看病したがついに祖母も女神様の元へ行くときがきた。

 一人にしないでと泣きすがり、力を使おうとするリナリーの手を取り祖母は言った。



「……リナリーおやめ……いつも笑顔で人に優しく……貴女はありがたいその加護があるから大丈夫……私はもういいんだ。ようやくあの子に会えるからね……ようやく……会える…………」



 祖母は最後、待ちわびるようにリナリーの母の名を呟くと穏やかな顔で永遠の眠りについた。

 一人残されたリナリーは祖母の手配どおり教会の孤児院に引き取られた。祖母の言いつけを守り、優しくいい子でいると皆が親切で同じ年頃の友達も沢山できた。しかし、孤児院をこっそり抜け出すときも、夜の秘密の夜更かし会も、リナリーは誘ってもらえなかった。『リナリーはいい子だから』シスターが怒る遊びはみんな口を揃えてそう言ってリナリーには内緒にした。それ以外はみんな仲良くしてくれていても、その中でリナリーを一番の友達にしてくれる子はいなかった。



(いつも笑顔で人に優しいいい子でいる。言いつけを守っているのにどうして誰も私を一番にしてくれないの)



 女の子が二人で内緒話を耳のそばでヒソヒソしながら笑い合う『特別仲良しな二人組』を羨ましく思いながらも、どうすればそうなれるのかわからなかった。本当は探検も木登りもイタズラもやってみたいけれど、いい子はきっとそんなことをしないであろうから誘いには首を振った。



「またこんなことをして! リナリーを見習いなさい!」



「せんせーが怒った! 逃げろー!」



 怒られているのに子ども達はどこか楽しそうだ。笑い合って逃げる子どもたちの輪には入れずリナリーは呟く。



「いつも笑顔で人に優しく……」



 祖母の言葉はいつしか呪縛のようにリナリーを縛っていた。






「リナリー様どうかされましたか? お一人ですか?」



「え?」



 リナリーがハッと顔をあげると同じクラスの女生徒が数人いて、リナリーを心配そうに見ている。



「あ……ええ、クラウス様とアッシュ様は先生に呼ばれて……」



「そうなのですね! では今日は私達とお昼をご一緒しませんか?」



 笑顔のクラスメイト達にリナリーはほっと顔を緩めた。

 移動した先の食堂でリナリーと女生徒達は和やかに昼食の時間を過ごしている中、一人の女生徒がウズウズとした様子を隠しきれず口を開いた。



「あの! ずっと気になっていたんですけどいいですか!?」



 突然切り出されたリナリーがきょとんとした顔を向ける。



「リナリー様はクラウス様とアッシュ様……どちらが好きなのですか!?」



「ええっ……? 好……どっちって……」



 虚を突かれたリナリーは目を丸くする。



「ちょっとやめなさいよ!」



「いいじゃない! みんなも気になってるんでしょ!? ここだけの話じゃない! 女子トークよ女子トーク!」



 制止した女生徒も同じ気持ちだったようでそれ以上は強く止めずリナリーを見つめている。



(ここだけの……女子トーク……!)



 思いがけないところで憧れの場面をむかえたリナリーは高揚した。



「どっちなんて……そんな……ただお二人とも親切で……それに……クラウス様にはフローラ様が……」



 フローラの名前を出したことでリナリーはふとさっきの暗い気持ちに引き戻されそうになった。フローラの評判は良くないのにも関わらず、クラウスの特別で、マティアスの特別な温室に入れる。ドレス選びで会った日のフローラが脳裏に浮かんだ。



『きゃあ! なんですか!』

『ワハハ! カインだけずるいじゃないか! パパにも天使を褒め称えさせてくれ!』



 あの日フローラの悲鳴に振り返ったリナリーが最後に見たのは、フローラがベンハルトに子どものように抱え上げられているところだった。家族にも特別に愛されているのがわかる。

 いつも明るいリナリーの顔が曇ったことで女生徒達は心を痛めた。



「リナリー様……思うのは自由ですよ!」



「そうよ! リナリー様の方が素晴らしい魔力と加護をお持ちなのに!」



 女生徒達は口々にリナリーを励ました。



「で、でも……私、す、好きとかよくわかりません……」



「リナリー様! 星降祭のジンクスをご存知ですか!?」



「え? ジンクスですか?」



「星降祭で最初にダンスを踊った人と結ばれるというジンクスです!」



「…………!」



「……リナリー様……その顔は……今心に浮かんだ人がいるでしょう?」



 リナリーの心臓がドキリとする。



「なんでもないときにその人のことが浮かんで消えない日とかあるでしょう!?」



「そうそう! その人と同じ色を見るだけで思い出したり……! 一緒にいるところを想像したり!」



「……!? だって……! 私、そんなつもりじゃ……」



 思い当たることがあったリナリーは目を彷徨わせた。ドレス選びの日、心惹かれて手を伸ばしたドレスを思い出す。確かにあの瞬間リナリーは思い浮かべたのだ。「あの方の瞳と同じ色だ」と。

 狼狽えるリナリーの頬はみるみるうちに赤くなり熱を帯びた。耳まで赤く染まったリナリーは思わず手で顔を覆った。



「きゃー可愛らしい!」



 女生徒達は歓声をあげた。



「でも……こんな気持ちぜったいに許されません……フローラ様がなんて言うか……合わせる顔がありません……今の話は忘れて下さい……」



 リナリーの華奢な肩が小さく震えた。リナリーの小さくてか細い指から、いつもにこやかな彼女の、これまで見たことのない苦悶の表情が見えて女生徒達は、あぁ……と同情の声をあげた。



「リナリー様……星降祭の儀式で祈りの乙女という女神様に祈りを捧げる役目のことは知っていますよね?」



 リナリーは小さく頷いた。



「その選ばれた乙女が最初にダンスを踊ってからパーティーが始まるのです」



「祈りの乙女に選ばれるのはぜったいにリナリー様です! リナリー様に婚約者はいませんし、この世で最も女神様の祝福を受けたとされる光の加護のリナリー様にはそれ相応の相手が必要です! つまり……」



「「つまり合法!!」」



 リナリーの肩を抱いていた女生徒が揃って声をあげ、パチンと手を合わせた。



「お二人のお似合いの姿を見れば誰が相応しいのかアピールできますわ!」



「私達は応援していますから!」



 無邪気で無責任な、でも目の前の弱い物を守ろうと心から応援する彼女達の優しさは本物で、リナリーの心の隙間にすっと入り込んだ。



(……好きって……こういう…………)



 いつもより速い胸の鼓動が心地良く、リナリーの気分を高まらせた。いつの間にか芽生えていた気持ちは暖かい春の陽射しのようで、いつもどこか寂しさを抱えていたリナリーの心の底に暖かい空気が流れた。さっき確かに感じたフローラへの罪悪感は新しい気持ちと混ざり合い、形を失う。



(……想う……だけなら…………)



 ささやかな想いが自分の意志とは関係なく膨らんでいくことを彼女はまだ知らない。

 

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