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「お嬢さーんコレはどうするっす?」



 スパイスをゴリゴリとすり潰していたロズベルグ家のコック、ガーブの声で、ニンニクを刻んでいたフローラが顔を上げた。

 その側でカインがガーブの手元を見ながら大きくため息をつく。



「はあ……嫌なこと思い出した」



 ガーブが手にしているのは鮮やかなオレンジ色に変化したカーリタース。フローラとカインは自宅のキッチンでカレー作りに取りかかったところだ。



「フフ、お兄様と先生の魔力でとてもキレイな色になりましたね」



「フローラの役に立てたならよかった」



 カインは不服そうな顔でスツールに座るとガーブからフローラの手に渡される花を目で追った。魔力を流した時よりも少し萎れている状態で、色が変わってからはあまり保たないと言うのは確かなようだった。



「うーん……どうやって使おうかな……とりあえず茎はいらないよね」



 フローラは思案しながら茎を外した。



「すり潰すならぜひ私にやらせてほしいな」



「もうお兄様! いつまで根に持っているんですか……あ、そうだわ」



 フローラは何かを思いつき花を握るとカインの前に立った。



「フフフ……お兄様、私が悪役令嬢の真骨頂をお見せいたしましょう……ガーブ、何か器を……」



「悪役令嬢? どういうこと?」



 カインは言葉の意味は理解できなかったが得意気なフローラが可愛らしくて座ったまま笑顔でフローラを見上げた。

 フローラはそれらしく髪を後ろに流すと演技がかった口調でゲーム内の台詞を叫びながら花に魔力をこめた。



「私を誰だと思って? 目障りな存在はどれだけ可憐な花でもこうなりますわ!」



 花がフローラの手の中で形を崩しハラハラと粉になる。

 ガーブがさっと器を出し受け止める。

 カインが声を出して笑いだした。



「最高だよフローラ、かなりスッとした! ハハハッ」



(あの場面をこんな楽しい気持ちで再現できるなんて)



 フローラは穏やかな気持ちでクスッと笑うと再びカレーの調理に戻った。カインとガーブが興味津々で見守る中、フローラは鍋に次々とスパイスを入れ、オイルに香りを移し取る。スパイスカレーを作る時に最も大事な工程だ。スパイスが熱され、パチパチという音と共に種が弾ける頃には、部屋中に香ばしいスパイスの香りが広がった。



「不思議な匂いだね、どんな味がするのかな」



 手伝うつもりでキッチンについてきたカインだったが、フローラが手早く調理を進めるのでカインは後ろで感想を呟くしかできなかった。



「これでいいかな! 少し煮込む間に今日の夕食を作りましょうか」



「え? これ食べないの?」



「これは明日用ですよ! カレーは一晩寝かせるともっと美味しくなるのです」



「残念だな」



「フフ、明日先生と一緒に試食しましょうね」



 再び花に魔力を送ったときのことを思い出し顔をしかめたカインにフローラは笑うと、スプーンで鍋からカレーを一匙すくってカインに差し出した。



「仕方ないですね、お兄様だけ特別! 一番に味見させてあげましょう」



「あの……お嬢さん、ほどほどにしといた方が……」



 ガーブが気まずそうに視線を送った先には、少し開いた扉からワナワナと震えるベンハルトの姿が見えた。彼はこのまま尊い二人を見続けたい気持ちと、ずるい混ざりたいという気持ちで葛藤していた。



「お、おかえりなさいお父様! あ、そうだわ! お父様の大好きなパンも準備しなくちゃ!」



「おかえりなさい父上! お茶でもしましょうか! 邪魔したねフローラ」



 フローラは慌ててパン生地を寝かせていた貯蔵庫の扉を開け、カインは素早くベンハルトを連れキッチンを退出し、面倒なことになりそうな空気を息の合った連携で上手く回避した。

 誤魔化すために開けた貯蔵庫だったが、夕食のパンを焼かなければいけないのは本当だ。フローラはそのままいくつか置いてある生地の膨らみをチェックした。

 フローラは普段、発酵にはほとんど加護の力を使わない。多少の調整には使っているがフローラは魔力の量が少ないので毎回使うのは負担な上、何よりもフローラはこうやって生地の膨らみを見ながら発酵を待つ時間が好きだった。

 天然酵母で作るパンの発酵は時間がかかるが、逆にそれが利点とも言える。温度を下げて管理すれば前日に捏ねて翌日焼くこともできる。



(今日はこれを焼いて……明日はどうしようかな……先生はどうにかなるって言ってたけど……)



 フローラは夕食に焼く生地を取り出しながらマティアスとの会話を思い起こした。




 


「こんな感じで……壺のような形の釜で……下に火を焚べて……この壺の部分を高温にするのです」



 フローラは紙に図を描きながらマティアスにタンドール窯の説明をしている。何気なく話題にしたカレーの説明の中でタンドール窯に触れた際に、マティアスが想像以上に興味を示したのだ。



「ふーん。だったら周りをレンガで固定して固めて……断熱の素材を……うん、簡単に作れそうだね」



「私も実際に作ったことはないのでこれでどこまで高温を出せるのかはわからないのですが……一瞬で焼き上げるためには三百度から五百度ぐらいは必要なのです」



「温度ね……たぶんなんとかなるよ。大丈夫任せといて。君はカレー作りに集中してくれていいよ」



 フローラはマティアスの言葉を信じ、明日はナンの生地を焼かずにそのまま持っていくことに決めた。






 翌日迎えたカレー試食会の朝、フローラとカインはいつもより早い時間に家を出た。カレーの入った鍋とパンの生地を教室に持ち込むわけにもいかないので、マティアスに預けておくためだ。



「これ……!!」



 フローラは温室のすぐ裏で足を止めた。温室の外に、前回の授業のときにはなかった見慣れない物がある。

 簡易な造りではあるがタンドール窯が出来上がっていたのだ。

 すごい!と騒ぐフローラの声を聞いてマティアスがやってきたがフローラは挨拶も忘れてタンドール窯を覗き込んでいる。レンガで壺を囲んだ簡素な作りだが魔石が埋め込まれているのをフローラは見つけた。



「これ魔石……! ってことは誰でも簡単にいつでもナンが焼けるっていうこと!?」



「あぁ、ごめんね。急だったから火の魔力を込めた魔石が用意できなかったんだ。それはとりあえずつけただけだから今日は原始的なやり方になるかな」



「……? 魔石はあるのだから先生が魔力を込めたらいいのでは?」



 フローラがそう言うとマティアスは呆れた顔でフローラを見た後にカインへ目線をやった。カインはマティアスの代わりに説明をした。



「フローラ、火の力を使う魔道具に、違う加護の力を込めた魔石をつけても火はつかないんだよ」



「えぇ……? 魔力は魔力なのに? 力は力でしょ?」



 漠然と魔力は電気みたいなエネルギーで魔石はそれを貯めておける電池みたいな物だと思っていたフローラは驚いた。しかしさっきのマティアスの呆れ顔を思い出すと説明するまでもない常識らしい。



「いい着眼点だね。火には火の魔力が常識だけど……正確には違う加護の魔力でも発動はできるはずなんだ。ただものすごく莫大な量が必要って話だよ。想像もつかないぐらいの魔力がね」



「それを応用したのがクラウスのピアスだよ。私の……緑の魔力を込めてあるからクラウスの魔力がどれだけ漏れようと吸われるだけで魔法として発動しない。クラウスは子どもの頃から不器用で……なかなか魔力のコントールができなかったから……」



「フフフ……! そうなのです! クラウス様は不器用なのです!」



 マティアスの声のトーンが落ちたことには気づかずフローラは得意げに言った。



「……なんでそんな誇らしげなの」



「クラウス様は不器用で……上手くできないことばかりなんですけど……どんなことも努力し続けてぜったいにできるようになるんです! まぁ……その努力もおかしなときがあるんですけど……そこがまた魅力っていうか……ウフフ……魅力といえば他にもあってまずお伝えしたいのは……」



「ハイハイ。わかったからもう教室に行こうね」



 また始まったと呆れ顔のカインがフローラをあしらいながらマティアスの温室を後にする。その背中が見えなくなり自然と視線が足元に落ちてからようやくマティアスは力なく呟いた。



「……そうだね……もっと信じてあげればよかったんだね……」



 マティアスは温室に戻り、作業場に向かった。カーテンのように温室の壁に伸びたトケイソウが花をつけていた。マティアスは立ち止まりその少し奇妙な形の花に手を伸ばした。


 

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