39
フローラが一日中服飾店を連れ回された日、王宮でクラウスは持ち出し厳禁の古い書物を読み漁っていた。クラウスは片っ端から薬学に関係がありそうな本を読み、フローラのために『スチル』というありもしない薬草の手掛かりを追い求めていた。
「スティル……まさかこれのことだろうか」
クラウスはついに、というか偶然に『スチル』とよく似た語感の伝承を見つけていた。
「古の……錬金……失われた……赤き……石……古語は所々の単語しかわからないな。古語を先にしっかり理解しておかなければ」
クラウスは古語の本を手にとって積み上げた。
「……石という記述があったな。赤い石か……石についても読んでおくか」
そうして大量の本を部屋に届けるように手配をし、部屋に戻る途中、廊下の端によけた小柄な初老の婦人の前で足を止めた。
「アンナ。久しいな」
硬い表情で目を伏せていたアンナと呼ばれた女性はクラウスの声に目を一気に輝かせて顔を上げた。
「まぁーー! まぁまぁまぁクラウス様! こんなおばあさんのことを気に留めて頂けるなんて! お久しぶりでございます! まぁーーほんとに美しい青年にご成長なさって! 何を召し上がってそんなツヤツヤに? 坊っちゃんはどんなに言っても野菜は食べないし陽に焼けてもお構い無しだし……」
口を開いたかと思えば一気にお喋りをまくし立てたのはアッシュの乳母のアンナだ。アッシュが幼いうちは帯同していたのでクラウスとも面識がある。
「国の方は大丈夫か?」
「ええ! 坊っちゃんがこちらにきたことで国と国の友好関係は変わらず健在だとアピールできまして! おかげでよからぬ噂も落ち着いてきました! 坊っちゃんがこちらでよい人を見つけたらさらに……あぁ〜そう思うとクラウス様と坊っちゃん、性別が違えばこの上ない組み合わせなのに残念ですねぇ〜」
「まったく残念ではないが」
「まぁーー! 性別は関係ないと!? あらまぁまぁまぁどうしましょ!」
「いやそういう意味ではな……」
「あぁっまさかこの花、もしやクラウス様に!? あらあら坊っちゃん、深い意味はないからと強く念押しされていましたがグフフ……でもそうなるとお世継ぎの問題が……」
アンナはクラウスの否定も耳に入らない様子で大事そうに抱えていた包みをそっと外し、中をのぞきながらブツブツと独り言のようなお喋りを続けている。白い八重の大ぶりの美しい花の株が見えている。
「見かけない花だな」
「ええ! 我が国でも限られた場所にしか咲きません。この花は……フフフ愛する人に愛の誓いをする時に贈る特別な花なのです……! あらやだ! これをクラウス様に伝えてしまったらサプライズにならないわ! クラウス様! 聞かなかったことにしてください!」
「いやだから違うと思うが……」
「いいえ! あの坊っちゃんが連絡をよこしたと思ったら急ぎで花ですよ!?」
「少なくとも私に贈るつもりはないはずだが」
「あの坊っちゃんにこんな短期間で花を贈りたい相手なんて現れると思います? 運命の出会いがあったとかならともかく……きっとクラウス様との再開でご自分の気持ちに気づき……あらーまぁまぁまぁ」
「……運命……口にはしていたな……愛の誓いをする花か……」
「運命と!? もしや花を贈る相手に心当たりが? こんなすぐに!? まさかもう結婚を急ぐほどの関係に……!」
クラウスはアッシュとリナリーを思い浮かべた。結婚を急ぐほどの親密な関係かといわれるとそうではない気がしたが、ふとフローラの話を思い出した。
「いや……わからないな……二人の仲は知らないがもうすぐ星降祭という行事がある。そこで最初のダンスを踊った二人は結ばれるというジンクスがあるらしい。急ぐ理由はそれではないだろうか?」
「んまぁーー!! それですよ! それ! その行事はいつなのです? それまで花が持つかしら……もぉー急ぎだなんて言うから……だから坊っちゃんは説明が足らないといつも……」
「星降祭までまだ少し日がある。叔父上の温室で管理できるよう手配しておこう」
「ありがとうございます! 繊細な花なので助かります! 何から何まで……」
「おい!!」
アンナがお喋りを続けようとしたとき、アッシュの大きな声が聞こえてきた。アッシュは血相を変え二人に全速力で駆け寄る。
「まぁーー坊っちゃん!」
「坊っちゃんはやめろ!! なんでアンナがここにいるんだ!! アンナには黙っておけとあれほど……」
「んまぁ! 坊……アッシュ様。アンナを騙せると思いましたか? お元気か確認したくて私が直接お持ちしましたよ」
「クラウスすまない。失礼なことしかしてないよな!? 何話してた!? ほんとにすまない」
「いや、問題ない」
アッシュの後ろでアンナが唇に手を当てしーっとしていたのでクラウスは短く返事をして花のことには触れなかった。
「はぁ……アンナ早く国へ戻れ」
「まぁー! ついたばかりの年寄りを追い返すなんて……坊っちゃんの暮らしぶりを確認してから帰ります! 少なくとも! 星降祭とやらは見届けます!」
「はぁっ!? 頼むからまじで早く帰ってくれよ!」
アッシュの絶叫が廊下に響いたがアンナにはまったく響いておらずニコニコと笑顔を浮かべるだけだった。
翌日、アッシュはフローラにどこで渡すのか悩んだ末に花を持って登校した。花を抱えて歩く気恥ずかしさからぎりぎりの登校になったが、そのおかげでフローラに出くわした。
「アッシュ様、おはようございます」
「おはよう……あのさ……前言ってた染料に使われてる花ってこれなんだけど……すぐ使わないなら先生の温室で管理した方がいいと思ってさ……」
アッシュは周りを気にしながら気まずそうに花を差し出した。ここは異国で、誰も意味を知らないとはわかってはいても、告白に使う愛を誓う花だというイメージがどうしても捨てきれない。
そしてその照れくさそうなアッシュの手の中の真っ白な大輪の花を見たフローラはフラッシュバッグに襲われた。
(この花……! アッシュルートでアッシュがヒロインの頭に飾る花だ!)
思わず受け取るフローラの手に緊張が走った。
「あの……真っ白に見えるんですけど本当にこれが染料に?」
「あー……えっと二つの異なる魔力を流すと色が変わるんだ……その色が悠久の色と呼ばれていて結……うん……いや、なんかそんな感じ」
アッシュルートで随所に出てくる美しい祖国の花の話。アッシュがそっとヒロインの髪に花を飾る名シーンだが今となってはカレーがチラつく。
(えぇ……あの花がターメリックだったの? カレー色に染まるってこと? もしそうなら私……アッシュルートでもう二度と感動できないかも……カレー……)
もう二度とゲームをプレイする機会はないだろうがフローラは軽くショックを受けた。この花がターメリックだったらいよいよカレーが作れるというのにむしろ間違いであってほしいとすら思っている。それぐらいアッシュルートでは感動を演出する花だったのだ。
「カーリタースと言う名前なんだ」
「え? カレー足す?」
「古い言葉だから発音が難しいか、カーリタースだ。カリー」
「…………」
「どうかしたか?」
「いっいえ……とても綺麗な花だと思って……」
アッシュが自国の言葉で発音したカーリがカリーとしか聞こえないフローラは動揺を隠すために花を顔に引き寄せ香りを確かめた。花はカレーではなく甘い香りがしたがフローラがときめいたアッシュルートの思い出はすっかりカレーの記憶に塗り替えられた。フローラは複雑な思いで花の花弁をそっと撫でた。
その仕草にアッシュは思わずドキリとしたが、遠くの茂みからアンナが身を乗り出しているのを見つけてすっと心が冷めた。
「おい! 何をしているんだ!」
「ま、まぁ〜ホホホおかまいなく〜」
「アンナ! 学園になんの用だ」
そそくさと茂みに引っ込むアンナだったがアッシュに名前を呼ばれビクリと動きを止める。
「ま、まぁいやですわ。カーリタースは繊細な管理が必要ですもの……心配で……」
「! そうですね! やはり馴れた方に管理の仕方を聞いておいた方が安心です!」
アンナを歓迎したフローラにアッシュは大きくため息をつくと軽く舌打ちをしてフローラと温室に向かった。フローラが気さくにアンナに声をかけるとアンナのいつものお喋りが始まりアッシュは頭痛がして温室への道のりが長く感じた。
「へぇ~本物を見るのは初めてだ」
マティアスが興味深そうにカーリタースを眺める。
「とっても綺麗ですよね! 魔力に反応して色が変わるそうです! ね! アッシュ様やってみません!? 見たいです!」
フローラはそう言うとアッシュに花を差し出した。
「はっ!? い、今!? いや、だって」
わかりやすく狼狽えるアッシュにアンナの目が輝く。
「ばっ違う! 無理だって! 保たないから!!」
「え?」
「色が変わってからはあんまり保たないから魔力は使う直前に流した方がいい……」
目線を逸らしながら小さく呟くアッシュをマティアスは興味深そうに眺めた。
「へぇ〜いつの間にか仲良しなんだね?」
「は!? 仲良くなんてな……」
「はいっ! 私達はスパイス協定で結ばれているのです!!」
元気よくフローラが答えたのでアッシュは口をパクパクとするだけで否定の言葉が続かず、くるっと後ろを向いてぶっきらぼうに呟いた。
「……遅刻するだろ。もう行くぞ。アンナは先生に花の扱いの注意点を説明しといてくれ」
(あ……つい返事をしちゃったけど気を悪くさせちゃったかな? 私と関わりがあるなんて知られたくないよね)
フローラはまた失言したと思いながら早足で歩くアッシュの背を追った。
その日のお昼休み、フローラとカインは昼食をとるためにマティアスの温室に訪れた。
「……先生? 疲れてます?」
「あぁ、かなりね。早急になんとかしてほしいよ」
マティアスが目線をやった先には鼻歌交じりに通路を掃除するアンナの姿があった。
「ほんとならとっくに追い出してるんだけど」
フローラが辺りを見回すと確かに雑然としていたマティアスの作業場が整えられている。いつも昼食を広げるシンプルな机にもテーブルクロスがかけられ花のアレンジメントが飾られていた。
うんざりしながらも好きにさせていたのかとフローラは思わず笑った。
「フフっお花があるだけで雰囲気が変わりますね!」
「はぁ……喜んでもらえるなら我慢したかいがあったかな」
マティアスは疲れた表情のままぼやいたがフローラが楽しそうに昼食の用意を始めたのでフッと表情を緩めた。
「あの花……なかなかやっかいだね。この国で育てるのは難しそうだ」
「この温室でも無理なのですか?」
「長時間魔力にさらすと枯れるようだからね。だから今あるのも早く使った方がいいよ」
「アッシュ様も色が変わってからはそんなに保たないとおっしゃってましたよね……色が変わるところを見てみたいし早速今日の午後の授業が終わったらやってみませんか!」
マティアスは頷くとフローラが作ったベリーたっぷりのデニッシュに手を伸ばした。
生徒達が帰路につく中フローラとカインは再びマティアスの温室に集まった。
「魔力を流す際何か注意点とかある?」
「注意点は……」
マティアスがアンナに尋ねながらカーリタースを一輪、花鋏でパチリと切り取り何気なくフローラに手渡した。王族特有の端整な顔立ちをしたマティアスは恐ろしいほどに花がよく似合う。フローラに花を差し出す仕草もごく自然でアンナは思わず見惚れた。しかもカーリタースはアンナの国では特別な愛の花。長年ロマンス小説を愛読しているアンナは胸の高鳴りを抑えることができなかった。
「……! なるべく近づいて手を握りあい……見つめ合って呼吸を合わせて同時に魔力を流してください!!」
「えぇ……? ほんとに? ややこしい花だな」
「そりゃもう! 愛を誓う花ですから!!」
アンナは目をキラキラさせてマティアスとフローラを見守っている。
「じゃあやってみようか」
「はい!」
マティアスはフローラの前に立ち、フローラの花を握っている手に自分の手を添えた。
「こんな感じでいいのかな?」
マティアスがアンナに確認しようと横を向くと、アンナがさっきよりかなり近くに寄って身を乗り出しているので驚いた。
「あぁ〜寿命が延びていく……あの! 反対の手も合わせてくださいませ!!」
「…………」
「はい!!」
さすがに疑いの目を向けたマティアスだったがフローラが元気よく返事をして左手を差し出したので、ため息をつきながらその手をとった。カレーで頭がいっぱいだったフローラはそこでやっとマティアスとの距離感に気づいた。見上げればクラウスに似ている鼻筋から口にかけてのラインがよく見えて急に心拍数があがった。
(っ! 思ったより近……)
「お待ちください」
カインが二人の間にぐっと割って入る。
「フローラ、私と魔力を流そう。兄妹だしきっと魔力の相性もいいはずだよ」
「貴重な研究の邪魔しないでもらえるかな?」
「研究? それなら横でじっくり見ていた方がよいのではないでしょうか?」
「いいや、実際の感覚が知りたいね」
「フローラは未婚の令嬢ですので必要以上の接触は控えていただきたい」
「花に魔力を流す必要な手順だろう? それに……君が心配していることで言うなら私はかなり優良な独身だと思うんだけどな? 地位も実績も職もあるし何より話も合う」
「ハッ! ご冗談を! 笑えませんね」
マティアスはわざとカインを煽るようなことを言って面白がっている。美しい笑顔で睨み合う二人の間に挟まれたフローラは自分の魔力の問題に気がついた。
「私は魔力が弱いから途中で魔力が切れて失敗すると勿体ないですよね……お兄様と先生で流してください! 緑と土の加護なら相性もピッタリですね!」
「「………………」」
二人は笑顔のまま固まった。
「……! これはこれで寿命が!!」
アンナが目を輝かせる中、マティアスとカインは向き合って手を取り合い花に魔力を送る。白い花が淡い光を帯びていく。
「……なぁ、何してんの?」
そんな中、怪訝な顔で声をかけてきたのは戻らないアンナが気になり様子を見にきたアッシュだった。
カインとマティアスは手を握りあったまま答えた。
「何って……」
「魔力を流してるところだけど」
「は? 魔力を流すのは別に同時じゃなくても構わないけど……」
「ま、まぁっ! 私ったら! 結婚式のセレモニーとごっちゃになってました! ごめんなさいホホホいやだわ歳ですね」
目を泳がせ謝罪したアンナはササッとフローラの陰に隠れた。
「素敵! 本当に色が変わるのね!」
嬉しそうなフローラが声をあげ、生気のない目をしたカインとマティアスの手の中で光が収まったカーリタースは美しいオレンジ色に変化していた。




