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 星降祭が近づいてきた休日。ロズベルグ一家は揃って街へ出かけた。フローラは手持ちのドレスで済ませる予定だったが、ベンハルトとカインに猛反対されて、渋々服飾店へ向かっている。



「五……いや八はいけるな」



 何やらブツブツと呟きながら考え込むベンハルトにカインが尋ねた。



「何の話ですか?」



「星降祭でフローラが着るドレスの数に決まっているだろう」



 フローラは上の空でぼんやりとしていたが思わず我に返って口を挟んだ。



「ええ!? 何を言ってるんですか! 一日で八着も着られるわけないです!」



「そうですよまったく……何を考えてるんだか」



 呆れ顔でそうこぼすカインにフローラは安堵の顔を見せた。ヒロインとクラウスの親密度が上がる星降祭なんて、フローラにとっては憂鬱でしかない。そのドレス選びなんてまったく乗り気になれないフローラは、カインがベンハルトの暴走を止めてくれるだろうと思ったのだ。



「タイムスケジュール的に三着が限界でしょう」



「お兄様! 三着だって無理です!」



 期待を裏切られたフローラは叫んだが、カインは服飾店の名前が並んだリストを広げた。フローラは長くなりそうな一日だと、ため息をついた。



「よし、次はここだ」



 フローラの心配通り、何件も店を回り着せ替え人形と化したフローラの表情はだんだんと無になってきている。



「あの……私もうこれでいいんですけど……」



「天使は何を着ても似合うから困るな……しかしこの丈は危険じゃないだろうか?」



「会場の見取り図を持ってきています。フローラの予想されるルート的にここの段差がネックで……」



「うむ……ヒールでの速度を考えてもやはりこの丈は長いな。ひっかかる可能性がある」



「やはりオーダーメイドじゃないと……」



「この繁忙期に今から間に合うか?」



「次の店舗はまだ独立して間もなく、顧客も少ないのでその辺の融通がきくのではないでしょうか?」



 早く解放されたいフローラを他所に二人の話は勝手に進みフローラはまた違う店へ。

 そうして次に連れてこられた店は大通りから少し離れた小さな店舗で、カインが言った通り他の店に比べて人がほとんどいないようだった。

 フローラはため息をつきながら店内に入ったが、店に入るなりすぐさま一着のドレスに目を奪われた。



「あ……」



 フローラは吸い込まれるように歩み寄り、ドレスを隅々まで何度も確認した。



(このドレス……間違いない……)



 そのドレスはフローラがゲームの中で何度も見た、星降祭でヒロインが着るドレスだった。思わずそっと触れると滑らかな冷たい絹の感触がフローラの指に滑る。画面越しでは決して伝わることのない指先の感覚がゲームではなく現実だと告げていた。

 フローラは記憶が戻ってから今日まで、どうしてゲームの中の自分が暴走していったのか、何度も繰り返し考えていたが急に答えがわかった気がした。ゲームの中でのように、ワインをかけて台無しにしたいとまでは思わなかったが、自分がこれをヒロインより先に買って着ていったらどうなるのかと、すぐ脳裏に浮かぶくらいには意地悪な自分を自覚したのだ。

 ゲーム画面の絵だけではわからない細かい刺繍や、光で色の濃淡を変える光沢のある生地、縫いつけられたビジューのチラチラした小さな光の動きを眺めながらフローラはポツリと思った。



(いつの間にか……クラウス様を好きなだけで幸せだった私はいないのね)



『クラウス様を大好きなだけで美味しいものはもーっと美味しくなるし綺麗なものはもーっと綺麗に見えるの!』



 幼い頃の無邪気な自分の声がフローラの頭に響いた。いつの間にか大きくなった嫉妬と独占欲で、すでにフローラの評判は地の底だ。そして自分の行いを省みた後の今でも、フローラには目の前の美しいドレスが綺麗だと素直に感じることができない。自分の本質はやはりあの、嫉妬で暴走していったゲームの中のフローラだということを突きつけられた気がした。


 

「そのドレスが気に入ったのかい?」



 今からフルオーダーが可能かと店主と交渉をしていたカインが、ドレスの前で佇むフローラに気づき声をかけた。



「! サイズのお直しでしたら問題なく間に合います! こちら私にとっても思い入れのあるドレスでして……踊った時にこの部分の……」



 難しい顔をしていた店主が安心したかのように早口でドレスの説明を始めた。



「フローラ、どうする?」



「気に入ったのならとりあえず買っておけばいいじゃないか!」



 フローラはもう一度ドレスを眺めた後、二人の言葉に小さく首を振った。



(たとえ私の本質が変わらなくても行動はいくらでも変えられるもの)



「お兄様……いろいろ見すぎてわからなくなってきました。気分転換に少し休憩しませんか?」



 一家は店を出てカフェに向かった。

 沈んだ気持ちを悟られないようにフローラは明るく二人に話しかけた。



「家族で街に出るなんて久しぶりですね!」



「そうだな! パパはいつもフローラとカインを一緒に抱っこしていたな。まだ可能だぞ。疲れたのなら久しぶりに乗るかい?」



 ベンハルトは腕を曲げ、盛り上がる上腕二頭筋をパンパンと叩きながら言った。



「「大丈夫です」」



 二人は声を揃えて断った。ベンハルトの腕の中で兄と笑い合った幼き日を思い出したフローラはやっと心からの笑みがこぼれた。



「フローラ、じゃあお兄ちゃんが抱っこしようか? 疲れたらすぐ寝たふりをしていたじゃないか」



「もう! いくつの時の話をしているんですか!」



「よし、じゃあフローラを抱えたカインをパパが運ぼうか」



 笑い合うフローラとカインだったがベンハルトだけが本気の目つきをしていた。



「あの通りの角にあるカフェが今人気で……ん……? 珍しいですね、ご夫人も一緒とは」



 ふと気がそれたカインの目線の方向へ、フローラがつられて目をやると、通りの反対側からヒロイン一家、リナリーとフェアド、フェアドの妻であるアリエンヌがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。フェアドの妻は数年前から持病を理由に社交の場に出ていない。



「ちっ休日にまで職場の人間の顔なんて見たくない。早く行こう」



「えっご挨拶は……」



「いい、いい! どうせあいつも無視してくるぞ」



 素早く過ぎ去ろうとするベンハルトだったが、その姿を目ざとく見つけたフェアドはベンハルトを呼び止めた。



「おや〜ごきげんようロズベルグ家の皆様」



 いつもベンハルトの前では不機嫌そうなフェアドがニヤニヤと上機嫌で笑顔を浮かべていた。ベンハルトは舌打ちをしたがフローラとカインは丁寧に挨拶を交わした。



「今日は妻の体調が良くてね! リナリーのドレスを見にきたんだ。今年の祈りの乙女は我が娘が選ばれるようだからなハハハ」



 得意げに笑うフェアドの後ろで控え目そうな婦人が静かに微笑んだ。その隣でリナリーがはにかむような笑顔を見せている。リナリーはフローラ達を見ると何か言いたげな素振りを見せたが、複雑な思いのフローラはわざと気がつかないふりをして、フェアドと睨み合うベンハルトに呼びかけた。



「お父様、これ以上時間を取らせてはいけませんわ。私達も行きましょう」



「おぉ、そうだな! 我が娘に相応しいドレスがこの地上に存在するかわからんからな! 時間がいくらあっても足りん」



 フェアドはフン、と鼻を鳴らし、リナリーとアリエンヌを連れてすれ違い、大通りに面する有名な服飾店へ入っていった。



 フローラ達はカフェの席に通され、窓側の席に着いた。一息ついたところでフローラは窓の外にさっきキャンベル一家が入っていった服飾店が見えることに気がついてアリエンヌの姿を思い出した。



「さっき……顔色が優れないようでしたが本当に体調は大丈夫なのでしょうか……病気は全快したのですか?」



 アリエンヌは「今日を楽しみにしていて」と、微笑みを浮かべてはいたものの、顔色は悪くどことなく目線が彷徨い、フローラが小さな頃に何度か見かけた記憶の姿とはずいぶんと印象が違っていた。



「あぁ、フローラはクラウス様のこと以外は興味なかったから社交界の噂なんて知らないか……」



 カインが紅茶をすすった。フローラは反論しようとしたがカインの言う通り、世間の噂なんて知ろうとも思わなかったので何も言えず、ティーカップに口をつけ沈黙をごまかした。よい茶葉を使っているのだろう。砂糖を入れていないのに果実のような甘い香りがフローラの口に広がった。



「病気というか……心の問題のようだよ。キャンベル家は歴史の長い一族だから世継ぎの事で……大人しい人だったから噂やプレッシャーに耐えられなかったんだろう……人が集まる場所に行くと体調を崩すようになったんだ」



フェアド(あいつ)そっくりの嫌味なばばあのせいだ! さっさとどっか僻地に送り込めばよかったのに」



 ベンハルトが口汚くフェアドを責めながら茶菓子を頬張る。

 フローラは前世で、別に望んでもいないのに周りから結婚を急かされ、早く子どもを作らないと後悔するわよと、特に親しくもない人達に言われていたのを思い出した。現代日本の未婚の立場でこれだ。ファンタジーな世界といえど保守的な価値観の国でアリエンヌの心労は察するに余りある。

 フローラは窓の外の服飾店に視線をやった。流行りのお店というだけあって店舗の規模も大きく人の出入りが激しい。



(あのお店……人が多いのに大丈夫なのかな……)



 フローラの心配はすぐに現実のものとなった。



 フローラ達がお茶を終えてカフェを出たところ、フェアドに支えられながら、ハンカチで口元を押さえている真っ青な顔色のアリエンヌの姿が目に入ったのだ。

 フローラは頭で考えるより先に身体が動き、今出てきたばかりのカフェへ飛び込むように戻った。



「フローラ!」



 カインが驚いたのも束の間、フローラはすぐに水を持って出てきてアリエンヌに駆け寄った。



「これ飲めそうですか? ゆっくりでいいので……大丈夫です。大丈夫ですよ……」



 フローラはなるべく落ち着いた声でアリエンヌに話しかけた。



「こちらに座ってください」



 遅れてやってきたカインが声をかけるといつの間にか大きな木箱を抱えたベンハルトが隣にいて、その箱をドカッと側に降ろした。そこにカインがハンカチをひいた。



「……! ありがとうございます」



 リナリーは驚きつつもお礼を言い、フェアドと一緒にアリエンヌを支えて誘導し、手が強張るアリエンヌの代わりにフローラから水の入ったコップを受け取った。

 フェアドは神妙な顔で珍しく素直に礼の言葉を口にした。



「……すまない……ありがとう…………」



「……気にするな…………チップを……かなり上乗せしてキャンベル家に請求しといたから……中はベリーだ……日持ちしないからいっぱい食えよ…………」



 ベンハルトが同じように神妙な顔で応えると、フェアドのこめかみはピクリとした。

 フローラは立ち去ろうかと迷ったが、通行人がチラチラとこちらを見ていたのでアリエンヌの視界を遮る形で背を向けて立った。フローラの意図を理解したカインも横に並び、なんでもないように「さぁ、次はどこの店にする? おすすめはね……」とリストを広げた。


 

「役に立てずごめんなさい……」



 リナリーは震え声で呟いた。精神的な病は聖なる加護では癒せない。どんなに願ってもリナリーの実母には加護の力は発動しなかったように。リナリーはアリエンヌの背中を擦りながら肝心なときにはいつも役にたたないと小さくこぼして唇を噛み締めた。



「いいの、よリナリー……心配しないで、大丈……夫、少し、休めば、落ち着く……」



 アリエンヌはなんとか平静を保とうと試みたが意識すればするほどうまくいかなかった。水を口にしたことでなんとか声は出せるようになったが、浅い呼吸が手足をしびれさせ、指が鉛のように重く、取ってつけられたパーツのように固まりひどく冷たい。



「やはりまだ無理だったか。帰ろうアリエンヌ」



「いいえ……いいえ……! ずっと、夢だったのです……お店で……娘のドレスを……楽しみに……」



 アリエンヌは悲愴な顔で小さく首を振ったがフェアドはアリエンヌを抱えて立ち上がらせようとした。



「無理に動かさずお医者様を呼んだほうがよいのでは……」



 フローラが堪らず振り返って声をかけたがフェアドは首を振った。



「人混みがダメなだけだ。家に帰れば落ち着くから医者は必要ない」



 アリエンヌが消え入りそうな声で何かを呟き身を引いてその場に留まろうとしたがフェアドは強く抱え込んだ。それを見ていたベンハルトが大きなため息をついた。


 

「はー頑張りたいと言っているのに何故帰るのだ。楽しみにしていたんだろう?」



 ベンハルトが呆れたように言うとフェアドは額に青筋を立てて言い返した。



「お前に何がわかるんだ! 医者でもないのに口出しするな!」



「医者じゃないから言ってるんだ。今連れ帰ってもやっぱりダメだった記憶しか残らんじゃないか! 愛する者の願いは全部叶えてやれ! 人の視線が嫌なら店ごと貸し切ればいいだろ! 家が落ち着くなら落ち着けるように店を家によせろ! 家と同じ調度品を運び込め! 愛する人が納得するまで付き合ってから帰れ!」



「おっお前はそんな簡単に……!」



「だってわしの金じゃないもぉーん」



 ベンハルトは煽るように舌を出して憎たらしい顔を見せるとフェアドは顔を真っ赤にして歯をぎりぎりと噛み締めた。



「あ、あなた……私は大丈夫です。少し、ここで休めば……お店に戻りましょう……」



「お義母様! 私のドレスは気になさらないでください! カタログからでも注文できるようですしそこから選んで頂ければ……」



 フェアドはベンハルトに苛立ちながらもアリエンヌの青ざめた顔を見ると心が揺らいだ。腹は立つがベンハルトの言うことは尤もかもしれないと揺らぐ。このまま帰宅すれば症状は落ち着くだろうが今朝久しぶりに見せた明るい表情には戻らないだろう。しかし星降祭が差し迫った休日の服飾店を貸し切るのは容易ではない。



「……さっきのお店なら……」



 震える声でフローラが沈黙を破った。



「さっきのお店なら人があまりいなかったので貸し切るのも簡単ではないでしょうか。新しく立ち上げたばかりだから知名度がないだけでとても素敵なドレスでした……」



「私には……私にはとても似合いそうにないデザインだったので諦めましたが……」



 ふんわりとしたシルエット。女性にしては少し背が高いフローラよりも、華奢で小柄なヒロインにぴったりなデザインを思い返す。



(私には似合わない……あれはヒロインのためのドレスだから……)



「……フローラ……」



 フローラの曇った顔を見逃さなかったカインは胸が押しつぶされそうな痛みを感じて囁くような声しか出なかった。それでも哀れな妹の名前を呼ばずにはいられない。何が悲しくて恋敵のドレスのお膳立てをしなくてはならないのか。



「ここからそんなに距離もないですし!」



 フローラはすでに明るい顔でキャンベル一家に店の場所を教えている。



「…………アリエンヌ……店までがんばれそうか?」



「…………本当にいいのですか?」



 フェアドが頷くとアリエンヌは顔色の優れないものの目に光が宿り安心した表情を見せた。



「ね、お兄様……」



 フローラはカインに懇願の顔を向けた。

 カインは顔をしかめて首を小さく振って拒絶したがフローラはカインを見つめ続ける。



「フローラ……」



 カインは諦めまじりにため息をつくとフローラをぎゅっと抱き締めた。



「フローラ以外のドレスなんてどうでもいいがフローラが望むならなんだってしよう。本当にいいのか?」



「ええ! お願いしますお兄様! だってこのままじゃ気になって気分良く私のドレスを選べないでしょ? 誰よりも素敵なドレスを選んでくれるんですよね?」



 いたずらっぽく笑うフローラの、強く優しい言葉にカインは回した腕にもう一度強く力を込めたあとフローラを離した。



「フローラ、君は何を着てようが私の最高の妹だ」



「お兄様……」



「私が先に行って交渉しておきましょう。少し休んでから無理のないペースで向かってください」



 カインはフローラを離してフェアドにそう告げると早足でさっきの店の方に向かった。



「カイーーン! 硬貨一枚たりとも値引かなくていいぞ! なるべくたっぷりつんでこい!!」



「勿論です」



 ベンハルトの叫びにカインは振り向きにっこりと笑った。




 

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