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 同じ頃、リナリーは一人学長室に向かいながら、すれ違う生徒達を横目にして心許ない気持ちになっていた。



(やっぱり心細い、な……友達がいない子だって思われているかもしれない)



 実際には行き交う生徒達はそれぞれのお喋りに夢中で、リナリーを気にも留めていない。にも関わらずリナリーは皆が自分を笑っている気がして少し背を丸くして早足で進んだ。

 この学園で光の加護を持つのは学長とリナリーだけなので、加護の授業の時は一人で行動するしかない。仕方ないとは思っていても一人になるこの時間にまったく慣れないでいた。



『リナリーは私達と違うもんね』

『さすが光の加護に選ばれた子よね』



 誰かと距離を感じるたびに幼い頃孤児院で言われた台詞が頭に響く。



(みんなと一緒がよかった。だって……)



 リナリーはそう思った瞬間はっとして頭をふった。いい子は絶対に思わない言葉がさらに続きそうだったからだ。



(だめだめ、こんなこと思ったら。……聖なるありがたい加護なんだから。この力のおかげで今の生活がある。女神様に感謝しなければ。少なくとも今はクラウス様……それにアッシュ様も私を皆と同じように接してくれるもの)



 いつも周りにどこか一歩置かれていたリナリーは初めて気安く接してくれる二人に出会わせてくれた女神様に祈りを捧げた。



(もっと仲良くなれるかしら? 違う人とも。例えば、フローラ様……)



 リナリーに態度が変わらない。その点でいえばフローラもその内の一人だ。フローラは誰に対しても距離を置いている。フローラを厄介者だと遠ざけてる人が多いが、中にはあわよくば取り入ろうと近づく生徒もいた。理解者のふりをして、またあるときは媚びへつらって、そのどれもをフローラは毅然と拒否をして独りを貫いている。独りを自分から望むなんて、リナリーにはまったく理解できなかった。自分なら相手に下心があろうと独りよりはましだと思うだろう。実際そうしてきたのだから。

 初めはクラウスの婚約者だから仲良くなりたいと思っていたが、今は仲良くなるなら彼女がいい。他に親しくしてくれる女生徒は何人もいたのになぜかそう思っていた。

 そのためにもいつも笑顔で人には優しく……人の役に立つには光の加護の勉強をもっと頑張って卒業したら教会でたくさんの人を癒す。それが自分の役割なのだから。そう言い聞かせてリナリーは学長室の扉をノックした。



「やぁ、リナリーこんにちは。よく来たね」



 柔和な笑みを浮かべたふくよかな学長がリナリーをむかえた。穏やかな学長そのものの雰囲気の空気が流れる部屋で、リナリーはようやく緊張をゆるめた。



「何か困ってることはないかな?」



 授業の開始前、学長は毎回リナリーに優しく尋ねる。その言葉にリナリーは笑って大丈夫ですと答えるのがお決まりだったがリナリーは少し上手く笑えなかった。



「大丈夫、です」



「……ふむ。リナリー、今日は授業をやめてお喋りでもしようか」



 リナリーの少し曇った笑顔に心中を察してか、学長はゆっくりと立ち上がりリナリーを客室のソファーに誘導し優しく語りかけた。



「学園生活はどうだい? 一度に環境が変わって慣れないことも多いだろう。戸惑っていることや何か不安に思ってること、なんでもいいから話してみないかい?」



 誰かが自分を心配してくれている。リナリーはうれしさで胸がぎゅうっとなったがこんなときでさえ、「気にいってもらえるいい子の答え」を無意識に探していた。



「……あの、教会は……どんなところですか? 卒業したらどんな風に自分の力を役立てるのか気になって……自分に務まるのかなって……少し不安になって……それで……」



 取って付けた質問に学長が目をしぱしぱさせたので間違えてしまったのかもと不安になったリナリーは青くなった。



「あのっ、いえ、ほんの少し思っただけで」



「あぁ、大丈夫大丈夫。違うんだ。ふふ、私は教会で働いたことはないからね。詳しくは私もわからないなと困っただけだよ」



 学長は笑ったがリナリーは目を丸くした。

 光の加護と言うのは貴重で、そのため常に癒し手は不足している。特にリナリーや学長のような強い魔力持ちは必ず教会で癒し手になるのが当たり前だ。

 今ここで学長をしているのは癒し手を引退してから、もしくは兼任しているのだとリナリーは勝手に思っていたのだ。



「私は教職一筋なんだ!」



 学長は誇らしげににんまりと笑った。

 リナリーは思考が追い付かない。



(聖なる……光の加護なのに……? そんなのありえるの……?)



「……先生、理由をお尋ねしてもよいですか?」



「ふむ……よし、じゃあ昔話をしようか」



 学長は目を細めて笑った。











「あにさま! 本を読んでください!」



「あにちゃま~くだちぇい!」



「ちゃい!」



 歳の離れた小さな弟と妹達が今日も若き日の学長、ルーカスに群がっていた。



「ふふ、一緒に読んでみようか? わかる単語はある?」



 膝によじ登ろうとしていた小さな妹を抱き上げて膝に乗せたルーカスは、小さな弟がたどたどしくスペルをたどるのを根気強く見守った。

 将来は教会の大司教候補。希少な聖なる加護、しかも強力な魔力持ち。彼は多くを期待され、それに応えるため必死に寝食を削り勉強にはげんでいた。優秀な癒し手になるには人体や医学に関することはもちろん、大司教候補ともなればあらゆる学問の知識が必要だった。

 本来なら小さな弟妹達の相手をしている暇はない。それでもルーカスはまとわりつく子ども達を疎ましく思ったことは一度もなく、むしろその時間を大切に思っていた。

 やがて学園に入学し、変わらず勉強にうちこみ時折弟と妹達の勉強を見てやっていたルーカスはある日図書室で思いもよらぬ人物に声をかけられた。



「なぁ、私のことは知らないと思うが……少しいいか?」



 こちらを見下ろす大柄な男は知らないだろうが、と前置きを置いたがルーカスはその男のことを知っていた。

 父親は名だたる騎士で、息子である彼の剣の腕も相当だと聞いている。鍛え上げているのだろう。制服を着ていても浮き上がる筋肉がわかった。だが彼を有名にしているのはその剣の腕ではなかった。学園随一の変わり者として有名だったのだ。



「いや、私は君を知っているよ。君を知らない人は学園にはいないと思うけどね」



 ルーカスは少したじろぎながらも返事をした。なんだってこんなムキムキな男が自分に声をかけてきたのかさっぱり見当はつかない。しかし彼の目があまりにも真剣だったので、こちらも真剣に話を聞かなければ、となんとか心を持ち直した。



「で、私になにか用……」



「俺に勉強を教えてくれっ!!」



 図書室には不釣り合いな絶叫が響き、さっきまでルーカスを見下ろしていた大柄な男の頭は深々と下げられこちらに手が伸ばされている。その手の先には紙が数枚たれさがっている。

 その紙の、およそ見たこともない×印の数にルーカスは絶句した。まともな文字は彼の名前しかない。



『ベンハルト・ロズベルグ 0点』



 それがルーカスと、学園随一の変わり者として有名だったフローラの父、ベンハルトとの出会いだった。


 ルーカスはベンハルトの頼みを即座に断ったものの、ベンハルトは引き下がらなかった。



「私は自分の勉強で手がいっぱいだし、先生に相談したらどうだろうか? それに……(騎士団に学力はいらない。それこそ強ければ名前がかければOKの実力世界だ)」



 ルーカスは後半の言葉は呑み込んだ。この大柄な男を怒らせたら自分がどうなるか容易に想像できたからだ。傷は自分で癒せても痛いものは痛い。どうにか痛い思いをせずにこの男を諦めさせる方法はないものかと頭を働かせるが何も思いつかなかった。



「他を当たってくれないだろうか」



 怯みながらもルーカスは声をしぼりだした。



「俺はお前がいいんだ」



 迷いなく即答したベンハルトに心が揺らいで言葉をなくす。



「ほらこれ……」



 がさごそと紙の束を漁り何枚かピックアップする。



 8点13点15点……



「お前ここで何回か弟に勉強教えてただろ? あれをこっそり聞いていて解けた問題で0点免れたやつ。バカな俺にもすごくわかりやすかった。だから、お前がいい」



 心を鷲掴みにされた思いだったが、その思いがなんなのかルーカスはわからないまま気がつけば教師役を引き受けていた。


 大きな身体を窮屈そうに収めて座るベンハルトを前にルーカスは、引き受けたはいいがすぐに後悔した。

 何ひとつ基礎ができていないのでまったく進まない。早くも心が折れそうだった。

 数式を覚えさせるより諦めさせる方に舵をきろうか。そんな思いがルーカスの頭をよぎる。×印を眺めながらふーっと息を逃がした。



「なぜ今さら勉強をするのか聞いてもいいかい?」



 今さら、本当に今さらだ。手遅れと言ってもいい。卒業まであと一年半しかない。



(そりゃあ指揮をしたり作戦を考えたりする頭脳派の騎士もいるけど……戦闘に有利な加護も持っているしこの男なら実力だけで騎士団の上に行けるだろう。今さら勉強した知識がなんの役に立つんだ)



 引き受けたのは自分だが、あまりにも無駄に思えてルーカスはイラ立ちすら感じていた。



「なぜって、そりゃ恋をしたからだ」



「はぁっ!?」



 ルーカスはあんなに怯えてた男に対して思わず批難の声をあげてしまった。

 さすが変わり者と呼ばれるだけあってルーカスには何を言っているのかまったく理解できなかった。顔をひきつらせるルーカスにベンハルトは、何がわからないのかといわんばかりの心底不思議そうな顔を向けている。



「いや、ぜんっぜん意味がわからないんだけど……」



「なぜわからないんだ。愛する人に何不自由なく暮らして貰うために決まっているだろ」



 ベンハルトの目に迷いはない。

 なぜこんな馬鹿げたことを言う奴に貴重な時間を使わないと行けないんだろうか。温厚なルーカスは生まれて初めて人を怒鳴り付けて今すぐ立ち去りたい衝動にかられたがなんとか踏み止まった。



(落ち着け……もしかして彼は騎士団に学力が必要だと思っているのかもしれない。迷える者を正しい道に誘導するのも将来聖職者につくには必要なスキルだ)



 ルーカスは必死で怒りをおさえ、ひきつりながらもなんとか笑顔を作る。



「騎士団の試験は実技しかないから勉強なんてしなくても君の実力なら大丈夫だよ」



「は? 騎士団? なんで? 俺は騎士団になんて入らないけど?」



「え?」



「え?」



 予想外の答えに拍子抜けしてルーカスは思わず声を出し、二人は顔を見合わせた。



「俺が目指すのは公務員だけど? 王宮で働きたい。よくわからんけど執務とか財務とか事務系? やりたい。とにかく高給で早く家に帰れる仕事」



「いやいやいやいや、ちょっと待って! なんで!」



 女神に選ばれた騎士の家系とも呼ばれる彼の家は、代々優秀な騎士を出していることで有名だ。逆に言えば国や政治に携わることには無縁の家系。何より目の前の見るからに鍛え上げられた剣の腕や筋肉、女神から授かった加護はなんのためにあるのか?ルーカスは激しく動揺した。



「し、心配ない! 騎士団も公務員だし君の実力ならすぐに高給だよ! 大丈夫! 字、そうだ字! 君の字はとってもきれい! その上腕二頭筋も! 胸鎖乳突筋もすっごくきれい!」



 ルーカスは軽いパニックをおこしてわけのわからないことを口走っていた。



「はぁーわかってないなぁ。騎士になったら二十四時間おきの勤務だろ? 丸一日帰れない。しかも長期遠征は当たり前、急な呼び出しもある。命の危険だってある。俺はすでにローザのいなかった人生を十六年も無駄にしている。残りの人生はローザと一分一秒でも長く一緒にいると決めているんだ。だから定時で帰れて身も安全なホワイトな王宮に就職する。ほら、次のページいこうぜ」



 ベンハルトは勉強の続きを促したがルーカスはまったく納得できない。



「お前……せっかく生まれもった加護や剣の才能をいかさないのか? 剣の腕も才能があるからといって簡単に身についたんじゃないだろ? 磨き上げた能力……これまでの努力を無にするのか?」



 ベンハルトは勉強に戻らないルーカスに少し苛立ってため息をついた。



「加護なんてたまたまついてきたオマケじゃないか。俺は俺の思う人生を歩む。それに無になんてならないさ。ローザを守るために剣が必要なときがくるかもしれんからな」



「オマケ……」



 物心ついたときから将来は司祭だと言われ続けてきた。もてはやされ期待され、それになんの疑問も持たずこれまで必死に食らいついてきた。自分の人生を決めた希有な聖なる光の加護。その加護を目の前の男にあっさりとオマケと言い切られたルーカスは乾いた笑いを浮かべた。



「ははは……」



 ルーカスは力なく席に着いた。ベンハルトは初歩中の初歩の数式と必死に格闘している。剣ではなくペンが握られたその手は傷だらけで分厚い豆によって変形している。どんなに才能があろうと並大抵の鍛練でここまでにはならないだろう。それをあっさり捨てるのか。女のために。ルーカスには到底理解できなかったが気がつけば口を開いていた。



「次のテストで一教科でも五十点以下を取ったら他を当たるんだ」



 ベンハルトはにっと笑ってルーカスをみた。



「もちろんだ。俺を誰だと思ってるんだ」



「……学園一の変人だろ」



 ルーカスの呟きが聞こえたか聞こえてないのかわからないが、ベンハルトはもう目の前の参考書に集中していた。



 

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