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午後の授業もカレーで頭がいっぱいだったフローラは、アルフレッドに貰った栞を眺めながらある可能性を閃いた。アルフレッドがこの栞は地方の特産の花で染めた織物だと言っていたのを思い出したのだ。ターメリックといえばあの鮮やかな黄色。染料として流通している可能性はないだろうかと。
フローラはそれを確かめるため放課後図書室に向かい、関連がありそうな本を手当たり次第手に取る。
(先生が思いつかないとなると……この国では流通していない他国のマイナーな特産とかなのかな……)
そうだとすると入手のハードルがかなり高くなる。他国の本を手に取ったものの、フローラは少し弱気になりページをめくる勢いが弱まった。
「……異国に興味があるのか? その……王都を出るつもりだから……?」
ふいに話かけられた声があまりにも弱々しく、フローラはすぐに誰なのか判断がつかず、声の主を見上げた。
西日が差し込む窓を背にして佇む長身のシルエット。一瞬目がくらんで顔がはっきりわからなかったが、陽の光が透けて輝く鮮やかな赤髪でフローラは声の主が誰なのかをはっきり認識した。
この学園でその色を持つのはアッシュしかいない。
フローラは驚いてアッシュの顔を見つめる。
アッシュは思わず目を逸らすとフローラが読んでいた本に目線を落としたが、どこかそわそわと落ち着きがない様子だった。いつものフローラにむける挑むような険しい表情は欠片もない。
「いえ……何気なく手に取っただけです。机……使用されるのですか? 私の用は済みましたのですぐに片付けます」
フローラは早くこの場から立ち去ろうと席を立ち、広げた本をまとめだした。
「! 済んだって……嘘だろ? さっき読み始めたばかりじゃないか!」
いつからいたのだろうか? フローラはドキリとして手を止め何気なくアッシュを観察したが彼の手に本はない。
本にも机にも用がないと言うことはフローラに用事があるということになる。
フローラはこの前のやり取りを思い出して嫌な予感がした。また責められるのだろうか、今度はなんだろうと身構える。思い当たる節があるとすればヒロインの昼食の誘いを断ったことだった。直接的なイベントは避けてもこうやって予定調和されるのかもしれないとフローラは小さく身震いした。
「……あの、ごめんなさい。リナリー様のお誘いを断ったのは本当に悪気なくて……」
フローラがどうにかやり過ごそうと言い訳を口にしたところでアッシュが語気を強めた。
「違う! そうじゃないんだ!」
フローラはびくりとしたがアッシュの表情が今にも泣きそうな悲壮な顔だったので思考が止まってしまった。
「違うんだ……大きな声を出してしまってすまない……そうじゃないんだ……」
アッシュは手の平で顔を覆うように眉間を抑え、ふるふると首を振り、そのまま考え込んでしまった。
フローラはアッシュの言葉を待つしかなかったがアッシュの苦悩を感じ、不思議とさっきまでの恐怖は消えていた。
やがて思い至ったかのようにアッシュは顔を上げるとフローラに深々と頭を下げた。
「本当にすまなかった……貴女の言う通りだ。私は自身の愚かな偏見で間違った判断をしていた」
「ええっ! か、顔を上げてください! 誰かに見られたら……!」
フローラはぎょっとして顔を上げるよう懇願する。彼は隣国の王族だ。こんな風に頭を下げるなんてあってはならない。
しかしアッシュは頑なに顔を上げず謝罪の言葉を繰り返した。
「こんなことで私のしたことは許されない。今さら遅いのもわかっている。それでも浅はかな考えで貴女を傷つけたことを謝罪させて欲しい」
「と、とにかくまず……! 顔を上げてくれませんか!? しゃ、謝罪は受け取りますから……私に頭を下げないでください!」
フローラは必死に説得するがアッシュの気はまだすまないようだ。
フローラはこんなスチル知らないとパニックになったが、アッシュはゲームでもそういう人だったと思い至る。口は悪く少々荒っぽいが真っ直ぐで自分の信念に実直だ。そして自分の愛する人にはどこまでも優しい。そういうところを利用され、愛する祖国を離れ今この国にいる。
「俺の下げる頭にそこまでの価値はない。兄と違って本当にできそこないだから……貴方の気のすむようにしてくれてかまわない。どんな償いでもする。国へ正式に抗議してくれ」
なおも頭を下げ続けるアッシュの姿に、心から悔いているのが痛いほど伝わってくる。兄を慕う反面どこかコンプレックスみたいなのもあるのかもしれないと感じたフローラはアッシュのシナリオを思い返した。故郷の思い出や異文化を楽しむイベントが多く、端々にアッシュの国や家族への強い思いが感じられるストーリーだ。大好きなお兄さんと大好きな国を離れて独り、慣れない土地や文化にきっと苦労もしただろうに明るいエピソードばかりで彼は一度もそんなそぶりを見せなかった。
「……素直に過ちを認め、謝罪できる人間はできそこないなんかではありません。お願いですから顔を上げてくださいませんか?」
フローラの言葉にようやく顔を上げたアッシュは本当に泣くんじゃないのかと思えるほどぐしゃぐしゃな顔で絞り出すように言った。
「……だけど貴女の誕生日を台無しにしたのは俺なんだ……あの髪飾りを選んだのは俺だ。クラウスは最初ためらっていた。押しきったのは俺なんだ……」
フローラは言葉を失った。目の前に立つアッシュと髪飾りの入った箱を差し出す従者だと思っていた男が重なる。
「ろくに説明もせず帰ったけど実はあの日……」
アッシュは説明を続けたがそれはフローラが嫌というほど知っていた話だった。ヒロインと少年を助けて出会う場面。何度も前世でやったストーリーだ。
街に出ていたのがフローラのプレゼントを買うためだったという設定も、あの髪飾りが実はアッシュの選んだ物だということは、ゲームでは触れられていなかったので知らなかった。それでもフローラの心は少しの動揺の後、凪いだ海のように静かだった。
ヒロインと出会うのは運命なのだから今さらそこを責めたところでどうなるというのか。自分の誕生日さえ二人が出会うために設定されているんじゃないかと思うと、ただただ虚しさだけが広がり、アッシュを責める気にもなれない。
かといってフローラにはアッシュを慰める言葉も見つからなかった。形だけでも激高して頬でもはたけば気がすむのだろうかと思ったが、残念ながらすでに怒りだすタイミングは逃している。
「……人の気持ちは他人にどうこうできません。アッシュ様の行動は関係ありません……遅かれ早かれ……」
落とし所を探りながらそこまで言ったところで突然フローラに悪魔が囁いた。
(私だってうんと傷ついた。前世を思い出すくらいショックを受けたんだから)
「二人が惹かれあうのは仕方ないことですが……私が泣きあかした……一生に一度の誕生日は二度と帰ってはきません!」
「すまない……」
わざとアッシュの罪悪感を煽るように言ったがアッシュの苦痛に歪んだ顔を見てさすがにフローラは胸が痛んだ。でも言ってしまったからには引き返せない。フローラは冷ややかな表情を崩さずアッシュを見据えた。
「なんでもするって言いましたよね……? お願いしたい事があるんですけど。それが叶えば許します」
「……! 俺にできることならなんでもする!」
ようやく顔に色が戻ったアッシュは力強く言った。
言質がとれたフローラはニコッと表情を戻してアッシュにメモを渡した。
「ではこちら! このリストに書かれている薬草でアッシュ様の国で手に入る物はありますか!?」
アッシュの国は気候も違うしこの国で手に入りにくいハーブが必ずあるはずだとフローラは目論んだ。
こんなに反省してる青年を利用するなんて人としてどうなのかという良心はあったが、カレーパン食べたい。と言う煩悩があっさり勝った。
カレーパンのために真っ直ぐなアッシュを利用することに少し胸が痛んだものの、フローラの頼みをきくことでアッシュの罪悪感も少し和らいだのか、ようやく彼の顔に血の気が戻っている。フローラは我ながらよい落とし所を見つけたと思うことにして、自身の罪悪感を誤魔化した。
(全部じゃなくていい。ひとつでも入手できたらカレーパンに近づける!)
フローラは期待を込めて、欲しいハーブとスパイスのメモを真剣に見つめているアッシュを見守った。
「……これか……けっこうあるな。そうだな……これとこれは……そうだよな……」
しばらくメモを見ながら考えこんだあと、アッシュがぱっと顔を上げてフローラに向き合った。固唾を飲んで第一声を待つフローラの両手は、無意識に祈る形で組まれていた。
「すまん! そもそも俺、薬草の名前知らねー!」
(いや、早く言ってよ! なんなのよあの長い間は!)
フローラは心の中で叫んだけれどなんとかぐっとこらえ、息を逃し脱力した。
フローラは本棚に行くと薬草の本を見繕う。
「なんでもするって言いましたよね?」
「お、おう……」
「ではまずは薬草の知識を。きっと無駄にはなりませんよ」
フローラはカインにも負けないアルカイックスマイルを浮かべるとアッシュに本を差し出した。元々座学やじっと本を読んだりするのは苦手な上にまったく興味がない分野だろう。拒否られた場合、骨は折れるが一から口で説明するしかないなと覚悟したが、アッシュは本をすんなり受け取った。
「わかった。調べてみる。このメモは預かってもいいか?」
アッシュの目は一点の曇りもなく真摯で、ノートの切れ端の乱雑な殴り書きのメモを、壊れ物を扱うような繊細な手つきで胸元の手帳に慎重に挟んだ。その仕草に彼の誠意を感じ、さっき誤魔化した罪悪感がまた顔をのぞかせる。
「こんなことで自分の罪が消えるとは思っていないが……フローラの望みが叶うよう最大限の努力をする。他にも何かあれば遠慮なく言ってくれ。荷物持ちだってなんだってやる」
真っ直ぐなアッシュらしい言葉にやはりフローラの胸はチクチクと痛みがぶり返したのだった。




