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 午後の授業を終えて全速力で家に帰ったフローラは、すぐにキッチンへと向かい、マティアスに分けてもらったハーブを並べてにんまりと笑った。



「パン生地に直接バジルやローズマリーを練り込むのもいいけど……鶏や豚をハーブと塩で漬けてハムっぽいのも作れるし……ハーブソルトとハーブオイルも作りたいな」



 次から次へ作りたいものが浮かび、ここ数日で掻き乱された心を整えるためにもこのまま三日くらいキッチンにこもりたい……とフローラは切実に思った。



「でも先生との約束があるし……」



 マティアスとの約束を思い出したところでお昼の出来事がフローラの頭をよぎった。

 思っていたより簡単にマティアスに受け入れられ、浮かれて失念していたが、危うくヒロインとクラウスとランチタイムをしなければいけないところだった。

 あのまま食堂に行けばどうなったのだろうと、どうしてもゲームの強制力がチラついて不安になる。フローラは今日の状況は違いすぎるから大丈夫と自分に言い聞かせた。



「そもそも入学してから一度もクラウス様と食事を共にしたことはないしね!」



 自分を納得させるために口に出した言葉は、はからずも自虐となりチクリと胸につきささった。記憶を思い出す前のフローラは、クラウスとの学園生活をそれはそれは楽しみにしていた。

 美しい庭園で一緒にランチもそのひとつ。一緒に勉強したり登下校したり、学園行事やたくさんの時間を共有できると思っていた。その思い描いていた全ては、自分ではないヒロインとのスチルの記憶に塗り換えられてしまった。

『入学したらクラウス様とやることリスト』を始め、メモ魔のフローラがクラウスについて気づいたことや、愛の言葉がぎっしりと書き込まれたストーカー帳と呼んでもいいノートは、今となっては黒歴史帳と化している。前世の記憶が戻ってからは恥ずかしくて一度も開いていないが、それでもフローラはなぜか捨てることができなかった。



(自分からイベントを起こさないくらいは許して欲しいな……)



「なんすかぁ? その草。お嬢さん今度は何を持ってきやがっ……たんです?」



 キッチンに少し間の抜けた声が響いてフローラの意識が弾けた。調理服を着た大男が洗った手を拭きながら、興味津々な顔で並べられたハーブを覗き込む。彼は最近ベンハルトが、フローラのために雇ったコックのガーブだ。

 本来なら貴族の家の厨房で働くには、ある程度の身分と相応な技術が求められるので、プライドの高い職人気質なコックが多い。前にいたコックはフローラの手伝いなんておままごとの相手はごめんだと思ったのだろう。それらしい理由をつけてさっさと辞めてしまっている。そのかわりにベンハルトがどこからか見つけてきたのが彼だった。

 大柄で日に焼けていて顔や腕に傷があり、とてもコックに見えない風貌だったが、料理に関することには貪欲でフローラとすぐに意気投合した。異世界料理も熱心に覚え、時に身体に似合わない繊細な技術でフローラを驚かせている。敬語は今ひとつ上手く使えないが、まだ完全にこちらの世界の食材を把握できていないフローラにアドバイスをくれたり、一緒に悩んでくれたりと頼もしい存在となっている。ベンハルトがヤキモチを焼いて頻繁にキッチンをうろうろするほどだ。



「私の天使っっ! 顔を見せてくれ!」



 扉の開く音と共にベンハルトの大声が響いた。さっそくキッチンにベンハルトがやってきた。



「おい、近すぎないか? フローラ? パパとガーブどっちが好き? ガーブ見つけてきたのパパだからね? ね?」



「ハイハイお父様」



 フローラは突然現れたベンハルトにいちいち驚かなくなっている。



「それよりフローラ! 見なさい! この耐加熱の魔力が織り込まれたエプロンを!」



 ベンハルトは誇らしげにエプロンを掲げた。



「えぇっ!? またエプロン作らせたんですか!? もう充分ですって言いましたよね!」



「この前のは安全性にばかり気が取られてちょっとデザインが地味になりすぎたからな」



 フローラは呆れながらもお礼を言ってベンハルトからエプロンを受け取った。惜しみなくフリルがあしらわれているが驚くほど軽い。魔力付与にオーダーメイド……エプロンにどれだけお金をかけたのだろうかとフローラの喉はゴクリと鳴った。すでに片隅におかれたワードローブはエプロンでいっぱいで、この調子ではキッチンに衣装部屋が必要になりそうだ。



「フローラが身に着ける物は常に美しく安全でなくてはならないからな。装飾を増やすとどうしても調理中の危険が……しかしフローラの天から授かった愛らしさを引き出すには」



「お父様! 慣れていないお父様がうろついていたら予期せぬ危険度が跳ね上がりますから!」



 ベンハルトの話が長くなりそうな気配を察したフローラは、慌てて遮りベンハルトの背を押してキッチンの外に追い出した。



「待ってくれ! まだ説明が……! エプロン着てるところもまだ! フローラぁぁぁ!」



 ベンハルトは扉の外で何か叫んでいるがフローラは気にせず気を取り直して振り返る。ガーブは騒がしい親子のことは気にもせずハーブを手に取ったり匂いを確かめていた。

 ローズマリーを手にして目を閉じたガーブが何か閃いたかのようにハッと開眼した。



「わかった! ばーちゃんちの咳止めだ!」



「咳止め! へぇーきっとローズマリーは咳止めの原料なのね」



 フローラは興味深そうにガーブに近づきローズマリーを手に取った。



「私が持っているローズマリーの効能のイメージは髪の毛なんだけどな……」



「髪っすか?」



「ええ。頭皮の血行を良くして白髪予防や育毛効果なんかも……」



 フローラはローズマリーをくるくるさせながらじっと眺めた。ツンとした爽やかな匂いが鼻腔をくすぐる。



(全然知識はないけどヘアケア商品とか作れないかしら? 先生に相談してみようかな)



「ちょっと! ストップストップ! 今から使うんだから頭に乗せようとしないで!! そのまま乗せても意味ないから!」



「すんません……つい」



 あわよくば商品化して、なんて想像を巡らせていたフローラだったがガーブを止めるのに中断せざるを得なかった。



(まぁ私の加護じゃどうにもできないか……やっぱり私も緑の加護がよかったなぁ)



 冷静になったフローラは専門外のことは止めておこうと目の前の夕食の調理に集中することにした。




 夕食は悩んだ末、ガーブにパスタを捏ねてもらい、飴色玉ねぎや香味野菜を使ったトマトソースにバジルを散らしたパスタと、ローズマリーが香るパンを作った。

 ハーブは好き嫌いが別れるので最初から多く使うのはやめて少量だけ使う無難なメニューにした。それでも馴染みのないカインの口に合うかどうかが心配になったフローラは、カインが食事を口に運ぶのをじっと見つめた。ベンハルトに関しては気にしていない。ベンハルトの中でフローラが作るものはすごく美味しいと、ものすごく美味しいの二択しか存在しない。



「とてもいい香りだ! 私はすごく好きだな。ソースの酸味とすごく合う」



「本当ですか!?」



「うん。もっとたくさん入れて欲しいくらいかも」



 カインはハーブを気に入ったようでフローラは嬉しくなった。



「次はもっとたくさん使ってみますね!」



(次は……そうだわ! もっと刺激の強いスパイス系もいけるかもしれない! そう! カレーとか…… カレーとかカレーとか……!)




 カレー。それは一度頭に浮かべると食べたくて仕方なくなる悪魔の響きで、フローラはカレーが頭から離れなくなってしまった。




 フローラは食事を終えるとすぐに必要なスパイスを書き出していった。マティアスの温室で手に入ればすぐにでも作ることができる。昨日見て回った所には見当たらなかったが、とにかく大きな温室なのでマティアスに聞いた方が早いだろう。問題は名前や形状の違いのすり合わせだ。



(カレーと言えばクミンとターメリックはぜったい欲しい。コリアンダーも欲しいな〜。ニンニクとしょうがはあるからあとは……)



 フローラは思いついたことを次々書き出していく。

 前世を思い出してから書き始めたノートはいつの間にか食材のメモやレシピ案のメモ書きで埋まっている。フローラは美味しいご飯も家族孝行の内! とそっと言い訳をそえた。




 翌日の昼休み、フローラとカインはマティアスの温室でテーブルを囲んでいた。



「薬草を料理して食べるなんて変な感じだな。こんな使い方があったなんて……」



 マティアスが感心しながらサンドイッチを頬張っている。

 カインがこれもすごく美味しいよ。とハーブティーをすすった。

 テーブルにはハーブで味付けしたチキンを挟んだサンドイッチや、ハーブでマリネした野菜が並んでいる。カインが気に入ったハーブティーは飲みやすいようにレモングラスにドライフルーツやバラをブレンドしたものだ。



 水の流れる音が、魔力で管理された穏やかな空気をより一層瑞々しいものにして心地よい時間が流れていた。フローラが学園でこんなにリラックスした気分になるのは初めてだった。

 お腹が満たされたのも手伝ってフローラは微睡みながら昼休みに入る前のことを思い出した。



『君をここに入れて私になんのメリットがあるのかな?』


 

 マティアスがゲームでのお決まりの台詞で「私にも何かお手伝いをさせてください」と声をかけてきたリナリーを一蹴していた。

 フローラはいつもならゲームの要素を感じることには不安になるが、この時ばかりは安堵した。

 マティアスルートに入らなければヒロインはマティアスの温室には入れない。



(確か全員の好感度の差が大きい状態だと先生の好感度って上がらないのよね。いつも一緒にいるアッシュとクラウス様と比べてお兄様との接点は今のところほぼないし……だからここは危険なヒロインと接近することもめんどうな令嬢達にからまれることもない!)



 フローラはここが学園の中で唯一のオアシスだということに気づき、全身の力が抜けて全力でリラックスをした。



「先生に聞きたいことがあるんじゃなかった? 昼休み終わっちゃうよ」



「!」



 ハーブティーを飲んでいたカインの一言でフローラは一瞬で覚醒した。

 飛び起きたフローラはマティアスにメモを見せながら、フローラが思うハーブとこちらの世界のハーブの名前を擦り合わせた。

 クミン、カルダモン、唐辛子、クローブなど……思っていたよりたくさんのスパイスが手に入りそうだったが、唯一ターメリックだけがフローラがあれこれと説明してもマティアスの知識と合致しなかった。



(うーん……こちらにウコンにあたる植物がないのか、それとも全く形が違うのか……)



 どちらにせよ存在は確認できてもマティアスの温室にないスパイスも多く、今すぐカレーを作るのは無理そうだとフローラはがっくりと肩を落とした。フローラのカレー欲はまだまだ満たされそうにない。



 

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