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 フローラと同じく、加護別の講義を終えたクラウスは、一人で廊下を歩きながらフローラのことを考えていた。

 アッシュが将来のために色んな人と交流を持つべきだと周りに人を呼び、学園ではフローラとなかなか二人だけになるタイミングがない。どうにか話をしようにも最近のフローラは朝の簡単な挨拶だけで、授業の後もすぐにどこかへ消えてしまう。

 今まで当たり前だったことが、何故こんなに難しいのだろうと思ったクラウスは、その当たり前がすべてフローラの働きかけによってもたらされていたことに気がついた。

 同時に、自分がこんなに難しいと感じていることを今まで当たり前に感じていた怠慢さに気づき、頭を殴られたような衝撃を感じた。

 そして薄々気づいていたことを明確に言葉にしてしまった。



 ――――フローラに、避けられている。



 魔力を抑制するピアスがチリチリと熱を持つ。足元が突然沼になったかのようにおぼつかない。いつの間にか教室にたどり着いたクラウスは、教室にいたひとつの人影がフローラだということに気がついた。

 何か言わなければ。でも何を? それでも引き寄せられるようにフローラに近づいた。





 フローラはクラウスの気配に気づけないぐらいマティアスへの答えを思い悩んでいた。



(薬草使い放題はとっても魅力的だけど……先生がいくら教員としてここに居ても王族なのは変わらない。評判の悪い私が料理、それも薬草を使った料理なんて毒殺を疑われたりして……しかも私はまだ一応クラウス様の婚約者……先生がよく思わなかったらすぐに報告されてクラウス様や王宮で働くお父様に迷惑がかかるよね……これ以上評判を下げて迷惑をかけたくない)



 マティアスは掴めない人物なので慎重にならなければ、とは思うものの胸元のローズマリーの香りがフローラを惑わす。



(あーでもでも……ハーブ……バニラビーンズ……)



 思いを断ち切れないフローラはアルフレッドの栞をぎゅっと抱きしめた。

 フローラは不安になったときは手元にあるものを胸元に寄せる癖があったが、いつも握っていたクラウスに貰った万年筆は仕舞い込んでしまったので最近はアルフレッドに貰った栞がその役目を務めている。



「アルフレッドに食べさせてあげたいな……」



 アルフレッドの栞を胸に抱きしめながら、大の甘党のアルフレッドの顔を思い浮かべた。プリンにクリームパン……きっと大喜びだ。いそいそと嬉しそうにお茶の用意をするアルフレッド。紅茶の匂いまでしてきそうなほどにはっきりと思い浮かんだ。




 その様子を見ていたクラウスは目の前が真っ暗になると同時に勝手に口が動いていた。



「アルフレッドと言うのは誰なんだ」



 クラウスはそう発してから、今言うべきことは少なくともこの台詞ではないのだけははっきりとわかったが、口にした言葉は戻らなかった。



『クラウス様にも召し上がっていただきたくて!』

『クラウス様にも見てほしくって!』



 フローラは自分が美味しいとか美しいと思ったものを常に共有したがった。それがフローラの最上級の愛の表現だとクラウスは知っていたのだ。



「! クラウス様!」



 不意打ちの低音に心臓がはねあがったフローラは驚いて立ち上がった。

 クラウスの表情はいつもと変わらなかったがフローラは少し不穏な気配を感じた。



(私が大袈裟に驚いてしまったから気を悪くしたのかな?)



 フローラは自分が不穏にさせてしまった心配と、後悔と、少しの喜びで頭が上手く回らなかった。



「……えっと、アルフレッドは療養してたときによくしてくれて……勉強を見てくれたり……」



 アルフレッドを、執事という簡単な言葉だけで伝えたくなかったフローラだったが、これでは説明になっていないなと考え直した。遠縁ではあるが親戚? お祖父様の戦友? 次に続ける言葉に悩んでいると教室にわらわらと人が戻ってきた。



「クラウス! 実技どうだった?」



 アッシュが入ってくるなり目ざとく二人を見つけ、クラウスに声をかける。



「フローラ嬢、クラウスを借りてもいいかな?」



「アッシュ、今はフローラと話を……」



 クラウスが、アッシュの手を肩から外そうとしたとき、たたたっとリナリーが笑顔で駆け寄ってきた。



「私もお話に交ざってもかまいませんか?」



 クラスメイトの目線が一気に集まる。その中にはフローラの癇癪を期待する好奇な目も混ざっていた。



「私もフローラ様とお話してみたいなってずっと思っていたんです」



 愛らしい笑顔でそう言いながら、リナリーは無意識にクラウスの横に立った。フローラとも仲良くなれたらとっても素敵。心の底からそう思いながらも。

 フローラは青ざめる。ここで対処を間違えたらせっかく距離をとっていたのが無駄になる。かといってリナリーと仲良く談笑するほどできた人物ではない。今すぐクラウスから離れてほしい気持ちを抑えるのに精一杯で、愛想笑いを返すこともできない。



「あの……申し出は嬉しいのですが、兄と約束があるので私はこれで失礼いたします」



「フローラ」



「クラウス様、お話の続きはまた時間があるときに……」



 クラウスはフローラを呼び止めたが、震えを悟られたくないフローラは丁寧にお辞儀をして教室を後にした。

 これ以上ここに居たら、リナリーにきつく当たってしまう。それは婚約者としての正当な権利だったが今のフローラには正解ではなかった。

 クラウスはさっきからの動揺に加え、フローラの言う『お話の続き』の中に自分の望む答えがあるか自信がなく、それ以上フローラを引き止めることはできず振り向きもしないフローラを見送るしかなかった。



(今ので大丈夫だよね……話を断っただけでイジメにはならないよね……?)



 教室の扉を背にフローラは髪飾りを手で確認しながら息を吐く。

 中からはすでに実技の講義の話をしているクラスメイト達の声が聞こえてきていた。他の講義がどんなものだったのか多少は興味をそそられたが、聞き耳をたてる気にはなれなかった。



(お兄様とすれ違いにならないといいけど)



 ランチタイムはいつもカインの迎えを教室で待つ約束だったが、話が盛り上がっているのか中の生徒達は一向に食堂に向かおうとしないので、フローラは上級生の棟の方向へ足を向けた。



(薬草が一般にも流通しているか調べて、入手や栽培が難しそうだったらやっぱり先生に打ち明けてハーブをわけてもらおう)



 いつもは感じなかった疎外感に、フローラの心は決まった。

 顔を上げたフローラが廊下を曲がると、今朝フローラが作ったサンドイッチの入った包みを持ってこちらに向かうカインの姿を見つけた。

 フローラは嬉しくなり満面の笑みで駆け寄ってカインに飛び込んだ。



「お兄様!!」



「フローラ! 走るなんてダメだろ。教室で待っている約束は?」



 カインはフローラをたしなめたが、ふりほどくことはせずにそのまま甘やかした。



(大丈夫。上手くいってる。ゲームみたいに暴走して家族を巻き添えにしない。今は家族と将来のために学ぶことだけに集中しなきゃ)



 フローラはカインの腕の中で自分の目的をもう一度確認し、気持ちを切り替えた。



「お兄様! 聞いてください! あのね……」



 パッと明るく顔を上げカインの腕を取り、今日のマティアスとの授業の話をしながら中庭に向かいだす。

 再び教室の前を通ったが、フローラはハーブの話を伝えるのに夢中で、もう中は気にならなかった。



(待ちきれなかったんじゃなくて……待てなかったのか……)



 カインは通りすぎるときにチラリとフローラの教室を覗きながら、フローラが教室で待たずに駆け寄ってきた理由を察した。

 フローラのクラスメイト達が楽しそうに話をしている。その輪の中で笑うリナリーを見て、あぁあれが噂の……とカインは思う。

 上級生のクラスにまで『クラウス様の運命の人』の噂は流れてきていた。

 カインは当然フローラも耳にしているだろう。それどころかあの光景を目の前でいつも見せつけられているのかと思うと、血が静かに逆流する感覚に襲われた。

 さっき駆け寄ってきたフローラの顔が浮かぶ。それから誕生日の夜に声を押し殺して泣く声を。



(確かにフローラは恋に浮かれた愚かな娘だったが……その愚かな娘がずっと夢見ていた……大好きな人と結婚して王妃になる将来を生涯独身で田舎へひっこむことにかえた。その思いはどれだけ酷なものだっただろうか)



 ――――――あんな男に。フローラにこんな思いをさせる男なんてこちらからお断りだ。身分は問わない。フローラを心から愛し、大切にしてくれる人以外には絶対にやらない。それが見つからなくても私がずっと一緒にいてやる。



 カインは込み上げる怒りで真顔になってしまっていた。



(お兄様……見たことないくらい真剣な顔で話を聞いてくれている! お兄様も薬学に興味があるのかも!)



「畑をしようって言ってたお話覚えていますか? 庭に薬草の畑を作りませんか!!」



 フローラは嬉しくなってカインの腕をぎゅっと掴んだ。

 フローラの様子にカインは毒気を抜かれ、いつものにこやかな顔に戻った。



「うーん。少なくとも薬草がそのままや苗で普通の市場に出回ってることはないかな。国の薬を作る施設で管理しているはずだよ。緑の加護を持った人がいないとただの気休めにしかならないし需要はあまりないからね。少なくとも今フローラが言った薬草で作れる薬は安価で手に入るから必要ならそちらを買うと思うよ。自生しているのはあるはずけど……」



 フローラはカインの話を聞く限り簡単には手に入らなさそうだなと残念に思った。



(先生に貰ったのは大切に植えなくちゃ……思わずむしったやつが挿し木で増やせる強い品種でよかった!)



 フローラとカインは楽しく会話をしながら裏庭へと向かった。

 その二人の姿を、教室を出たクラウスが見つけた。



「…………あの兄妹はあんなに仲が良かっただろうか……」



 クラウスは小さくなっていくフローラの背中に投げかけるように呟いた。



 クラウスの言葉にアッシュが顔を向けると、フローラはカインの腕に手をかけ親しそうに歩いてる。

 フローラの父ベンハルトが彼女を溺愛しているのは有名な話だが、兄のカインはどちらかというとフローラから一歩ひいて何を考えているかわからない笑顔のイメージしかない。あんなに優しい表情で妹に笑いかける様子を、少なくともアッシュが初めてフローラに会った日から今まで一度も見たことがないのでアッシュも首をひねった。



「記憶にないな……」



 アッシュがそう呟くとほぼ同時に一緒にいたリナリーが感嘆の声をあげた。



「兄妹仲良しだなんて素敵ですね! 私は兄妹がいないからうらやましいです」



 アッシュはクラウスが何も言わず再び歩を進め出したことでリナリーの話に乗った。



「俺は弟が欲しかったな」



 アッシュはそう言いながらクラウスの横顔に目線をやったが、クラウスが話に交ざる様子はなく遠くを見つめている。

 アッシュが思っているほどクラウスとリナリーの仲は深まらない。リナリーのことを他の人よりは気にしているのは確かなはずだが、それでも一言二言返事が多いぐらいで態度が変わらない。表情の読めないクラウスを見ながらアッシュは少し迷いがでてきた。



(出会った頃はもうちょい表情があったのにな……)



 小さな溜め息と共にアッシュは出会った頃のクラウスを思い返した。


 この国とアッシュの国は友好国だ。そのためアッシュが留学してくる以前の幼い頃から、クラウスとアッシュは交流する機会があった。

 幼いクラウスはすでに感情を抑える魔導具を身に着け、コントロールの訓練はしていたものの、今よりずっと表情があった。人懐っこいアッシュはすぐにクラウスと距離を詰めた。読書を好み物静かなクラウスと剣術を好み活発なアッシュは、正反対の気質だからこそお互いに多くを求めず気楽な関係が築けていた。



(あのおっさん……暴走を抑えるために強く制御がかかっただけだからしばらくすれば徐々に戻るって言ってたのに……)



 七歳のある日、久しぶりに会ったクラウスの一気に表情を無くしどんよりとした目にアッシュは驚いた。

 対等な関係だったクラウスとの関係がアッシュの中で微妙に変化したのはこのときだ。

 使用人は恐れから手が震え、青ざめた顔で用が済めばすぐに下がる。独特な空気を感じとった幼いアッシュは使命感にかられ叫んだ。



「俺はずっとお前の味方だ!!」



 それ以来アッシュは自分では意識していないが、どこか弟と接するような態度になった。幼いアッシュにとって頼りになる存在の見本は、アッシュの兄だったからだ。



(たとえリナリーがいなくても……フローラが相応しくないのは確かだ)



 本来なら婚約者候補にすら上がっていなかったことを知ってからアッシュはフローラをよく思っていない。

 つきまとうかトラブルを起こすだけで大した魔力もない。それなのに何故、という気持ちが拭えない。

 最近ではそこにフローラとは関係のない個人的な感情が混ざっているのだがアッシュは無理やりそう結論付けた。



 アッシュはフローラが頻繁にクラウスと、時には一人ででも、歴代の王と王妃の肖像画を熱心に見つめている姿を思い返した。この国へ来ることになった原因の女をフローラに重ねながら。



(あんなに固執してたんだ。フローラが王妃の座を諦めるわけない……少し探る必要があるな)



 愚かな女に振り回されて兄に迷惑をかけた自分の二の舞にはさせまい。未熟な正義感のままにそう強く思ったアッシュは、休み時間ごとに消えるフローラの跡をつけることに決めた。


 

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