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フローラはクラウスとの思い出を振り返り、自分の沸点の低さを改めて思い知ったため、他人の話には一切耳を傾けないことに決めた。
落ち込んだりときめいたりと、自らの愛に翻弄されているのに他人の噂にまで振り回されるなんてまっぴらごめんだと、朝はなるべく時間ギリギリに登校し、休憩時間はすぐに外へ出て教室には居ないように徹底した。結果的にクラウスを避けることにもつながりフローラは順調だと手応えを感じていた。
そうやって学園生活のリズムができてきた頃、魔学はより実践的になるということで、同じ加護の先生がつく加護別の授業が始まった。
フローラの持つ闇の加護は極めて珍しいので一人で授業を受けることになると伝えられた。
マンツーマンで授業と聞いて、魔力を多くする方法や加護の使い方の造詣を深めるチャンスだと、フローラはかなり楽しみにしながら真ん中にポツリと一脚だけ置かれた椅子に座っていた。
しかし授業開始の時刻がきても一向に先生は現れず、フローラはだんだんと不安になっていく。
教室をぐるりと見回すと、後ろの方に使われていない机や椅子が固められていて、埃を被っていそうな模型や、何が入っているかわからない箱が乱雑に積み上がっている。明らかに使われていない雰囲気の部屋に、指定された教室を間違えたのかもしれないと思ったフローラは、もう一度確認しようと椅子から立ち上がった。
扉に近づき手を伸ばしたところで扉が開き、明らかにやる気のない、気だるそうにした若い男性が入ってきてフローラを見下ろした。
濃いグリーンの長髪を後ろでゆるく束ね、どことなく色気を感じる目つきだ。フローラは一目でその人物が誰かわかった。
(マティアス先生だ!)
彼は四人目の攻略者で、国王の年の離れた弟で王族特有の並外れた魔力を持っている。だが権力に興味がなく、自分の興味があることしかできない享楽的な彼は、王族のしがらみが嫌でこの学園で講師として働きながら研究に没頭している。
(……だったかな?)
フローラはマティアスのプロフィールを自信なさげに思い返した。マティアスルートに入る条件が少し厳しいため、あまりやりこまなかったフローラにはマティアスの記憶がぼんやりとしかなかったのだ。
全員の好感度が高すぎても低すぎてもマティアスルートには入れない。特に甥であるクラウスに対する絶妙な数値の差が条件らしく、クラウスの好感度をつい上げてしまう前世のフローラは随分と苦戦したキャラだ。
「待たせたかな? ごめんね。君と同じ加護持ちの教師が居なかったから私に話が回ってきただけで、本来は私の仕事じゃないからすっかり忘れていたんだ。専門外だからあまりやる気も起こらないし……きっと君の満足いく授業はできないだろうからぜひ学園長に苦情を言うといいよ。今から行く?」
マティアスは本音を隠すこともなく、にこやかに挨拶をした。マティアスはさぁどうぞ行っておいでとばかりに扉の前から退き、腕を組みフローラが退出するのを待った。
しかしフローラは、やる気はなさそうだがマティアスがこの国で一、二を争う魔力を持っていることを知っているので替えてもらうつもりはない。
きっと何か魔力を増やすヒントがもらえるはずだとフローラの胸は期待で膨らんでいた。
「いえ、私は先生にお願いしたいです! 頑張りますのでよろしくお願いいたします!」
フローラは深々と頭を下げた。
マティアスは少し驚いた顔をしたが、腕を組み直してフローラをじっと見つめ、何か考え込んでいるようだった。
マティアスがたまに見かけるフローラといえば、クラウスにつきまとっているか、感情をあらわにしているところで、マティアスの苦手な直情的な人間の典型だった。
珍しい闇の加護は研究者として少し興味があったが、大した魔力がないと知り、研究者としての僅かな興味も失せ、遅刻に気づいたときもこれで機嫌を損ねたフローラが担当を替わるように要求してくれば都合が良いと思っていた。
(クラウスの婚約者ねぇ…………私にも多少は責任があるかな……)
マティアスは頬に乾いた涙の跡がある、無表情で暗い目をした幼いクラウスの顔を思い浮かべた。
「……それで……君は何ができるの?」
長い沈黙の後マティアスが呟いた。
「さっき言ったように私は君と加護が違う。闇の加護は専門外で詳しくは知らないからね」
遅刻した負い目と、フローラのいつもと異なる姿に好奇心を抱いたマティアスは授業を開始した。
フローラはほっと胸を撫で下ろし、自分の今できることを説明した。
「うーん実際に見た方が早いかな。少し見せてもらえる?」
マティアスの言葉にフローラは辺りを見回した。
「えっと……花とかがあればいいんですけどね……」
ゲームの中でフローラがヒロインを脅すためにやった、花を目の前で枯らすパフォーマンス。見せるにはあれがわかりやすいはずだ。しかし物置きのような空き教室に花があるはずもない。
「花か……それじゃあ場所を移動しよう」
そう言うとフローラの反応も待たずにさっさと教室を出てスタスタと歩きだしたので、フローラは慌ててマティアスを追いかけた。
マティアスはフローラの力に興味を持ったようで、フローラのペースを気にすることも忘れ、振り返りもせず進んだ。
フローラは小走りで必死に後を追いながらも、先生というよりも研究者であるその背中を頼もしく思った。
(わぁ…………! あの温室こんなに大きかったの!?)
マティアスの後を追いかけ校舎の裏手に行くと、かなり大きな温室があった。彼はゲームの中ではいつも温室にいたので、学園に温室があることは知っていたが、想像よりもずっと大きな規模にフローラは驚きを隠せない。
(中に噴水があるんだもん、大きいよね)
フローラはスチルに出てくる立派な噴水をぜひ実際に見たいと思ったが、ゲームでもかなり親密度を上げないと中に入れてもらえないので無理だろうなと思った。
「私の加護は緑の加護だから専門は植物なんだ。このあたりの植物は私が管理しているから好きにしてかまわないよ」
温室の前にも美しい庭園が広がっている。フローラは好きにしてかまわないと言われたが、キレイに咲いている花をわざわざ枯らすのは気が引けたので、小さな蕾を見つけて魔力をこめた。
蕾はふるふると震えて膨らみ、やがて花弁が開いた。
「へぇ……! 面白い力だね。緑の加護でも植物の力に働きかけて成長を促すことはできるけど……それとはまた違ったもののようだ」
「逆に時間を戻したり止めたりもできますが進めるよりも魔力が多く必要なので私の魔力ではほんのわずかな時間しかできません。今できることはこれだけです」
「ふぅん。闇というより時空に干渉できる力なのかな」
「時空? 時刻ですか……」
「そもそも便宜上闇と呼んでるだけであまり前例がなくてよくわかっていないからね」
確かに今フローラができることで言えば闇のというより時空の……とか時間の……という響きの方がしっくりくるように思えた。フローラはなんだか恐ろしく感じる闇という響きよりずっと聞こえもいいのに、と思った。
「直接触らず……例えば土の中の種に働きかけることはできる?」
「種はやってみたことがないのでわかりませんね……」
マティアスはフローラの力にさらに興味が出てきたようで、フローラについてくるように手で合図をした。温室の裏手に行くようだ。ガラス張りの温室の中に興味をそそられ横目で見つつ後ろをついていくと、美しい花が咲いていた先程の庭園よりずっと地味な、どちらかというと畑のような場所が温室の裏手にあった。
「こっちに植えたばかりの種があるんだ」
近づこうとしたフローラは、鼻腔をくすぐる懐かしい匂いに思わず足を止めた。
「この香り…………!! ローズマリーだ!!」
フローラはマティアスの存在を一瞬で忘れてローズマリーにかけよった。
市場では見つけることはできず、ハーブを使った料理もどれだけ調べてもなかったので、この世界にはハーブは存在しないのかと諦めていた。しかし今まさに目の前にワサワサと生えている。フローラはハーブが大好きだった。
(ハーブがあればパンや料理の幅が広がる……!!)
「きゃー!! これバジルかな!!」
フローラは悲鳴にも似た感激の声をあげた。
「あっちはレモングラスかな!? 何この宝の山!!」
形は少し違うがどれも懐かしい香りがする。フローラは発見したハーブに顔を寄せて香りを目一杯吸い込みフハーっと満足気に息を吐く。
そして他にもあるかもと勢いよく立ち上がり振り返ると、すぐ後ろでフローラの奇行を見守っていたマティアスで視界が遮られた。そこでようやくフローラはマティアスのことを思い出し、恐る恐る上を見上げる。マティアスの沈黙にフローラは血の気が引いた。
「……君は……薬学に興味があるのかい?」
「え……? 薬学?」
「君が握りしめているそれも君が見つけて声をあげた草も全部薬草なんだけど」
「……薬草? 薬草!!」
(食材市場で見つからなかった訳だ。なるほど。この世界ではハーブ類は薬として扱われていて料理に使う概念がないだけだったのか!)
「めちゃくちゃ興味あります!! ありまくりです! 他にもありますか!? 種や苗はどこで手に入ります!? これは思わずちぎっちゃったし持って帰ってもかまいません?!」
謎がとけたフローラは興奮してマティアスに詰め寄った。
(種や苗が手に入るなら私も家で育てたい)
フローラは一瞬自分の淑女である立場を思い出したがあまりの嬉しさに止めることができなかった。
「先生……! 聞いてますか? 薬草って他にもあります?」
フローラの勢いに面食らっていたマティアスだったがフッと口許を緩めると楽しそうに笑った。
「君は思っていたよりずっと楽しい子だね」
マティアスはフローラをしげしげと眺めた後、方向を変えてついてくるように促した。
「薬草ならこっちの方が種類多いから」
フローラは胸を期待でいっぱいにしてついていくとマティアスは温室の入口まで来てすっと扉をあけた。
「え……ここって……いいんですか?」
「ん? 薬草見たいんでしょ?」
ゲームの中ではここに入れてもらうのにはかなりの好感度が必要な上に、好感度がなかなか上がりにくいキャラだったので、フローラはそれはそれは苦労した。しかしマティアスはなんでもないことのように温室に招き入れようとしているのでフローラは思わず戸惑った。
『君をここに入れて私になんのメリットがあるのかな?』
前提条件が厳しいため、仲良くなろうにも何度温室を訪ねてもこの台詞で門前払い。この台詞しか話せないんじゃないかと疑ったぐらい何度となく聞いた台詞が蘇る。
(やっぱり多少はゲームの世界とは違う設定もあるのかもしれない)
「では遠慮なくお邪魔します!」
フローラは躊躇したがすぐにハーブで頭がいっぱいになり温室へ飛び込んだ。
温室の中はビニールハウスの中のように暖かいのかと思ったけれどなんともいえない不思議な空気で満ちていた。
「わ……なんだか不思議な空間ですね」
「どこの気候の植物も育つようにこの中の空気を魔力で調整してあるからね」
植物だけじゃなくて人であるフローラにとっても心地良く感じる空間だ。 その設備に感心しながらもフローラはすぐにいいものを見つけた。
「あー!! これバニラかも!? すごいすごい!! 美味しいカスタード作れる! バニラクリームにバニラプディングにクリームパン!! 最高!!」
「何が作れるって?」
先生が妖艶な笑みを浮かべ訝しげに聞いてきたところでフローラは我に返った。
「あーその……この薬草からどうやって薬にするんですか?」
話をそらそうと咄嗟に出た質問だったが、フローラは純粋に疑問だった。
話をそらすのは成功し、マティアスは専門分野なだけあって長々と詳しい説明をしてくれた。
(ふんふん……要約すると緑の加護でハーブの効力を高めそれを特殊な技術で抽出するのね)
ハーブの名前は野菜類と同じで若干名前や形が違っていたりするものの、効能はフローラが記憶しているものと同じだった。
「てことは緑の加護持ちの人は産まれながらに薬剤師免許持ちってこと!? 職に困らないじゃない……なんてうらやましい……私も緑の加護がよかった……」
フローラの、ほとんど呟きだった嘆きにマティアスはまたフッと目を細めて笑った。
「皇子様の婚約者が職の心配かい?」
「……そうですよ……今時王子だろうと王妃だろうと手に職を持ってないとダメな時代なんですよ! 私の闇の加護も何か職にならないか先生も一緒に考えてください」
「本当に面白い子だね君は」
フローラはまさかそのうち婚約破棄されるから王都を出て働くつもりだなんて言えないので、半ば投げやりにそう答えたが、マティアスはその答えを冗談としてひどく気に入ったようで、楽しそうに指で自分の顎のラインを撫でた。
ひとしきりマティアスとハーブ類を眺めて回った後に、最初言われた土の中の種に魔力をかけられるかどうかを思い出したところで授業終了の時刻をむかえた。
「残念。今日はここまでだね」
魔力の授業としてはまったく進んでいない気がしたがハーブの嬉しい大発見にフローラは大満足だった。
「私はだいたいここにいるからいつでも遊びにおいで。薬草も私の研究に差し障らない量なら好きにしてもいいよ」
マティアスの思わぬ申し出にフローラの目はキラキラと輝きだしていた。
「ただしさっき言っていたバニラ? と言うものがなんなのか薬草を何に使うかはしっかり話してもらってからだけどね」
マティアスはニコリと笑みを浮かべフローラの手に握られたローズマリーをスッと取ると香りを嗅ぎ、フローラの制服の胸元のポケットに差し込んだ。
「これは今日の遅刻のお詫びにあげるね。遅れてごめんね。楽しい時間をありがとう」
(あ……しっかり覚えてたんだ。全然話そらせてなかった……)
固まるフローラの肩を、マティアスが去り際にポンポンと叩くと、ローズマリーの香りがフローラを包んだ。




