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 上機嫌でやってきたベンハルトは、フローラが話を切り出すと怖いほどに無言になった。



 いつもの調子で大騒ぎは勿論、その後は大激怒で有無を言わさず連れ帰るか、それとも卒倒して倒れるか……

 しかしフローラがカインと予想しあったそのどれとも違い、険しい顔で唇を引き結んで一言も言葉を発さないでいた。

 見たことのないベンハルトの態度に、フローラは戸惑いを隠せず、これ以上言葉を続けていいのか迷いながら、慎重に言葉を繋いでいった。

 言葉が詰まるたびに、側にいるカインへ目線をやるとカインは目を合わせ大きく頷いた。それが大きな救いとなり、フローラは途切れながらも自分の気持ちを全部話すことができた。



「……フローラの気持ちはわかった。私もカインと同じ気持ちだ。フローラを恥に思うなんてローザと女神様に誓ってない。私にとってフローラの幸せが一番で、フローラが結婚したくないなら世間体なんてどうでもいい」



 いつになく冷静で力強い父の言葉にフローラの心は舞い上がったが、それは一瞬で終わった。



「しかし調理は認めない。異国の料理が食べたいのならコックにレシピを伝えればいい。魔力の訓練は他にやり方がある」



 食べることじゃなくて自分で作ることに意味があるんだと、フローラは必死に訴えたが、ベンハルトは断固として譲らなかった。



「未然に防げる危険はあらかじめ取り除くべきだ。刃物や火なんて日常生活におけるリスクが跳ね上がる。万が一傷でもできたらローザに合わせる顔がない」



「フローラの幸せを願うなら多少の譲歩はできませんか?」



 静観していたカインが見かねて援護をし始めた。

 フローラはすがる思いでカインを見つめる。



「これは私も出した条件ですが、一人では絶対に調理しないなど、ある程度の対策でリスクは下がるはずです。他にも配置や設備を見直して――――」



「……………………か」



 カインが事前に用意しておいた資料を出して提案をしていると、ベンハルトがフルフルと震え出し、何かをポツリとつぶやいた。




「…………………………ないか」



「「え?」」



 二人が声を揃えて聞き返すと、ベンハルトはカインに渡された資料をぐしゃりと握り絶叫した。



「パパが悪者みたいじゃないか!!」



「さっきから我慢してたけど二人でアイコンタクト!? しちゃってさ! いつの間にパパを仲間ハズレにしてそんなに仲良しに!? 愛する娘の安全に手を尽くして何が悪い!」


「せっかく仕事がんばって長期休暇もぎ取ってきたのに!」


「私の天使が危険にさらされてると思ったらなんにも手につかない!!」



 ベンハルトがいつもの調子になり騒ぎ出した。

 二人の声はもう届いていない。

 カインとフローラの間に、これはもうらちが明かない。今日は撤退か、それとも本当に家出をちらつかせるしか……と言う諦めの空気が流れたところで、意外なところから問題はあっさりと片付いた。




「……娘の手料理を食べることができる貴族の父親なんてこの世にただ一人でしょうな……ベンハルト様はとても幸せ者です。実にうらやましい」



 アルフレッドの一言にベンハルトが黙った。







 こうしてアルフレッドの一声でフローラはキッチンで調理の権利を手にいれた。


 といってもフローラが手にしていい器具は、刃渡り~cm以下であることなど……ベンハルトの考えた細かい条件付きだが。

 ベンハルトは黙々とペンを動かし次々と条件を書き出している。



(料理の許可の方が大変だなんて……さすがゲーム上で私の我が儘を叶えるために、次々と犯罪に手を染めただけある……)



 結婚しないことはあっさりと受け入れられたことにフローラは内心驚いていた。本当ならこんな不名誉なことは絶対に許されないはずなのに、そちらは拍子抜けするほど簡単に許された。

 この世界ではかなりの変わった価値観の人物なのだろうが、フローラは心からベンハルトの娘であることに感謝した。



「突然の長期休暇だなんて認めてもらえたのですか?」



 なかなか条件を書き終えないベンハルトの気をそらすために、カインが声をかけると、思惑通り会いたいのをひたすら我慢して耐えたというベンハルトの涙ながらの語らいが始まった。

 それを聞きながらフローラは一抹の不安を覚える。

 ただでさえ王宮ではベンハルトのことを良く思っていない人が多い。婚約破棄となればますます立場は悪くなるだろう。



「お父様、本当に大丈夫なのですか?」



「フローラがあのバカ息子と結婚しないなら王宮で働く意味もないし問題ない!」



 ベンハルトはワハハと笑いながら、なんならさっさと引退してパパもここに引きこもるし~もうこっちからさっさと婚約破棄しちゃう? と楽しそうだ。

 久しぶりの愛する子ども達との時間、しかも気がかりだった二人の仲が、カインがフローラを庇うほどに深まっている。さらにはフローラが幸せそうだったから我慢していたが、長年苦々しく思っていた男と婚約解消をすると言っている。



(ふん、フローラに甘えっぱなしの小僧め)



 ベンハルトは最後に会ったクラウスの顔を思い出し、心の中で悪態をついたが、フローラとカインの会話がすぐにそれを押しやった。



「フローラ、心配しなくていいよ。父上が失業しても私がいるからね」



「お兄様!!」



「カイン! パパは!?」








 フローラ達がそんな幸せな時間を過ごしている頃、ベンハルトの執務室の前にクラウスが佇んでいた。

 ノックの返事はなく、人の気配もない。



(まだ戻っていないのだろうか)



 クラウスは、滞っていた橋の建設の問題を、ベンハルト自ら現地へ直接調整しに行ったと聞いたときはひどく驚いた。

 国の重要な流通に関わるため、早急に解決が求められる案件だったが、ベンハルトは名誉やお金よりも一貫して家族との時間を重視していたので、長期の出張なんて引き受けるはずがない。

 しかし今回は何日も滞在し、問題点の改善や現地住民と交渉を重ねながら条件をすりあわせ、話をまとめあげたらしい。

 報告を受けたクラウスは反射的に彼を訪ねたが会うことは叶わなかった。

 クラウスが落胆したのは、当初の目的としていた、後学のために今回の交渉の流れを詳しく聞くことができなかったからではなかった。



(もう一度フローラの具合を聞きたかったのだが……)



 クラウスはフローラの具合が気になりつつも、未だフローラに手紙ひとつ出せないでいた。

 何度も書こうと机には向かっていたが、要件があるとき以外に手紙を書いたことのないクラウスは、出だしの挨拶でさえ簡単には浮かばなかった。

 クラウスの本棚に『気の利いた手紙の出し方・マナー』なんて本があるはずもなく、クラウスは参考にしようと、フローラからの手紙を開いてみたが、日々の感動とクラウスへの重たい愛が綴られている文面を真似できるわけもない。



 ――――謝罪が先か? 季節の定型文が先か? お見舞いの言葉が先か? 何週間も経っているのにいきなり変に思われないか? まだ具合が悪いのかもしれないのにかえって負担になりはしないか?



 クラウスが悩みながらペンをなんとか進めて出来上がったのは、堅苦しい始末書のような手紙で、フローラの感情豊かな手紙を前にクラウスは頭を抱え自身の黒髪をぐしゃりとやった。

 たとえ本当の始末書だったとしても、フローラはきっと大喜びしたであろうがクラウスにはそれがわからない。

 クラウスは書き上がった手紙を躊躇なくゴミ箱に捨てた。








「誰かお探しですか?」



 諦めきれずウロウロとするクラウスに、痩せ型に面長で鋭い目つきの男が声をかけた。

 リナリーの養父であるフェアドだった。

 クラウスがベンハルトの所在を聞くとわずかにこめかみがピクリと動いたが、すぐに涼しい顔に戻った。

 フェアドとベンハルト、二人は犬猿の仲で有名だった。

 クラウスはフェアドから、ベンハルトが今回の成果の報酬に長期休暇を貰い、現地からそのままフローラの元へ行ったことを聞いた。

 フェアドの顔は疲労の色が滲み、それがより一層神経質そうな顔にしている。ベンハルトの休暇の間の皺寄せがフェアドにきているのだろう。



「今月いっぱいは戻りません」



 クラウスに休暇の期間を聞かれたフェアドのこめかみは再びピクピクした。

 平静を装ってはいるが言葉の端々にベンハルトへの不満が滲み出ている。

 話を切り上げて立ち去ろうとしたクラウスをフェアドが呼び止める。



「クラウス様! リナリーの……養子の件ではお世話になりました」

 


「あぁ」



「とても優しい良い子で……お陰様で妻が明るくなりました。私が思うよりもずっと……子供を持てなかったことを気に病んでいたようです」



 フェアドは深く礼をして立ち去った。



 クラウスは部屋に戻ると、自分の机には戻らず、フローラがいつも座るソファーに腰を下ろしていつもフローラが見ているであろう景色を眺めた。

 見えるのはきっちりと本が並べられた本棚と、無駄な物が一切ない、何の面白みもない自分の机だけ。



(こちらから見たら随分と殺風景だな)



 フローラ側から見なくてもクラウスの部屋は全方位殺風景だがクラウスは何故かそう思った。クラウスの机から見える景色もそう変わらないのに。

 

 


「次にフローラから手紙が届いたらすぐ返事を書こう……それなら手紙の内容に沿って返答すればいいだけだから少なくとも始末書にはならないはずだ……」



 クラウスはそう結論付けたが、結局フローラからの手紙は一通も届かないまま時間は過ぎ去り、いよいよゲームが本格的に始まる入学式をむかえようとしていた。

 

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