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 フローラが初めてのパンを焼き上げている頃、王宮ではクラウスが主のいないソファーをじっと見つめていた。今日も三時きっかり区切りをつけてペンを置いたが、やはり扉が開くことはなかった。



(誕生日からすでに一週間は経っている。まだ具合が悪いのだろうか)



 クラウスは仕事を再開する気になれず目的もなく部屋を出た。



(…………庭園の方まで少し歩くか)



 結局思いついたのはいつもと同じ、フローラがよく行きたがる庭園だった。

 そこへ向かう途中、廊下の奥から見事な顎髭をたくわえた大柄な男が、深いため息をつきながらヨタヨタと力無く歩いてくるのが目に入った。

 それは王都に一人残されたベンハルトの姿だったが、クラウスは一瞬誰か判別できずに思わず目を凝らした。

 普段どうしても定時で上がりたいベンハルトは、常に猛スピードで仕事をこなしている。移動の時間も惜しんで書類を読みながら倍速で移動しているのが常だ。ベンハルトのモチベーションを支えたのは、仕事場でもクラウスのところへ来たフローラに会えることと、家に帰れば家族の時間が待っていること。

 そのどちらも失った今、ベンハルトは全てのやる気をなくしていた。

 虚ろな目は何も目に入ってない様子で、クラウスがかなり近づいてからようやくその存在に気づいたほどだ。


 ベンハルトは、クラウスが近づいてきたのを見て思わず舌打ちをした。

 道を空けて頭を垂れ、礼の形はとったもののあからさまに顔をしかめて嫌々そうに挨拶をしている。

 一国の皇子の前で不機嫌さを微塵も隠そうとしない振る舞いを、クラウスは特に気に留めもせず足を止めた。

 罰せられてもおかしくない態度を咎めないのは、婚約者の父だからというわけではなく、取り繕うことをしない彼の態度を気に入っていたからだ。

 人の感情を読むのが苦手なクラウスは、本心を隠しながら耳あたりの良い言葉を並べてばかりの者より、皇子だからといって態度を全く変えない者の方がずっと信用できると思っていた。

 


 クラウスは、挨拶をすませてさっさとその場を離れようとしたベンハルトを呼び止め、フローラの具合について尋ねた。



「フローラが倒れたと聞いたが具合はどうなんだ?」



「はぁ……娘が倒れてもう一週間たちますが今頃それを尋ねるのですか?」



 ベンハルトはさらに眉間のシワを深めて答えた。



「熱は三日で下がりましたからもう大丈夫です。すっかり元気になって私を…………私をおいて……別邸に……グスッ」



 クラウスがわずかに動揺したのはベンハルトがボタボタと大粒の涙を流して泣き出したからではない。

 彼女のことをフローラ以外の口から聞いたのが初めてだったからだ。

 クラウスはフローラから手紙すら届かないので、報告が入るほど悪くはないが、まだ本調子じゃないと勝手に思っていた。

 体調が戻ればまた部屋に押しかけて何をしていたとか、明日はどこに行くとか、聞いてもいないことを延々と話し続けるのだろうと。



「……本当にもう、体調は戻ったのか? ちゃんとした医師には見せたのか? いつから別邸に?」



 表情は変わらないものの、珍しくつい多弁になってしまったクラウスの様子に、いつもと違う雰囲気を感じとったベンハルトは泣き止み顔を上げ、クラウスをじっと見つめながら何かを考えている様子だった。



「フローラは……まぁ、そうだな……ここだけの話、命に別状はないが……思春期の子がかかると大変につらい病なんだ。一見して元気なのだがふと胸に強い痛みがはしったり……家系的に重症化しやすくてな。なので別邸でしばらく療養させることにしたんだ」



「……重症化って、本当に命に別状はないのか?」



「大丈夫です。私も若い頃やりましたな。皆通る道ですよ。特効薬はありませんが個人差はあるものの時間が解決するでしょう」



 そう言って静かに一礼すると、動揺で言葉が出てこないクラウスを置いてベンハルトは去っていった。

 クラウスは庭園に向かうのは止めてくるりと向きを変えた。




(アッシュはフローラが突然倒れたと言っていたな。突然の意識消失に熱。そのあと胸の痛みか……胸、となると心臓、心臓……? うーん。しかし皆がやるなら流感みたいなものか?)



 クラウスは自室に戻り医学書を辿ったが、ベンハルトが言ったらしき病気は見つからなかった。



(医者に聞いてみようか。でもベンハルトはここだけの話だと言っていたな。私が誰かに尋ねることで話が広まる可能性はないとは言いきれない。フローラが病気だと広まったら、自分の娘を婚約者の座に置きたい有力貴族達がここぞとばかりにさらに声を大きくするだろう)



 フローラが婚約破棄を願い出たら受け入れる。誰が婚約者でも自分は何も感じないだろうから。

 クラウスは常にそう思っていた。それなのにこの行動はフローラを婚約者にしておきたいと言っているのと同じことじゃないかと自分自身の矛盾に気づき医学書をめくる手がとまった。

 ちょうどそのとき、ノックの音がしてアッシュが入って来たので、クラウスは咄嗟に医学書を閉じて慌てて違う本を重ねて隠した。

 その行動がさっきの矛盾の答えを示していることに本人は全く気づいていなかった。



「ん? 何? エロ本でも読んでたの?」



 アッシュが悪びれもなく言いながら、いつものソファーにドカッと座った。



「今日もフローラ嬢来てないんだな。風邪、こじらせてるのか?」



「フローラは……体調はよくなったが、療養をかねて母親の実家に行っているらしい」



「へ? そうなの? 治ったら真っ先にここへ来るかと思ってたのに。意外だな……あーそっか、あれだ。拗ねて気をひいてるんだな!」



「……そうなのか?」



 拗ねて気をひく……クラウスは今ひとつピンとこなかったがアッシュは続けてまくし立てた。



「女なんてそんなもんだよ! 勝手に期待して勝手に拗ねて、なんでも察しろってね。ようは誕生日すっぽかしたお詫びを直接しに来いってことだろ? 駆け引きってやつだよ。フローラ嬢は花でも贈ればすぐに機嫌直してまたここへすっ飛んで来る。めんどくさい! ほっとけほっとけ! どうせ春から学園が始まればまたクラウスにべったりだ」



 そんなもん……なのか? クラウスは重ねた本の下の医学書に目を落とす。さっきのベンハルトとのやり取りは話せないのでアッシュの言い分に少し疑問を感じたが何も言えなかった。

 


(ベンハルトに会った時の反応からして、自分の対応に問題があったのは確かなのだろう。フローラが怒っているのは間違いないかもしれない)



 クラウスは、さっきの機嫌の悪いベンハルトの顔と、クラウスに近寄る令嬢を怒鳴り付けるフローラの顔を交互に思い浮かべた。あの二人はよく似ている。気に入らないことはすぐに態度に出すのだ。

 拗ねて気をひくというのはやはりフローラには結びつかないなと思った。

 クラウスはこれまでフローラに要求されたことは一度もない。花も、贈り物も、観劇やデートも、手紙の一枚どころか相づちすらも。ただただ真っ直ぐに愛を告げるフローラに駆け引きをする姿は全く想像できなかった。

 しかしアッシュがフローラのことをあまりよく思っていないことをクラウスは知っていた。フローラが、というより女性全体を嫌ってる節があるのだが、ここで反論してもお互い嫌な気分になるだろう。と判断し、しばらくたってから「そうか」とだけ短く返事をしたがアッシュはすでに聞いていない様子だった。



「そういえばあのリナリーって子、キャンベル家の養子になったらしいぞ」



 アッシュが伸びをしながらクラウスに話しかける。



「ああ。知っている」



「へ、そうなの? 珍しく耳が早いな」



「私が手配したからな」



「え!? お前が!? なんで!?」



 アッシュは驚いて飛び起きクラウスに詰め寄った。



「なんでって、あの日孤児院へ送るときに孤児院は十六歳になったら出ないといけないって言うから…………おい近いぞ」



「お前が!? そんなに人と会話を!? んでわざわざ手配まで!? 嘘だろ? はっそういえばお前…………」



 アッシュはあの日の二人を思い浮かべた。クラウスが珍しく自分から名前を聞いてひどく驚いたのを思い出す。

 見つめ合う二人は一枚の絵のようで、とてもお似合いに見えた。

 あの後、リナリーと少年をそれぞれの家へ送るため二手に別れたが、クラウスが初めて会った他人とそこまで深く話をし、自ら手を回しているとは想像もしていなかった。



「これが運命の出会いってやつか……!?」



(……なんなんだこいつは目をキラキラさせて…………珍しい聖なる加護にあれだけの魔力量、貴重な人材の確保も国のための義務だ)



「クラウス! 心配するな! 俺はお前の味方だ!! 任せとけ!」



「?? わかった、ありがとう?」



 クラウスはよくわからなかったが入学が楽しみだなぁとアッシュが嬉しそうに肩を組むので身を任せるしかなかった。



(運命の出会いって…………女嫌いなアッシュがこんなに嬉しそうにするなんて珍しいな。もしかして彼女が気に入ったのだろうか)



「そうだな」



 それぞれの想いは微妙に交差したままクラウスの短い返事で会話はそこで終了した。



 そんな二人を想像できるはずもなく、ローザ邸のキッチンではフローラとアルフレッドが楽しそうに夕食の準備を進めていた。


 

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