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 自身の加護の力の可能性に気づいたフローラは勢いよくでキッチンに駆け込み、さっそく酵母の瓶をひとつとりだした。

 仕込んでからすでに四日はたっているので少し気泡は立ってはいたがもう少し時間が必要そうだった。



(加減がわからないから慎重に……)



 フローラは瓶を握り、瓶の中の果物や液体に隅々まで巡らせるイメージで魔力を慎重に流していく。瓶の中の果物がぐらぐらと揺れ、気泡がどんどん上がっていく。途中で魔力を中断し、瓶の上下を返した手は喜びと期待で震えていた。



(焦らない焦らない。もう少し……!)



 逸る気持ちを抑えもう一度ゆっくりと魔力を流すと液体は白濁していき泡が落ち着いていく。

 震える手で瓶を開けるとシュワシュワと音がしてフワリと果実の匂いがした。

 フローラは恐る恐るそこにスプーンを差し込み味見をしてみた。香りはあるが一緒に添加したはずの砂糖の甘味がない。酵母が糖分を分解した証拠だ。



「! できてる!! ちゃんとできてるーー!」



 思わず大声で叫ぶと、なかなか戻らないフローラを心配して追いかけて来たカインとアルフレッドがキッチンへ入ってきた。



「フローラ? どうしたんだい?」



「お兄様! 私やりました!!」



 フローラは喜びのあまりに思わずカインに抱きついたが、状況を飲み込めないカインは驚いて反応を返すことができなかった。

 喜びを共有したい気持ちが先走っているフローラは、カインの反応がなかったのでカインを離し、今度はアルフレッドに向き直る。



「アルフレッ……うぐぐっ」



 続けてアルフレッドに抱きつこうとした一歩は我に返ったカインによって阻まれた。



「飛びつくなんてはしたないよフローラ?」



 カインはいつもの完璧スマイルで笑った。



「ごっごめんなさい。嬉しさのあまりつい……」



「いや、いいんだ。フローラは未婚の女性なんだからこれからは気をつけるようにね。あー……でも私には別に構わないよ。兄だから」



 カインは両手を広げたがフローラはきょとんとしている。



(? おいでってこと? まさかね。調子に乗ってまた嫌われたら困るし)



「ごめんなさい、気をつけます…………」



 両腕を広げたまま固まっているカインの後ろでアルフレッドは笑いをかみ殺していた。



「と、とにかく……何を突然思いついて飛び出したのかな?」



 カインは大きく咳払いをして所在なさ気な両腕をひっこめると説明を求めた。



「いいからいいから! まだ秘密です楽しみにしててお兄様!」



 フローラはカインをぐいぐいとキッチンの外に追いやる。



「何故アルフレッドはよくて私は駄目なんだ!」



「アルフレッドがいないときはキッチンを触らないって約束させたのはお兄様ですよね?」



 カインは抵抗していたがフローラの一言で黙って追い出されるしかなかった。



 フローラはカインのいなくなったキッチンで出来上がった酵母に向き直った。



「さて次はパン種を作るよ!」



 酵母液をそのまま使ってパンを焼くのも可能だが、とにかくフワフワのパンが食べたいフローラはより発酵力を上げるため酵母液に全粒粉を混ぜてさらにそれを発酵させてパン種を作ることにした。



「酵母をじっくり育てたり、ゆっくり発酵の時間を待つのも好きだけど……今日は力を使うわね」



「酵母……? パン種、ですか……パンの種……ふぅむ、馴染みがない言葉です」



 アルフレッドは話についていけなかったが、追求せずに作業をじっと見守り、フローラも深く説明はせずそのまま混ぜ合わせたパン種に魔力を流すことに集中した。



「お嬢様、その怪しげな物体はなんなのでしょう……本当に口に入れても大丈夫な物なのでしょうか」



 出来上がったパン種を前にアルフレッドは最初訝しげに様子を窺っていたが、フローラが生地をこね出すとようやく側に近寄って手元を興味深そうに見守っていた。

 ベタついた生地がどんどんひとまとめになっていく。



「ほぅ……まとまっていきますな」



 アルフレッドが呟いたがフローラの耳にはもう届いていなかった。

 この人生では初めてのはずの懐かしいパン生地の感触が、フローラの掌にじわじわと広がっていく。その少し温かい感触が、フローラの中の様々な想いを引き出していった。

 志し半ばで終わった前の人生のこと、それを思い出した日のこと、クラウスを諦めると決めたこと、一生独りで生きていく決意をしたこと。

 この一週間フローラが、考えないように頑張ることで誤魔化していた想いが溢れていく。

『好きな人の幸せを願う』それはとても美しい響きで、それができれば素敵なお独り様人生になりそうだと思っていた。

 そうなるために早くクラウスを諦めて二人を祝福できるようになろうと………………



(いくら前世を思い出したって私のベースは愛が重すぎる悪役令嬢フローラで聖女じゃない。クラウス様を諦めるなんて簡単にできない)



 ぐっとパンを捏ねる力が強くなる。





(今は二人の幸せを祈れない自分を許してあげよう)





 そう思い至るとフローラの心はふっと軽くなった。前の人生分の道徳心がフローラを必要以上に締め上げていたようだ。



「クラウス様への想いと素敵なお独り様ライフは関係ない。忘れられない重たい愛を抱えたままひっそりパンを焼く人生も、それはそれでいいじゃない!」



 フローラの気持ちがようやく明るくなってきた頃、パン生地はフローラの手の中で最後の発酵を終えた。



「なんだか負の感情を捏ねあげてしまった気がするけど……膨らみをみるといい感じね!」



 均等な大きさで並ぶ生地に粉をはたきながらフローラの心は弾む。



 ――――――――クラウス様、今日は初めて自分の力に感謝しました。美味しいパンが焼けそうです。クラウス様にも食べさせてあげ―――――――――



 フローラはまた感動のままに頭の中で文章を綴っている自分に気づいたが、前のように心は落ち込まなかった。クラウスとヒロインの邪魔はしないが、無理に諦めようとするのはやめて納得いくまで好きでいることに決めたからだ。



(今は心のままに、クラウス様を想い、そしてパンを焼く!)



「お嬢様、良い温度になりました」



 オーブンの予熱をしていたアルフレッドがフローラを呼んだ。



「焼いてる間に夕食の準備もしましょうか」



 明るく笑うフローラにアルフレッドが目尻のシワをさらに深めてにっこりと笑った。

 




 

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