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「お前……まじか…………」
真剣な顔で不気味な人形を持つクラウスを目の前にアッシュは絶句した。
たっぷりのレースが使われた美しいドレスを着せられた金髪のビスクドール。ただし首から上は凹凸がないとってつけたような顔で、子どもの落書きのような不揃いの目鼻からはなんの表情も汲み取れない。
「はぁー…………ダメダメ。元の場所に返してこい」
アッシュがため息交じりに店の奥を指差しながら追い払おうとしたがクラウスは引き下がらなかった。というのもすでにこの店が五軒目で、同じようなやり取りが何度も繰り返されていたからだ。
「さっきの店でもそうだったが判断が早すぎないか? 珍しい物じゃないと被る可能性があるじゃないか」
「さっきのって猪と鳥が混ざった変な像のことか? 珍しいからって豊作を願う像なんてあげてどーすんだよ」
三軒目あたりからアッシュが薄々感じていたことが確信に変わった。最初はふざけているのかと思っていたがどうやら彼なりに真剣に選んでいたらしい。信じたくないがシンプルに趣味が悪い。アッシュは頭がクラクラした。
(去年と同じ物なんてやめとけと言って却下したが今思えば一番マシじゃないか……万年筆ならそんな突飛なデザインもないだろうし…………)
後悔がよぎって黙り込むアッシュを前にクラウスは言葉を続ける。
「何故贈っては駄目な物がわざわざ売っているんだ。売っているからには需要があるんだろう。これを気に入って購入している人もいるはずだ。そうだろう?」
クラウスは同意を求めて、気配を消すことに努めていた店主の方をみた。
「あのぅ……それは夫の不倫相手へ警告として使うための人形でして…………」
「………………」
クラウスは気まずそうな店主の言葉にそっと人形を元の場所へ戻した。重苦しい空気が店内を包む。
「よし! もう手堅く宝飾品でいこう!」
表情こそ変わらないものの、明らかに暗くなったクラウスの雰囲気を察知したアッシュは、気分を変えるため大げさに明るい声を出しながらクラウスを連れて店を後にした。
「宝石に喜ばない女はいないからな! いつもどんなやつを欲しがるんだ? 好きなデザインとかブランドとかわかるか? 最近ねだられたのはなんの石だ?」
「宝石をねだられたことはないな」
「え、本当に? 意外だな。じゃあドレスとか靴とか」
「フローラに何か物をねだられたことは一度もない」
「は? そんなまさか、嘘だろ? 一回も――」
「待て」
会話の途中でアッシュの気がそれて言葉が途絶える。クラウスの目線も同じ方に向いていた。
―――――!!!!――――!!!
少し離れた所から悲鳴や怒鳴り声が聞こえ二人は反射的にその方向へ走り出していた。
「さっさと渡しやがれ!!」
ガラの悪そうな大柄な男が、何かを必死に抱えて路上でうずくまっている子どもに振りかぶっている。周りの人間は遠巻きに見ているか、そそくさとその場を離れていくだけだった。
二人は速度をあげたがたどり着く前に一人の少女が声をあげた。
「やめて下さい!!」
「なんだお前は? どけっ!!」
少女は男と子どもの間に割り込んだが呆気なく突き飛ばされた。しかしなおも子どもの前に割って入る。立ち上がる間もなく這うように子どもを庇った少女の膝には血が滲んでいた。
「なんなんだお前は!? ぶつかってきたクソガキのかわりに慰謝料払ってくれんのかぁ?」
男は容赦なく怒りのまま少女の柔らかそうなピンク色の髪を掴むと顔を見てへぇ~と嫌な笑いを浮かべた。
「おい! そこまでだ!」
「なんだぁ? 丸腰のお坊ちゃん二人がどうしようってんだ? ヒーロー気取りか?」
男がニヤニヤとクラウスとアッシュに近づきながらこれ見よがしにナイフを抜いた。
「お坊ちゃん達これが見えるかな〜? ……ん? なんだ!?」
男がナイフをチラつかせた瞬間、ナイフが男の腕ごと大きな氷の塊になった。慌てて腕を振るがびくともしない。
「おお〜よく見えてるぜ! 凍傷になったら大変だろ? 溶かすの手伝ってやるよ!」
アッシュの手のひらから炎があがった。
「くそっ、加護持ちかっ」
「待て! 丸焦げにしてやる! クラウス! そっち任せた!」
慌てて逃げ出した男を追ってアッシュが走っていき、クラウスの目配せにより距離を取っていた護衛がさらに追いかけていった。
「大丈夫か?」
クラウスが声をかけると、背を向けて子どもを抱え込んで身を固くしていた少女がゆっくりとこちらを向いた。二人ともあちこち擦り傷だらけでひどい有り様だったが大きな怪我はなさそうだ。
「大変! 大丈夫?」
危険が去ったことを理解し我に返った少女はまっ先に子どもの状態を確認した。
「う、う、ぅうう……」
子どもは今にも零れ落ちそうな涙を浮かべ、恐怖なのか安堵なのか小さな袋を固く握りしめて震えていた。
「大丈夫よ! すぐに痛くなくなるからね」
少女が子どもの頬にそっと手をあて祈るように目を閉じると優しい光が子どもを包みこんだ。
(光の加護か。珍しいな。それも相当な魔力量だ。平民に見えるが……)
クラウスはそう思ったが口には出さず二人を見守った。
子どもは包まれた光が消えても驚きで声をなくしていたが、自身の手足を確認していくとその目から恐怖の色が消え感嘆の声をあげた。
「すごい!! 教会でもこんなに早くきれいに傷が治ることなんてないのに!! お姉ちゃんありがとう!! たまたま通りがかっただけなのに助けてくれて…………グスっ…………」
そのやり取りに二人を姉弟だと思っていたクラウスは内心驚いた。
「そろそろ自分の傷を心配したらどうなんだ?」
はしゃぐ子どもをにこにこと見守る少女にクラウスは上着を脱いで肩にかけた。スカートの裾は破れ、そこからのぞく膝の傷が痛々しい。
「あぁっごめんなさい! 助けて頂いたのにお礼が遅くなって……」
「そんなことはいいから早く傷を……それとも自分の傷には力が使えないのか?」
血を拭おうとハンカチを取り出しながら再度クラウスが促すと、ハンカチを汚してしまうと慌てて自分の傷を癒やし始めた。
その姿をじっと見ながら、遠い昔に似たようなことがあったなとクラウスの脳裏に過去の残像がちらついた。
「……その力は攻撃には使えないだろう? 何故あんな無謀なことをしたんだ」
「身体が勝手に動いて……エヘヘッ」
小首をかしげ照れたように笑う可愛らしい仕草に誰しもが庇護欲を掻き立てられるだろうが、クラウスは何故か全く似てもいない違う少女を重ねていた。
「フローラと同じことを言うんだな」
「え?」
「おーーい!」
少女が何のことだと不思議そうに聞き返した声はアッシュの呼び声でかき消された。
「大丈夫かボウズ? アイツは仲間もまとめてのしといた! 引き渡すよう言ってきたから心配するな! ケガは……って、あれ?」
「お兄ちゃんありがとう! ケガはこのお姉ちゃんが治してくれたんだよ!! あっという間に! キラキラーって!!」
興奮気味の子どもの要領を得ない話にアッシュが戸惑っていると少女がアッシュにスッと歩みよった。
「傷が…………」
「ん? かすったかな?」
アッシュが腕の傷を覗き込もうと肘を目線にあげた時にはすでに光が包みこみ瞬く間に傷が消え、子どもが無傷になっている理由を瞬時に理解した。
「光の加護か! すごいな、教会の人?」
「いえ、春から学園に通うので教会に行くのはもう少し先になります」
「え! てことは同い年か! 俺達も春から学生なんだ」
「本当ですか!? 私、誰も知り合いがいないから心細かったんです!」
少女の顔は花が咲くように明るくなった。アッシュはそこでああ、話が膨らみそうだとクラウスが気になった。基本的に無口で、人とは一線置きたがる彼は居心地が悪いだろう、話をどう切り上げて……でも二人は家まで送らないとな……などとその後の動きを頭で計算しながらクラウスの様子をチラッと窺うと、口を開いたクラウスが思いもよらないことを言った。
「名前を聞いてもいいか?」
アッシュはクラウスが自分から他人、それも女の子に名前を聞くなんて珍しいと驚いてクラウスを見たが相変わらず無表情のままでアッシュには何もわからなかった。
「私は…………」
この場にフローラがいたらプレイヤー名入力の五十音表がついたメッセージウィンドウを思い出して卒倒していただろう。
「私はリナリーです!」
ふんわりとしたピンク色の髪が傾きかけた陽の光をふくみ、主人公である彼女の屈託のない愛らしい笑顔をより一層優しく引き立てていた。




