癒されない公爵令嬢だって、皇太子殿下に愛されたい。
「リーディアナ。君が書いた論文に異議を唱える。大体、ピヨピヨ精霊なんて架空の生物について。いかにも存在するように生態まで書いてある。それはおかしいのではないのか?」
「あら、グリフト皇太子殿下。貴方こそ、精霊王がいかに存在するか、生態まで書いて、おかしいでしょう。あのような架空の生物。」
「精霊王を生物呼ばわりするか?あれは神のような者なのだぞ。」
「見た事あるのですか?見た事が無い物をわたくし、信じませんわ。貴方こそ、ピヨピヨ精霊の事を疑って。わたくし見た事があって、その生態を知っているから論文にしたのですわ。」
「はぁ?ピヨピヨ精霊なんてそんな物、存在するはずないじゃないか?私は17年間、生まれてから一度も見た事がないのだぞ。」
「わたくしは小さい頃に一度、見た事があるのです。それはもう、丸くて小さな羽が生えていて、つぶらな瞳に嘴が付いている可愛らしい精霊ですわ。それなのに、わたくしの論文を疑ってかかるなんて。」
「そもそも、リーディアナは生意気だ。私は皇太子なのだから、すこしは男を立ててもいいのではないか?」
「わたくしの成績が皇太子殿下より上なのがそんなに気に食わないのでしょうか?」
「当たり前だ。おまけに剣技の腕もお前の方が上ではないか?」
「それは、皇太子殿下が弱すぎるからですわ。」
「あああああっーー。もう、お前なんぞ…お前なんぞ…」
今日も、グリフト皇太子と、リーディアナは王立学園の教室の後ろに立って、言い争いをしていた。
リーディアナ・カレントス公爵令嬢。17歳。
金の髪で碧い瞳の公爵令嬢リーディアナは自分の美しさには自信を持っていた。
同い年の背が高く黒髪碧眼のグリフト皇太子。彼とは幼い頃からの婚約者である。
世間では美男美女でお似合いだと言われているけれども。
リーディアナは思う。
本当にお似合いなのかしら…いつも、皇太子殿下と話すと、言い争いになって…
先々、結婚しても、こんな毎日が続くのかしら…
この婚約は政略だと解っている…でも。愛も何もない結婚だなんて。不安でしかないわ。
その時、教室に飛び込んできた女子生徒がいた。
ピンクのフワフワの髪の女子生徒で、小柄で目が大きくクリっとしている。
「皇太子殿下ぁーーー。きゃっーー。」
グリフト皇太子とリーディアナは教室の後ろで立って言い争っていたのだが、女子生徒は何もない所で躓いて、思いっきりバランスを崩しグリフト皇太子の前に倒れ込んできた。
思いっきり避けるグリフト皇太子。
顔面から床に倒れ込み、べしょっと顔を打つその女子生徒。
「いたぁーーーーい。」
グリフト皇太子は眉をひそめて、
「お前は誰だ?」
女子生徒は涙ながらに、
「私はマリア・ハレスト男爵令嬢ですっ。皇太子殿下に会いたくて。」
「男爵令嬢?ここは高位貴族の教室だ。男爵令嬢が入室していい教室ではないはずだが?」
「だってぇ。皇太子殿下、疲れているでしょうから、私。癒してあげたくて。ついつい、会いに来たのですっ。」
「私が疲れている?」
「そうですっ。いつも言い争っているじゃないですか?リーディアナ様と。」
そう言って、上目遣いにグリフト皇太子の顔を見上げ、
「私なら癒して差し上げる事が出来るかと…」
グリフト皇太子は不機嫌そうに、
「誰かこの不敬者を摘みだせ。」
「「はいっ。」」
生徒達二人が男爵令嬢を押し出すように外へ出す。
「皇太子殿下ぁーー。」
グリフト皇太子は美男だから、このような女性が後を絶たないのだ。
リーディアナは悲しくなった。
あの男爵令嬢の言う通りである。
グリフト皇太子は自分と共にいて、幸せなのだろうか?
癒される事は無く、不幸な人生を送るのではないだろうか?
リーディアナの友であるエリザベス・ユリティウス公爵令嬢が近づいて来て、
「リーディアナ。気にする事ありませんわ。貴方はグリフト皇太子殿下の婚約者なのですから。」
「有難う。エリザベス。そうね。わたくしは皇太子殿下の婚約者なのですから。」
エリザベスは王立学園に入学してから親しくなった令嬢である。
品のよい銀の髪のこの令嬢は女子生徒に人気があった。
誰にでも優しく、王立学園の聖女様とあだ名がつく程の女性であった。
何故か婚約者はいないようで。このような美しいエリザベスなら、引く手あまたのはずなのだが。
しかし、とある日、聞いてしまった。
中庭でグリフト皇太子にエリザベスが話をしている内容を。
「ここ最近、ユリティウス公爵家の方が、カレントス公爵家よりも、王宮での権力が強いですわ。ユリティウス公爵家の娘であるわたくしを婚約者に選び直した方がよろしいのではなくて?その方が先行き、政治がやりやすくなると思いますわ。わたくしなら…貴方様のお心を汲んで、癒して差し上げる事が出来ます。女性は男性を立てなくてはいけませんわ。」
グリフト皇太子の手を握り締め、見上げるエリザベス。
その様子を木の影から見つめて、リーディアナは傷ついた。
そんなに自分は癒されない女なのだろうか?
グリフト皇太子にふさわしい女性になる為に、勉学も剣技も努力したと言うのに。
幼い頃からの皇妃教育はこの帝国にはない。学園を卒業してから、改めて専属の教師がついて、マナーやしきたりを学ぶ程度である。帝国の高位貴族である公爵家は当然、ある程度の教養、マナー、ダンス等は娘に教え込んでいるからだ。
だから、ユリティウス公爵家が横槍を入れる事も出来るのである。
政略ならば、ユリティウス公爵家に乗り変えた方がいいと、皇家が判断したならば、リーディアナの婚約は解消されてしまうだろう。
聞きたくないっ…エリザベスの提案に頷くその言葉なんて聞きたくない。
リーディアナはその場を後にした。
そして、学園の校舎の影で泣いた。
わたくしはグリフト皇太子殿下の事を愛しているんだわ。
小さい頃は自分より背が低くて、身体も細いグリフト皇太子殿下だったけれども、いつの間にか男らしくなって、自分より背が伸びて。
近いうちに今は勝つことが出来る剣技の腕は追い越されてしまうだろう。
勉強だって、人一倍、頑張っている事だって知っている。
勿論、自分も頑張っているけれども…
全て貴方が好きだから、わたくしは貴方にふさわしい女性になりたいと思ったから…
あああああ…わたくしは…ごめんなさい。ごめんなさい。癒されない女でごめんなさい。
リーディアナは悲しくて、涙を流し続けるのであった。
翌日、王立学園はお休みで、リーディアナはグリフト皇太子に手紙を貰って、皇宮に出向く事にした。
両親に話をする前に、自分に話をするのだろう。なんせ、幼い頃からの婚約者だ。
婚約を解消すると言う事を。
リーディアナは暗い気持ちで、迎えに来た皇宮の馬車に乗り込んだ。
皇宮に着くと、グリフト皇太子が迎えに来て、
「皇宮に来るのは久しぶりだろう。私の部屋へ来て欲しい。」
個人的に話をしたいのだろう。婚約解消の…
リーディアナは悲しい気持ちで皇宮の長い廊下をグリフト皇太子の後ろについて歩く。
悲しかった。悲しくて悲しくて、立ち止まってしまう。
グリフト皇太子が振り向いた。
「どうした?リーディアナ。」
「貴方は婚約解消するつもりなのでしょう?エリザベスと会って話をしているのを聞いてしまいました。エリザベスは貴方と婚約をしたがっていましたわ。だから、わたくしと婚約解消してエリザベスと…わたくしは癒されない女ですから。」
グリフト皇太子がリーディアナの言葉に首を振って、
「そんな事はない。ほら、早く私の部屋に…」
促されてグリフト皇太子の部屋に入った。
入って驚いた。
リーディアナの姿絵が10枚、飾られていたのだ。部屋中である。
グリフト皇太子は嬉しそうに、
「宮廷の絵師に描かせたのだ。君の姿を…離れている時は寂しくて。」
「わたくしは…貴方と言い争いばかりしている女ですわ。」
「それでも、私は君の事が好きだ。だって、君は私の妻になる為に、努力しているのだろう?私の方もつい君と張り合ってしまって。だって、君にふさわしい夫にならなくてはならないから。帝国の皇帝だからね。私は君より上に立ち、この帝国を照らさねばならん。だからつい討論も熱くなる。勉学も剣技も負けられない。」
そう言うと、グリフト皇太子はリーディアナを抱き締めて来た。
「愛している愛している愛している…もっと愛を囁いておけばよかった。君以外と結婚するつもりはない。」
「でも、エリザベスと結婚した方がよろしいのではなくて?」
「ユリティウス公爵家は増長しているようだな。これ以上、皇家は奴らが増長する事を許さない。何よりも私と君は幼い頃から婚約を結んでいると言う事をユリティウス公爵家もエリザベスも知っているはずだ。エリザベスは君の友人だろう?それを…とんでもない女だな。マリアと言う男爵令嬢といい、最近の女は礼儀を知らないようだ。」
「でも、男性は癒される女性を好むものらしいですわ。」
「未来の皇妃が、癒されるだけの女で務まるものか?あいつら頭がおかしいのではないか?リーディアナのような優秀な令嬢こそ、未来の皇妃にふさわしい。当り前ではないか。」
そう言うと、リーディアナの唇に口づけをしてきた。
嬉しかった。リーディアナはグリフト皇太子に愛されていたのだ。
ぎゅっとグリフト皇太子の背を抱き締めて、その顔を見上げて囁く。
「わたくしも貴方様の事を愛しております。」
「リーディアナ。嬉しいぞ。」
再び唇に口づけをされた。
リーディアナは幸せを感じるのであった。
二日後の皇宮の夜会で、リーディアナは真紅のドレスを着て、グリフト皇太子にエスコートされて現れた。
「お似合いのお二人ね。」
「本当に美男美女で…」
人々は噂する。
エリザベスがツカツカとリーディアナとグリフト皇太子の前にやって来て、
「ちょっとどういうつもりっ?わたくし、婚約が決まりましたのよ。ゼイド大公様と。
御年、50歳。どうしてそうなるのよ。」
グリフト皇太子はニンマリ笑って、
「私がゼイド大公にそなたを紹介したのだ。癒してくれる後妻を探していたからな。ゼイド大公は。私はお前との婚約を断った。しかし、しつこくユリティウス公爵家はお前との婚約を打診してきたのだ。私はリーディアナ・カレントス公爵令嬢との婚約を解消するつもりはない。癒したいのなら、癒されたいと望む相手に嫁ぐのが良いだろうと、紹介してやったのだ。感謝するがいい。」
ゼイド大公は頭がはげ散らかし、脂ぎった中年であり、背後からエリザベスを抱き締めて。
「エリザベスっ。探したぞ。おおおっ。やはり若い女はいいのう。」
「いやぁーーーーーーー。」
グリフト皇太子はゼイド大公に、
「これはゼイド大公。若い女性を妻に娶れる嬉しさに、いちゃつきたい気持ちは解りますが、ここは公共の場。」
「そうでしたな。さぁ、エリザベスっ。わしと控室でイチャイチャしよう。」
「ちょっとっーーー。いやぁっーーー。」
エリザベスは泣き叫ぶも、誰も助ける事もなく、ゼイド大公と控室へ消えていった。
リーディアナは思う。
上に立つ者、敵にはあれ位の事をしないといけないのだと。
グリフト皇太子は爽やかな笑顔で、
「そう言えば、例の男爵令嬢。不敬を理由に学園を退学させた。他にも私に言いよってきた女子生徒達は両親へ苦情を入れ、学園を退学させた。これで、安心して学園生活を送れるな。ああ、そうそう、早く結婚したい。いや、その前に一緒に住みたい。私の部屋で一緒に住まないか。」
「え?いえその…あの…」
「いつかピヨピヨ精霊を探して見に行こう。君がいるというのなら、きっといるのだろう。」
「解りましたわ。わたくしも貴方様が信じている精霊王を信じる事に致します。」
結局、王立学園卒業と共に結婚するという事で、まだ一緒に住む事は勘弁して貰った。
そして、今日も王立学園の教室の後ろで、二人は言い争っている。
「何だ?リーディアナの論文は。エレンスト博士論について?その前に書くことがあるだろう。私との愛についてだ。」
「貴方様の愛についてなんて…わたくし、書ききれませんわ。あまりにも深く、熱く素晴らしい物を…原稿用紙が足りなくなります。」
「いやいや、私は読みたい。読みたいのだ。私との愛について君が何を考えているのか。リーディアナ。私は君に愛を囁いているのに。リーディアナの青い瞳が大好きだ。その絹のような金の髪も…透けるような肌も。そして、その微笑みも。頑張り屋な所も全て愛しすぎる。ああ…出会った時の君も可愛かったね。あの時の君は…」
「皇太子殿下。それを言うなら、出会った頃の皇太子殿下も…」
言い争っているのかしら…
何だか、周りの目が生暖かいような気がするんですけれども…
ふと、窓の外を見ると、昔、見た覚えがあるピヨピヨ精霊が飛んでいくのが見えた。
「グリフト様っ。見てくださいませ。今、ピヨピヨ精霊が。」
「何?本当か?」
窓の外を二人で眺めれば、春の空に、ゆっくりとピヨピヨ精霊が飛んでいくのが見えた。
何とも言えぬ幸せを感じ、リーディアナはグリフト皇太子の手を握り締めるのであった。