訪れ
「こんにちは、今、そこから貴子さんと、一緒になったよ」
準備が進む画廊、気さくな声とともにドアが開く冬の陽射しが麗らに降りる午後。カーキーのコート姿の男が手にコーヒーショップの袋を下げ、和装姿も凛々しい、年配の女性を伴い入ってきた。
「宇津木様。それと高木さん、ご無沙汰しております。えっと。こちらにどうぞ」
入口近くで作業をしていた、弟子が出迎え室内の一角に設えてある、応接スペースに誘う。
「これ、差し入れ。いやぁ。すごいね、とーる。うん、猫で個展かぁ、出世したなぁ」
紙袋を彼に手渡し歩きながら、壁に飾られている作品に目をやる高木。
「貴方も昔はいい作品撮っていたでしょ、今はゴシップを、追いかけてらっしゃるけれど」
勧められた場に腰を下ろす貴子が、つけつけと喋る。
「アハハ、こっちの方が実入りがいいんですよ、貴子さん。それにとーるみたいに、放浪生活出来ないし、妻も子もいますから」
ふう。ストン。とならび座る高木。
「で。とーるは?」
「差し入れありがとうございます。今、オーナーさんと出てるんですよ。あ、帰って来ました」
裏手に通じるドアが開き、トオルが女性スタッフと共に姿を出した。やあ、と手を上げる高木。スタッフがお飲み物は。と声をかける。
「ちょっと、とーるに用があってな、貴子さんとは偶然。あ、僕は持ってきたのでいい」
「紅茶を頂戴。この近くに用があってね、明日の内覧は息子夫婦が行くそうだから、少し見ておきたくて」
わかりました。差し入れを持ち、場を下がるスタッフ。
「わざわざありがとうございます。貴子さん。で、高木、僕に用って何?」
真向かいに座るトオル。
「これ。ネタを追ってたら偶然ね」
ポインセチアをメインにした、小さな花籠が置かれているガラスの天板の上に置かれる封筒。
「見ていいのか?」
ああ。高木の返事の後、中の写真を出す。
「お前、まさか『一般人、A子』とそんな仲だったなんて」
高木がニマニマしつつ話す声に反応した弟子が、作業の手を止めすっ飛んで来る。
「先生!まさか悪名高い『A子』と、なんかあるんですか!」
「無い無い。ここに写ってるのは僕じゃない。ああ。彼女がそうだった。ペルシャの女だよ。前に君のフォト、ん。見た時は黒髪ロングストレートだったんだ。化けてるもんだ。うん」
手に取りしげしげと眺めるトオル。どれ見せて、と貴子が手を出す。
「あー。貴子さんにとっては、面白くない1枚ですが」
「どういう事?構わないわ、見せなさい」
「弟の不祥事ですよ」
苦笑しつつ、細く白く骨ばった手に差し出す。
「あの『タネナシ』、ロクでもないのと付き合ってるわね。全く。うちの宿六がロクでもないのを紹介したから。これは由々しき事態ですわね」
ホテルの建物から出てくる男女のよくある1枚。じっと見た後、テーブルの上に置く貴子。
「貴子さんは知ってるんですか?この女」
高木がコーヒーを飲みながら問う。
「ええ。あちこちから話は入って来てます。ユカが可哀想。トオルさんはこの女、ご存知?」
「よく知りません、ユカさんが可哀想とは?」
不安が声に現れるトオル。背後に立つ弟子がしかめっ面をする。その様子を、猫の様に目を細め見つめる貴子の代わりに、高木が答える。
「この女、たちが悪くてね。オシドリ夫婦と呼ばれる仲をあの手この手で裂くのが好きなんだ。もちろん、恐喝紛いで金もふんだくるけど」
「あの手この手?どんな」
「そうだなぁ。芸能人相手ならリークしたり、奥さんに対して嫌がらせとかしてさ、奥様、最近どう?とか聞いて、苦しむ話を聞いて愉しんだり。僕が知る範囲だけど」
トオルと高木が話す中、静かに紅茶を飲んでいる貴子。
★
そろそろ時間だから。高木が席を立つ。
「それ、好きにしたらいい。お前とは高校の写真部からの付き合いだし、悪用しないことは知っている」
「こんなのどうするんだよ。好きにって。処分しろって?」
弟の不祥事の1枚を置いて帰ると言う友に、ボヤく。
「フフフン。だからお前は独身なんだよな」
口の端を上げ悪い笑みを浮かべると、打ち上げには呼んでくれと、画廊を出た高木。気まずい雰囲気の中、貴子が口を開いた。
「貴方、ユカとはどんなご関係?確か、『タネナシ』に出禁、喰らっていたと聞いているわ」
「つい先日、偶然会って。関係を修復したんです。ユカさんとは、その。ん。何でもありません」
少し顔が赤らんだかも知れない。青年の様にドギマギしつつ応えるトオル。
「何にもない。本当に?」
「ほ、本当です」
「そう言いつつ、ユカの個人的な番号は知っておられるとか?やり取りしたことありますの?」
踏み入った質問に怪訝に思いながら、生真面目に答える。
「無いです。出会ったのも。ん。3年前のデパートと、公園で偶然にと、この前、弟に食事に呼ばれた時ぐらいで、連絡先なんか聞いてませんよ」
「あら。タネナシに顔貌は似てるのに、真面目なのね」
それを聞き、やり取りをしたサイトを思い出す。
「あ。ただ。ペンネームですが、やり取りをした事がありますが、その。創作活動ですから、至って真面目なやり取りです」
「そこでも、惚れたはれた等は無い」
少しばかりうんざりしつつ、無いと返事をするトオル。しばしの間、何かを考え込む貴子。紅茶を飲み干すと。
「ねえ、貴方。ユカの事をどう思います?」
「はあ?それより弟の事を何故、『タネナシ』と呼ぶんですか?」
「ああ、ユカをはじめ、女遊びをしても誰一人として、孕ませてないじゃない。そして、諸々含めて嫌いだからよ。夫が仲立ちした相手だけど、あの男と一緒になってから、ユカはすっかりしょげた花でしょう。私、子どもが男ばっかりだったから、姪っ子のあの子が小さい頃から可愛くってね。幸せになって欲しいのよ」
獲物を捉えた雌猫の様に、光を宿してトオルを見る貴子の瞳。
「あの。どういう意味でしょう」
緊張で口の中に、カラカラな乾きを感じる。
「そりゃね。イケナイ関係だわ。弟の嫁に横恋慕をし、略奪婚するのは。世間にも叩かれ、ユカは今より日陰の身。でも、ちゃんと段取りを踏めば、ユカが自由になり程々、時間が経てば。良い関係になると思うの」
高木と同じ様に、口の端を上げる貴子。
「極悪非道のタネナシから、ユカを救い出してくれないかしら」
「む、無理です」
「ユカの事がお嫌い?」
否定は許さぬという圧をかける貴子。
「いえ。す、好きですが」
「なら、いいじゃない。幸い貴方の身辺は身綺麗で有名だし、私としても安心。貴方なら全てを飲み込んで、ユカを貰ってくれるでしょ。そして、タネナシよりもユカを尊重し、大切にしてくれると思うの。だから……、力を貸すわ」
思わぬ方向に進む話に、背後に立つ既婚者である弟子に、助けを求める視線を送る。
「はぁ。助けを求められても。先生」
「だって、そんな事は駄目。う、ん。どうしたらいい?その。気持ちすら伝えていないのに」
困り果てたトオルを目の当たりにした、貴子が軽く声を上げコロコロ笑う。
「ホーホホホ。益々、気に入ったわ。ユカが惚れた相手だわね」
「は?」
貴子の言葉に対し、豆鉄砲を食らったトオル。
「あの子ね。タネナシを紹介された時、何処かで会った気がするから決めたのって、言ってたのよ」
(ええ? そ、それって)
驚きでパクパクとし、言葉が出ないトオル。
「自身も知らぬうちに、恋して終わってたのかしらね」
貴子の言葉が突き刺さるトオル。
(じゃぁ、もし。好きだと言っていたら)
「先生。ご愁傷様です」
追い討ちをかける馴染みの声に、泣きたくなるトオル。
「ホホホ。という事なの。急なお話で悪かったわね。考える時間がご必要?」
機嫌の良さげな貴子の声に、我に返った。感情と思考がグシャラマに絡まる中、返事をする。
「は、はい。前向きに善処致しますから、少しばかり時間を下さい。ん、ん? 電話? こんな時に誰から。すみません、ちょっと」
ヴヴヴ、ヴヴヴ。ポケットから振動。画面には『聡子』の文字。
(あ、そういや今日、ここに結とユカさんと来るんだっけ、ええ! どうしよう)
このタイミグで? あたふたとしながらも出る。おずおずと。
「も、もしもし」
耳に入る姪っ子の鳴き声と、喧騒に満ちる雑踏に、異様を感じた、顔が引き締まる。
「あ! 良かった。とーる兄出た。結、ちょっと静かにして。ねぇ、直ぐ駅前に来てよ」
「どうしたの?」
声とともに立ち上がる。今迄とは違う心臓の鼓動。
「ユカさんが、押されて怪我をして。動けないの」
「ユカさんが?タカシはどうしたんだよ」
ユカの名前が出た事で、貴子がトオルにキッ、 とした視線を送る。それを目の端で捉え頷き応じる。
「会議かなんだかで、なんとかしてくれって! もぅ。信じられない! ねぇ。すぐ来て」
「わかった。駅前だね、どの辺」
場所を聞き出し通話を終える。
「先に行きなさい。私は車を呼ぶから」
貴子が動く。
「先生、こちらは大丈夫ですから、行ってください」
弟子が背を押す。
「じゃ、すみません」
トオルは上着も羽織らず外に出る。
北風が吹けば冬木の梢が揺れる歩道を、何がどうなっているのか分からないままに、不安を懐いて駆けていく。




