恋妻
夜と朝の端境の時間。前夜どんなに遅くても、好きな時間に起きて外に出るトオル。空を1枚、どんな天候でも場所でも必ず撮ってから、1日が始まる。
いい歳したおっさんが何やってんだか。未明の行動に、些か自己嫌悪に陥りながら、身の引き締まる様な寒さの中、ベランダに出て、紗がかかる様な町並みと、薄墨色した空に茜色の雲が筋を引くのを収める。
「んんー! 冬晴れの良い天気だ。あ!カラス。彼等、面白いよなぁ。綺麗だし。街のカラスシリーズとか、面白そう」
ベランダで息を白く立て、明けの空を眺めていると、玄関が開く。
「先生! 戻りました。寒!」
「ああ、おかえり。早かったね」
戻ってきた彼と、その妻を出迎えるトオル。
「ふぅ。閉めてください! もう。え? 先生、昨日、風呂入ってない感じ?」
ん、そういや忘れていたな。返事をしながら部屋に戻る。
「ウソ!先生、近寄らないで!まさか亮くんも?」
「違う! 香織ちゃんと結婚してからは、出来る時はちゃんとしてる!」
「香織君。酷いよ。それでその荷物、何なの」
目の前で繰り広げられる、若いふたりのやり取り。
「ご飯です、亮くん。これとこれ、冷蔵庫に入れて」
「はい! 先生、ばっちいと香織ちゃんの判定です。速攻、シャワー浴びて下さい」
キッチンでタッパーウェアを取り出す香織がいるせいか、きちんとしているアピールが強めの弟子の声。
「こっちはチンするから、お皿出して。キャ~!何このゴミ、コンビニばっかり」
「ゴメン。気をつける」
「将来、下っ腹がだるんだるんになったら棄てるから」
新婚カップルの何やっても、イチャつく空気。苦笑しつつ、着替えを持ち場を離れたトオル。昨夜のユカが見せた表情を思い浮かべる。
おずおずとした
昔と変わらぬ、恥しそうな
興味を抱いて子どもの様な
タカシと何かあるのか、能面の様な
(幸せ。じゃない、多分)
多くの被写体を撮ってきた事でわかる気配。タカシに遠慮をしているのか、身を小さくして、甲斐甲斐しく動く姿。オイと呼ばれる彼女は、幸せ色という存在を、薄らとも身にまとっていない。
(あきらめ色、それで彼女はいいのだろうか)
良い感じで話せたカンケイ
笑顔を見てみたい
話をもっとしたかった
(ユカさん)
口に出す事なく呟く。起きるなり開いたサイト、メッセージの10文字が脳内で彼女の声となり、流れたのが今も濃く残っている。
【ありがとうございます】
(昨日からどうかしている)
★★
「テレビつけてもいいですか?今日、この前受けた取材の放送だから、間に合う様に夜中飛ばして来たんですよ」
手際良く支度を済ませた香織が、携帯で時間を確認したあと、返事を待たずにつける。どれも似たりよったりの朝のニュース番組の中、指定されているひとつを選んだ。
「ん? ああ、小型犬みたいに、キャンキャン煩い、アナウンサーのやつね」
「先生。若い女性に対してのそれはダメです」
「亮君、他の女を褒めたら、絞める。やだぁ。亮君。寝癖が、もう。先生、上着がダサい。分かっていたなら、駆けつけたのに」
喋りながら、くるくる表情が変わる香織を見るのは、とても面白く、自分に対する態度と、違う顔を見せる弟子の姿も興味深いトオル。
「先生、作品リストあれでいいですか?」
「ん。良いよ。でも真っ白なペルシャちゃん『嫌悪』が漏れてる」
「タイトルが、今回のイベント『白い冬の白い猫たち』に、似合いません。クリスマスイベントですから、午後から画廊であちら様と最終確認です」
事務的なやり取りをしながらトオルは、大型ペットショップで、出会った美猫を思い出す。
(全、然! 猫が似合わない女性だったな。ベビーピンクのマスクに、黒いニットのワンピース。茶色のウエーブ、ペルシャが、しかめっ面する香水の匂い、嫌悪感溢れる猫が綺麗に映えて見えたんだ。なんか勘違いしてたようだけど)
綺麗ですね。撮らせてください。と声をかけると、身をくねらせポーズを取った女に滑稽さをトオルは今尚、思い出すと苦笑が漏れる。
(猫が。と言うべきだったな。フォトが欲しいって言われたから、ショップ経由で手渡して貰ったら、ひどく怒ってたらしいから。綺麗って、まさか自分に対して言われたと思ったんだろうか)
「あ! 先生。ちっともご飯が減ってない」
「香織ちゃんがせっかく作ったのに!」
「食べてるよ」
止まっていた箸を動かし応じる。
「先生、さっきから、ボーとしてて。ちゃんと噛んで食べてます?」
「はい? 本当? 香織ちゃん。先生、何かあったんですか? 悩みならお聞きします。そして、スキャンダルはダメです」
仲良く問いかけるふたり。
「ん。仲良しだなぁって。君たち」
阿吽の呼吸で会話を紡ぐふたりに対し、しみじみ言う。昨夜体感した、睦まじいとは程遠い弟夫婦の醸す空気と比べてしまう。
「はうっ! 先生、朝っぱらから変な事を、面と向かって言わないで下さい」
「夜ならいいの?」
弟子のそれに、からかう様に返す。
「もっとダメです。それより先生、悩みとはなんですか? 昨日、弟さんの家でなんかあったとか」
『弟さんの家』
「な、何でもない」
秘めた恋する気持ちが唐突に湧き上がり、顔を赤らめドギマギとしてしまったトオル。その様子に何かを察知した、ふたりの追撃が始まる。
「弟さんに仲直りはうそぴょーん」
「歓迎されたよ」
「また喧嘩したとか」
「おっさん同士だからそれはない」
「人参嫌いを笑われた」
「人参出てなかった」
「じゃ、お鍋のしいたけ」
「鍋料理じゃ無かったよ」
「弟さんの奥さんが、すっごく好みのタイプだった」
「そ!そんなことは無い、決して無い!」
激しく打つ胸の音が漏れ出た様な、あたふたとした否定は、肯定と取られた。
「ひとめぼれ」
「ち、違う!何回も会っている」
何・回・も!
若夫婦の声が重なる。
「何時からなんですか! そして隠れて、ヤバい事をしてるんですか! 写真撮られたらアウトですよ!」
「亮君! 弟の奥さんと義兄! 禁じられた愛の物語って、ドロドロとしてて、ものすっごく盛り上がる展開。先生、亮君の目を盗み、世間を欺き、どうやって逢ってるんですか?」
それぞれ別の意味で、目をキラキラ光らせたふたりに、矢継ぎ早に問われるトオル。
「違う! そんなんじゃない! ん。高校からこっち、ユカさんとは、手さえ握ったことも無いし、しっかりと話をしたのも、昨日が初めてだし、弟君から名前、呼ばれなくて、使い回されて、なんだか可哀想だなぁ。あー! もういい! この話は終了!」
ユ・カ・さ・ん! 高・校・か・ら・こ・っ・ち・!
ふたりの声が再び重なる、しばらくの沈黙。
「……、亮君、死ぬまで私のことは香織ちゃんと、呼びなさい」
「し、死ぬまで……」
「先生なら、奥さんの事は永遠に名前を呼ぶ気がするの。弟子なら見習ってね。先生、今度ゆっくり聞かせてください。コーヒー入れますね」
食べ終わり立ち上がる香織も話を終わらす。
(しまった!名前出してしまったな)
少し後悔しているとポケットに押し込んだ携帯が、メールの着信を知らせる。画面には香織君の文字、開く。
【今日、午後から少し抜けさせて下さい。デパートに、プレゼントを見に行きたいから】
「先生、どうぞ。片付けは私達がしますので、座ってて下さい」
マグカップを置く香織の問う視線に、頷くトオル。
(通販サイトもあるけれど、やっぱり手に取って選びたいんだろうな)
食べ終えた食器をふたりで仲良く片付ける様子に、昨日ユカさんはどこで食事をしたんだろう。ふと、思い出した。
(台所で独り?客といっても身内なのに)
うらうらと寂しい気持ちが込み上げた。洗い物を並んでするふたつの背に、声をかける。
「そう。ん。この部屋、今日からふたりで、使いなさい、僕は泊まるところ位あるから」
「先生! 何処に!」
振り返り鋭く聞く顔に、香織君が使う部屋に行くだけだ。コーヒーを飲み干しながら答えた。




