恋慕
タカシの携帯の着信音が響き、相手を確認すると、断りを入れてリビングから出て行く。独り残されたトオルは、ソファーの上から部屋の中を眺めた。
(オフィスの様だ)
ユカの存在が視えない空間。壁紙がくり抜く様に正方形に元の色を留めている。そこには何かを飾っていたらしい気配。本棚にはクリアファイルが幾つも並び、細々した物を収納している、引き出し状のプラケースが、上手くサイズを合わせ設置されている。
床に近い場所に部屋に不釣り合いな、可愛らしいカバーをかけられた文庫本が、ハードカバーと共に遠慮する様に身を寄せている。
以前の新居で見たトオルが撮影をした、挙式中の2人が写るフォトスタンドは、リビングだというこの部屋には、1つも飾られていない。
(パソコンスペースがある。リモート、ここでやっているんだな)
つらつら考えていると、パタパタ、足音と声。
「ごめんなさい、タカシさん忙しくて」
「いえ」
テーブルの上の皿を幾つか片付け、丁重に剥かれた林檎が並べられた、海の碧を吹き込んだ様な硝子の皿を置くユカ、林檎の白い色が映える。
「戻って来るまで何か話しましょう、ユカさん」
甲斐甲斐しく動く姿をテーブルを挟み眺めていると、フワと言葉が出た。
「あの、私、お話するのって、下手なんです」
「構いませんよ、座って」
隣を勧めたのだが、フローリングの上に敷かれた、毛足の長いラグの上に遠慮がちに座るユカ。
少女の様に、はにかむ顔を目の当たりにすると、秘めてる想いが沸き立ち、緊張が産まれて広がりトオルを支配。
「ん。じゃあ、そうだな。ユカさんって、ん。高校生の時に僕の高校とコラボしたのを、覚えてますか?」
慌てて話題を探したトオルの問いかけに、目を丸くし答えるユカの姿。
「え。あ、はい。とーるさん。あ、そうなのですか? 昔の仲間から、結婚前、とーるさんとコラボしてたよねって、連絡を貰っていましたけど。男の人が苦手だったから、その時お世話になった、写真部の人のお顔、覚えてなくて」
ああ。ガックリとしたモノがトオルを包む。その様子を目の前にしたユカは、身を小さくして謝る。
「謝らないで下さい。昔の話ですから。その。作品、今でも書いてるのですか?」
話の流れでスルリと出てしまった。
息を止めていても、苦しくない程度な無言の時間が経つ。薄ら赤く頬を染めたユカは俯き何かを迷う仕草。取り巻くそれぞれを、観察する事に丈ているトオルは、言わんことを察したその時。
フワリと。好ましく想う香りが届いた気がした。
(ん! ダメ。クラっと来た)
理性がこの場所からの撤退を弟子の声で命じてくる。気を紛らわす為に、フォークが添えられた林檎を刺すと、シャクリと齧る。ギクシャクと、しかし甘い空気が産まれ、2人の間に流れる。
(どうしよう、何を話せば)
林檎を齧りつつ、飛び出て来そうな言葉と気持ちを抑えている。つまらない事を口に出す。
「す、住まいの庭にね。林檎の木があるんだ。ん。木はとても古くて大きいのだけど、果実は虫食いばかりでね、ユカさん」
「お宅に林檎の木?」
興味を持ったらしい顔で問うユカ。何方に?と聞かれ。
「観光地のね、ん。敷地が無駄に広い、林の中の古いペンションを、スタジオ兼住まいにリフォームした」
「お一人でそこに?」
「うーん。僕は留守ばっかりだから。ん。弟子夫婦に住み込みで、管理してもらってるんだ」
答えに対し呆れた様な、ユカの反応。
「お弟子さんたち、大変でしょうに」
「うん。フラフラしないって、しょっちゅう怒られてる。親子ほど年が離れてるんだけどね、ユカさん」
おどけた口調で話すトオルに、ククスクス笑ったユカ。
(いい感じ。イイ関係。こうして他愛の無い話をずっとしていたい)
欲しかったモノが薄っすら見えた気がしたトオル。問われるままに色々な話をした。
「あの。海外とかにも行かれてますよね」
おずおずとだが、打ち解けた表情で聞くユカ。
「うん。色んな国に行ってる」
どんな?知らない場所のお話、好きなんですと、子どもの様に目を輝かせる彼女に、フラフラしてて良かったと感慨を噛みしめていると。
「やぁ、すまんすまん。取引先でちょっとな」
タカシが戻り、ふたりの時間は呆気なく終わる。さっと、口をつむぐと立ち上がり、スカートの裾を揺らして、トオルの前から離れるユカ。
残念に思いながら、シャクシャク、残った林檎を齧るトオル。
「忙しいのはいい事。ん。そろそろ帰る」
口の中を飲み下すと、席を立つ。
「そうか。じゃあまた」
「ああ、そのうち」
至極あっさりとした言葉を交わして、部屋を後にする。ユカはそう言いつけられているのか、キッチンに下がったまま。訪れた時には主として出迎えたタカシは、身内の気楽さと判断したのか、ここでいいか?と言われ、トオルはリビングで別れた。
☆
マンスリーで借りている仮住まいに戻ると、時間は翌日を迎え、1時間ばかり過ぎた頃。身の回りの事に些か無頓着なトオルは、暖房を強めに設定をすると、灯りは付けず、ソファーでごろりと寝転がる。
それ程、酔ってもいないのに、頭の中がフアフアとして心地よかった。思いを寄せる彼女の、一挙手一投足、短く交わした声が、脳裏に映像となり広がっている。
気持ちが何処に浮かんでいる様に危うい。一本、根を張り立つ彼の中の正しき物を、自分でも気が付かぬ何かが産まれて、酔いのせいにしやってみろと唆す。
広めのワンルーム。弟子は明日一番で戻る予定で、少しばかり離れた自宅に戻り、いない。
携帯を取り出すと、ページを開いた。青白い光が力強く照らす。
弟のアドレスは入っている。ユカのそれは知らない。
トン、トン、トン、トン。
考える。
息を吸い込むと、部屋の中を支配している闇色に混じり、あの時、気を紛らわす為に齧った、ユカが手ずから皮を剥いた、林檎の果汁が蘇る。
(彼女の指先で触れたソレを食べた。なんて事を考えるんだよ)
とん、トン、トン。
ボゥ。としている。微かに朱色に染まった顔と、揺れるスカートの裾が目の前にちらつく。危うい熱に浮かされているトオル。
(もっと話をしたかった)
朝、確認したサイトのメッセージをもう一度、見た。簡素に、何時もありがとうございます。と送られた、ユーザーの返信。
(きっと、ユカさん)
独りきりの部屋で、心のままに動いた。
(違っていたら、退会したらいい)
そう。きっと酔ってるから。それにこんな時間に送信しても、戻ってこない。朝になれば気持ちも収まってるから……、言い訳を重ね自分を納得させると。
【こんばんは。今夜はごちそうさまでした。美味しかたです、料理上手なんですね】
そう、送った。
(寝よ)
終えるとひとまず気が済み、仰向けで空を眺める。
(あー、そういや香織君、手伝いに出てくるんだっけ)
仕事の段取りを幾度も繰り返し、聞かされていた事を、ぼんやりと思いだす。
(彼女、オーナーさんの家に、お邪魔するんだっけ、ん。なんか、可哀想だな、香織君がね)
『飴玉』、そう銘打った彼女のウエディングフォト。若いからと、フリフリのミニ・スカート丈の純白のドレス姿。どこもここも、パチパチ弾ける飴玉の様な魅力を発散していた、田舎で留守宅を管理する事に、奮戦をしている彼女を思い出す。
(うん。ここを空けて、つかって貰おう、香織君にね。そう。あのフォト、次出るまでに仕上げたい。ん。ナイトミュージアムが終わったら、一度、家に帰ろうか)




