ひょこひょこと。
みっともないと、来るなりしかめっ面で叱られてもいい。来てくれさえすれば。
私は今のままの私でいられる。今のままでいたい気持ちとそうでない気持ちがせめぎ合う。ゆらゆら振り子の様に揺れ動く心の中。
せつなく祈りタカシに送信をしたユカ。しかし予想していた通りになった事と、診察を終え廊下の長椅子に座っている時に姪っ子の弾んだ声が、ユカに世界からお前は惨めだと知らされる。
「おばちゃん、どうやってかえるの?」
捻挫と、医師から診断を受けたユカ。湿布を貼る足首に目をやる子どもの無邪気な問いかけに、ヒュッと小さく息をのんだ。
「ど、どうしようかな。大丈夫よ。ゆっくりだと歩けるから」
「パパ、おむかえにくるから、いっしょにいこう」
「そうよ、さっき聞いたら、早仕舞いして迎えに来るって。何処かでご飯済ませましょうよ、ユカさん」
結と聡子が矢継ぎ早に持ち掛けてくる。
(怪我をした私は、返事も無いのに)
チクチクと痛む胸の内。
(ダメダメ。泣きたくなるなんて情けない、子どもが居るんですもの。仕方ないわバスで帰ればいいのよ、タクシーでも。歩けるんだから甘えちゃダメ)
もやもやとする気持ちを振り切る。ひとつ目の賭けはダメだった。パチンとシャボンが弾けて消えた気がするユカ。寂しさがジワリと広がった。
「院長と話をしてたら遅くなったわね、あらどうしたのユカ、しょぼくれて。足が痛むの?」
貴子が用を終え来るなり問いかけてくる。それに大丈夫ですと応えた。
「貴方の旦那には連絡したの? 迎えに来るのかしらね」
つけつけと話す貴子に、仕事が抜け出せそうに無くてと言葉をくぐもらせ話すユカ。
「そう、聞き分けの良いところは昔っからだけど、仏の顔も三度までと言うわ。いい加減になさい」
貴子のそれに、密かな賭けをしている今の心の中を見抜かれた気がしたユカ。マスクをしてて良かっと思う。そうでないと表情で何を考えているのか、全てバレてしまいそうだった。
(これ以上、惨めになりたくない)
叔母の言葉を聞き流す。送っていく申し出をここでも断り、皆と病院玄関で別れたユカ。それでもと叔母が手配したタクシーに乗り込んだ後、肩の力が抜けて行く。
車窓の外は夕暮れに近づいている。携帯を開くと4時過ぎ。聡子親娘の午後を潰してしまった事に気が付き、申し訳なさで心が萎れる。
(でも。みんなで食事に行くみたいだったから……、大丈夫よね)
やり取りを思い出す。仲の良い家族の様子を思うと、無性に寂しさが込み上げてきた。メッセージを開いても、あれから返信は無い。
(電話。してもいいかしら)
電話帳を開く。タカシとの文字を見つめて……、ひと息置きページを閉じた。
(たいした怪我じゃないし、タカシさんに言っても、怒られるだけだって、わかっているのに、ね)
バッグに携帯をしまい込む。ふぅ。ため息をついた。
(わかっているのに何やってるんだろう。きっと帰って来るのは夜中、嫌だな。あの女と会ってたら、多分、そうなんだけど)
昼間、投げつけられた視線を思い出すと、足首がズキズキ痛み始める。
(病は気からって。本当ね。私が邪魔なのかしら、あの女ひと。嫌がらせばかりしてきて、この先どうなっちゃうんだろう)
大きくため息をついた。車酔いを心配をした気の良さそうな運転手が、前から大丈夫かと案じて来る。
「大丈夫です。あ、そこのコンビニに寄りたいのでそこで」
顔を上げフロントガラスに目を向けると、マンション近くのコンビニが見えていた。もうそろそろヘッドライトをつけるつけない、逢魔が時の空の色が、夜をゆるりと引き寄せている。
バッグから財布を取出そうとして、タカシから手渡されている生活費から支払う事に、ためらいというより嫌な気持ちがわきあがった。
(なんだろう、タカシさんのお金から代金を支払うのが、凄くイヤ)
保険証を持っていなかった為、明日もう一度病院に行く事になっているユカ。それなら次も、タクシーを使いなさいなと、叔母が見舞いだと手渡してきた、紙幣が数枚ある。要らないと断ったのだが、押しの強さに負け受け取ってしまったユカ。
(また、お返しをしないと。うん、ここから支払おう、病院代も……、)
キッ。車体が停まる。紙幣を差出し、お釣りを受け取ると、外に出たユカ。キンと冷えた空気が心地よかった。
空を見上げると一番星がチカチカ光る。仕事帰りの通行人が行き交う歩道。
「家に戻ったら、タカシさんが帰ってて、鈍臭いと叱られて。ううん、そんな事はきっとない」
ドアを押して中に入る。蛍光灯が真っ白に明るい色を天井から放つコンビニの店内にも、入口近くに小さなクリスマスツリーが置かれていた。
(ナイトミュージアム、行けるかしら)
イブの予定がちらりと頭を過る。きっと無理だと頭の中でそう言う声が聴こえた。
☆
夕食代わりのお弁当をひとつと緑茶を買い、温めてもらうとコンビニを出た。ひょこひょこと方足首をかばいつつ、ゆっくり家に向かう。
(お弁当。家で温めても良かった)
溌溂とした声で温めますか?と明るく聞かれ、じゃぁお願いしますと流れされる様に応じてしまった事に、少しばかり後悔。
もう一度チンになるわね。情けなく思いながら歩いていると、公園に行こうと思いつく。
「家に戻るより近いわ。夜だけど、外で食べるのもいいじゃない、ベンチの側には街灯もあったし」
ひょこひょこと、何時もの場所へと進んで行く。つく頃には真っ暗になっているが、街路樹にキラキラとしたイルミネーションが巻きつけられた街中は、郊外の様な暗闇ではない。
ビルから、マンションの窓から明かりが漏れる。公園につくと何時ものベンチに座ると、ホッとした。膝の上には、コンビニのお弁当がひとつ。
「久しぶり。タカシさん、出来合いの品は嫌うから……、いただきます」
分厚いだし巻き卵に、ごま塩が振りかけられたおにぎり、桜色の漬物、唐揚げがひとつ、きんぴらゴボウがひと口分。
「叔母様にお礼をしなくちゃ。お弁当もそこから出したんだもん。病院代も足りる。明日払いに行かないと」
誰に言うことなく、喋りながら口に運ぶ。家で食べるよりずっと気楽な事に気がつく。
「美味しい。だし巻き卵家でも作ろうかしら。大根おろしで食べてもいいな。昼間だったらあの子達もいるのに」
今、ここに猫達の気配は無い。誰も居ない夜の小さな公園は、貸し切りの庭園の様。ゆっくりと食べ進める。食べながら今日の事を思い返す。
(タカシさんにとって私は家族なのかしら、それとも家政婦さんみたいなものなの?)
今頃ファミリーレストランで楽しく食事をしているであろう、聡子達。羨む気持ちが膨れ上がる。
「子どもがいたらなぁ。欲しかったのに」
愚痴が出てくる。不妊治療の為に通っていた、病院の先生に夫と共にと言われた頃から、二人はギクシャクとし始めた。
「無理につくらなくていい。費用もかかるから、諦めろって言われて、諦めちゃった。ふう……、家に帰りたくない」
お腹が膨れるとポツリと本音が出てくる。
「私の居場所、無いもの。ううん、私の物なんか何ひとつ無いの、みんなタカシさんの物だから、お仕事、辞めるんじゃなかったって、今頃後悔する」
カサカサと食べガラをレジ袋に入れる。お茶を飲みじっと固まる様に座っていると、足元からしんしんと冷えて来た。
(……、遠慮して、息を潜めて暮らすのに疲れちゃった。この先ずっと続くのかしら)
――、仏の顔も三度までと言うでしょう。
貴子の声が耳に響く。
(一度目の賭けは終わったの、迎えに来なかった。じゃぁ、二番目の賭けは? 何にする? ナイトミュージアムに連れて行ってと、頼んでみようかしら、それとも外に働きに出たいって、聞いてみようかしら。いいよと言ってくれたら……)
これから先に繋がる事を、徒然に考えていたが、寒さは思考をまとめ上げるのに邪魔をしてきた。
「帰ろう。冷えて来た」
この上風邪を引いたら怒られると立ち上がり、ユカは通い慣れた道をひょこひょこと進む。
★
「電話に出なかったな」
「携帯無くしちゃったの、貴方の車の中かしら。あったら今度会うとき渡して頂戴」
ユカは、ひょこひょこと家に向かっている。
タカシは女の部屋でソファーにどっかりと座る。
ガラスのテーブルの上には、女が頼んだデリバリーの皿が幾つか。ピックに刺したチーズを赤いネイルが摘まむ。
(こんなのユカなら作るのにな)
「何よ。今、地味妻の事を考えたでしょ」
敏い女が紅がてらてら光る唇をとがらし文句を言う。
「ああ、昼間、怪我をしたとか何とか電話があったから」
「アッハ。私それ、見てた」
モグモグと咀嚼しながら嘲笑う女。見た? タカシの問いかけに、適当に端折って、適当に話を盛り説明をした女。
「……、でね。ん、貴方のお兄さんだっけ、駆けつけてね。姫様抱っこしてさぁ、大勢の前で。肩を貸すとかじゃなく、抱っこ、満更でもない様子だった」
「……、」
ムッとしたタカシの顔色を面白そうに眺める女。
「なあに? お兄さんに嫉妬してんの? よく似てるわねぇ、でも。あっちの方が日に焼けてイイ男に見えるかしら、フフ」
「あんなちゃらんぽらんなヤツ、何処がいい!」
「一応、有名人じゃない。地味妻もよく似た顔なら、そっちの方がいいのかもしれないわよ。あんな女に限って、そういう所あるもの」
唆す様に話していく女。劣等感が刺激されるタカシ。
「アレに限って」
苛つく声に、ここまでにしとこうと女は引きに入る。隣に座りグラスを煽るタカシの首元に腕を回し、耳元で囁く。
「ねぇん。私もお姫様だっこしてほしい」
一瞬。戸惑う素振りを見せたタカシ。男の欲情をそそる躰に視線を上下に幾回か送ると。ゴクリと息を飲み込む。
「ん? ああ、分かった」
さり気なさを精一杯装い立ち上がると。言われた通りに女を抱え上げた。ぐらつきそうになるのを、気合い一発で耐える。
(兄貴に出来て、俺に出来ないなんて事は無いんだ!)
いつになく気分が盛り上がり、そのまま女をベットルームへと運ぶタカシ。ほくそ笑む様な女を抱えたまま、部屋を一歩一歩進んでいく。




