策略
香織が来た折に食べに行きたいと話していた、チェーン店で3人揃って鍋をつついている、少しばかり早い夕食の時間。
「食べ放題のしゃぶしゃぶ屋で良かったの?先生の奢りなんだから、もっといい店でも良かったのに」
「いいの。賑やかな方が楽しいから」
香織の言葉を聞くと押しかけとはいえ、アシスタントを雇入れた事に少しばかり後悔の念が出る。
(独立させようか。あー。でもなぁ。結局、長期の撮影に入ると連れて行かない限り香織君は、留守番になってしまうし、フォトウェディングは香織君がいないと無理だし)
「先生。お願いがあるんですけれど」
あれこれ悩んでいると、豚ロースをスープの中でゆらしながら香織があらたまった口調で、話しかけてきた。
「何?」
「あのですね。その……、スタッフさんって、雇う予定って無いかなぁと。 出来れば女の人が良いんですけれど」
「スタッフね。どうしてまた」
そんなに忙しかったか? きっちりとスケジュール調整をしている弟子に顔を向けると、何故か、一心不乱に牛肉をゆらゆらさせている。チラッっと助けを求めるような視線を送った香織なのだが、石像の様なオーラを放つ彼に無理だと判断を下した彼女は、朱に染まりながら答えた。
「いえ、その、その。そろそろ、あ、赤ちゃんが欲しいから」
恥ずかしいだろうにと、トオルは思う。
(ユカさんなら、タカシに言ってもらうか。それともタカシが先走りをしてしまうか)
真っ赤になりつつ、猛スピードで食べ始める香織と亮。
「うん、いいよ。香織君に任せる」
「ありがとうございます」
「出来れば住み込みが良いよね。亮も僕に付いていく事が多いし。探すのが大変だろうけど」
「まだまだ先だから、ゆっくり構えます。ね、亮君」
良い人がいたらいいねと、二人に応じつつ、仲睦まじい夫婦を見ていると、身体が動いた、傍らに置いていたカメラで瞬間を撮る。
「ふえ? せんれい、いひなり」
「なんか良いなぁって、あと口の中を空にしてから喋りなさい」
後で見せてくださいよ。弟子が照れを隠したいのか、慌てて飲み込むと、わざとむくれた声を出した。
「ちゃんと銘打って作品にしてあげるよ。そうだな『宣言』とか」
「なんの! 嫌です。センスないんだからぁ!」
「それよりも先生。ちっとも食べてないですよ。ボーとしてたら、お肉無くなりますよ。亮君。肉ばっかりはダメ! しかも牛ばっかりって、どーよ」
香織が甲斐甲斐しく世話をやきつつ、自分も食べるのに忙しい。若い二人の食欲は眺めていると楽しいと、トオルは何時もそう思う。
「あー。うん。食べてる。ん。あんまりお腹が空いてないかな? よくわからない」
「そういや、ユカさんの怪我、大丈夫でした?自分の空腹具合がわからないとは。なんかあったのですか?」
胡麻ダレが入っている取皿に火が通った野菜を、山盛り入れられた彼が、げんなりとした声で聞いてくる。
「ん。そうだね。あったかな……。ん、ちょっと聞きたいけど。相手が自分の事を好きかどうかって、人間同士でも分かるものかな。君達はどうだったの?」
グツグツ。トオルの突然の話に、スープが満たされた鍋の煮え立つ音だけが応えているテーブル席。
「はい? 先生。なんのお話なのでしょうか」
「先生! 詳しくお話お願いいたします!」
硬と柔。夫婦が対象的な声で、それぞれに応じてくる。隠していても直ぐにバレ、ややこしくなる事が分かっているトオルは、貴子とのやり取りを掻い摘んで説明をした。
「……、という訳で、ユカさんとの事を、応援されてるんだけど。ん、ちょっとダメなことやらかしてるなって、気がついた。ん、で。わかるものなの?香織君」
「わかりますよ。なんとな~くですけれど」
「動物だとさ。わかるんだけどな。雄がせっせと雌にアピールしてて、ファインダー越しに見ていると、ん。これはだめカップルとか、これはいいカップルとか、人間も同じ感じかな」
「同じです。脈があるって、瞬間! 閃きます。恋の神様が来たー! てな感じ」
「恋の神様が来たー!、かぁ」
昼間の光景が甘色のフィルターをかけ、脳内にビジョンで浮かび上がる。ゆらりと煮えた豆腐をスプーンで救う。
(あの時。何故だか、ユカさんも同じ事を考えてるなって、思ったんだ。このまま時が止まったら良いなぁって)
それを食べもせずに、何も挟んでいない割り箸の先をあむあむ噛みつつ、ほぅぅとなっていると。
「先生、その。不倫の果てに略奪婚。なんて事を考えてます? 先生の幸せを望んではいますが、その。その事で失う物があるのなら断固反対です!」
硬い声が加わってきた。
「んあ? 何その面白そうなタイトル。まぁ、将来的に、大まかに見ればそうなるんだけれど。力を貸してくれている、怖い女王陛下が、清らかなる関係でいろと難題を持ちかけて来てね。困っている」
(そう、駆け落ち厳禁、ドラマでよくあるアプリを使ってのやり取り厳禁、ユカさんがフリーになる迄、肉体関係厳禁だろうなぁ。おっさんだから、そんな元気ないけど、タカシは例外、良くやるよアイツ)
じゃぁ、自分は何をしたいのだろうか。ふと気がついた。
「離婚をそそのかせってさぁ。僕を選ぶように仕向けろって、ん。逢っちゃだめって言われて、どうやって」
火が通った野菜の様にしなしなとしおれたトオル。香織があれこれ持ち出してくる。
「ドキドキ感満載ですね。でもさっき亮君から聞いたけれど、弟さんってケバくてヤバい女と、よろしくやってるんでしょ、怪我だってその女が犯人って、先生言ってたし、脈アリだと思いますけど」
「うん、そんな気がしてる。こっちの気持ちを伝えるのは、なんとかなるけれど、ん。一方通行じゃぁ動けない」
「んー。そういや、まえーに、先生話してて、私も読んでるんです」
香織が素っ頓狂な話をしてくる。もぐもぐ野菜を食んていた亮が問いかけた。
「何の話?」
「ウェブサイトの小説。高校の頃はザマアとか悪役令嬢物、よく読んでて。タダだから、またまた最近復活してるの。読む方だけれど、ユカさんって執筆ユーザさんですよね。先生ったら画像投稿サイトにフォトをときどーき、上げてたし。退会されたのはそうだったんですね」
口に入れた豆腐が飛び出そうになる。慌ててペーパーナプキンで押さえ飲み込む。
「ふぐ。な、何で知ってるの。ん。退会ってついさっきだよ。香織君。怖い」
「チェックは欠かしません。フォトなんて見たら、すーぐ分かっちゃいましたよ。多分、先生。FA送ってられてますよね。ユカさんは割烹とか上げないユーザさんだから、公になっていないだけで」
ふふふ。白菜を入れながら喋る香織。何やってるのですかと、非難混じりの視線をビシバシ飛ばされた。
「それを使えないかなって、ちょっと思ったんです」
「僕が何か書くの?」
「それは無理です。先生には文才の女神は微笑んでおりません。タイトル変なのばっかりです、香織ちゃんも変だ変だと言ってます」
即座に突っ込まれ、頭が痛くなってきたトオル。
「見られてるんだなぁ。亮や貴子さんの言う事が良くわかったよ。気をつけないと、ユカさんに大迷惑がかかる」
「そうですよ。兄弟、しかも弟は何かと話題の『一般人A子』と浮気真っ最中、その嫁を口説いてモノにしようなんてバレたら、直ぐにネタにされますよ、ユカさんが『一般人Yさん』って書かれるの嫌でしょう」
「そうだけど。でも、もう船に乗ってる気がする。降りられない。それに彼女が、今の生活を選ぶ可能性もあるから。で。香織君、どういう意味?」
シメはトマトと粉チーズでパスタにしましょうと、煮えきった鍋の具材を救い上げる彼女に聞いた。
「伝える時に、彼女に気持ちはなんとかして、作品にしてと頼めばいいんじゃないかなって、アカなしでも読めるし、都合のいい事を思ったんです」
「へぇ……。香織君、凄いこと思いつくよね。ダメもとでやってみるか」
素直な気持ちが出る。
「先生は今、ユカさんと何をしたいんですか?」
追加の具材をタッチパネルで頼みつつ聞かれた。クツクツ。湯気が上がる、それを眺めながら思案する。
「何をって、そりゃぁ」
「そりゃぁ?」
興味津々な、おうむ返し。若い二人の頭の中には、かつてユカのウェディングフォトに、本能そのままに、『欲望』なるタイトルをつけた張本人が言うであろう、破廉恥かつ不謹慎な答えが浮かび上がっている様子を目にし、苦笑をうかへる。
(あの頃は若かったからね)
「伝えて。そうだな、チャンスに恵まれたら、神様が微笑んでくれたら、女王陛下が満足したら。先ずは恋をしたい。やり取りをして、手を繋いで歩いて、沢山話をして、そこからかな」
意外な答えに一瞬、場の空気が固まりその後、濃度と熱を一気に高めた。
「恋したい! キャ~! 先生! ああ、亮君どうしよう、ダメ、私。トキメイちゃう。反則です、そんな答え」




