欲望
服なんてね。脱がせたいという、正しき男の欲望の象徴だろ。その証拠に。
「新郎の目はドレスの谷間に釘付けになっていた」
それに対し激高した新郎である1つ年下の弟、タカシは、二度と来るなと兄、トオルを追い出した。
★
「フォトウエディングの見学ですか、はい」
紆余曲折の後、『町ノネコ達』シリーズでブレイクした、タカシの兄、トオルはそこそこ名の売れたフリーカメラマン。植物、ペット、野生動物、風景、人物。依頼が有れば足軽く引き受ける。
「では、アシスタントに詳細を伝えておきます。打ち合わせは彼が承りますので、日時は、」
テキパキと話をまとめる様子を、横目で確認していた、アシスタント兼弟子。
「先生、真面目に撮ってくださいよ。妄想込めないで下さいね、花嫁さんがどうも、エロチックに見えるんですから」
スタジオのパソコンにて、入った仕事のスケジュールを調整しつつ、釘をさす。
「真面目に撮ってるよ、そう見えるのは君が汚れてるから。ん。はぁぁ。高校生に戻りたい」
「はあい? 違います。先生が汚れてるんですよ。僕は先生と違い、愛する妻がいますから。いい加減、報われない恋とオサラバしてください。ヒヤヒヤしますよ。今の時代、倫理は絶対!世間を敵にしてはいけません」
「わかってるって」
はぁぁ。ため息をつくマスクの内。数日前の出会いを思い出す、トオル。
★★
「あれ?」
海の日のイベントで、『海ノネコ達』の個展を、取引先のひとつである、某デパートから頼まれたトオルはそこで、接客の最中に懐かしい後ろ姿に気がついた。
購入された写真集に次々サインをすると、一時、アシスタントにその場を任せて、じっとフォトを眺める女性客を確認しつつ近づく。
少し。ふくよかになっている。
人違い。
少し。髪の色は染めているのか。
人違い。
少し。雰囲気が変わっている。
人違い。
だけど。
セミロングであろう髪を、軽くまとめてバレッタで結い上げている為に、無防備にさらされているうなじは、あの日のままに白く、薄い上着を羽織る肩はなだらかで、軽く弓になる背中のラインが、トオルの目に入ってくる。
(間違いない。彼女だ!)
一歩、近づく度に記憶の確認。
一歩、近づく度に記憶の整理。
そして、背後に立つと。
「ニャオン、覚えてます?」
マスク越しの声掛けは囁く様な声音。それに対し、仔猫の様にビクッと驚いたあと、ゆっくり振り返る客の顔は半分マスクに覆われていたが、彼が予想をしていた通りの女性。
「お久しぶり」
「あ、……。 お久しぶりです、お義兄さん」
ペコリと頭を下げる、弟、タカシの奥さんの姿。
初恋の相手との再再会。
ドキドキ弾む音が漏れやしないかと、思いつつ平静を装うトオル。
「偶然?それとも広告見てきてくれた?」
「偶然です。お中元選びに来てて、買ったらここのチケットを貰ったんです、ネコ好きだから覗こうかなって」
「へえ、ありがとう、『とーるさん』でいいよ。カタブツの弟君以外はみんなそうだし、ん。姪っ子なんて『とーゆしゃん』だし」
ふざけた口調に、クスクスと目が笑うユカ。
「じゃぁ、これからは『とーる』さん」
ザワザワ、ネコのフォト展示会とあり、子連れの客も多い。先生、そろそろ。アシスタントの呼ぶ声。
その日はそれで別れた。
その日が忘れられなくなった。
(はぁぁ。初恋の相手が弟の嫁さんって、なんで。神様の意地悪。そしてどうして、逢うんだろうか、どうして彼女は昔の作品アップしたんだろ、見つけないと知らないままに終われたのに)
携帯をスクロールして眺める。見つけたらいけない相手の過去の作品が、『あの日』に誘う。
★★★
兄貴、お祝い代わりに写真撮ってよ。まだ当時は、極々普通の付き合いをしていた弟からの頼みに、ふたつ返事で引き受けたトオル。漁港や山村、町中でネコを追いかけ回していた最中だったが、スケジュールの調整をし式場へと駆けつけた兄。
白い大輪の花のような花嫁と、親族室で顔合わせをし、名を聞いた時、ハッと思い出した放課後の教室。
(嘘だろ、泣きそう。ユカさんって、女子高の1年生のあの子だよ。文芸部のユカちゃんじゃないか。僕が3年生の時、こっちの写真部と文化交流とかで、一度コラボった時にいたよな、彼女。だけは覚えてる)
トオルの初恋の相手。勿論、話などしたことなく、好きだとも惚れたとも言わずに終わったよくある青春の1ページ。その時の彼女が、よりによって他の男の相手として、花嫁姿で目の前にいる。おまけに、
「お義兄さん、よろしくおねがいします」
等とフェイスシールド内の笑顔眩しく、軽く頭を下げられる始末。
(だめだ。涙がホント、出そう)
心を無にして写真を撮った。潤む目は、弟思いの良い兄の演出に、ひと役買ってでていたが。
トオルは至極真面目に、至極真面目な写真を撮り続けた、筈だった。それなのに部屋に戻り、ショットの確認をすると。心に響く1枚が。
「はあい!これいいなぁ!今日のベストショットだよ」
無意識に、シャッターを押していたのだろう。
カラードレスに着替え披露宴会場に入る前、緊張の為か、観音開きのドアの上を見上げる後ろ姿が、ほんのり色っぽく、艶めかしい渾身の1枚。
フォトの中の義妹である、初恋の人。眺めていると胸の奥がジリジリ焼けるように熱い。閃いたままに、フォトに銘をつけた。
『欲情』と。
手元に置いて置こうとしたのだが、暇さえ有れば眺めてしまう、棄ててしまおうかと考えるが、それをするには惜しい出来。どうにも狂おしくなり、弟に責任を押し付けようと思いつく。
「よし!あの時、弟君も横目でデレッデレで、胸元見てたから、ん。プレゼントしよう!そしてガッツリ怒られて、出禁になったら忘れられる」
そう決意をし、パネルに仕立てあげると新居に押しかけたトオル。
「そんなタイトルあるか?」
想像通りに怒られた後、出禁を喰らう事に成功をした。
それから。忙しく、ひたすら忙しく過ごして。出逢いは突然。だけど数分。彼の中で消えそうになっていた想いに、薪が焚べられた。
(やっぱなあ、だめだって、でも欲しいなあ)
だが、不幸になる展開しかない事が、分かりきっているトオル。現在手にいれた、写真で喰える立ち位置も逃したくない、結婚したばかりのアシスタント君の暮らしもある。
(あれ?欲しいって、何が欲しいんだろう)
デパートの出会い以来、悶々と考える日々。
(躰?そうとも言えるし違うとも言える、話もしたことがないのに)
風来坊の様に、転々と住居を変える生活をしている為か、定住をし部屋で彼女が自分を待っている状況を、イマイチ妄想出来ない。
「ねえ、とめさん、よねさん、ん。あくびしないで聞いてくれるかな」
ベンチの上で寄り添い寝る、ネコに話しかけるトオル。
「ん。そうだよね。人の奥さんに手を出したら、こうして、とめさん達の写真撮って、ほろんほろん暮らせないよねぇ、かつぶしたべる?」
花かつお徳用の袋から取り出すと、懐いたネコ達に与え、クチャクチャ、自分も食べた。
(ふうん。諦めが肝心かな、子どもがいないと聞いてるけど。それでかな。ちょっと寂しそうに見えるが、きっと幸せなんだろうし、な)
クチャクチャ。口の中に広がる出汁。飲み込んで、爆ぜる気持ちも呑み込んで、時々に作品を読んで過ごした3年。再びその町に来たのは、画廊から頼まれた個展の為。
「あれ?この町、弟君がいたっけ。随分になるなぁ、ん。元気かな?ユカさん。最近、多分作品、投稿してないんだよなぁ」
ちょっとネコと仲良くなってくる。そう、アシスタントにいうと、ふらりと画廊を出て何時もの様に、ネコの姿を求めてふらふら歩き続けた。
路地に入り、すすんで、カシャカシャ。
曲がって、歩いて進んで、カシャカシャ。
見つけて、撮って追いかけて。
「ほら、煮干し。おいでおいで」
引き寄せられて、目に止めて。
「美味しい?ちゃろくん、シラユキちゃんは今日は来ないの?」
ハミハミ、ウニャウニャ、目を細め顔をリズミカルに揺らしながら、煮干しを喰む茶白の猫に目を細め、話しかけるユカの声と姿が飛び込んで来た。
「来ないなら独り占めかしら、あ、タキシードちゃん、おいでおいで、ハムもあるわよ」
胸元がシャツの襟の様に白毛模様の黒猫が、したりしたりと近づいている。
ミャア。
ユカの白い指につままれたハムを欠片に鼻を近づけ、ひと声上げる。重なる様に声が瞬間、出た。
「そのまま、動かないで」
ピッ、ピピ。カシャカシャカシャカシャカシャカシャ。
「ニャオン、ユカさん。お元気ですか?」
驚き、自分を見てくる彼女にサラリと挨拶。
パッ! 地を跳ね逃げるネコ達。
「お久しぶり、ん。駅前のデパートに来てくれた時、以来かな?ユカさん」
はずんだ気持ちが、素直に声音に出るトオル。マスク越しの声は、少しばかりくぐもって。




