39 神
「いえ、見たくないです」
ルキアスは即答した。世界の真理では腹は膨れない。
しかしこの答えが不満な少女は拳を振り上げて怒り心頭だ。
「にゃにおーっ! 世界の真理じゃぞ!? おのこなら夢膨らむシチュエーションではないのかーっ!」
「いえ、全然。それより明日のご飯の方が心配だもの」
世界の真理を知る人など見たことも聞いたことも無い。もしも少女の言葉が本当なら目の前に知る人が存在することになるが、彼女を数に含める必要は無いだろう。
しかしそれはどうでも良いのだ。重要なのは世界の真理など知らなくても生きるのに困らないこと。殆ど全ての人は真理を知ることの無いまま立派に生きている。
ところが少女は酷く残念な者を哀れむかのように柳眉を下げた。
「なんじゃ、おぬし。覇気が無いのう」
「君は覇気を履き違えてるんじゃないかな」
ルキアス自身、覇気を持ち合わせているとは言えないが、必要も無く興味も無い事を知ろうとするのが覇気とも思っていない。
それが口から零れ落ちたのが今の言葉だが、少女には馬耳東風だった。
「真理の探究こそが人の最も崇高な使命じゃと言うのに。ああー! 情けない! 実に情けない!」
実に嘆かわしそうに、身振り手振りまで交えて訴える。
これにはルキアスも鼻白んだ。
「どうしてそこまで言われなきゃならないのかさっぱりだよ。だいたいどうしてぼくなんだ?」
「それはたまたまおぬしが通り掛かったからじゃ!」
「たまたまって……、誰でも良かったの?」
「うむ」
(うわー、何てぼくは運が悪いんだ)
「それじゃ、他の人にお願いしてくれないかな? それにぼくは父さんに言われてるんだ。『宗教には関わるな』って」
「何故そこで宗教が出て来るのじゃ?」
「いや、だって、どう聞いても宗教の勧誘だよね? 信徒の義務なのかも知れないけど、周りには迷惑だよ?」
「我がどこぞの信徒と申すか!? そこら辺の神様ごっこの輩と一緒にするではないわ!」
どうしたことか、少女は目を吊り上げて反論した。しかしそれはかなり危うい発言だ。
「君、今、他の宗教を敵に回したよね? それに一緒じゃなかったら君は何なの?」
「我こそ、このヨーコ・クグラこそが神じゃ!」
ヨーコと名乗った少女は腰に手を当てて踏ん反り返った。
(教祖様だったよ……。
そうでなければイタい妄想を膨らませている女の子。
どっちにしても関わりたくないなぁ)
「ふーん。そうなんだ。とにかく元気そうで良かった。問題無さそうだからぼくは行くね。じゃあ」
ルキアスは踵を返した。少女が手を放したこの隙に逃げ出さない手は無い。
「待て! 待たぬか!」
「ごめんねー。ぼく付き合ってあげる暇は無いんだ」
「ぐぬー。後悔しても知らんぞ!」
「はーい」
「まったく以て……」
ぶつくさ言いつつも、ヨーコはこれ以上ルキアスを追い掛けない。
このことに却って不安を感じたルキアスは『鏡』を使ってヨーコの様子を窺う。
するとヨーコがまた道端に俯せに寝ころんでる様子が見えた。その向こうからは馬車がこちらへと歩んで来ている。
(まさか?
いやそのまさかなんだろうな……。
本当にぼくに声を掛けたのはたまたまだったんだ……)
ルキアスはヨーコが近付いて来る馬車に声を掛けようとしていると踏んだ。実際、その予測は正しい。
(でもどうしよう?)
ルキアスは迷った。ヨーコが気にならないと言えば嘘になるのだ。どこか放っておけないように感じられもする。それに向こうの馬車の人のためにもどうにかした方が良いような気もしている。
(これは仕方ないな……)
ルキアスはヨーコの傍まで後戻った。
「ねぇ、ヨーコ。君はさっきぼくにやったみたいな事を『世界の真理を覗いてみたい』って人が現れるまで続けるつもりなの?」
「何じゃ? おぬし。今更未練でも出たのか? 当たり前の事を聞くではないわ」
「やっぱりそうなんだ……。だけど止めなよ。いつか危ない目に遭っちゃうよ?」
「ええい! 未練たらしい! 断ったのはおぬしじゃ! ぐずぐず言わずにどこぞなりとも行け!」
こうする間に馬車が通り過ぎる。御者が奇妙なものを見るようにルキアス達を見た。
その視線を感じたルキアスは若干凹んだ。自らの行いが全ての原因ならいざ知らず、他人の行いが元で、更にその行いから逃れさせようとした相手からとなれば、自らの行い自体が無為にさえ感じられたのだ。一方で少し安堵もしている。目論見通りに少なくともあの馬車に乗る人は何事もなく行くことができる。目的自体は達成されたのだ。
一方、ヨーコは目を見開いて馬車を見送った。
「ぬあっ! おぬしがぐずぐず言うせいで、彼奴が行ってしまったではないか!」
ヨーコが拳を振り上げて怒るが、迫力は無い。むしろとっても可愛いとルキアスには感じられた。
「何をにやけておるかーっ! 我は怒っておるのじゃぞーっ!」
(あ……、言われてみれば、ぼくはにやけている。
参ったな……)
そう考えつつも、ルキアスからは少女に対する警戒心が消えていた。
だから安易な問い掛けもできてしまう。
「ねぇ、世界の真理ってどこに行けば覗けるの?」
「なんじゃ、おぬし。今更ながらに覗いてみたいと申すか?」
「うんうん、申す申す」
(どうにも気になるからヨーコに付き合うとしよう)
「ならばベクロテのダンジョンに来るのじゃ。良いな?」
「あ、うん。元々ぼくはそこに行くつもりだったから……」
「ならば良い。続きはおぬしがダンジョンに着いてからじゃ。では必ず来るのじゃぞ」
(消えた!?
ヨーコが突然消えた。
え?
ええ?
えええ!?)
ルキアスは声にならない叫びを上げた。




