81話 膨らんで 浮いて 弾け飛ぶ
街中で死と破壊が撒き散らされていた。人々は訳もわからぬまま逃げ惑い、浮かぶシャボンに触れて爆散していく。
そんな中、崩壊しかけた家屋の上に黒一色の衣装を纏い、レイピアを構えて佇むものが一人。
「なるほど、あのシャボン玉に触れると破裂してしまうと」
蛇皇五華将が一人、メイシンが遠巻きに街の様子を観察していた。その時、下からメイシンに声がかけられた。
「な、なぁ!そこのアンタ!助けてくれ!手が瓦礫に挟まっちまって抜けないんだ!」
男がそうメイシンに懇願する。だがメイシンは一瞥した後、すぐにそっぽを向いた。
「申し訳ありませんが、これからもっと多くの人々を救いに行かなくてはいけませんので」
「そ、そんなぁ!」
「後、その抜けないって腕、多分あなたが混乱して中の物を握ってるからだと思うので、手を開けば抜けるはずですよ」
「え?……あっ、抜けた!」
男が感嘆している間に、メイシンはその場から跳んだ。
「これまでに殺された人々の仇、取らせてもらいますよ」
*
「飛んだ、飛んだ、飛んだ。屋根ごと飛んだ。あまねく命、壊れて消えろぉ!」
泡沫のヴラドは唄いながらシャボンを辺りに撒き散らす。渦を巻くように動くシャボンは辺りのものをまったく寄せ付けない。
「は、はは!これが怒りから生み出る力か!そして、この胸の鼓動が!人間どもを殺せる悦びか!」
泡沫が高笑いをしていると、自分の背後から薄らと影が伸びていることに気づく。
「ん?」
泡沫が振り向いた途端、──泡沫の耳が斧で切り飛ばされた。
「あっ?……ああああああああっ!!!!???」
そこには、七つの大罪の一人、憤怒が斧を泡沫に振り下ろしていた。
「なんだ!?なんだお前!?」
イーラは無言のまま、すぐさま距離を詰めて再び斧を振るう。
「嫌あああああああああああ!!!!来ないでええええええん!!!!!」
泡沫は足元から泡を生み出すと、屋根の上を滑るようにして逃げ去っていく。イーラは屋根を踏み抜き壊しながらそれを追う。
「しつこいストーカーにはお仕置きだゾ♡」
泡沫は突如後方に振り向くと、手のひらからシャボンを生み出し、そこに息を吹きかけてシャボンをイーラに向かって飛ばす。シャボンは瞬く間にイーラの前面で広がった。
「ハハハハ!!逃げ場はないぞ!」
シャボン玉が炸裂し、爆竹のような音を連続で鳴らす。しかし、煙が晴れた後、そこにあったのは無傷で泡沫を睨むイーラの姿だった。
「え、ええー?なんでー?」
イーラは相変わらず無言のまま、憤怒の形相で泡沫を睨んでいる。そして手には小石ほどの礫を握っていた。
「石?どっから……」
泡沫の疑問はすぐに解けた。イーラは斧を持っていないもう一つの手で屋根の瓦を掴むと、その握力でもって砕き、小石ほどの大きさにしていたのだ。
「はあ!?なんだのその馬鹿力!吸血鬼の俺っちでもそんな芸当無理だぞ!」
そしてイーラの手から大量の礫が投げられる。泡沫は咄嗟にシャボンを吹き出して応戦する。再び爆竹が弾けるかのような音が響き渡った。
「さっきもこんな風に打ち消したってことか!」
泡沫はシャボンが通用しないと分かると、再び背を向けて逃げ出した。それを追ってイーラも走る。そして追ってくるイーラを見て泡沫はほくそ笑んだ。
「かかった」
突然、イーラの足元の破裂音と共に瓦がはじけ飛んだ。衝撃でイーラは吹き飛ばされ、宙を舞った後体を強打する。
「やーい引っかかった!瓦の下にシャボンを仕込んで置いたんだよ!正解の瓦を踏めばボン!景品として貴方に痛みをプレゼント!」
泡沫はケラケラと笑いながら、指で口を笑いの形に変えていく。
「これが笑いの感情かぁ!俺っち、笑えるぞ!他人の失敗や滑稽で笑うことができる!」
イーラは泣き言も何も言わず、無言のままゆっくり立ち上がる。そして斧を置いて、両手を瓦の下に突き刺した。
「はあああああああ!!!!!!!」
イーラは声をあげて気合を入れる。その直後、家から屋根が引き剥がされ、瓦ごと屋根がひっくり返された。
「うそーん!」
瓦は屋根から剥がれて、泡沫の上に降り注ぐ。土埃がやんだ頃、下からイーラに声がかけられた。
「おい!こちらを見ろ!」
イーラがその方向を振り向くと、泡沫が逃げ遅れた女性の首元を腕で裸締めしていた。
「一歩でも動いたらこの女、殺すぜ!」
女性は恐怖で口をガチガチに震わせ、怯えた目でイーラを見つめている。その時、ずっと無言のままだったイーラがはじめて口を開いた。
「……俺にはお前を助けられねえ。そこのクソッタレは、俺が何をしようとお前を殺すからだ」
女性はその言葉を聞いて、恐怖を堪えて言葉を発する。
「なら……仇をとって、私と、殺された街の人々の仇を……」
「ああ」
イーラは泡沫を追って地面に降り立つ。
「はあ!?ハンターなら人命優先だろ!なに普通に動いてんだ!」
泡沫は捕まえていた女性を放すと、背中を押し、イーラに向けて突き飛ばす。その直後、女性は爆散し骨や肉片が凶器と化してイーラに襲いかかった。
「なにを勘違いしてやがる」
イーラは持っていた斧で、それらを叩き落とす。
「俺は十字騎士、七つの大罪の憤怒だ!」
そしてイーラは斧を振り下ろそうとする。しかしその時、横から突然抱きつかれて斜め方向に吹き飛んだ。
「な、なんだてめえ!何しやがる!邪魔すんな!」
「何って……貴方を助けたんですよ。私もあの吸血鬼を殺しに来たんです」
イーラに抱きついてきた人物、それはメイシンであった。
「はぁ!?俺が今そいつを殺そうとしていたところなんだよ!」
「やれやれ、どうやら気づいてないみたいですね」
メイシンは懐から投げナイフを取り出すと、泡沫に向かって投げつける。ナイフがぶつかった瞬間、刺さった箇所が泡となって霧散した後、そのまま全身が泡になり瞬く間に破裂し始めた。
「なっ……!」
「あれはヤツのダミーです。あのまま突っ込んでたらあの爆発に巻き込まれてたんですよ」
「そういやぁ、今のヤツには俺がぶった斬ったはずの耳が残ってやがった……クソが!自分の短慮っぷりにイライラするぜ!」
「まあまあ、頭に血を登らせないで」
「それができれば苦労はしねぇ!ていうか誰だてめぇ!」
「申し遅れました。私はメイシン、大華帝国の役人です」
「……お前、女か?男か?」
「あなたのお好きな方でどうぞ」
「じゃあどうでもいい、だ」
そのようなやりとりをしていると、壊れた家屋の影から泡沫が現れる。
「えーんえーん、渾身の作戦が引っ掛からなかったよ〜。……これが悲しいとか、ガッカリって感情なのかぁ?」
泡沫は目元を手で覆って泣き真似をする。その後、体を震わせて笑みを浮かべた。
「ああ、蠱蟲……お前の死をきっかけに、俺っちも喜びと怒り、哀しみと楽しみ、そして憎しみを学ぶことが出来たよ」
直後、泡沫の体からシャボンに生まれ出でる。そのシャボンは、シャボンの中に小さいシャボンを大量に入れた構造になっていた。
「今日が俺っちの誕生日になるんだ。八つ当たりはもう終わり。今からは、記念日を祝した死と破壊のカーニバルだ!」
シャボンを格納したシャボンが、メイシンとイーラに襲いかかる。イーラは先程と同じように、瓦の礫をぶつけたものの、外膜のシャボンが割れただけで格納されていたシャボンは以前健在のまま拡散していった。それはさながらクラスター爆弾のようであった。
「シャボンの中にシャボンが入った入れ子構造になっているようですね。おそらく小さいシャボンの中にもさらに小さいシャボンが入っているのでしょう」
「んだと!?じゃあどうするってんだよ!」
「下手に割るとシャボンが拡散します!避けに徹してください!」
「逃げてばっかりでどうやって勝つっつんだよ!」
「その勝利は、私が手繰り寄せます」
メイシンは懐から丸薬を取り出し、飲み込む。すると、見る見るうちにメイシンの肉体は半人半鬼の肉体へと変わった。
「てめえ……吸血鬼か?」
「半分はそうです。どうします、アイツより先に私を殺しますか?」
「……保留だ。傲慢に判断してもらう。男なんだか女なんだか、人なんだか鬼なんだか、曖昧なやつだなお前は」
「別に、キッチリどっちかに決める必要もないでしょうよ」
メイシンは『毒血』の吸血鬼と化し、イーラと共にシャボン玉から逃げ回る。そうしているうちに、あたりをシャボン玉が埋め尽くし逃げ場が無くなっていく。
「あー、勝った勝った。俺っち強すぎぃ!お二方、遺言があったらドーゾ!言い終える前に殺してあ・げ・る♪」
泡沫は勝ち誇った笑みを浮かべる。その時、メイシンはイーラに耳打ちをした。
「今です、突っ込んでください」
「わかった」
そしてイーラは泡沫に向かってまっすぐ走り出した。
「ええええ!?何やってんの〜?潔しすぎるっしょ!もっと命乞いとかしてほしかったんだけどな〜。……まあいいや、はよ死ね」
泡沫はダメ押しで更なるシャボンをイーラに向けて放った。イーラがシャボンと接触する寸前、メイシンが動きを見せる。
「──『ケミカルブレス』」
メイシンの手から、紫色の液体がシャボンに向かって放たれた。そして液体を浴びてシャボンは紫色に染まる。
「な、何を……」
紫色になったシャボンに、イーラは突っ込んでいった。そしてイーラは……無傷でシャボンの壁を通り抜けた。
「ほ?」
シャボンは割れることも、イーラの体を爆散させることもなかった。そして泡沫の目の前に斧を構えたイーラがせまる。
「や、やめろやめろやめろおおおおおお!!!!来るなあああああああああ!!!!!!」
シャボンを出そうとするも、イーラの動きの方が圧倒的に速い。そしてイーラの渾身の一撃が、泡沫の肉体を袈裟斬りにした。
*
「シャボンの様子を観察して気づいたんです。シャボンが触れたものを破壊する条件は、接触ではなく割れること、単純に触れたものを破壊するだけなら、風が吹くだけで役に立たなくなりますからね。そこで私は考えました。これを攻略するにはシャボンの強度を増して割れなくさせればいいと」
「んで、お前がさっき吐き出したのがシャボンを強くする液体だったってわけか」
泡沫が切られると同時に、浮いていたシャボンは全て自壊していた。もう街中で破壊は起こらない。
「……それより、コイツを殺すなってお前どういうことだ」
「いろいろ聞きたいことがあるんですよ。目的は何かとか、他に仲間がいるのかとか」
「……んな悠長なことはやってられねえ。これは勘だが、コイツは生かしておくと厄介なことになる!今!ここで殺す!」
「あ、ちょっと!」
そう言ってイーラは駆けていく。残った片腕で上半身を引きずっていた泡沫は、走り寄ってくるイーラを見て悲鳴をあげる。
「い、嫌だあああああああああああ!!!!死にたくない!!!!!!!!!!」
感情を理解し始めた泡沫の心を、恐怖が支配する。泡沫の頭に向かって斧が振り下ろされる寸前、
「!?」
厚い、鉄の盾がイーラの攻撃を防いだ。盾の背後には、黒いローブを纏った男が立っており、男は火のような赤い髪をしていた。
「悪いが、コイツにはまだやってもらいたいことがあるんでね」
キッド達と共に行動していたはずのヒュームが、そこに立っていた。