クリエイティブ・ダンス
Uは以前から運動があまり好きではなかったから、ダンスにはまったのは、自分にとっても意外なことだった。
市民体育館ではヨガやエアロビクスなどのクラスが安く受講でき、Uは元々そこのヨガ教室に通っていたのだが、ついでにダンスのクラスに顔を出してみると、ダンス担当の先生の先導で、体育館はヨガの時にはない熱気とノリに包まれ、圧倒されてしまった。そして息が切れるのも構わず、身体をがむしゃらに動かした。
『なにこれ、楽しい!』
さらに言えば、先生が美人だった。
踊る姿は凛々しくそして情熱的で、一つに束ねた長く美しい髪が、身体の動きに合わせて揺れた。体育館に集まった生徒は老若男女問わず、先生の動きに見とれていた。この美人先生の存在もまた、Uがダンス教室に通い詰めることになった動機に、少なくとも無意識のうちになっていたに違いない。
クラスは先生が振り付けたダンスを、二ヶ月かけて覚えていくというものだったが、
「クリエイティブに踊るのよ!振付けを教えてはいるけれど、これは基礎的な技術を教えているため。教わったことにとらわれないで、クリエイティブな心を忘れないで!」
というのが先生の口癖だった。何事も教わった通りにやるのが、「上手」ということだと思っていたUにとって、この言葉は、目から鱗だった。
といっても、自分の中のどこを探してもそんな「クリエイティブさ」が見つかる気はしなかったが、とにかく、そんな先生の姿勢にも惹かれていたのだ。
こうしてUは毎週、ダンスを習うために市民体育館に通っていたのだが、レッスンを終えたある夜、彼女は体育館に忘れ物をしてしまったことに気が付いた。
『まずったな…。よりによって、お気に入りのタオルを置いてきちゃうなんて…』
明日取りに行ってもいいが、汗のまま放置したら、お気に入りのタオルが、臭くなってしまうのではないか…。そう思ったUは、ラフな格好のまま、急ぎ体育館に向かうことにした。
今戻れば、閉館時間までにギリギリ、間に合うはずだ…。
時刻が遅いせいか、受付にも体育館にも人は誰もいなかったが、なぜか体育館の扉には鍵もかかっていなかった。
「へえ、セキュリティーはこんなものだったのか…」
Uは拍子抜けして、ガラガラと重い体育館の扉をあけた。
中は見慣れた体育館のはずなのに、ずいぶんと印象が違って見えた。普段、大勢の市民でダンスをしている様子とは打って変わって、シーンとしずまりかえっていて、なおかつ、暗いのだ。
『なんか、ちょっとコワいかも…』
Uは電気のスイッチの場所を知らなかったので、手探りでタオルを探し始めた。
「あれ、ここら辺だと思ったんだけど、おかしいな…」
普段Uが荷物を置いている付近を探したが、そこにタオルはなかった。そこでもっと広く探してみると、
「あ、あんなところに…」
体育館前方の舞台の上に、タオルは置かれていた。きっと邪魔だと思った人が除けたのだろう。
Uはせっかくなので、舞台に上がって、体育館を見渡した。この舞台は、後方にいる生徒にも動きが見えるよう先生が踊ってみせる場所で、普段のUには上る機会のない場所だ。
『へえ、こんな風に見えていたのか…』
見慣れているはずの体育館が、なぜか新鮮に見え、Uはその景色を堪能した。
するとそのとき、カサリ…と、微かな音が背後から聞こえるのに気付いた。
「え?なんだろう…」
ふりかえっても舞台の背後には、分厚い幕があるだけだ。音は幕の裏側から聞こえるようだ。
Uは「えい」と幕を持ち上げて、幕の裏の奥に回った。
しかし、Uの足は空を踏んだ。
「え、うそーーー!?」
そこには大きな穴が空いていたのだ。Uはまるでアリスのように、奈落の底に落ちて行った。
「なにここ?」
気付くとそこは暗い洞窟のような場所で、どう考えても舞台の下の物置きなどではなさそうだった。
奥に光が見え、ガヤガヤという音も聞こえる。そっと覗くと、そこではUの足ほどの大きさのねずみがそこかしこに集まって、曲に合わせて踊っていたのである。しかも、
『あれ、この曲…』
ねずみたちが踊っているのは、今Uがクラスで教わっている曲だった。曲だけでなく、振り付けまで一緒である。
そしてよく見るとそこにいたのはねずみだけではなかった。
『あれ、先生…?』
ポニーテールの髪がダンスに合わせて揺れる。その後ろ姿は間違えようもなかった。
Uがいつもダンスを習っているあの美人の先生が、小さいねずみたちの中にぽつんと一人だけ大きく混じっていたのだ。
といっても、先生がねずみたちに教えているのではなく、
「こうだよ、こう、腰をこういれるんだ」
「あ、なるほど、その動きはいいね」
「それからこうだろ、あとはアドリブだけど…」
どう見ても、先生がねずみからダンスの振り付けを教わっているのだ。
さらにこんな会話まで遠くから聞こえた。
「いつもいいアイデアをありがとうね」
「いやね、あんたが広めてくれれば、こっちだって嬉しいのさ。他の人間たちは、ねずみのダンスだっつって相手にしてくんねえもんな。先生こそ、また俺らを外に遊びに連れて行ってくれよな」
「もちろん、約束は守るよ」
Uはショックを受けた。
『クリエイティブに踊るのよ!クリエイティブな心を忘れないで!』
大好きな先生の言葉が脳裏によぎった。
『いつもああ言っている先生本人が、ねずみからダンスのアイディアをもらっていたなんて…』
Uは頭がクラクラして、手から力が抜けてしまった。そしてその際、手にしていたタオルを落としてしまった。すると
「誰かいるぞ!ニンゲンだ!」
「え…?」
タオルだから音はしなかったが、気配で気付かれてしまったようだ。
ネズミたちは、とても友好的とはいえない雰囲気だった。Uは足元の小さい生き物から発せられる攻撃的な視線を、痛いほど感じた。
「まあまあ、落ち着きなよ」
そう言ってくれたのは先生だった。
「先生…」
Uはほっと安堵のため息をついた。顔を覚えてもらっている先生ならば、悪いようにはしないだろう。しかしその思いは裏切られた。
「まあ、見られたとあっちゃ、仕方ない、黙って帰すわけにはいかないね…」
「え?どうして、先生…」
「あのね、言っておくけど私はね、あんなダンス教室の講師で終わるつもりはサラサラ無いのよ」
「それで、振り付けを、盗んでいたというんですか…?クリエイティブにっていつも言ってたじゃないですか!」
「おいおいおい、盗むなんて人聞きの悪いことを言うもんじゃない…!私はこいつらのダンスを、世に広めてやっているんじゃないか…。私だってクリエイティブさ。いわば共同作業、相互扶助さ。
なんて言っても、お前にはわかるまい。このまま帰したらどこでどう言いふらされるかわからないし、やっぱり、生かしておくわけにはいかないか…。お前達、やっちまいな!」
足元の何百という小さな爪がUに襲い掛かった。おぞましい感覚に鳥肌が立った。
「い、いやー!」
Uは逃げた。焦れば焦るほど足がもつれるようだった。
洞窟のもといた方に戻ってきたが、その先は行き止まりだった。
『ヤバい、追い詰められる!』
だがその心配は無用だった。なぜなら、Uは足元に穴があることに気付かず、その穴に再び落ちたからだ。
「うわーーー!!!!」
Uは目が覚めた。Uは体育館の舞台の足元に寝ていた。
窓からは朝日がさしこみ、外から鳥の鳴き声が聞こえた。
「ああ、気が付いたか、よかった。ひょっとしてあんた、死んでんのかと思ったよ。にしてもあんた、夜の間、ずっとここにいたのかね…?」
用務員のおじさんらしい人がいぶかしげに、倒れるUの顔を覗き込んでいる。
Uはドキッとして跳ね起きた。夜の体育館にタオルを取りに来ただけだったのに、いつのまにか朝になっていた。
「あ、す、すみません。忘れ物を取りに来たあと、気を失っていたみたいです。」
「そうかい?」
「あ、あの、失礼しました!」
Uはきまり悪さから、タオルを掴んで、ばっと駆け出した。
『それにしても、なんて変な夢を見たんだろう、先生がねずみからダンスを教わるはずがないじゃない』
Uは変な夢を忘れるように、無我夢中で家に向かって走った。
しかしあまりに頭が一杯になっていたので、人とすれ違いざまにぶつかってしまった。
「あ、す、すみません」
ぶつかった勢いで、その人は肩からさげたバッグを落としかけてしまった。
「いえ、こちらこそ」
Uはその顔をみてギョッとした。それは、あのダンスの先生その人だったからだ。
「あら、誰かと思ったら、こんなところで奇遇ね…!もしかして、朝からダンスしてたの?」
先生は朝にピッタリな爽やかな笑顔でそう言った。Uがタオル片手にラフな格好でいるのを見て、そう思ったに違いない。
「あ、いえ…!」
Uは先生の顔を見返すことが出来なかった。あれは夢の中のことだったんだから、と自分に言い聞かせようとしても、あの暗い洞窟でのねずみに引っ掛かれた感覚が妙にリアルで、頭から拭い去ることが出来なかった。
Uの口からまとまった返事が返ってこないとみるや、先生は朗らかに言った。
「最近、動きがよくなってきてるから、またがんばりましょう、じゃあね!」
ほらやっぱり、いつもの先生だ。Uは思い直した。そして大好きな先生を、夢に引きずられて少しでも疑った自分を情けなく思って、先生の後ろ姿を見送った。
先生は肩のバッグを持ち直した。その動きに合わせて、美しいポニーテールが流れた。
とそのとき、昨夜見たねずみが、バッグの中からひょこんと顔を出したような気がした。
だが『あれ?』と見返したとき、そこには先生の美しいポニーテールが揺れているだけだった。
Uは何かすっきりしないものを感じながら、家に帰った。




