第四世界 【病院の世界】 前
第四世界 【病院の世界】
「ゾンビ~~~!!」
「喜んでる場合か!! 逃げるぞ!!」
無機質な白い廊下、そこをサジェースタが必死の形相で符正を引き摺りながら走っている。廊下の果てからは見るからに腐敗しかけの死体といった出で立ちの人間──いわゆるゾンビ、が群れで追い掛けてきていた。
「銃! ナイフ! どっかにないですかねぇ? あとハーブとかもそこらにないですかねぇ?」
「何を言っているんだお前は!?」
「知っていますかサジェ様。効率的な調合の仕方はレッドとグリーンをひとつずつ、です」
「何の話だ!?」
サジェースタのツッコミが廊下に響き渡る。
──歪みを正す旅が始まってからどれくらい経っただろうか。もう何十回、夜を迎えたか分からぬ頃合にふたりは新たなる世界──病院の世界へ来ていた。
青い壁を越えればそこは既に病院の敷地内で、白く無機質な総合病院がそこにあったのだが──見ての通り、バイオハザードが発生していた。
「しっかし、あのゾンビたちは別に“歪み”ではなさそうですね。呻き声こそ上げれど何かを訴えかけるわけではなさそうですし」
「そのようだな」
「では、別に殺っちゃってもいいですよね?」
逃げることに飽きたのか、ゾンビ相手に何かのタガが外れているのか──物騒なことを言い出した符正にサジェースタは頬を引き攣らせる。
「奥に進むにはあのゾンビたちを倒していかなきゃですし。このまま逃げてると表玄関に出ちゃいますよ?」
「それはそうだが……本当に好戦的だな、お前は……」
「決まりですね。銃かナイフでもあればいいんですけどなさそうですし……」
符正はそう言いながら腕を掴んでいたサジェースタの手を逆に掴み返し、怯んだサジェースタに構うことなくサジェースタを引き寄せてその体を肩に担ぎ上げた。
「うぉおっ!?」
百六十にも満たぬであろう女性に担ぎ上げられ、悲鳴を上げる百八十越えのおっさんというのは正直──傍から見て大爆笑必須な地獄絵図であった。尤も、傍から見ているのはゾンビしかいなかったのだが。
符正は悲鳴に構わず表玄関を突っ切り、受付カウンターを乗り越えてサジェースタの体を床に降ろした。
「何かないかなあ……おっ」
受付カウンターの奥にある関係者用の事務室を見回した符正はさっそく良さそうな武器を見つけ、そこへ足早に近付く。長方形に穴を空けられた壁にガラスのケースがはめ込まれていて、その中に斧が置かれていた。おそらくは消防斧であろう。病院に置くには物騒すぎる気もするが──符正は躊躇うことなくガラスを割って斧を取り出した。
「サジェ様、行きますよ」
「ぐう……お前と出会ってから男としての矜持が粉砕されてばかりだ」
サジェースタは恨みがましげに符正を睨みつつ、防衛用にか小型の消火器を拾い上げて脇に抱える。
「やむを得ん。あのゾンビどもを何とかしなければ先に進めぬのは確かであるし、符正──情けないが任せる」
「任せてください」
「とりあえずゾンビが発生した原因を探る、という感じでそれらしき場所を探してみようか」
「ハーイ」
符正はぺろりと唇を舐めて消防斧を構え、サジェースタに離れないよう忠告してから事務室を飛び出した。その後をサジェースタも追い、さっそく出迎えてきたゾンビの群れに符正が躊躇なく消防斧を振り下ろして薙ぎ払っていくのを見て顔を引き攣らせる。
「完全に腐敗してるのに何で動けるんでしょうねぇ」
「さ……さあな……」
「筋肉も腐敗していて、骨は崩れかけている──けれど最低限の機能は腐敗が押し留められているんですかねぇ? ゲームとか映画だとウイルスが拡散のために最低限の筋肉だけは蝕まずにいるとか、そんなテキトーな設定を当てはめられますけれど」
「ど……どうだろうな……」
眼前で起きているスプラッタな惨劇に完全にドン引きしているサジェースタにも構わず符正はゾンビたちの頭部をカチ割っては蹴倒し、足払いしては頭蓋骨に斧をめり込ませていっている。一般人女性とは何なのであろうか。
「──入院病棟と実験棟に分かれているみたいですね」
ゾンビたちを薙ぎ倒しながら進んでいった先には入院病棟へ通じる廊下と実験棟へ通じる廊下とがあり、それ以外には階段があるくらいであった。英語で書かれた案内板を見てみれば上階にはそれぞれの科の診療室があるようだ。
「上に行く必要性は薄そうだ。ここは入院病棟へ向かうとしよう」
「ハイ」
サジェースタの判断に従い、ふたりは入院病棟へと進んでいく。
──そしてサジェースタの判断は正しかったようで、そこには“歪み”が存在していた。
「……なるほど、“進歩の否定”といったところか……」
──ワクチンハトテモキケン
──クスリハノンデハイケナイ
──イシャハカネモウケシカカンガエテイナイ
──ケンコウハショクジデツクルモノ
「反ワクチンとか、反抗がん剤とか、そういう人たちいますね。……実際にワクチンの接種義務化を撤廃させたイタリアなんかでは麻疹が大流行していましたね」
入院病棟。その先にいたのは──ゾンビになりかけている病んだ患者たちであった。
口々に医療技術を否定し、危険性ばかりを訴え有用性を一切認めようとしない患者たちにサジェースタと符正は顔を見合わせる。
「わたしならば否定して無理にでも治療させるか、無視するところですが──サジェ様ならばどうします?」
「んむ……これは難しい問題でなあ。我が国でもそうだし、隣国でも問題になっているのだが……医療というのは思想と結びつきやすくてな。黒魔術が医療にカテゴライズされているところが未だにあるのは知っておろう?」
「ああ……地元に根付いた民間療法を信じるあまりよその進んだ医術を受け入れられないというのはよく聞きますね」
病気治癒にせよ、怪我治療にせよ、精神安定にせよ──死者蘇生にせよ、古来から医術というのは人間の思想と深く結びつきやすく、宗教とほとんど変わらぬ存在であった。故に医療の変革は思想の変革でもあり、過去においても新たなる医術の需要には多大なる労力と犠牲を要してきた。
そしてその末に新たな医療を取り入れても、それを悪だとみなす人間は後を絶えない。思想というのは──そう簡単に塗り替わるものではないのだ。
「思想の自由として治療を受けない自由を患者に与えるか──生命の保護を優先して無理にでも治療するか──非常に難しいところでな。ただ、思想を他者に押し付けて他者から治療行為を取り上げるのは論外だ」
「当然ですね。“環境破壊”や“動物愛護”といったことにも言えますが、他人に自分の考えを押し付けて従わせるのは愚の骨頂です」
「ああ。……しかし、これはどうしたもんか……治療を受けたくないと嫌がっているのを抑えつけて治療させて解決するとも思えんし、だからと言ってゾンビになるのを見守っているだけというのもなあ……」
他の病室も見よう、と歩き出したサジェースタに倣って符正も医術を否定する声を聞きながら歩き出す。
それからいくつかの病室を覗いたが、どこもワクチンや薬、輸血、手術といった様々な医療行為を拒絶する声ばかりであった。そんな彼らをどうすれば“歪み”は解消されるのかと頭を悩ませながら次に入った病室でふたりそれまでに見なかった光景と相対した。
──タスケテ
助けを求める、患者と。
──ダメダ、カラダニワルイ!
──ダイジョウブ、コウスレバヨクナルワ
──イシャヲシンジテハダメダゾ
──オレハクスリナンテナクテモヘイキダッタ
その助けを殺す、患者たちに。
「──……サジェ様」
「ああ」
ふたりの間で交わされた言葉はそれだけであった。
けれど、それで充分であった。
「だが、患者こそいれど医者は今までひとりも見掛けていない。どうするか……」
「……実験棟に行ってみますか? 診療棟にはゾンビしかいなさそうでしたし」
「そうだな……」
サジェースタはちらりと病室の奥のベッドに伏せっている十代前半くらいと思しき少女を見つめる。手の先は腐敗が進んで変色していて、痛みに呻きながらひたすら助けを求めている。それを周囲にいる他の患者たちは諫め、励ましていた。励ましと言えば聞こえはいいが──医療行為を受ければ逆効果であると呪いのように繰り返しているだけである。
「──急ごう」
「ハイ」
それからふたりは道中遭遇したゾンビたちを薙ぎ倒しながら(符正が)実験棟へ急ぎ、実験棟への入り口であるらしい巨大な円型の扉の前に辿り着いた。
中のものを守るためか、あるいは外敵から守るためか──鋼鉄製の重厚な扉は何者をも受け入れぬ佇まいでその口を閉じている。符正は迷うことなくその扉に手を掛け、開くかどうか確かめた。
「何重かのセキュリティチェックがあるようですね」
「指紋認証とか虹彩認証とかかね? だが突破する手口がないし、時間もないぞ」
そう言いながら背後を振り返ったサジェースタに符正は頷く。ゾンビの群れがもうそこまで迫ってきているのだ。さすがの符正でも多勢に無勢──キリがない。
「こじ開けます」
符正はそう言ってセキュリティ認証に使われるのであろうボード部分をばきり、と破壊した。サジェースタがぎょっとする間もないまま符正は複雑にコードが絡み合っている電子回路に手を突っ込んでいくつもの部品をコードごと引っこ抜く。ばぢばぢばぢ、というショート音が破壊音に混じって響き──エラー音がけたたましく鳴り始めた。そのエラー音をぶち壊すかの如く、符正は消防斧を振り上げて扉の開閉をコントロールしているのであろう機械部を破壊する。
思わず耳を塞いでしまいたくなる破壊音と一緒にエラー音が止み、それを確認した符正は円型の扉に手を掛けて腕に力を込めた。
「──ァアアアアァアァ!!」
信じられないことに──がこん、と音を立てて円型の扉が回転していく。回転式の扉であったらしく、一度開き始めさえすればあとは符正が何もせずとも勝手に開いていった。
「お前……どんだけ怪力なんだ」
「美少女戦士符正ちゃんと呼んでくれてもいいですよ」
「美少女……?」
「ぶっ飛ばしますよ」
回転式ですから閉めることはできないので、ゾンビたちは入ってきてしまいます。早く行きましょう──そう告げてきた符正に頷いてサジェースタは実験棟の中へ駆けていく。
「あの子の手は腐敗しかけていた。おそらくあのゾンビどもと同じ病気だとは思うが──」
「それっぽい場所を片っ端から探していくしかないですね」
実験棟の中は非常に入り組んだ迷路のような構造になっていて、ゾンビたちは容易く引き離すことができたもののサジェースタと符正も行き先を定め切れぬまま扉を開けては確認し、また次の扉を開けては確認するといった地道な作業を続けながらの攻略となってしまった。
「しかし……妙だな」
「え?」
「設備が古すぎる」
サジェースタの指摘の通り、実験棟の中にはいくつもの実験室や研究室があったが──どの部屋も色褪せた器具ばかりが集まっていて、最先端の研究をしているようには見えない有様であった。
それだけではない。中にある机や椅子、パソコンといった道具さえも長年の使い込みが見られ、一部破損していたものもあったがそのまま使われている形跡があった。
「医者がいないのも気になる。単にここの“歪み”じゃないからいないだけなのかもしれんが……」
「そういえば蛍光灯とかも切れかけてるのが多いですね。──……予算不足かなあ」
ぽつり、と漏らした符正の言葉にサジェースタがはっとしたように目を見開く。
「まさかここの“歪み”は……」
「サジェ様! あれ見てください! 七階に対ウイルス研究室っていうそれっぽいのがあります!」
「む? ……本当だな。じゃあ行ってみるか」
階層の案内板に書かれていた内容を参考にしてふたりは階段を駆け上っていく。──途中でサジェースタがヘバって符正が後ろから押して上がっていくという些か情けない光景があったのはここだけの話である。
「ぜぇ……ぜぇ……」
「こっちですかね……行きましょうサジェ様」
「鬼か……」
文句を零しつつ符正を追って対ウイルス研究室とプレートの掲げられた部屋へと足を踏み入れていく。けれどサジェースタは今すぐにでも部屋を出て行きたい衝動に駆られた。
──人間のホルマリン漬け。
それがいくつも並ぶ、見るからに人道に反する研究をしていそうな場所であったからだ。
「ドンピシャっぽいですね。中にいるの、ゾンビですよ」
「お前……よく平気だな。こういう時、お前のような年頃の女性ならば“きゃあ”とか叫びそうなもんだがなあ」
「……まあ、わたしもこういうのを初めて見た時は“ぎゃあ”だの“どわー”だの叫んだものですけどねえ」
「……!? こういうのを──見たことがあるのか?」
「ええ──……ホラーゲームとかで」
べしんっ、と小気味よい音がその場に響いた。
「全く……誰もいないのか?」
青白い光に照らされて浮かび上がる人間のホルマリン漬けがやたら目立つが、その研究室は他の部屋に比べて設備が整っているように見えた。それでも故障中と書かれた紙を貼られた機械がところどころ存在し、修理する余裕さえない様子を窺わせていた。
「せめて薬かなんかでも置いてあればよいのだが……」
──…………ァ
「──ん?」
──ダ、レカ……
「! こっちですサジェ様!」
か細く、今にも掻き消えてしまいそうな弱々しい“声”──それにふたりは弾かれたように駆け出し、声の元へ向かう。
対ウイルス研究室の奥──調合を行う場所だろうか。いくつもの薬が並んだ薬棚と調合器具が転がっている机があり、その付近でひとりの青年が倒れていた。その青年を抱き起こしてサジェースタが声を掛ければ、青年は弱々しくも言葉を紡いできた。
──アト、スコシ……
──アト、スコシデカンセイスル……
──オカネモ、ヒトモ、タリナイ……
──タスケラレナイ
「……! やはりか……!」
サジェースタは唇を噛み締め、ぎゅっと青年の手を強く握り締める。
「──“怠惰”」
「……たいだ?」
「研究をするにはお金がかかる。医療に関わる研究であればなおのこと、多くの実験と実績を積む必要がある──お金はいくらあっても足りないというものだ。だが、技術の進歩に対して人々が金を出すことは少ないのだ」
「……確かに、研究者の資金難はどこでも聞く話ですね」
明確な結果が得られるかどうかわからぬ研究に好き好んで金を出す人間は少ない。
国さえも予算を研究費用に充てることを渋るところが多い。それ故に、医療関係のみならず宇宙開発、生態系保全といったありとあらゆる研究で資金不足や人材不足を理由に中断せざるを得ない研究者が多く出ている。
その研究が実を結ぶ可能性と、実を結んだ研究が役立つ可能性──それに懸けるリスクが高いとはいえ、現代社会において研究に対する理解は薄いと言える。
故の、“怠惰”だとサジェースタは語った。
「入院病棟にいた彼らは思考の放棄という“怠惰”──実験棟の現状は国や市民たちの進歩に対する理解の放棄という“怠惰”」
技術が発達して恵まれすぎるようになったが故の“必要性の希薄化”だな、とサジェースタは言って符正に視線を向ける。
「机の上に何かないかね? データとか……」
──コウウイルスザイ
──アトスコシデカンセイスル
「あっ、ありました。抗ウイルス剤についての理論が書かれた論文ですね。わけわかめです──あ、作成手順もありますね……どうやら本当にあと一歩のところで止まっちゃったみたいです」
英文の論文をぱらぱらと捲りながら符正が完成寸前の抗ウイルス剤であるらしい、試験管に入った青藤色の液体を見せてくる。
──タスケテ、アゲテ
「! おい、君っ!」
腕の中にいる青年の体から力が抜けたことに気付き、サジェースタが焦ったように声を掛けるが──どうやら青年は事切れてしまったようだ。やせ細ったその体は栄養状態の悪さを窺わせるもので、おそらく食費さえ削って研究に没頭していたのだろうということが分かる。
サジェースタは唇を噛み締め、青年をそっと床に寝かせてから立ち上がった。
「符正、薬を完成させることはできそうかね?」
「ちょっと待ってください……専門用語が多すぎて……減菌機と液体混合攪拌機が二階の製薬室にあるようで……そこのアンプル三七五号と六四号をこの試験管と攪拌……させて、完成したら点滴パックに注入……だそうです」
「二階か」
「!」
ばりぃん、というガラスの割れる音と同時に符正の体が吹き飛んだ。
薬棚に突っ込んだ符正の小さな体躯が割れた薬瓶や倒れた棚の下敷きになったのを見届けたあと──ようやくサジェースタは現状を認識して叫んだ。
「符正!!」




