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歪─ふせい─   作者: 椿 冬華
本編
7/30

第三世界 【砂漠の世界】 後

「符正」

「はーい?」

「これ、読んでくれ」

「んー?」


 日本でメジャーなチョコレート菓子の中身が溶けていることに顔を顰めていた符正にサジェースタが声を掛け、サジェースタの指差した掲示板に張られている掲示物を読むよう依頼した。それに従って符正が視線を巡らしてみれば、その掲示物はどうやら保護者への案内であるということが分かった。


「──……保育園閉鎖のお知らせのようです。えっと……“近隣住民より騒音被害を訴える声が多くあり、それを受けて当園は今年度末をもって閉園することを決定いたしました”……あー」

「騒音?」

「あー、子どもたちの出す声がうるさいっていうクレームですねたぶん」

「?」


 符正の答えにサジェースタはわけが分からないといった顔で首を捻る。


「砂漠しかないここに近隣住民がいるのかっていうツッコミはさておき……子どもの声がうるさいってどういうことだ?」

「えっと……サジェ様の国にはないのかな。日本では近年、子どもたちの遊ぶ声や騒ぐ音がうるさいということで子ども向けの施設が閉鎖したり、公園での遊びが禁止されたりといったことがあって……」

「はぁ?」


 ますますわけが分からないといった顔でサジェースタは符正を凝視した。


「どういうことだ? 意味が分からんぞ。何故子どもが騒ぐことが問題になるのだ?」

「……そうですよねぇ。それが普通ですよねぇ……たぶん、これがここの“歪み”かなあ……」


 符正によれば日本は少子高齢化が著しく進んでおり、高齢者の増加に伴って高齢者の有する権利が肥大していっているのだという。子どもたちの声がうるさいというクレームを入れるのも高齢者が多く、日本では問題視されているという。


「……意味が分からんな。少子高齢化ならばなおのこと、子どもを最優先にした社会作りをせねば滅ぶというのに」

「仰る通りで」


 両手を挙げて肩を竦める符正にサジェースタは頭が痛いとばかりにこめかみを押さえ、ひとまず考えるのは後回しにして休もうと提案する。


 ◆◇◆


 砂漠の夜は寒い。場所によっては氷点下にもなる極寒の夜だ。

 それを知っているサジェースタは符正を背後から抱きかかえ、その上に子どもたち用なのであろう毛布を大量に纏って防寒をしっかりと施す。


「このまま寝ろ。離れるなよ──凍え死ぬからな」

「ハーイ。サジェ様あったかいですねぇ~」

「……、……呑気だな本当に」


 年齢に見合わぬ無防備さを曝け出す符正にサジェースタがそう漏らせば符正は心外だとばかりにサジェースタの頬を抓った。


「警戒心は人一倍ありますよこれでも! そこらのおっさん相手にサジェ様と同じように接すると思わないでください!」

「……本当かぁ?」

「アラサーですよこれでも」


 ──そういえば三十歳前後なんだったな、とサジェースタは想い出したように腕の中にいる符正を眺める。符正が何歳であろうとどうでもいいことではあるのだが、この年頃の女性が自分を信頼してくれているというのは存外嬉しいものだ、とサジェースタは微笑んだ。──ほんの少しだけ男としてどうなのだという気持ちもなくはなかったが。


「……今日も満月ですね」


 ふと、符正が窓から見える宵闇に浮かぶ巨大な金糸雀色の満月を眺めて零す。


「…………」

「符正?」


 満月を見上げる符正のどこか遠い、今にも消えてしまいそうな儚い表情にサジェースタは思わず符正を抱きしめる腕に力を込めた。

 それに気付いた符正はサジェースタを見上げて微笑み、おやすみなさいとだけ口にしてサジェースタの腕の中に深く潜り込んだ。そんな様子を不審に思いつつも──何も聞くことなくサジェースタもまたおやすみ、と符正に声を投げかける。


 ──そうして砂漠の世界での一日目が無事過ぎた翌日の早朝、ふたりは再び砂漠に足を踏み入れて歩き出した。

 前日と違い、保育園からいくつかの物資を持ち込んでいるため二日目の旅はほんの少しだけ余裕があった。──まあ、符正はそれでも死にそうであったが。

 砂漠を歩いていると道中で保育園と似たような廃屋をいくつか通過したのだが──そのどれもに、子どもたちの亡骸が転がっていた。砂漠を歩いている時にも砂に埋まっている亡骸を見つけたが──おそらく砂に埋もれているだけで砂漠にはもっと多くの亡骸があるのだろう。

 建造物を通過するたびに中に転がっていた子どもたちの亡骸を整えてその魂の安息を祈り、気付けば砂漠の世界に入ってから四日が経過していた。


「……ここは公園の成れの果てでしょうか。ここにいる子どもたちは……十歳くらいでしょうか」


 使用禁止のテープが張られている遊具しかない、ほぼ砂に呑みこまれてしまっている公園──そこで符正はもう見慣れてしまった子どもの亡骸を眺めながらそう言う。

 これまでいくつかの建造物を通過してきたが、通過するたびに子どもの亡骸の年齢が上がってきている。最初は赤子の頭蓋骨。保育園には二歳、三歳程度の子どものミイラ。その次の幼稚園では四歳、五歳くらいの亡骸が見つかった。そういう風に進むにつれて死体の年齢が上がっているのだ。


「子どもが犠牲になるなど……」

「…………サジェ様、あそこにも建物があります。学校かな」


 沈痛そうに唇を噛み締めているサジェースタの手を引いて符正は学校らしき巨大な建造物の方へ向かう。そこへは数十分ほど砂漠を歩くことで辿り着き、門に掲げられている表札から中学校であることが分かったふたりは中に入った。

 やはり、そこも死体だらけであった──が、驚いたことに辛うじて呼吸をしている子どもがいた。ふたりはそれに驚くよりも早く駆け寄り、今にも息絶えてしまいそうな少年を抱き起こす。黒髪黒目の、凹凸の薄い少年だ。おそらくは──いや間違いなく、日本人だろう。


「おいっ! 大丈夫か!?」

「水、飲める?」


 ふたりは少年に必死に声を掛ける。だが少年はもはや声を出すことさえ──いや、見ることさえもままならないのか焦点が合っていない。符正が水で濡らしたタオルを少年の口に噛ませるが、少年の舌が動く気配はなかった。

 そうしてふたりの声が少年に届くことなく──少年は、死んだ。


「…………」

「…………」


 サジェースタは心底悔しそうに歯を食い縛って目を覆い、符正は表情もなく少年の死に顔を眺める。


「…………サジェ様、行きましょう」

「符正?」

「先に進むんです。先に進めば──この“歪み”の核心があるはずです」


 そこで言葉を切り、符正はその濡羽色の目を昏く煌めかせた。


「──()()してやる」


 その昏い声にサジェースタはぞくりと背筋が粟立つのを感じ、反射的に符正の手を引きその小さな体躯を抱き込む。


「──前に進もう。たが、私の傍を離れるな」

「…………? ……ハイ」


 突然抱き締められたかと思えば何か特別なことを言われるでもなく普通にそう言われた符正は思わずきょとんとした顔になった。

 だがその間抜けな顔にサジェースタはひとり心を撫で下ろす。あの昏い符正はそのままにしてはいけない、何故だかそう思ったのだ。


「彼らをそのままにしておくのは心苦しいが──行こう」

「ハイ」


 そうして学校を後にし、再び砂漠を進み始めたふたりだったが──砂漠の終わりは思ったよりも早くやってきた。


「……砂砂漠が、終わりましたね」


 砂丘だらけで果てがないように思えた砂砂漠が唐突に途切れ、色気のない荒野へと変じたのだ。いわゆる岩石砂漠というやつだろう。


「だが建物はいくつか見えるな……人の気配も、ある」


 岩石砂漠の各所には建造物があり、確かに人影らしいものがいくつか確認できた。ふたりはとりあえず一番近いレストランらしき建造物へ向かうことにした。


「すみませーん」


 赤地の看板に黄色の目立つ文字店名板が掲げられているファーストフードのチェーン店に符正が足を踏み入れてみればいらっしゃいませ、と力のない声で出迎えられる。

 中には十五、六歳くらいであろう若い少年少女が色の失せた顔で働いていた。


「すみません、お聞きしたいことがあるのですけれど」


 ──イラッシャイマセ


「えっと、大丈夫ですか? 顔色があまりよくないようですけれど……」


 ──イラッシャイマセ


「……この世界について教えてほしいんですけれど」


 ──イラッシャイマセ


「……チーズバーガーセットひとつください」


 ──イラッシャイマセ


「…………おねーさんヒマ? かわいーね。わたしと今夜どう?」


 ──イラッシャイマセ


「何聞いとるんだお前は」


 少女にナンパまがいの台詞を吐いた符正の頭をサジェースタがはたき、サジェースタは眉間に皺を寄せたまま店内の少年少女たちを眺める。


「……湖の世界にいたヒトガタよりはずっと人間らしいが、どうやら人間ではないようだ」

「そうみたいですね。どうします?」

「他にも建物はある。進もう」

「ハイ」


 それからふたりは岩石砂漠を進み、建物に入っては中の人間と会話を試みるを繰り返した。


 ──オハヨウゴザイマス

 ──ナンメイサマデショウカ?

 ──ゴアンナイイタシマス

 ──モウシワケゴザイマセン


 岩石砂漠に抜けてから通過する建造物は大半が何らかの店であったり職場であったりしていて、中にいる人間は働いていることが多かった。けれどどこに行っても中にいる人間が口にするのは同じ台詞ばかりで会話にならず、ただただ同じ台詞を機械的に繰り返すだけであった。


「──あ、町が見えます」

「……進むにつれて環境は良くなっているな。人間の年齢も上がっていて、死体の数は減っている」


 岩石砂漠の果てには石畳で舗装された町があり、二十代、三十代と思しき人間があくせくと働いていた。


「……みんな働いていますね」

「機械的に、な。そこが気になる」

「機械的か……日本だと模範的だと見做されるのですけれどね。規律正しく、ルールを守って、時間通りに奉仕する──それこそが美徳だとされています」


 わたしも事務員として決められたルール通りに毎日働いていましたし。

 そう言う符正にサジェースタは顎を撫ぜ、ルールを守るのは大切なことだがどうにも何かが欠けているように思える、と口にする。


「──あ、また綺麗になりそうです」


 石畳が敷かれた町からコンクリートで舗装された街に変わり、年齢もぐっと四十代から五十代あたりの人間に変わった。けれどやはり、彼らは働いていた。ひたすら、ただひたすら働いていた。


 ──ナニカゴヨウデショウカ?

 ──ドウゾナンナリトオモウシツケクダサイ

 ──ナニカオコマリデショウカ

 ──ドウゾゴジユウニゴランニナッテクダサイ


 やはり機械的に、模範的に仕事をしている彼らがサジェースタには不気味でならなかった。


「──……なぁ符正」

「はい?」

「彼らは──何のために働いているのだ?」

「え……」


 何のためにって、生活するために──そう返す符正にサジェースタは首を横に振る。


「…………先進国の持つ“歪み”といったろころだろうか」


 サジェースタは考え込むように顎髭を何度も撫ぜながらひとまず休憩しようと符正に提案し、オープンカフェのテラス席へと向かった。

 機械的に水を置いてくれた店員に礼を言いつつふたりは水を飲んで一息つく。


「ここらはお店よりも商業ビルの方が多いですね」


 コンクリートで舗装された街は大型の建造物や高層ビルが多く、そこにいる人間たちもスーツ姿であることが多かった。生気のない顔でひたすら働き続けているサラリーマンというのは現実世界の日本においても朝や夜によく見かけていたので符正にとっては特別気になるものではない。だが──エリモス王国という、先進国には数えられない小国の出身であるサジェースタには不気味に映るようで、先程からずっと眉を顰めている。


「──……あ、おじいさん」


 四十代の人間たちが無表情で歩いている中、七十を過ぎているであろう老人が杖をつきながら歩いているのが見えて符正は首を傾げる。

 するとそんな符正の視線に気付いてか、老人がこちらに向かってまっすぐ歩いてきた。


 ──ナマケルナ!!


「ッ!! サジェ様!!」


 がつん、とサジェースタの前に躍り出てきた符正の頭が杖で勢いよく殴られる。その衝撃のまま地面に頭を打ち付け倒れた符正に、一瞬の出来事で反応できずにいたサジェースタが顔色を変えて名を叫ぶ。

 突然杖を振り上げてきた老人は怒りの形相を崩さぬままに、なおも声高に叫んだ。


 ──ワカイモンガダラシナイ!!


「何を──何をする!!」

「サジェ様下がってください!」


 激昂したサジェースタの腕を地面に倒れ伏していた符正の手が掴み、杖が届かぬ距離へと退けられた。符正は頭から血がどくどくと流れているのも構わずサジェースタを背後に庇ったまま老人を睨み据える。


「符正!」

「ここの“歪み”の正体、分かりました」


 ──メウエヲウヤマエ!


「サジェ様、先程──何のために働いているのか、問われましたよね。──現代日本において社会問題となっていることのひとつです」


 高齢化社会による高齢者の増加。

 それに伴う高齢者支援に係る負担の肥大。

 若年層の権利は認められず高齢者の権利ばかりが求められ。

 自分や子どもの未来のために働いていたものが、高齢者の生活を保障するために働くものに変わってしまった。


「ここの“歪み”──それは“過信”」


 自分たちこそが至上であると過信し、自分たちは優先されて然るべきだと過信し、若い者たちは苦しい思いをしても若さで乗り越えられると過信し、若い者を守らなくとも社会は動くと過信する。


「苦労は買ってでもしろ──そう言うけれど、だからといってしなくていい苦労を売りつけるのは違う! ここの人たちに生気がないのは当たり前だ──生きるために働いてなんかいないからだ! あの人たちは働くために生きているに過ぎない──だから、目が死んでいるんだ」

「……医療やサービスが発展しすぎたが故の弊害、というやつか。先進国故の社会問題だな」


 ──モットチャントセンカ!

 ──ワカインダカラモットガンバリナサイ

 ──オマエノカワリナンテイクラデモイル

 ──レイギノナットランヤツダ


 気付けばそこら中に老人たちが集っていて、サジェースタと符正に対して怒りの声をぶつけていた。


「うるさい! お前たちが死なないで子どもたちが死ぬ世界なんて──()()する!」


 老人たちの怒鳴り声を圧し潰す勢いで怒鳴った符正は傍にあった椅子を持ち上げ、老人たちに向かって勢いよく投げつけた。


「待て符正! 応じるな!」

「こいつらにまで耳を傾けるのですか!? 子どもたちを殺したのはこいつらですよ!?」

「分かってる!! 興奮するな!!」


 サジェースタは符正を背後から抑えつけて引き摺るようにオープンカフェから逃げ出す。それを追うように老人たちが声高に若者の怠慢を罵ってくる。


 ──ウルサイシズカニシロ!

 ──サイキンノワカイモンハスグキレル

 ──ワレワレガワカイトキハモットドリョクシテイタ

 ──アマエルナ!!


「……! こいつらは……こいつらはここで()()しないとだめです!! サジェ様!! あなたが“王”だというのならばあなたこそ! 未来を守るために──国を担うことになる子どもたちを守るために()()しないといけないでしょう!?」


 ずるずると符正を引き摺ってオフィス街の中を逃げ惑っていたサジェースタの腕をがぶりと噛み、サジェースタが怯んだ隙に符正は抜け出して老人たちを憎悪のこもった目で睨む。何処までも昏く、澱んだ憎悪に揺り動かされるまま符正は地面に打ち捨てられていたビニール傘を拾い上げて老人たちに向かって駆け出した。

 殺すために。

 自分たちのことしか考えぬ害あるモノを壊すために。

 “歪み”を正すために。


「やめんかァ!!」

「がぁっ!!」


 がいん、と符正の頭が勢いよく地面に叩きつけられて符正の口から苦痛に満ちた声が漏れる。

 符正を追い、符正が老人たちに危害を加える前に背後から符正の頭を掴んで勢いよく叩きつけたサジェースタはそのまま符正に馬乗りになり、体を抑えつける。


「落ち着け!! なにも私はアレらの言葉や行動を許容しろなぞ言っておらん!!」

「じゃあ何故庇うんですか!? あいつらがいる限り未来はないんですよ!?」

「アレらが“全て”ではなかろう!?」

「──……!?」


 サジェースタに反抗して暴れていた符正の体がぴたりと大人しくなったことにサジェースタはほっと一息つき、けれどそれでも符正を抑えつけたまま落ち着いた声色で語りかけた。


「高齢者の全てがアレらというわけではなかろう? それとも──君の国に住む高齢者は全てアレらと変わらないのかね?」

「…………」


 そう問われ、符正は言葉に詰まったように二の句が継げなくなる。

 それを図星と取ったサジェースタは続けて優しく符正に語りかけた。


「“悪い面”というのはな──それが悪意であれ悪口であれ犯罪行為であれ、悪質なことに目立つものなのだ。善き面がどれだけ多かろうと、悪い面が表出するだけでその面が“全て”であるかのように見えてしまう」


 それは生物の本能故か。

 敵意や害意のある存在を排除しなければならないという生存本能故だろうか。

 それまで多面的に見ることができていた物事でも、その一面に悪意が混じればそれだけで全てが悪意に染まったものに見えてしまう。

 そういう時こそ──“人間”である我々は冷静にならなければならない。

 そう言ってサジェースタは符正の腕を取って立ち上がらせ、もうそこまで迫ってきている老人たちから逃げるように駆け出した。


「すまん、手荒にした。つい……脳震盪は起こしていないようだが出血がひどい。何処かで手当てしよう」

「……いえ、大丈夫です。なんか……もう癒え始めているので」


 符正の言葉にサジェースタが目を丸くして視線を向ければ、確かに頭部の傷口が少しずつ再生していた。それを見て草原の世界の時の自分を思い出し、サジェースタは安心したように息を吐く。


「……“全て”ではないというのなら、じゃあどうするんですか?」

「“悪い面”に気付いている者たちで変えていくしかなかろうよ」


 高層ビルのひとつに逃げ込むように入り、無表情で働いている人間たちとすれ違いながら身を隠すように会議室らしき部屋へ潜り込んだふたりはそのまま壁に凭れかかって一息ついた。


「符正、傷見せろ」

「わっ」

「……完全に癒えてるな。痛みは?」

「もうないです」

「そうか。よかった」


 サジェースタは微笑み、符正の頭を撫ぜながら改めて符正の目をまっすぐに見据える。


「あの場でお前を止めたこと──納得していないだろうが、あの場で彼らを全員倒したとしてその後どうするつもりだったのだ?」

「…………」

「短絡的に解決しようとするな。お前の怒りは痛いほどに分かる──だが、冷静にならねば事態は悪化するだけなのだ」


 こつり、と符正の額にサジェースタの額が当てられる。額越しに伝わってくるサジェースタの温かさに符正は自分の体が冷え切っていたことに気付く。


「私の国にはあまり馴染みのない社会問題だったが……個人的に分析させてもらうに、これは高齢化社会に社会制度が対応し切れていないのが問題だな」


 増加していく高齢者と、変わらぬ社会制度。

 制度の恩恵を受ける者が増えれば負担も増えるのは当然のことである。

 見直すことをせず、変えることをよしとせず、負担だけを増やしていく。


「高齢化社会に限らない問題だろうな。変化に応じねばいつか破綻するのは何処でも同じことだ。肝心なのは──その事実に気付き、変えようとしている者たちだ」

「…………」

「子どもたちや若者たちが圧迫されている社会に危機感を覚えている高齢者も多かろう? 横暴な者たちに反抗しようと動く若者たちもいるはずだ。“王”たる私がすべきなのは──彼らの“声”を目立たせることだな」


 サジェースタの言葉に符正の目がゆるりと丸くなり、黒真珠のように丸い瞳がサジェースタの目を見つめる。驚きではなく──それが“普通”であることに気付いたような、そんな目であった。


「王という立場上、どちらか一方に味方するわけにはいかない。だが、敵意や害意、悪意によって目立たなくなってしまっている面に光を当てるのは王の仕事だ。公正な判断を民にさせるべきだからな」


 ──とは言っても、臣下がひとりもいない私がこの世界に対してできることなぞさっぱり思いつかんのだがな。

 そう言って大きなため息を吐きながら符正の肩に顔を埋めたサジェースタに符正は今度こそ驚きに目を丸くする。相当悩んでいたようだ──確かに王ひとりで悪意に隠れてしまっている反対勢力を掻き集めるなど、大変どころではない話だ。


「…………よしよし」


 肩に顔を埋めているサジェースタの後頭部を撫でながら符正は先程まであんなにも感じていた怒りが雪解けのように融解してしまっていることに気付いて不思議な気分になる。


「……ごめんなさい。考えなしでした。……探してみましょうか。この事態を悲しんでいる、人を」

「ああ、そうだな」


 肩から顔を上げてサジェースタは符正に微笑みかけ、それに対して符正も微笑み返した──その瞬間であった。

 窓の外が音もなく白い光に包まれ、ふたりが驚く間もなくふたりの体も窓から侵入してきた白い光に包まれ──全てが、白く染まった。

 純粋で無垢、純潔で清廉、純真で高潔な──光。

 影という影が全て吸い取られ、光だけがそこを満たす中サジェースタは無意識にか、咄嗟にか腕の中にかき抱いていた符正を離さぬよう力を込めながら目を閉じても侵入してくる白い光に耐えた。

 それはおそらくほんの数秒ほどだっただろう。

 けれどサジェースタの目が正常に機能するようになるまで、およそ数分の時間を要することになった。


「く……!」


 ようやく目から痛みが抜け、目を開けられるようになったサジェースタはゆっくりと目を開ける。

 そして真っ先に飛び込んできたのは──笑顔で遊ぶ子どもたちの姿であった。声は聞こえない。だが、笑い声を上げているかのように満面の笑顔で転がるように子ども同士で公園で遊んでいた。


「ここは……」


 ふたりはいつの間にか公園の砂場の上で立ち尽くしていた。家族連れが多く集っている平穏な公園、そこの砂場で茫然と立ち尽くしているふたりの姿は──些かシュールであった。


「浄化……されたんですかね?」


 符正もようやく視覚が正常に戻ったのか、目を擦りながら辺りを見回している。


おそらく……な」


 サジェースタはそう答え、腕の中にいる符正をじっと見下ろす。

 その視線に気付いて符正が見上げてきたが──サジェースタは何も言うことなく、符正の頭をぐりぐりと乱暴に撫ぜた。


「うわわ!」

「──子どもたちに笑顔が戻ってよかった。さあ、何処かで休むとしよう……疲れただろ?」

「あ、ハイ! やっぱり公園はこうでなければですねぇ~」


 声はしないものの、楽しそうに談笑している家族連れや笑顔で泥だらけになっている子どもたちの姿は見ているだけでとても心安らぐ光景だった。高齢者たちもいたが、みな子どもたちの遊ぶ姿を微笑ましそうに見つめている。


「──サジェ様」

「ん?」


 符正の手を引いて歩いているサジェースタに声を掛ければちらりと視線を寄越してくれ、その視線に符正は笑顔を向ける。


「わたしを止めてくれてありがとうございます」

「──……乱暴にされて感謝するとは、なかなかにドMだな」

「違う」


 スパァン、とサジェースタの後頭部が勢いよくはたかれた。そしてふたりは噴き出すように声を上げて笑い合う。


 ──“歪み”は解決されど謎は解消されず。

 ──旅の目的も旅の終わりも旅の首謀者も。

 ──なにひとつとして分からぬままなれど。

 ──旅はさらに続く。歪みを正す旅は続く。

 ふたりの旅は、まだ終わらない。



【過信】



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