第一世界 【草原の世界】 後
「本当に汚いな」
「ええ。これが“歪み”とやらなんですかねぇ?」
再び両手を川に沈めてざばざばとゴミ拾いを再開した符正の言葉にサジェースタはふむ、と頷きながら腰を屈める。
「“歪み”か……」
歪みを正す旅。
“声”は確かにそう言っていた。
「そもそもあの“声”が何者なのか、だな……」
「カミサマじゃないですかね」
カミサマが人間に与えた罰──そんな感じっぽかったです、と符正は言う。確かに神の啓示を受けたというのが一番しっくり来る流れではあった。だが神など実在するのか、とサジェースタは疑問に思う。
「実在すると思うかね?」
「さァ……見たことないので。カミサマ」
どうやら符正は特定の宗教を信仰しているというわけでもないらしく、神の存在についてどうでもよさげであった。サジェースタは国王という身分上、国教を尊んでいても深入りはしていない。そのため符正と似たようなものであった。
「カミサマじゃないとしたらVR──仮想現実空間が連想されますけれど、こんなにも現実的な体感を再現できるほどの技術はまだありませんし……」
昨今、世界的にVRゲームというものが注目されている。現実世界とは違う仮想現実を体感し、楽しむゲームであるが実装されているのは視覚的情報と聴覚的情報のみだ。嗅覚も実装されているところはされているようだが、全身をそのまま仮想現実に沈めるようなVRゲームは存在しない。小説や漫画などには脳に直接コンタクトを取ることで脳そのものに仮想現実を見せ、電脳空間で自由に動き回るというものが多く見られるが──現実世界では未だ到達できていない技術だ。
「まあこればかりは考えても不毛ですね。カミサマってことにしときません? 面倒臭いし……」
「そっちが本音か。まあ、不毛というのは同意だ。情報が足りなさすぎる」
川に沈んでいた空き缶を川辺に放り投げながらサジェースタは符正の方を見る。
「君の言う、カミサマとやらの仕業としよう。カミサマは人間が世界を歪めたと断じていて、それを人間に正させようとしている……」
「同じヒトなれど現世は同一にあらず。同じヒトなれど欲望は同様にあらず。同じヒトなれど幸福は同種にあらず。同じヒトなれど苦痛は同等にあらず。故に歪みは生まれる。歪みは正さねば歪む。歪んで壊れゆくだけ。故に正さねばならぬ。歪みを正す旅に代表者を選ろう。同じヒトなれど異なるヒトたち。此の世界を歪めたヒトの代表者。さあ、歪みを正す旅へと出そう」
つらつらと、感情もなく単調に例の“声”が言葉にした内容を符正は繰り返す。よく覚えているものだ、とサジェースタは感心しつつ符正が繰り返してくれた内容を吟味する。
「人間による“歪み”とこの状況を結びつけるならば──水質汚染といったところだろうな」
「そうですねー。川、湖、海、地下水──色んなところの水を人間が汚してますもんねぇ」
水質汚染。水質汚濁。海洋汚染。人間の行動によって引き起こされた水源の状態悪化のことを言うが、この川はまさにそれを象徴したようなものである。生活排水や産業廃棄物などによって川が元の状態からはかけ離れた有害な状態となってしまっている。
「歪みを正すのがわたしたちの役目なら、やっぱりこの川を綺麗にしなさいってのがカミサマの言いたいことですかねぇ?」
「……どうだろうな」
「無茶ですよねー。たった四人でこの川綺麗にしろって、どんだけ時間が……あ、だから死後なのかな。死んだら時間関係ないですもんねぇ……賽の河原の石積みじゃあるまいし」
「四人にしても、後の二人は川掃除を手伝ってくれるとは思えんがね……」
「あー、“財力の世界”と“暴力の世界”の代表者ですよね。サジェ様は“権力の世界”で、わたしは“普通の世界”ですから」
「だと思うが……どこにいるのやら。そもそも、何故私たちなのだろうな」
「そうですねぇ……サジェ様はあれです、名君と名高い王様だから」
「……先程から気になっていたのだが……何かね、その呼び方……」
「あれ、お嫌でした?」
ゴミを拾う手を止めて符正がサジェースタを見上げながら首を傾げる。
「いや、別に嫌というわけではないが……そのような呼ばれ方をしたのは初めてでな。驚いた」
「そうなのですか? だって、サジェースタ様って長いじゃないですか」
「長いってお前」
「──それにわたしたち、もう死んでしまっていますから。少しくらいくだけてもいいかなあって」
「…………」
サジェースタにそう言った符正がどのような気持ちだったのか、推し測れない。一体どのような想いからその言葉を紡いでいるのか──サジェースタには分からない。
けれどそれでも、サジェースタには符正がどうしようもなく孤独であるように見えた。
「まァ好きに呼ぶといいさ。符正」
「ハーイ」
符正はにっこりと屈託のない笑顔を浮かべ、鼻歌混じりにゴミ拾いを再開した。なんとも掴めない女性だ、と思いながらサジェースタも川に手を沈める。
──それからどれくらい経っただろうか。気が付けば随分と大量のゴミが川辺に犇いていた。流れ出る汗を二の腕で拭いながらサジェースタは符正に声を投げかける。
「符正。疲れてはないかね?」
「ん? 疲れ……てるんですかねぇ? ずっとこの作業していますけど……疲労感があまりないんですよね」
その言葉にサジェースタはそういえば、と己の体を顧みる。随分と長いことゴミ拾いをしていたはずだが、疲労感が薄いのだ。よく感じようとしてみれば疲労感の存在に気付くが、気にしなければ元気だと思ってしまいそうなほどに──薄い。
「……そういえば、私たちは死んでいることになっているはずだが……肉体はどうなっているのだ?」
「そう言われてみると、そうですね。今のわたしたちどうなっているんでしょう?」
死んだ自覚はある。死んだ確信もある。だが体は温かく、心臓は動いているし五感もきちんと機能している。死んだはずなのに死んでいない。死んでいないように感じるけれど確かに死んだ。そんな奇妙な矛盾が腹の奥で渦巻いて気持ち悪いとサジェースタは感じ、息を大きく吐いた。
「分からんことだらけだ」
「全くです。カミサマも不親切ですねぇ~」
符正はそう言って手に持っていたビニール袋を放り、未だ何も変わらず汚れている川を眺める。
「それに、たとえわたしたちが“歪み”を正したって──無駄でしょうに」
「ん?」
「だってそうでしょう? この川が“歪み”だとして──掃除していればいつか綺麗になりますけれど、現実世界の人たちがまた汚せば同じことです。わたしたちだけがやったって意味がないのに」
「……そうだな」
それは環境問題において最も肝心となる部分である。
いくら汚れを取り除こうと、その汚れを生み出す人間の意識が変わらなければまた汚れていくだけである。環境を良くしようと考えるならばまず──汚す人間の意識を変えるところから始めなければならない。
「ゴミを川に捨てちゃいけません、みんなで綺麗な川にしましょう──ってカミサマがみんなに啓示すればいいと思うんですけど」
「確かにそうだが……そうなるとまた疑問のぶり返しだな。この世界は何なのか、“声”の正体は何なのか、何故こんなことをしたのか、“歪み”とは何なのか、何故我々なのか──」
「あーもー! 出てこいカミサマ!」
結局は何も分からぬ現状に憤って符正が天に向かってそう怒鳴りながら腕を振り回す。キャンキャンと吠える子犬のようだ、などと考えながらサジェースタも同じ気分であった。出てこいカミサマ。
その瞬間ばじゃん、と符正の傍で水が大きく跳ねて符正がきゃんっと吠える。
「びっくりした! 何ですか!?」
「符正落ち着け、魚だ」
驚いてわたわたとしている符正の手を掴んでサジェースタが落ち着かせ、指差す。その先には汚れた水にも関わらず元気よく泳いでいる紺色の魚がいた。
「ほんとだ。……鯉ですね」
「コイ? ……聞いたことはあるな。我が国にはいないが……どんな水でも適応し、生きる魚だと」
「ええ。鯉は雑食で生命力も非常に強くて……どんなドブ川でも生きていけると言われているのですが、逆にその生命力の強さが仇となって……生態系を破壊しかねない有害魚にもなっているんです」
「ああ……外来種問題だな」
鯉だけではない。人間の繁栄によって人間が世界中のありとあらゆるところへ容易く移動できるようになり──その際に意図の有無関係なしに持ち込まれた外来種の生物によって、その地の生態系や環境状態が狂う。そんな問題が世界各地で頻発しているのだ。
「これも“歪み”とやらですかねぇ? ……よくこんな川で生きていけるなぁ~」
「……“歪み”か。……そもそもの話なのだが、歪んでいるのは我々の認識の方やも知れぬな」
「わたしたちの?」
その言葉にサジェースタはうむと頷き、汚れた川の中で元気よく泳ぎまわる鯉を見つめる。
「人間が自然を破壊した。人間が生態系を狂わせた。人間が地球を傷付けている──我々はそんな認識でいるが、そもそも人間も自然の一部なのだ」
「それは……そうですね。人間もまた地球の一部……ああ、そうか」
綺麗な水の定義を決めているのは、人間でしたね。
そう言って納得したように唇を尖らせる符正にサジェースタも頷いた。
「水質汚染を引き起こしているのは人間であることには間違いないが、その水質汚染の定義を定めているのもまた──人間だ」
地球が“汚れています”と自分から言ったわけではない。人間が引き起こした水質汚染によって死にゆく動植物たちが“どうにかしてください”と訴えてきたわけでもない。全ては人間が自分本位で決めてきたことだ。
「人間が汚して、その結果元いた生物たちが死んでいくのもまた自然の摂理──自然淘汰。極論ではありますがまあそういうことですよね」
「うむ。だから“歪み”がこの川を指しているのだとすると、そう定義づけたのは人間ということになる」
「もしかしたらカミサマ──地球さんが“俺の体汚してんじゃねーよ”って怒ったのかもしれませんよ?」
おちゃらけるように笑いながらそう言う符正にサジェースタは呆れたように頬を緩め、それもあり得ぬことではないと言った。
「結局どう考えても最終的には“本人に聞かないと分からん”のだがな」
「不親切ですよねぇホント。使命をわたしたちに課すんだったらこう、カミサマが出てきて“さあ、行くのだ選ばれし四人の勇者たちよ……”って伝説の剣と一緒に送り出してくれるとかですね……」
「何だそれは……」
「王様がひのきの棒と十Gくれて送り出してくれるとか」
「私はそんなことせんぞ」
「そういえばサジェ様も王様でしたね。ひのきの棒ください」
そう言う符正にサジェースタは無言で川から拾い上げたバールのようなものを差し出す。符正はいい感じの棒ですね、と喜々として受け取った。
「しっかし“歪み”の内容が特定できないとなると、この川掃除ももしかしたら無駄足に終わるかもしれませんね」
「そうだな。だが……私は悪くないと思うぞ。理由がどうであれ、川を綺麗にしたいと思う気持ちは尊重すべきだ。それは自分たちを守ることにも繋がる」
人間は色々と理由付けて環境の保全に走っているが、突き詰めてみればそれは自分たち人間が生存していくために必要なことなのだ。汚れた水を飲めば体を壊す。汚れた水は土壌を腐らせる。汚れた水では魚が死に、食糧が減る。そんな過去の積み重ねが人間の生存本能を刺激し──今の価値観を生んだのだ。
「何も分からぬ状況だからこそ、頑張ってみようではないか──符正」
「ハイ!」
符正が元気よく返事してサジェースタが笑い返した、その時であった。
ばきばきばき、とふたりの背後から不穏な音が聞こえてきてふたりは一斉に振り返る。
「え……」
「何だと!?」
符正とサジェースタがこれまで川から拾い上げ、積み上げてきた大量のゴミ。
それが集合体となって、一匹の巨大な蛇を模してそこにいた。ぎじぎじと不快な金属音をあちこちで鳴らしながらゴミの塊はゆっくりとサジェースタと符正にその鎌首をもたげる。
「いかんっ、避けろ符正!!」
「きゃあ!!」
がじゃあん、と轟音を轟かせながらゴミの塊がふたりに圧し掛かるように体当たりをした。
「いたた……サジェ様!!」
間一髪、サジェースタが符正を抱えて川から転がるように上がったお陰でふたりともゴミの塊に圧し潰されずに済んでいた。しかし符正を庇った拍子にゴミの塊が背中を擦ったのか、サジェースタの背はひどく裂けていた。服ごと皮膚と肉が抉れ、血がぼたりぼたりと地面に滴り落ちている様子に符正は顔色を変えてサジェースタの体を抱え込む。
「大丈夫ですかサジェ様!」
「ぐ、ぅう……」
「くっ……」
符正は周囲を見回すが、汚れた川にゴミの塊、荒れ果てた大地とろくなものが見当たらない。止血しなければならないのもそうだが、このままでは傷口から細菌が侵入して感染病にかかってしまうだろう。
符正はとりあえずこの場を離れることを考え、サジェースタの腕に己の首を潜らせてその体を支えた。自分よりも二十センチ以上高く、がたいもいいサジェースタの体であるが符正は難なく支えている。意外と怪力なのだろうか。
──キレイニシナイト
──サカナノタメニ
──ワレワレガマモラナイト
──チキュウノタメニ
「っ!」
ぎちぎちと軋み唸るゴミの塊から金属音を組み合わせて無理矢理単語を創り上げ言葉にしたような、そんな甲高い音が鳴り響いて符正とサジェースタは顔を歪める。
同時にゴミの塊から滲み出るようにして毒々しい色の泡が出てくる。その泡には河原でゴミ拾いをしているらしい、人々の姿が映っていた。ぎいんぎいんと鳴り響く声はこの泡と一緒に出ているようであった。そうしてやがてぱちんと泡が弾けて消えると、音も止んだ。
「これは──」
「来る! 走りますよサジェ様!」
符正がサジェースタの体を支えたまま走り出し、サジェースタも痛む傷を無視して必死に足を動かす。背後から突進してきたのであろうゴミの塊の轟音が響いてきて、サジェースタはどうすべきか歯軋りをする。
──キレイニシマショウ
──セカイノタメニ
──ワタシタチガヤラナイト
──チキュウハコマル
そんな声と同時にぷかりと現れた泡には、子どもたちに向けて笑顔で語りかける大人の姿が映っていた。
「さっきから聞こえてくるこの声は……」
「あのゴミの塊が出しているので間違いないと思いますけど──やかましいですねこれ! 耳が痛い!」
含有するゴミを擦り合わせて作り出した音を繋ぎ合わせ、強引に言葉を作り上げているだけのそれはとても耳によろしくない音である。符正がそう言うのも無理ないだろう。
だがサジェースタは不快さよりもその言葉の内容が気にかかり、あえて耳を澄ましていた。
──チキュウノタメニ
──ワレワレニンゲンガ
──ニンゲンガヤラナケレバ
──チキュウガカナシム
環境を破壊するなという抗議活動に勤しんでいるらしいデモ隊の姿が映った泡。
「……まさか、これが“歪み”か?」
「え!? だったらアレぶっ壊せば解決ですか!?」
「それは分からんが──うおっと」
またもや突進してきたゴミの塊を横に飛び跳ねることで避け、そのまま勢いを殺し切れず岩場に突っ込んでいったゴミの塊を眺める。
「──“傲慢”」
「え?」
「……たぶんな」
あのゴミの塊を“歪み”だとするならばその名は“傲慢”だろうと推測し、サジェースタは目を細める。
「よくわかりませんけど……とりあえず、アレぶっ壊せばいいんですよね?」
「落ち着け。壊すと言っても何十メートルもある蛇のような怪物だぞ」
悪臭の中延々と作業を続けた上に不快な音をこれでもかと聞かされたからか、符正の目は据わっていた。
「安心してください、わたし怪力なので!」
「そういう問題かね!?」
サジェースタの突っ込みを無視して符正はサジェースタをその場に降ろし、手に持っていたバールのようなものを強く握り締める。まだ持っていたらしい。
──ワレワレニンゲンガホゴシナケレバ
──ワレワレニンゲンガマモッテヤラネバ
──ワレワレニンゲンガヤッテアゲナケレバ
──ダッテ、ニンゲンニシカデキナイ──……
学会で高らかに演説しているらしい学者の姿を映している泡。
「うるっさいなぁもう!!」
ぎいんぎいんと鳴り響く金属音に符正は怒鳴り返し、バールのようなものを握り締めたまま駆け出す。サジェースタが制止の声を上げるが、符正には届いていない。
「てぇや!!」
のっそりと頭を持ち上げてこちらに振り向いていたゴミの塊の──頭らしき部分、に向けて符正はバールのようなものを勢いよく振り下ろす。元々がゴミであるためか頭部は容易く砕け、がじゃがじゃとゴミがあたりに散らばる。
──ニンゲンハエイチアルイキモノ
──ニンゲンハバンブツノレイチョウ
──ニンゲンコソガシジョウノイキモノ
──ニンゲンハスバラシキソンザイ
ぼわり、ぼわりと高らかに人間について語る大人の姿が映し出された泡が大量に排出される。それに符正は不快そうに眉を顰めた。
「うるさい! 人間は人間だ!」
お前たちなんて否定する!
そう符正は叫び、腕を振るった。がじゃん、がじゃんと符正の腕が振り下ろされるたびにゴミがばらけていく。けれど人間が生み出したゴミは無限大に存在する。
「人間が自分本位で地球の代弁者であるかのように語る“傲慢”……自分たち人間こそが万物の霊長であると疑わぬ“傲慢”……自分たちも自然の一部であることを忘れ支配者であるかのように振る舞う“傲慢”……それが“歪み”」
符正による一方的な破壊活動を眺めながらサジェースタはそう呟き、痛みを押し殺してゆっくりと立ち上がる。不思議と先程よりも痛みは引いていた。
「…………」
サジェースタは符正の元へ歩み寄り、サジェースタに気付いて振り向いてきた符正にそのまま破壊し続けて気を引くよう依頼する。符正は何も聞き返すことなく頷き、再びゴミの塊をぶっ叩き始めた。
──チキュウヲキレイニシマショウ
子どもたちに優しく語りかける先生。
「うむ。人間が生きていくためには必要なことだ」
──チキュウガカナシンデイル
地球の代弁者として哀しそうな顔をする女性。
「それは分からんなぁ。だが地球の立場に立とうとする姿勢は大切だ」
──ニンゲンガヤラナケレバチキュウハホロブ
環境保護活動に勤しんでいる老人。
「それも分からんなぁ。汚れていくことが地球にとって不本意であるのかどうか分からんからな。だが、そう考えることによって自らを戒めることは重要だ」
──ニンゲンハバンブツノレイチョウデアルカラニ
環境保全について研究している研究者。
「万物の霊長か。それはどんな生き物にとってもそうであろうな。自分たちが生き残るためにならばどんなことだってするであろう」
──ニンゲンガチキュウヲケガシタ
デモ隊を引き攣れて怒りを露わにする男性。
「そうだな。だが人間はその数と活動範囲故に規模が大きいだけで、生きとし生けるものは全て地球を汚していると言っても過言ではない」
──ダカラニンゲンガキレイニセネバナラヌ
ボランティア活動を呼びかけている政治家。
「ああ。それは正しい。綺麗にせねば人間たちが生きていけぬからな」
──ニンゲンガイナケレバミナヘイオンニイキテイタノニ
動物たちの世話をしている飼育員。
「うむ、人間がいなければ野生の動物たちが生存するために殺し合うだけの世界だっただろうな」
──ニンゲンハハンセイシナケレバナラナイ
環境破壊について学んだ子どもたち。
「その通りだな。自分たちの驕りを自覚し、改める必要はあるだろう。だがその驕りもまた──人間というものだ」
──ニンゲンハ、ユガンデイル
聴衆たちに向かって怒鳴っている学者。
「そうだな。歪んでいる。そう自分たちを呼称することもまた、驕りのひとつなのだろうな。だから“人間”と言うのだ」
人間という生き物の歪み。
“傲慢”という名の歪み。
──そうではないのだ。
“歪み”があるからこそ人間なのだ。
“傲慢”であるからこそ人間なのだ。
「“傲慢”は“歪み”ではない」
だってそれが人間なのだから。
「むしろそれらを“傲慢”だと断定する行為こそが“歪み”ではないかね」
“傲慢”を指摘することこそが“傲慢”である。
サジェースタが微笑みを浮かべながらそう口にした、瞬間だった。
ゴミの塊が眩かんばかりの白い閃光に包まれ、サジェースタと符正は思わず目を瞑る。光だけではない。それまで感じていた悪臭が爽やかな青い草の香りに塗り替えられ、肌で感じていた不快な湿った空気は心地よいそよ風に吹かれ消え失せ、体中に張り付いていた汚物も冷たくさらさらとした水に拭い取られるような感触を覚えた。
それはほんの数秒ほどの出来事であったが──目を瞑っていたふたりは光が落ち着いたことを確認し、恐る恐る目を開ける。
──そして、驚愕の声を上げた。
「えぇ!?」
「ぬっ!?」
──そこに広がるは、果てしない草原と何処までも続く青空。それに清涼な水音を立てて流れる透明な川。
先程とは真逆の光景を前に、ふたりは茫然とその場に立ち尽くす。
「なに……あれ……月? 月の向こうに……大地?」
空を見上げながら放心したように呟く符正に倣ってサジェースタも空を見上げてみれば、そこには奇妙な光景が映っていた。
空には青空が広がっている。そこは現実世界と変わりない。
だがしかし、その青空の中心にぷかりと球体が浮かんでいた。月のような模様をしているが、月にしてはあまりにも大きすぎる。──近すぎるのだ。
そして何より。
その近すぎる月を中心にして青空の中に──大地が、広がっていた。
意味が分からないと思うが、そうなのだから仕方ない。青空が広がっているのに遥か天の向こうには大地が広がっているのが見えるのだ。意味が全然分からない。
「なにこれ……」
「わからん……」
「……あっ! サジェ様、怪我は!!」
ハッと思い出したように符正は慌ててサジェースタに駆け寄り、背中を確認する。──だがしかし、そこに傷は存在しなかった。傷どころか──破れていたはずの服さえも元通りになっている。
「あれ?」
「そう言えば……いつの間にか痛みを感じなくなっていたな」
「あれぇ?」
ばっ、とサジェースタの服を脱がして背中を確認する符正にサジェースタがやめんかと一喝する。
「どうしてでしょう……」
「さあな……ともかく、君も服を着たまえ」
サジェースタにそう言われ、符正は自分が下半身を露出させた格好のままであることに気付く。いそいそと自分の服を置いてきたであろう岩場へ向かう符正を見届けながらサジェースタは顎を撫ぜた。
「……歪みを正す旅、か」
正直──サジェースタには何が起きていたのか理解が追いついていない。
それも当然であろう。突然歪みを正せと殺され、気付けば腐った大地に寝かされていてとりあえず移動してみるものの、今度は腐った川に辿り着いて。そこで符正と出会い、“歪み”とは人間による水質汚染のことなのではないかと話しながら川掃除をしていたらゴミの塊に襲われ──人間の傲慢さを象徴するような声に対して返事をしていればいつの間にか綺麗になっていた。わけが分からない。
「頭が痛くなるな……」
「大丈夫ですか? サジェ様」
頭を押さえて唸っていたサジェースタに声が掛かり、顔を上げてみれば服を着こんだ符正がそこにいた。
膝上まであるベージュのダッフルコートの上から白いマフラーを緩やかに巻き、そこに濡羽色の腰まである長く癖のない毛を下ろしている。毛先はまっすぐに切り揃えられていて、符正のまん丸な目によく似合っている。ダッフルコートからは黒いタイツに包まれた足が伸びていて、全体的に冬らしい出で立ちであった。
「状況がわけ分からなくて少し頭痛がしてな……その恰好でここに来たのか」
「ええ。庭でね、家族とバーベキューしていたんです。牡蠣をね、手のひらくらいあるでっかい牡蠣を焼いていたところだったんです。あと少しで、あと少しで焼けるってところで“声”が──」
ちくしょう、と本気で悔しそうな顔をする符正にサジェースタは苦笑し、ひとまず腰を下ろして休もうと提案する。それに符正は同意し、ふたりで草原の上にべたりと座り込み岩に凭れかかった。
「──……なんか疲れましたねぇ」
「そうだなぁ……色々ありすぎた」
ふー、とどちらの口からも大きなため息が漏れる。
何はともあれ──綺麗になってよかった、とふたりは笑い合ってゆっくりとその身を休養に沈ませる。
【傲慢】




