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歪─ふせい─   作者: 椿 冬華
本編
22/30

第十一世界 【氷の世界】 前

第十一世界 【氷の世界】


 ネオンが煌めく夜の繁華街。

 艶やかな衣装に身を纏った美女たちと高級感あふれるスーツに身を包んだ美形たちが色を帯びた眼差しでこちらを見つめてくる。


「さて、ちょい遊んで──」

「ゴル、拘束して」

「オーケイ」

「!? おい何をする! 離せゴルドル!」


 ゴルドルのスカーフによって後ろ手に拘束されたニコラウスは悪態を吐きながら暴れるが、それをゴルドルは力ずくで抑え込む。力関係で言うならばニコラウスの方が強いのだが、拘束してしまえばゴルドルでも抑え込めるのだ。


「この世界でも隠し子作られちゃ困るのよニコラ」

「あーん? いいだろ別に。“色欲”は生物の持つ正当なる本能のひとつだぜェ? ガキ作るためにオスがあちこちに種をばらまいて、何が悪い? ガキ欲しいってメスがガキ孕んで生んで、何が悪い?」

「どんな生物でも子ども作った責任くらい取るわアホンダラ!!」


 ごきゃ、とニコラウスの体がネオンの煌めきの中に舞う。


「……まあニコラウス君の言う通り、“色欲”は正当な本能のひとつだ……否定するものでもない。勿論ニコラウス君のような無責任な行為は論外だがね」

「サジェ様も?」

「えっ」


 符正の濡羽色の目に見上げられてサジェースタは思わず動揺してしまう。が、こほんとひとつ咳払いして符正の問いに対して首肯した。


「まあ、な。私とて男だ。好いた女に対しては──うむ。まあ当然、ある」

「素直に符正に対してムラムラしますって言えよ」

「黙らんか!!」


 すぱぁん、と珍しくサジェースタのツッコミがニコラウスの頭部に炸裂した夜であった。


 夜の世界──【色欲】


 ◆◇◆


「走れ! 止まるな!!」


 赤色に染まった世界。

 徹底的なまでに赤く、絶望的なまでに紅く、壊滅的なまでに朱く、猟奇的なまでに緋く、無意味なまでに赫い──炎に覆われた街。

 炎に照らされ赤く染まっている曇天にはいくつもの機影。──戦闘機である。

 そう──空襲である。


「昭和──第二次世界大戦あたりでしょうか」

「日本であることだけは間違いないな。──どこかに隠れた方がよさそうだ」

「あの建物はどうですか?」


 そう言ってゴルドルが指差した先にあった建造物──それを見て符正とニコラウスの顔が、蒼白になる。

 かつては日本の広島県の産業の中心地ともなった、旧名広島県産業奨励館。

 現──“原爆ドーム”。


「離れろ!! 地下でもなんでもいい!! 隠れろ!!」


 ニコラウスの叫びと同時に──世界が、煌めいた。

 煌めいて、爆ぜた。

 爆ぜて、終わった。

 世界は──終わった。


 戦争の世界──【破壊】


 ◆◇◆


「──“破壊”による絶望は時間の流れでしか癒えない。それは分かったけれど……」


 何でわたしたち落ちているの!?

 符正のその叫びが、大空に虚しく響き渡った。

 上を見ても下を見ても右を見ても左を見ても青空しかない。ただただ青空が広がるばかりの、空しかない世界。方向感覚が分からなくなる、と符正はサジェースタの首にしがみつきながらぼやく。


「フフ! おおかた“自由”という名の“歪み”ってところだろうさ!」

「自由?」

「“自由”がない──人間はどいつもこいつもそう嘆いてやがるが、本当に自由じゃないのか!? 違うだろう!? 現に見てみろ、俺たちは鳥のように空にいる! だが動けるか!? 自由に動けるか!?」


 動けねェだろう!

 ──そう言ってニコラウスは哄笑する。

 確かに上も下も分からずただ空を落ちているだけの現状、移動しようにも移動しづらい。風圧のせいで喋ることさえままならないし、空にいるせいで体温もじわじわと奪われていっている。


「どいつもこいつもくだらねェ!! “自由”ってのは何にも縛られないことじゃねェ!! 色んなモンに縛られて、封じ込まれて、潰されて、その上で成り立たせることのできるモノこそが“自由意志”なのさ!! 何にも縛られない行動は“自由”じゃねェ──“無責任”ってんだよ!!」


 げらげらげら、と高らかに哄笑するニコラウスに符正は目を伏せ──そっとサジェースタの首から手を離した。


「その通りだね、ニコラ。法にもマナーにも縛られないものは“自由”とは言わない。あんたの言う通り、それはただの“無責任”だ──でもね」


 符正は体を垂直にして服が捲れるのも構わず靴先を揃えた。空気抵抗が少なくなったことによって符正の体がぐっと速度を上げて落ち始める。


「あんたが!! 言うな!!」


 めきょ、と符正の靴先がニコラウスの顔面にめり込んだ。


「ごもっとも」

「……はは」


 ゴルドルは符正の言葉に同調して頷き、サジェースタは呆れたように苦笑した。


 空の世界──【不実】


 ◆◇◆


「アバダ──」

「ファイガ!!」


 ちゅどーん、とニコラウスの体が爆炎に包まれた。


「やると思ってた! もう!」

「水よ出ろ──おお、出た……」


 ぼわりと手のひらに浮かんだ水の玉にゴルドルは感動したように呆ける。その隣ではサジェースタがネズミを馬に変えている。


「魔法使えるなんて夢みたい!」


 ぶすぶすと煙を上げながら黒焦げになっているニコラウスの隣で符正ははしゃぎながら箒で空を飛べるかどうか試し始めた。

 どうやらこの世界では魔法が使えるようだ。一体どういうロジックなのかは分からないが、四人が思い描いたことは大抵なんでも実現できるようで──四人は思い思いのままに魔法を楽しんでいる。


「わあ~!! サジェ様かっこいい~! ゴルもかわいい~!」


 魔法によってサジェースタとゴルドルの姿を変えた符正は嬉しそうに拍手しながらはしゃいだ。サジェースタは賭博の世界で見たのと同じ、黒いタキシードに身を包んで決めたナイスミドルな恰好となっている。ゴルドルは動物の世界の時と同じ──ブロンドのたれ耳と尻尾が生えている格好だ。


「わふ、まさかまたこうなるとはねわん」

「この恰好好きだったのか? 符正」

「ハイ!」


 符正は満面の笑顔でサジェースタの胸に抱き着き、かっこよくて好きだだったと言った。賭博の世界の時は何も言っていなかった符正だったが──かっこいいとは思っていたらしい。サジェースタはにやつく頬を抑えるのに必死で符正の褒め言葉にろくに返事ができずどもっている。


「ゴルもよしよし」

「わふ」


 符正に頭を撫でられてぱたぱたと勝手に振ってしまう尻尾にゴルドルは少し情けなくなりつつも、符正が喜んでいるのだからいいかと思うことにして大人しくするのであった。


「へェ、面白いことやってんな。じゃあ俺は──」


 と、ニコラウスが手に持っていた杖を符正に向けたのと同時だった。

 何やらファンシーな音楽が流れ始めたかと思えばあたりが謎のファンシーな空間に変わり、符正の服がリボンのようにほどけていく。けれど符正の体は謎の色彩に包まれたシルエットと化していて肌は見えない。サジェースタとゴルドルがは、と驚く暇もなく謎のシルエットと化した符正の体にリボンが纏わりつき、そのリボンが謎の効果音と共にグローブ、ブーツ、スカートと次々に変化していく。

 そうして最後には符正の髪がツインテールになり──


「美少女戦士符正ちゃん! この剛腕でお仕置きよ!」


 と、決め台詞を口にしながらポーズを決めた符正が盛大な効果音と共に現れたのであった。日本で放映されている女児向けアニメの主人公のような恰好であるというのは言うまでもない。


「…………」

「…………」

「…………」

「っぐ、ぎゃは、ぎゃはははは!! ぎゃーっはははははははははは!!」


 美少女戦士符正ちゃんの活躍の第一歩となる、記念すべき初めての敵はニコラウス・デスピアであったことは言うまでもなかった。


 魔法の世界──【妄執】


 ◆◇◆


 終わらない階段。

 先の見えない階段。

 何処までも続く階段。

 果ての存在しない階段。

 休むことの許されぬ階段。

 登ることしか許されぬ階段。

 ただ登り続けるしかない階段。

 登る以外の選択は存在せぬ階段。

 逃げることは決して許されぬ階段。

 登るたびに下の段が消えてゆく階段。

 降りたければ飛び降りるしかない階段。

 終わりがあるかどうかさえ分からぬ階段。


 階段しかない、世界。


「っぐ……がふっ……ぐ、ぅ」

「サジェ様! 大丈夫ですか!?」

「やっぱ一番にヘバったか」

「サジェースタ王! 下の段が消えていきます! 急いでください!」


 険しい石段しかない階段の世界、そこで四人は強制的に別々の階段を登らされていた。段々と下の段が消えていくために登らざるを得なかったのだ。消えた段の先には、闇しか見えない。

 真っ先にへばった非力なサジェースタに符正とゴルドルが焦って声を掛けるが、そうこうしている間にも階段はじわじわと下から消えていく。


「っち、符正! こっち飛び移れるか?」

「あ、うん」


 ニコラウスにそう言われて符正は躊躇なく地を強く蹴ってニコラウスのいる石段へと飛び移った。ニコラウスはよし、と符正に何も説明することなくその腕を掴んだ。


「タイミングよく飛べよ」


 そう言って符正の腕を掴んでぐるぐると自分を軸に回転し始めたニコラウスは、サジェースタのいる石段の方向を確認しながら勢いをつけて符正の体を飛ばした。


「──着陸!」


 そうして難なくサジェースタのいる石段に辿り着いた符正はそのままサジェースタの体を抱え上げて階段を駆け上がり始めた。それを見てニコラウスとゴルドルも再び会談を上がり始める。


「ぐ……すまん……」

「後でたっくさん甘やかしてくれたら許します!」


 ご褒美を貰えるチャンスににこにこと笑っている符正にサジェースタはほっと心が安らぐのを感じて微笑んだ。

 自分は弱い。どうしようもなく弱い。だが符正がこうして許してくれるし、助けてくれる──だからこそ自分は圧し潰されずに済んでいるのだと、サジェースタは考えて改めて符正への想いを募らせるのであった。


 階段の世界──【抑圧】


 ◆◇◆


 かち、かち、かち、かち。


 時計が時を刻む音だけが無機質に響く。


「しっかり押さえとけ。符正にこの世界は合わねェ」

「ああ、分かった。だが……何故だ?」


 サジェースタの帯やゴルドルのスカーフに符正のマフラー、挙句にはニコラウスの狐面も使って何重にも目隠しと耳栓をされている符正がよたよたとサジェースタの腕にしがみつきながら歩いている。その後ろでゴルドルが符正の耳を覆うように蓋していて、符正には何が何だか分からない状況であった。


「……時間の概念が符正にはねェからさ」

「……?」


 ニコラウスの答えにサジェースタは怪訝そうな顔をする。


 かち、かち、かち、かち。


 水晶時計。卓上時計。掛け時計。音声時計。腕時計。機械時計。懐中時計。振り子時計。クロノグラフ──多種多様な時計が所狭しと立ち並ぶ世界の中を歩きながらニコラウスは天を仰ぎ、こちこちと時を刻んでいる巨大な満月の時計を眺める。


「符正はむしろ……正確な時間を把握できているのではないかと思うが」


 サジェースタと符正がこの世界に来てから今に至るまで──何ヶ月何日何時間何分何秒が経過したか、符正は正確に把握している。時計もカレンダーもろくに存在しないどころか四季さえ曖昧なこの世界において符正の把握している日数の経過が正しいかどうか、照らし合わそうにもできないが──それでも符正の時間認識能力は相当高いとサジェースタは考えていた。

 記憶力の高さを見せる場面も時折あったことからも符正の頭は回転が常人よりも遥かに速いことは窺える。だがしかし──思考することに関してはすぐ放棄する癖が本人にあり、それさえ直せばアインシュタインやダ・ヴィンチにも劣らぬ領域にまで達していたやもしれぬとサジェースタは残念に思っていた。

 けれどサジェースタのそんな考えを、ニコラウスは否定した。


「コイツに時間認識能力なんかねェよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……? すまんが……意味がよく」

「頭が良すぎるってのは決して幸福じゃねェってこった」


 天才は天才でも、天災でしかなかった。


 そんな──抽象的で曖昧な言葉を独り言のように零してニコラウスは物憂げそうに目を細める。


 時計の世界──【過労】


 ◆◇◆


「“スーパースターになってみんなを笑顔にしたい”──そんな夢を持っていましたね、昔は」


 四十人ほどの十代の子どもたちが整然と着席している教室の中にて、“将来の夢”を発表している少年を眺めながらゴルドルがそんなことを言う。


「わりと叶っていたんじゃない? 色々アレだったとはいえ裕福層には楽しめるリゾートを提供していたんだし」


 ユートピアカジノリゾートにおいてカジノのみに留まらずありとあらゆる娯楽を提供し、裕福層だけだったとはいえ人々に楽しみを提供していたことには変わりないことを指摘してきた符正にゴルドルはゆるやかに微笑んだ。


「……そうだな。──“みんな”ではないし、一部からは笑顔を奪っていたがな」

「それに気付けただけでも前進であると捉えるべきだろう。悔い、諦めるよりも──新たな夢を模索してゆく方がよい」


 “夢”は諦めるものではない。

 “形”を整えゆくものなのだ。


 ──そう言ってサジェースタは教室内の、あまりにも壮大すぎる夢を語った少年を嘲笑い現実を見ろと諫める者たちを睨み据えた。

 その言葉にゴルドルは少し目を見開いて茫然とし、そして何処か泣き出しそうな顔で笑う。

 “スーパースターになりたい”という夢はもう持ってはいない。

 けれど“笑顔にしたい”という夢は形を変えて──今も確かに、ゴルドルの中に存在している。そう確信してゴルドルは拳を作った。


「──……貴方の治める国で、貴方にお仕えしてみたかったです」

「む? ふむ、ゴルドル君が臣下か──そりゃ頼もしくて仕方ない」

「お? じゃあわたしはサジェ様の秘書に……」

「ゴリラの秘書とか勘弁しろって言っただろ。第一サジェースタが大人しくてめェを秘書の位置に置いておくわけねェだろ」

「ゴリラ言うな!」

「ニコラウス君、余計なことを符正に吹き込まんでくれ」


 ゴルドルが振り絞るように零した言葉の余韻など素知らぬとばかりにコントめいた会話を交わす三人にゴルドルは噴き出すように笑い、そして改めて想う。

 サジェースタと、符正と、あとついでにニコラウスが笑っていられるように尽力したいと。


 学校の世界──【諦観】


 ◆◇◆


 ぽたりぽたり、とサジェースタとニコラウスの体から血が滴り落ちる。


 狂ったような雄叫びを上げながらはやし立てる野次馬の期待に応えるようにサジェースタとニコラウスの前に立っている体格のいい男が銛を振り上げ、サジェースタの腹部に突き刺した。

 ごぼりとサジェースタの口から血が吐き出されてその膝が崩れ落ちる。それに野次馬が歓声を上げ、男は片手を挙げて笑いながら今度はニコラウスの整った顔にハンマーをめり込ませた。骨が砕ける音と一緒にニコラウスの体が吹き飛び、血飛沫を上げながら薄汚れた板張りの床に倒れ込む。

 またもや、歓声が上がる。

 泣いて乞えと、這い蹲って媚びろと、惨めったらしく逃げ回れと観客が煽る。

 けれど──ふたりは泣いて乞うことも這い蹲って媚びることも惨めったらしく逃げ回ることもせず──再び、立ち上がった。

 血塗れで。血みどろで。

 ふたりはまた、立つ。


「……意外だな。君がゴルドル君のためにそこまで体を張るとは」

「俺ァこいつらとは違うぜェ? 同じ裏社会に生きるゴミでもな──“偏見”でしか他人を見ねェこいつらとは違うつもりさ。ゴルドルは確かにこの世界に来る前は金持ちイヤミ野郎でしかなかったがな──今は忠犬ポチ公だって正当に評価してるぜ」

「……確かに君は視界に入れた人間は……先入観も偏見も持たずきちんとその人間性を見据えるようだ。だが……げほっ、視界に入れない人間の方が君は……多すぎる」

「フフ! 視界に入れる価値さえねェってこった──」


 がいん、とニコラウスの頭頂部にバットが振り下ろされてサジェースタの視界からニコラウスが消える。と、次の瞬間にはサジェースタの側頭部に鉄球がめり込んで意識が一瞬飛んだ。

 けれどそれでも──ふたりは、また立ち上がる。


「ガフッ……ったく、符正のヤツ何してんだァ? 早くゴルドル助けろっての」

「我々がこうして倒れぬ限りゴルドル君の身は保証すると言っていたが……さて、どうなのやらだな」

「符正の方も戦ってそうだなァ。アイツが敗けることはねェだろうが……その前にゴルドルが熔岩の中にでもブチ込まれてたらヤバいかもなァ」

「熔岩? ……そうか、ゴミ処理場があったなそういえば」

「いくら死んでも再生するとはいえ──心が破壊されるまで死にまくっちまったらどうしようもねェだろうしな」


 早くゴルドルを助けろ──そう囁いたニコラウスの喉に、サバイバルナイフが突き刺さった。


 スラムの世界──【偏見】


 ◆◇◆


「サジェ様かわいい~」


 ぎゅう、と筋骨隆々としていて雄々しく逞しい腕が褐色肌の少しばかり熟している女性を抱き締める。


「おいおい、俺の方がボインだぜボイン」


 見てみろよ──と、金糸雀色の目を煌めかせながら艶やかな朱色の唇で誘惑する野性的な美女に褐色肌の女を抱き締めていた男が視線を向け、けれど嘲笑うように鼻で笑った。


「サラルティア様には及ばないわね」


 男は二メートル近くもある雄々しく逞しい体躯をしているのだが、その体には明らかに合っておらぬ小さなベージュのコートがみちみちにはち切れそうになっていて、男の腕の中にいる褐色肌の女が頬を引き攣らせている。


「随分と……変わったな、符正……」


 野性的な美女の隣ではプラチナブロンドの美しい髪をポニーテールにしている知的な美女が男を茫然と見上げている。


「まァ、男ならこんなモンだろ。符正の弟そっくりだし」

「……符正の弟はこんな感じなのか」


 褐色肌の女が自分を抱き締めている筋骨隆々とした男を上から下までまじまじと眺めながらそう言った。


 ──そう。

 この世界において彼らは性別が逆転してしまっていた。サジェースタは分かりやすく性反転し中年女性となっていたのだが──他の三人に関しては顕著に変化していた。ゴルドルとニコラウスは輝かんばかりの絶世の美女と化していて、さほど年は変わらぬはずなのにこの違いはなんなのだとサジェースタはぼやきたい気分であった。

 そして何よりも──符正はゴリマッチョになっていた。

 そう、ゴリマッチョなのだ。人外ゴリラとも称される剛力の符正ではあるがその見た目は小さく可愛らしい女性でしかなかった。それがこの世界で性反転したことにより──ただのゴリマッチョと化した。見た目からしてゴリラであり、そしてマッチョであった。


「……でも、符正だな」


 サジェースタを抱き締めているのは女性の恰好をしているゴリマッチョである。

 けれどその目は、光を一切映し出さない不可思議な濡羽色の虹彩。

 符正の、目であった。

 それにサジェースタは安心したように微笑む。姿形が変わろうとも符正は符正なのだ。


「……いや、だがしかしやはり元の符正の方がいいな……」


 筋肉に抱かれるという、男の身としては(今は女の体だが)些か気の遠くなる状況にサジェースタは遠い目をする。


 逆転の世界──【強要】


 ◆◇◆


 えっぐ。ひっぐ。ぐすっ。


 小さく咽び泣く音が静まり返った部屋の中に響く。


「…………」


 背中が涙と鼻水でぐしゃぐしゃのべちょべちょになっているのを感じつつもサジェースタは厭う様子を見せることなく苦笑を漏らした。


「符正にも可愛らしいところはあるのだね」

「心霊写真とかにも弱いんだよなァ、コイツ。“触れない倒せない説明つかない”に怖がるんだよなァ~」


 サジェースタの背中の、もっこりと膨らんでいる羽織を眺めながらゴルドルとニコラウスが呑気な調子で談笑する。


「遊園地の世界でも……勝手に動く扉やらアトラクションやらのポルターガイスト現象に対してはビビっていたくせにチェーンソーを持ったうさぎの着ぐるみに対しては喜々として挑みかかっていた」

「……個人的にはそのチェーンソーを持ったうさぎの着ぐるみとやらの方が怖い気がするのですがね」


 と、ゴルドルがそう言った瞬間であった。

 ちかちかとその部屋の照明が点滅し、サジェースタの背中のふくらみがビクッと震える。何事かと三人が身構えていると色褪せて剥がれかけている壁にべちゃりと手形が現れた。

 血の、手形が。


「符正! 腹掴むな! 痛い!」

「これまた典型的なホラーだな。──この部屋に“何か”いるのかもなァ? そう、例えば符正──お前が入っているそことか──」

「がはァ!? 符正折れる!! 締めすぎだ!!」

「ニコラウスやめろ。──安心しろ符正、ここには私たち四人しかいな──」


 と、そこでゴルドルは言葉を切ってそこにいる人間たちを見回す。

 にやにやと笑っているニコラウスと、ニコラウスの隣で佇んでいる符正と、腹部の圧迫に苦しんでいるサジェースタと、がたがたと震えているサジェースタの背中のふくらみと、自分。


「…………五人いるね」

「ひぃっ!?」

「ぐおぉ!? だからやめろ符正!!」


 館の世界──【恐怖】



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