第八世界 【神社の世界】 前
第八世界 【神社の世界】
「助けてくださいサジェ様」
切り立った崖に聳え立つ人の住まなくなった古城──その地下に眠っていた牢獄、そこで符正は無様にも囚われていた。煤汚れた拘束衣に身を纏った符正は腕を交差するように拘束されていて、首や足にも枷が付けられている。枷から伸びている鎖は壁に繋がっていて、符正が破壊しようとした形跡が色濃く残っている。
「この世界に来てからなんか力が入らなくって……」
ふう、と悩ましい吐息を零して符正は暴れに暴れたせいでぼろぼろになってしまった体をよじった。その拍子にじゃらりと鎖が鳴り、拘束衣から伸びている符正の生足に絡まる。それを鬱陶しそうに蹴り上げながら符正はサジェースタに救いの視線を向ける。
「サジェ様~」
「…………、……」
「サジェースタ王、揺らがないでください」
ゴルドルの静かな声にそれまで符正を凝視したまま硬直していたサジェースタははっと我に返り、慌てて符正を解放すべく牢屋の中へと入っていくのであった。
古城の世界──【束縛】
◆◇◆
「雪は見たくないものを全て真っ白に染めてくれますからすごいですよね」
「ゴルドル君をあんな風にしたのはお前だぞ」
「……自分の尻をまじまじと見る日が来るとは思いませんでしたね」
しんしんと雪が静かに降りしきりあたり一面が白銀色に染まった世界の中、ゴルドルは雪に埋もれた自分の下半身を見つめて遠い目になる。
「謝りなさい」
「ごめんなさい、ゴル」
「まあ、私が先にこうなったおかげでお二人は無事だったのだからよかった」
ゴルはそう言って笑い、切り離された下半身を胴体とくっつけて再生を図る。今にも絶叫してしまいたくなるほどの痛みは、サジェースタと符正が無事であったという安堵で塗り潰されてしまっていた。ゴルドルはいつの間にかふたりに対して忠誠心めいたものを抱いてしまっている自分に口を吊り上げる。
「雪は危険なものさえも──見えなくしてしまうのですね」
「危ないものも、汚いものも、綺麗なものも、隠さなくていいものさえも──全部ぜんぶ、ぜーんぶ真っ白に染めちゃうからね」
まるで全部なかったことにしちゃうみたいに。
そう言って目を伏せた符正の睫毛に雪の結晶がはらりと落ちた。
雪の世界──【哀愁】
◆◇◆
「舌がまわらにゃいにゃ」
にゃふー、と発声練習しながらぴょんぴょんと跳ねる黒い猫耳と尻尾を生やした符正の姿にサジェースタは胡乱な目を向ける。
「落ち着いてくださいわん」
それをブロンドのふさふさの毛に包まれた垂れ耳と尻尾を生やしているゴルドルが横からどうどうと落ち着かせてきた。首にごわごわとした黒い毛が襟巻きのように生えているサジェースタは無意識のうちにぐるると鳴る喉を抑えながらべしべしと先端だけが黒い毛で覆われている太く長い尻尾を地面に叩きつける。耳は丸く可愛らしい獣耳になっていて、それも符正の口から声が上がるたびにぴくぴくと跳ねている。
「なんなんだこの世界は……!!」
「わふ、“本能”あたりの“歪み”じゃないですかわん?」
「ゴルドル君──早く浄化するぞ! 来い!」
「了解ですわん」
「にゃふ、待ってくださいにゃ! この柔らかい体にまだ慣れなくて──」
「符正は喋るな!!」
「にゃふ!?」
ぼわっと尻尾の毛をを膨らませながら何でにゃ、と怒る符正にサジェースタはただただ渇いて仕方ないと勝手に鳴る喉を抑えることしかできずにいた。
「……符正の方が強いのに獅子がサジェースタ王ということは、“本能”ではなく“理性”ということかなわん」
ゴルドルの冷静な分析は今のサジェースタには残念ながら、届かなかった。
動物の世界──【本能】
◆◇◆
日向符正とサジェースタ・サン・ジャスティト。
ふたりの旅が始まってから半年後、そこにゴルドル・ユートピアが加わって三人となり──さらに半年が過ぎた。
「神社とは美しいな」
いくつもの世界を渡り歩き、いくつもの“歪み”と向き合い、いくつもの死線を潜り抜けてきた三人はこの世界においても蔓延っていた“歪み”も無事に浄化し、一息入れていた。
青空を背に満開の桜が咲き誇り、花びらが整然と敷き詰められた敷石を彩っている参道はもちろん、朱色の神秘的な鳥居と荘厳な雰囲気を漂わせる社殿も美しく見ているだけで心が引き締まるようだとサジェースタは思う。
「きっつかったですね~ごはん~」
「屋台があるようだね。後で頂戴しよう」
花びらの雨を受けながらベンチにぐったりと凭れかかっている符正とゴルドルはそれぞれそう言い、くたりと頭を後ろに垂らした。そんな様子にサジェースタは苦笑し、無理もないと自分も疲労が色濃く残っている体を軽くほぐした。
この世界──神社の世界における“歪み”は神社という特徴的な場所が示す通りのもので、“思想の違い”からくる歪み──“憤怒”であった。宗教というのは適切な付き合いをしていれば倫理観を学ぶことのできる素晴らしい教材となり得るのだが、その思想に深く身を沈めすぎると正しいのがそれしか存在していないかのように錯覚してしまう。その果てに起こることは、人類の歴史の中で幾度となく繰り返されてきている。
──戦争である。
この世界では、戦争が起きていた。
キリスト教や仏教、イスラム教などといった世界でもメジャーな宗派やいわゆるカルトと呼ばれるマイノリティな宗派、宗教という体を取ってはいないものの特定の思想を信条とする思想団体──ありとあらゆる思想がせめぎ合ってぶつかり合い、殺し合いに発展していた。宗派を同じくする人間でも思想の微妙なずれから対立し殺し合っているのも存在した。
「そういえば……サジェ様の国でもあったのでしたっけ? 戦争」
「ああ。我がエリモス王国は特殊でな……砂漠に断絶されていたが故に、古代エジプトのエジプト神話──いわゆる原始宗教が根付いたままなのだ。全てではないが、人々の生活に寄り添って根付いているよい思想であると私は思っている。だが……時代の変化で砂漠の外から流れ込んできた移民によって新たな宗教体系がもたらされてな……それ自体は別に珍しいことではないのだが、いわゆる過激派による神話否定のデモと暴動、扇動が激化してな……」
十年ほど前に国内で暴動に次ぐ暴動が発生し、遺跡や神殿などの破壊テロをきっかけに国民の怒りが爆発してしまい──若者を中心に構成された国防軍を自称する集団と、移民を中心にして構成された軍勢とがぶつかり合って戦争になったのだという。
最終的にはサジェースタが王国軍を動かし、国際連邦にも依頼して国連軍を派遣してもらい、鎮圧したそうだ。
「──多くの死を、見たよ」
それぞれがそれぞれの信条に従って、己らの正義を守るべく戦い──けれどそれで命を落とすのは、大半が関係のない民衆であったとサジェースタは語る。
「戦争なぞ何も生み出しはせん。ただ失うばかりで──得るものはない」
あの時ほど王としての無力感を呪ったことはない──サジェースタはそう言って沈痛そうに目を伏せた。そんなサジェースタに符正はゆっくりと立ち上がって歩み寄り、その隣に座って何を言うでもなく寄り添う。
そんな彼女にサジェースタは少し微笑み、符正の肩を抱き寄せてその肩口に顔を埋めた。
「……日本は様々な宗教が融和している国だと聞くが」
「ああ、ハイ。お寺でクリスマスパーティーとかやっちゃいますしね。無宗教って日本人の大半は自称しますけれど……それは生活に深く根付いているからこそ無宗教なんだってわたしは思ってます。いわゆる創唱宗教とは違って自然宗教がベースにあるからでしょうね」
そこはエリモス王国と似てるかもしれませんね、と言って符正は微笑む。
日本はキリスト教のように創唱者の存在する創唱宗教はなけれど、民俗信仰や自然への畏怖などから発展した神道のような自然宗教は無意識のうちに人々の生活に根付いている。無意識故に、誰もが神の存在は懐疑視しつつも否定はせず、敬意も畏怖も忘れはしないのだ。それが創唱宗教を受容する余裕を生み、様々な宗教が融和している国家となっている。
「精霊信仰……に、近いかもしれませんね。日本は」
「世界が日本のように融和の余裕を持てればよいのだがなぁ」
思想の違いを受け入れるというのは──これまでの世界でも経験してきたことだが、とても難しいことだ。宗教観の相違だけではない。価値観の相違、倫理観の相違──そういったものからも人々は対立し、争ってしまう。互いに思いやりを持てればよいのだが、それができれば戦争なぞ最初から起きはしない。
「……ええ、そうですね。私自身──貴方がたと出会わなければ変われなかったと確信しておりますのでこれだけは言えます。人の心を変えるのは、出会いだけです」
人との出会い。思想との出会い。作品との出会い。脅威との出会い。ありとあらゆる、出会い──それこそが人を変えることができるとゴルドルは語る。
サジェースタと符正に出会い、ふたりを信じてみようと考えることで変わることのできたゴルドルならではの結論であった。
「出会いか~。世界平和になる出会い……あれだ、子猫ちゃんのかわいらしい猫パンチでみんなをメロメロにして戦争をなくそう」
「……実際に子猫を盾に使って相手が攻撃できないようにした戦争も歴史の中にはあったな」
「なにそれヒドイ」
戦争をなくすのはやはり簡単にはいかないか、と符正は肩を竦めつつ桜の木を見上げる。
「まあこの世界だけでも戦争を止められてよかったです」
「そうだな」
サジェースタたちがこの世界に来た当初は神社として見る影もないほどに荒れ果てていて、怒り狂った人々が武器を手に殺し合っていた。三人も当然そこに巻き込まれ──幾度となく死を経てそれぞれの宗派の代表者を拘束したものの既に始まってしまった戦争はそれでも止まらず、最終的には人為的に天災を起こすことで強制的に終戦に持ち込んだのである。
最善の方法ではない。だが、そうするしかなかった。正直──“歪み”を正したとは言えぬ、心にわだかまりの残る結末であった。
「戦争って──虚しいですねぇ」
ダムを決壊させて洪水を起こすために奔走し続けた三人は終戦の喜びを味わうことなく、ただただ虚しさに囚われて脱力感にぐったりとしていたのである。
「まあ、終わったものは終わったのだ──切り変えよう」
「では、私が食事を持ってきますよ」
「わたしも行く~。お腹ぺこぺこ。いっぱい貰おう」
「私もだ。腹が減って仕方ない」
三人は力の入らぬ体を奮い立たせ、神社の境内に並んでいる屋台から各々食糧を大量に頂戴し──神社の中で無心に貪り食うのであった。




