第五世界 【遊園地の世界】 前
第五世界 【遊園地の世界】
サジェースタ・サン・ジャスティトと日向符正のふたりが“死”を経て歪みを正す旅に出て、半年。
「より正確に言うならば二百二日と六時間、ですね」
「数えてたのか?」
「数えていたというか、分かるというか……結構経ちましたね」
「……それで、ここまで来れたのだな」
サジェースタはそう言って己たちが歩んできた道を振り返る。浄化され、美しくなった中華街──その果てを見上げてみればサジェースタたちが歩んできた大地が青空に混じってうっすらと見える。それはふたりが未だ通っていないエリアと比べて明白に透き通った輝きを含んでいて、自分たちが浄化してきたのだという歩みをまざまざと見せつけられるようであった。少し嬉しいとサジェースタは微笑む。
お菓子の世界──“暴食”
洞窟の世界──“迷律”
本の世界──“差別”
その他にも──色々な世界があった。
「ちょうど四分の一を踏破、といったところでしょうか……サジェ様、あれ見てください」
そう言って符正は自分たちが歩いてきた方向とは逆方向──つまりこれから歩むことになる方を指さした。青い壁の向こうには寂れた町が広がっているが、少し遠くには観覧車らしき建造物が見える。遊園地でもあるのだろうか──だがしかし、今気になるのはそのさらに上である。青い壁の向こうに広がる大地の果てのさらに果て、青空と混ざった大地。サジェースタや符正が初めて足を踏み入れた世界、草原の世界からはちょうど月の影になっていて見えなかった向こう側の大地。
未だ浄化されていなく、くすんだ澱みを孕んでいる大地──その中でもひときわ、そこは目立っていた。
真っ黒な、世界であったからである。
周囲に見える浄化されていない大地とは比べ物にならないくらい真っ黒に澱んで、もはや大地であるのかどうかさえ判別つかぬほどに真っ暗であった。
「あそこはやばい──そんな気がします」
「……ああ。いずれ近付くこともあるだろう──その時、また考えるとしよう」
この世界が一体何であるのか、それは未だ分かっていない。
けれどふたりに止まるつもりはなかった。カミサマとやらの思い通りになっているのかもしれないが、それでもふたりは自分の意思でこの旅を続けたいと思っていた。
だからふたりは、また進む。
「符正」
「ハーイ」
サジェースタの浅黒い手と符正の白い手が、まるでそれが当然の摂理であるかのように自然と繋がる。
こうすることが当たり前になったのはいつからだったろうか。数多の世界を巡り、数多の歪みと直面し、数多の戦いを経て、数多の浄化を成し遂げ──気付けばその手が離れなくなっていたのだ。
「……捨てられた町か?」
青い壁を慣れたように通り抜け、人の気配が一切感じられぬ寂れた、錆れた町にやってきたサジェースタはまず、そんな感想を述べる。
「確かに人の住んでいる形跡が全くないですね。どの家も廃墟ですよ、これ」
「ああ。もう少し先に進んでみよう」
街の中は全くと言っていいほど整備されておらず、剥がれてしまった石畳や崩れた煉瓦がそのままになっていて割れた窓ガラスの破片も片付けられることなく散らばっている。家の中には何もなく、埃と蜘蛛の巣が陣取っていた。人が住まなくなっただけで、襲撃に遭って人がいなくなったというわけではないことだけは窺えて、そこには安堵する。
「ここ、もしかして元々は観光向けに作られた町かもしれませんね。観覧車が見えましたし、遊園地を目的にやってくる観光客向けの表参道……といった感じでしょうか。お店だった建物が多いですし」
「なるほど。観光客の減少で廃れていった町、か?」
「かもですね。遊園地に“歪み”の中心地があるのかなあ」
「やれやれ……今度はどんな“歪み”なのやら」
これまでの旅を振り返っても無事に終わる気配がしないと、サジェースタは大きなため息を吐いて符正の手を引いて観覧車のある方へ歩を進めていく。
しばらく歩けば次第に遊園地への案内幕が町中に目立つようになり、それに従って進んでいくとやがて町から抜けてなだらかな丘道に出た。元々は華美な色合いであっただろう色褪せた柵に挟まれた歩道と車道がまっすぐ伸びていて、その先には巨大な──かつては栄華を誇ったであろう、廃遊園地が悠然と構えられていた。
「廃遊園地かぁ……」
「寂しいものだな。人のいない娯楽施設というのは」
廃遊園地の正門ゲートまで行けばその廃れっぷりは一目瞭然で、遊園地という施設がその機能を停止してからゆうに数十年は経っているであろう錆と荒廃がそこかしこに沁みついていた。正門ゲートの看板で笑顔を浮かべている、この遊園地のマスコットなのであろううさぎのキャラクターが錆びてなんともおどろおどろしい雰囲気になっているのがそこはかとなく哀しさを漂わせている。
「…………」
ぎゅ、とサジェースタの手を握る符正の手に力が入ったことに気付いてサジェースタは符正を見やる。けれど符正は相変わらずの何を考えているかよく分からない飄々とした表情のままで、サジェースタはこてりと首を傾げた。
「符正?」
「…………え? あ、ハイ。行きましょうか?」
「うむ」
と、頷いたものの符正の手にさらに力が込められてサジェースタは頭を捻った。
ともあれ先に進もうと正門ゲートを通ることにしたのだが、錆びてぎいぎいと音を鳴らすばかりで動く気配のない回転ゲートを乗り越えるしかないかと判断しかけた、その時であった。
ぎいい、と音を立ててゲート脇の、おそらくはスタッフの通り抜け用であろう錆びて変色した鉄製の扉が開いた。──ひとりでに。
「──風で開いたわけじゃなさそうだな……、……ん?」
いつの間にか左手から符正の手が消えていたことに気付いたサジェースタは視線を巡らそうとして、自分の背中に違和感があることに気付く。
「…………」
視線を後ろに向ければサジェースタの羽織の後部がもっこりと膨らんでいた。そしてそのもっこりした羽織の中から回ってきた手がサジェースタの腰をがっちりとホールドしている。その手は、思いっきり震えていた。
「…………とりあえず、ひとついいかね」
「…………なんですか」
「お前死体は平気だったじゃないか!!」
「精神的にクるのはダメなんですよ!!」
悪いですか!!
──そうサジェースタの背後から符正が叫んでくる。その声はこれまでに聞いたことがないほど、必死であった。
サジェースタの羽織の中に潜り込んで背中に隠れている符正にサジェースタは気が抜けたように息を吐き、やれやれと肩を竦めてそのままにして進むことにする。
「い、行くんですか?」
「行かねば何も変わらんだろうが」
「う……そうですが」
符正は何が何でもサジェースタの羽織の中から出るつもりはないらしく、サジェースタは歩きにくいのを我慢して進まざるを得なかった。
「お前も案外可愛いところあるなぁ。だが、こういう時は腕にしがみついて怖がって欲しいもんだ」
「何幻想抱いてるんですかおっさん!! そんな可愛い仕草怖くないけど怖いふりして男に甘えるためにやるか男の自尊心満たしてやるためにやっているに決まっているでしょうが!! 本当に怖けりゃ人目もはばかることなく鼻水垂らして絶叫しますよ!!」
「…………とりあえず落ち着け」
本当に怖いんだな、とサジェースタは苦笑しながらがっちりとサジェースタの服を握っている符正の手を安心させるように撫でてやる。
「誰もいないな……」
符正の足に時々つっかえながらも廃遊園地の中を進んでいくが人のいる気配どころか化物の類がいる気配もない。病院の世界の時のようにゾンビに襲われる方がましだ、と符正は言っているがサジェースタは聞き流した。
どうも符正はゾンビや死体、化物といった目に見えるタイプの恐怖に対しては女どころか人間としてどうなのだと言わんばかりの高い耐性を見せるが、目に見えぬ恐怖に対しては滅法弱いらしい。
実際、今もひとりでに動き出した回るコーヒーカップのアトラクションに対して相当ビビっている。サジェースタの服通り越して肉まで掴んでいてずきずきと痛む腹部にため息を吐かざるを得なかった。サジェースタもこういうのが平気というわけではないのだが、符正がこうも怖がっていると逆に落ち着いてしまう不思議であった。
「“歪み”が何なのかいまいち掴み切れんな……廃れた遊園地に廃れた町……娯楽文化の廃れ、か……」
「ぎゃっ!! 何ですか!? 今の音!!」
「ああ……ワゴンがやってきた音だな。誰もいないが。……キャラメルチョコ味のポップコーンだそうだ。食べるかね?」
「いらない!!」
「まあ、だろうな……おい、痛いぞ。掴むなら服だけにしろ」
「掴みやすいぜい肉なのが悪いです!!」
「おいこら」
悪かったな中年のおっさんの体で、とサジェースタは符正の手の甲を抓った。
「ここは……ゲームセンターか?」
トランプを模した建造物に惹かれて中を覗き込んでみればゲーセンで見かけるようなゲーム機がたくさん並んでいて、遊園地に少しそぐわないなとサジェースタは思いながら中に入っていく。
「……あれ、これ十五年前くらいに流行った格ゲーですね。……あ、あっちにあるのは十年前くらいに流行ったクイズゲームですね」
ぴょこり、とサジェースタの脇の下から符正が顔を出してゲームセンターの中を見回しながらそう言った。
「遊園地にもゲーセンはあるっちゃありますけど、これだけ規模が大きいのは珍しいですね」
「そうだな……レーシングゲームにシューティングゲーム……若い頃に少しだけやったことあるな」
ゲームセンターの中は相当広く、過去に流行ったことのあるゲーム機が所狭しと並んでいる。それを縫うように進んでいけばゲーセンのような造りからゲームショップのような造りに変わり、様々なゲームが商品棚に並んでいた。
「わ~。スーファミだ~」
いつの間にか恐怖を忘れたらしい符正がサジェースタの羽織から抜け出し、商品棚を眺めて楽しそうな笑顔を浮かべている。
「この数十年でのゲームの進化っぷりは著しいですよねぇ。この頃はドット絵が主流だったのが僅か数年後にはCGに取って変わられたりとか」
「そうだな。グラフィック技術の向上も目覚ましいものだった。昨今ではもはや現実世界と変わりない……さらにVRなどという没入感をさらに高めたゲーム機も登場しておるしな」
「ええ。その時の最新があっという間に旧式になっていく──まさに技術戦争ですね」
「…………、……」
符正が口にした何気ない言葉にサジェースタは何か引っかかりを覚え、考え込むように顎を撫ぜた。
確かにここ数十年の技術の進歩は目覚ましいものだ。携帯電話なんかもかつては肩掛け式の大型であったものが今やスマートフォンが主流となっている。そのスマートフォン向けのアプリも毎日のように新しいものが生み出されているという状態だ。
「このゲームセンターの隣にある本を模した建物……あっちはパソコンや携帯電話、テレビ……デジカメにビデオカメラもかな? 家電かな……いっぱい並んでいます。ビデオテープやDVDもいっぱいあるみたいですね。タイトルまでは読めませんけど……少なくともビデオテープ……VHSは過去の番組だとか映画だとかでしょうね」
ゲームセンターの窓から隣の建物を覗き込みながら符正がそう報告してきて、サジェースタはさらに唸るように考え込む。ここにあるものは全て“過去”のものというのは間違いない。では、何故ここにあるのか。
「技術の著しい進歩で多くのものが旧式となり、古いものとなり、忘れられていった……そこに何かあるとは思うのだが」
「他のところにも行ってみますか?」
と、符正が口にした瞬間ざああああ、とゲームセンターの中にある機械という機械が一斉にノイズを発生し出した。同時に符正の姿が消えてサジェースタの背中にずしりとした重みが加わる。素早い。
「……隣でも同様のことが起きているようだな」
家電エリアらしき隣の建造物の中でもパソコンやテレビが一斉に画面に砂嵐を映し出していた。
何なのだ、とサジェースタが眉を顰めているとパソコンやテレビがじわじわと錆び始めていることに気付き、はっとセンター内を見回す。ゲーム機の方も同様にそこだけ数十年が経過したかのように錆び始めていた。錆特有の金属臭も立ち込め始め、サジェースタは符正を連れてゲームセンターを後にする。




