8 飼い犬になりました
どうしよう。気持ちよすぎる……。
只今、リーン様のお膝の上で撫でられている。どこまでも優しい手の感触と、お腹に伝わる心地よい体温に、もう今にも寝落ちしそう。
「いい子だね。ずっと一緒だよ」
蕩けるような声にうっとりしながらも、これからの事を考えると不安にもなる。
布に包まれ、馬で連れて来られた場所はとんでもないお家だった。
まあ自分が小さいのもあるけれど、白い石造りの意匠を凝らした建物は、大きすぎて端まで認識できない程で、まさにお屋敷としか言いようが無い。
聞くつもりは無くとも、この人よりいい耳に届いて来た使用人らしき人達の話を纏めると、どうやらリーン様はお貴族様の跡取り息子である模様。エライ人に拾われたものである。
まずミルクやパンを貰い、空腹が満たされたところでお風呂……まあ桶だけども……でこれでもかと洗われ、拭かれて乾かされてふかふかになったところで、リーン様の御家族に紹介された。
「父上、今日遠乗りの帰りに子犬を拾いました。飼ってもよろしいでしょう?」
リーン様に言われて、ご両親は最初いい顔をしなかった。特に、御父上だという身なりのいいお髭の上品そうなおじさんはきっぱりと駄目だと仰る。
……お約束だよね。『ウチでは飼えません。捨ててらっしゃい!』っていうの……そう思っていたら、さすがはお貴族様だった。
「そんな明らかに雑種のような小さい犬の子など飼わなくとも、猟犬のよいのを取り寄せてやるのに。第一、黒い犬はお前には似合わん」
えー? そんな理由? 似合う似合わないで決めるのか、お父さん!
リーン様も負けてはいない。
「黒でもよいではないですか。このような小さなうちから育てれば、きっとよく懐いて、大きくなったら猟犬にもなりましょう」
うんうん。お母さんと同じくらいになれるとしたら、私、結構な大きさになるはずだよ。でもなぁ、猟犬って。やっぱり狩りからは逃れられないのかな……。
そこでリーン様を後押しするような声が。
「私は生き物の世話をするのも、リーンの情操教育には良いと思いますわ」
金の巻き毛もお美しい煌びやかなお召し物の御母上が仰った。ナイスです!
だが、彼女の言葉には続きがあった。
「その子犬は雌? ハエルに聞きましたが、西の草原で拾ったそうですわね。西には恐ろしい魔犬族の棲む森があるとの噂でしてよ。魔犬族の子は見た目には犬と見分けがつかないそうですわ。その犬がそうでは無いと言い切れます?」
どきっ。
思いっきり図星をついて来るじゃありませんか! なに? 奥様、それって女の勘? ってか、ハエル、いらんことを報告するな! やっぱりいけ好かない男だな!
リーン様の反論。
「しかし、森など見えぬ平野です。近くを探しましたが親もいないようでした。はぐれたにしても、このようにまだ幼い犬が歩いて来られる距離に森があるとも思えません」
歩いてないもん。空を飛んで運ばれたんだから。
……そうか。鳥から逃れた地点で、もう家のある森からは遠く離れてしまってたんだ。ニオイもわからなかったもん、探せないよね。
お母さんもお姉ちゃんも、もう私は鳥に食べられて死んだって思ってるかな。そう思うと悲しい。だけど、もう帰れないのだったら、ここでリーン様に放り出されても困る。せめてもう少し大きくなるまで。ここはぜひ頑張ってくださいませ!
そんな思いが通じたのか、リーン様は必死に訴える。
「使用人には任せず、僕が責任を持って世話しますから! 良いでしょう?」
息子の懇願を受けても、すぐに返事をしてくれない御両親。よし、私も頑張ってみよう。
抱っこされていたリーン様の腕から、身を捩って飛び降りると、私は御父様の足元に駆け寄り、ご挨拶のニオイくんくんをやった。おう、革靴が微妙におじさん臭。
顔を見上げて、じぃっと目を見つめる。そして首をコテンっと。必殺子犬の魅了攻撃っ。
「うっ……!」
明らかに御父様の頬が緩んだ。
続いてお母様も。くんくん、じぃっ、コテン。おまけに反対にもコテン。
「まあ。なんて愛らしいの!」
これ効くね。ひょっとして魔法なのじゃなかろうか。魔犬族だけに。
『私達の魅力と魔力に抗える者はそういない』
お母さんも言ってたものね。
リーン様がご両親の様子を見て、得意げに言う。
「どう? 可愛いでしょう?」
「ああ。よし、いいぞ。大事に育ててやりなさい」
御父上のオッケー出ました! 御母上もうんうん頷いておいでです。
こうして、私はリーン様のお屋敷で、飼い犬になることが認められたのだ。
……だが、一人面白く無さげな男がいた。
「ちっ。どこが可愛いんだ、あんな毛玉」
……ご夫妻やお坊ちゃまに聞こえない様に言ったのだろうが、私の耳にはばっちり聞こえているのだよ。
部屋の隅で控えていたハエルだ。
リーン様の教育係だというこのハエルという男は、どうも好きになれそうにない。
そしてリーン様に抱っこされて撫でられている私。
これって願いが叶ってるのかもしれないよね。あの人によく似た優しい人に愛される存在になっている。
でも、不安もある。魔犬族だとバレたら……。
変身できない今のうちはいい。でも一年もしたら私は体だけは大人になる。それに人の言葉もしゃべらない様に気をつけないと。
「君に名前を考えなきゃね。どんな名前がいいかな?」
リーン様は私に語り掛けてくれる。それでも返事は出来ないの。