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5 はじめてのお散歩


「ちー、あやくぅ!」

「う、うん……」

 お姉ちゃん、早くって言われても。だって、緊張して……。

 今まで入り口から顔だけ出して見ているだけだった外。実際に出られるのは嬉しいけれど、いざ踏み出そうと思うと怖くなったのだ。お母さんに散々危ないって聞かされてるし。

 対して、いつもおっとりのお姉ちゃんが今日は妙に張り切っている。いやあ、でも張り切っているなら、私の後ろでお尻をぐいぐい押していないで、先に行ってくれてもいいんだよ?

「大丈夫よ。いらっしゃい」

 先に外で待っているお母さんが、優しくそう言ったので、私は意を決して木の洞の入り口から飛び出す。

 途端に自分を包む空気が変わったのがわかった。家の中とは違う、軽やかで爽やかな空気。

「よいちょ」

 お姉ちゃんもすぐ後から出て来る。

「うわあ……」

 外から見ると、家になっている木は思っていた以上に大きかった。お姉ちゃんと一緒にぐーんと上を見上げて、あまりの高さにひっくり返って同時に尻餅をついたほど。他の木も同じくらい高い。

「さあ、行きましょう」

 犬の姿のお母さんの後ろを、私達は歩き始めた。

 お母さんはゆっくり歩いていても、着いていこうと思うと小走りになる。横でお姉ちゃんがちょこまかとせわしなく足を動かしているのが見えるけど、多分自分も同じ感じなんだろうな。

 自分が小さくて、地面からそんなに離れていない距離から見ているからだろうか。世界は限りなく大きく思える。木々の葉が光を遮る森の中は少し薄暗くて、静か。

 葉っぱや木のいい匂い。肉球に伝わる地面の小石や落ち葉を踏みしめた感触。そよそよと吹く風が毛を揺らす感じ。何もかもが新鮮。

 きょろきょろ辺りを見渡しながら歩いていると、知らないニオイが近づいて来た。

「可愛らしい子達だね。あんたのところの子かい?」

 お母さんに声を掛けたのは、歳いってそうな灰色の大きな犬だ。同じ魔犬族のおばさんみたい。

「ええ。今日初めて外に出たの」

 お母さんがそう答えると、おばさんは私とお姉ちゃんに顔を寄せて、くんくんニオイを嗅いだ。お姉ちゃんはびくびくしてお母さんに隠れてしまったけど、これは犬の挨拶だと聞いたことがあったから、私はじっとしてニオイを嗅いでもらった。

「ほら、あなた達、ご挨拶は?」

 そうお母さんに促されて、鼻先で前に押し出された私とお姉ちゃん。お姉ちゃんは固まって動けないみたいなので、私が一歩出ておばさんのニオイを嗅いで頭を下げた。

「はじめまちて」

 私が挨拶すると、おばさんは目を細めた。犬の顔じゃイマイチわからないけれど、笑っているみたいに優しい顔だ。

「まあ、おりこうさんだねぇ。よろしくね、おチビちゃん」

 そう言って、おばさんは去って行った。

 えっと、自分でも不思議だけど、おばさんは偉い人なんだとニオイを嗅いだだけでわかった。きっと、この村というか、魔犬族の群れのリーダーみたいなものだろう。

「偉いちとだね?」

「よくわかったわね。もうお歳だけど、何十人も子供を産んだ大先輩よ」

 お母さんも肯定してくれたので、間違いではなかったようだ。お姉ちゃんは挨拶しなかったのに怒らなかったところをみると、心も広いんだろう。

 犬にとって、ニオイの情報って半端なく重要なんだな。そして本能で嗅ぎ分けることができてしまう。すっかり私も犬になってしまったのを実感。

 私達はその後、近所の家……というか、洞のある木の周りを歩き、ぐるっと村の中を散策した。

 どうやら他の魔犬族は留守みたい。お母さんが行くみたいに狩りに行っている者もいるだろうが、そもそもそう数自体が多くないみたい。それに、ここを出て相手を見つけに人の街に行っている者もいるかもしれない。とりあえず私達と同じくらいの子犬は今のところ他にいないのはわかった。一緒に遊べる同年代のお友達がいるかと、ちょっと期待していたけれど残念。

 その後、お母さんと一緒に森が開けたところに出た。木の葉で遮られていた陽が燦々と降る注ぐ草原。背の低いやわらかな草が地面を覆い、とりどりの小さな花が咲いている。太陽の光を受けてキラキラ光る小川が、涼やかな音を立て流れる、そんな美しい場所。

「わあ! きれぇー!」

 お花や水のいい匂い。何より広い! 

「ちょっと休憩ね」

 お母さんが小川の水を舌でぺろぺろ飲むのを、私とお姉ちゃんも真似してみる。冷たくて美味しい。

 目の前をひらひら蝶々が横切って、お姉ちゃんはじっとしていられないみたい。跳ねるみたいに追いかけ始めた。そのお姉ちゃんのふわふわ尻尾に誘われて、私もつい私もウズウズ。追いかけちゃうのは本能なんだよね。

 遠くに行かずにお母さんの目の届くところなら大丈夫かな?

 高く飛んだ蝶々に逃げられてしまっても、お姉ちゃんは走ること自体が楽しくなった模様。わかるよ。うんと走っても家の中みたいに壁にぶつからないもんね。気が付けば私も一緒になって駆け回っていた。楽しい! 気持ちいい!

 草叢を駆け回る私達にお母さんは声を掛ける。

「あまり母さんから離れないでね」

「あーい!」

 走り疲れたら、花の匂いを嗅いだり、葉っぱを舐めてみたり、虫にびっくりして飛び上がったり……何をしても新鮮で刺激的。お姉ちゃんと一緒のとっても楽しい時間。

 最近忘れかけていた前世の記憶がふと蘇った。子供の頃でも私、こんなに楽しかったことがあったかな?

 一人っ子で、両親共働きで、小学校の後も学童で、内気だったから他の子が遊んでいるところにも入る勇気が無くて。中学高校も地味に目立たずひっそり過ごした。大学生になったら変わろう、そう思ってお客さんと接する機会のあるコンビニにバイトに行って、彼を見かけた。そして、やっと言葉を交わせたと思ったら……。

 うん、思い出すのはやめよう。寂しい思い出しかない気がする。

 ひょっとして、今すごく楽しいのも、例のボーナスなのかな、そう思っておこう。

 足元の風に揺れる花を見ていた時だった。

 陽の光が降り注いでいた地面に、すいと大きな影が過って行った。

 見上げると、空高く大きな鳥が翼を広げて、草原の上をゆっくりと回っていた。

「そろそろ帰りましょう」

 お母さんはそう言って人の姿になると、私とお姉ちゃんを両手で抱き寄せた。犬のままで咥えて運ぶのは一人づつしか無理だものね。こういう時変身は便利。

「もっとあちょぶ!」

 お姉ちゃんはまだ納得してなくて、もぞもぞ身を捩っているけど、お母さんは放さない。

「また来ましょう。大きな鳥は怖いの。見かけたらすぐに隠れないとね。あなた達は小さいから連れて行かれてしまうわよ」

 お母さんの言葉に、大人しくなったお姉ちゃん。私も怖くなった。

 こうして、はじめてのお散歩は終了した。結局、遊び疲れたお姉ちゃんはお母さんに抱かれたまま眠っていた。

 ……私もだけどね。


 この後、毎日のように散歩に行くようになり、私はお母さんの言葉を、もっと真剣にきいておけば良かったなと後悔するようになるのだ。


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