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 お母さんはなぜか私とお姉ちゃんに名前をつけてくれない。理由があってつけないということらしいけど、その理由は語ってくれない。

 お姉ちゃんは『お姉ちゃん』だけど、一応便宜上、私は『シー』と呼ばれている。詩杏の『し』だ。そう呼んでとお願いしておいた。上手く発音できないお姉ちゃんは『ちー』と呼ぶので、なんだかおしっこがしたくなるのは微妙なんだけどね。

 犬としての生活も随分慣れて来た。

 やっぱり羞恥心とか前世の人間としての常識よりも、体に流れている血に刻まれた野生の本能の方が優勢なのかもしれない。

 手で物を掴めなくても口に咥えて運べるし、お姉ちゃんと綱引きもできる。舌でぺろぺろ舐めちゃうのも平気だし、嬉しかったら尻尾をピコピコ振っちゃう。耳だって動かせる。

 ニオイを嗅ぎ分ける鼻は勿論、集中すればお母さんやお姉ちゃんの息遣い、はては鼓動まで聞こえるから、体調やご機嫌もわかる。

 犬もなかなかいいものだよ。まだ子犬だからかもしれないけどね。

 お母さんは私達に色々な話をしてくれる。

 今日、狩りに行ってあったこと、お天気のこと、家の外の世界のこと、人間のこと。

「私達は人に近い姿にはなれるけれど、人間が美味しいって食べるものでも、犬として食べちゃいけない物もあるから、気をつけないとね」

 そう言って、私達のお父さんを捕まえる前に、人間の街に行って酷い目にあったときの話をしてくれたのが面白かった。

 帽子を被って獣耳を隠してしまえば、普通の人間に見える。とっても美人だから、声を掛けて来る殿方はいっぱいいたんだって。男性が女性を誘うのに、どこの世界でも一緒なのがプレゼントや食事に誘うこと。

 ある日、とってもお金持ちの身分の高い人がお母さんを豪華な食事に誘ったんだって。

「すごく高級なお店でね、そりゃもう食事は美味しかったわ。食べ物には気をつけていたつもりでも、甘いいい匂いの飲み物を飲んだ途端に気分が悪くなって。お酒が入っていたのね。お腹は痛いわ、目は回るわで、ドレスを着たまま獣の姿に戻って、フラフラになりながら走って森に逃げたわよ。何日か寝込んだけど、もう二度とお酒なんか飲むものかと思ったわ」

お母さん、無事でよかった。

そんなに詳しくない私が知っているだけでも、犬や猫に玉ねぎやチョコレートは猛毒だってよく知られていた。アルコールも危険なんだね。他にも色々あるだろうから、私も気をつけないといけないな。

 それにしても、高級なレストランで食事中に、美女が突然目の前でドレスを着たまま犬になって走って逃げたって……男の人、ぽかーん、だっただろうな。

「やっぱり食べ物は、自分で獲ってきた新鮮なのが一番安全で美味しいわよ。あなた達も大きくなったら狩りが上手に出来るようにならないとね」

 と、お母さん。うっ。やっぱり行きつくところはそうなるのか。

 いかに本能に任せて犬に慣れて来たとはいえ、まだ生きているものに噛みついて命をもらうのには激しく抵抗があるなぁ。

 まあこれも大人になってからでいいよね……と思い、ものすごく根本的なところに気がついてハッとした。

 犬って、あっという間に大きくなるよね? 魔犬族って寿命とか成長の具合、どうなっているのだろう。その辺りを尋ねてみると、お母さんは答える。

「寿命は人間とそう変わらない。むしろ人間より長生きかもね。でも、森で生きていくには早くに自分の身を守れるようにならないといけないから、体は早く大人になるわ。そうね、子犬として親と一緒にいるの間は大体一年くらい?」

 一年の単位はよくわからないけど、普通の犬と一緒くらい? 

 ……たった一年。

 この刺激は無いけど、温かくて、優しいお母さんがいて、可愛いお姉ちゃんがいて、守られた幸せな日々はたった一年しかないの?

 話に興味が無かったのか、お姉ちゃんは横でぐっすりおねむだ。無垢で安心しきった可愛い寝顔を見ていると、胸がきゅっとなる。時々ケンカもするけど、無邪気でおっとりなこのお姉ちゃんとも一緒にいられなくなる?

 それに、私はこうして転生したボーナスとして、すでに人間の大人だった記憶がある。だから体が早く大きくなってもそう戸惑うことはないかもしれない。でも、お姉ちゃんは、たった一年で自分の身を守ったり狩りが出来るようにならないといけないんだ。

 考えてみたら、前世でも人以外の生き物は早く大きくなって、寿命も短かった。生まれてすぐに自分の足で立ち上がった。それは生きていくために、そうでなければならなかったからだと、改めて気付かされる。

 ……大変なんだな、動物も。

 そしてお母さんは少し悲しい顔で言う。

「外の世界は危険がいっぱい。無事に大人になれる子ばかりじゃない。大人になってからも多くが早くに命を落とす。だから子供が巣立ったら次の相手をみつけて、また少しでも一族を増やさなきゃいけない。あなた達に名前をつけないのはそのため。短い間でも愛着が湧きすぎると、別れるときに寂しくなって次に進めない。だから名前は大人になって自分で名乗るか、好きな人が出来たときにつけてもらいなさいね」

 すごく衝撃的な事実だけど、考えてみたら動物って一生に一度なんて言わずに、何度も子供をもうける。

 そうなんだ……そういう理由で名前をつけないんだ。寂しくなって次に進めない……その心情はなんとなくわかる気もする。

 でもやっぱり考えると寂しくなる。思わずお母さんの胸に顔を摺り寄せてみる。

「おかあたんと、ねーたんといっちょ、ちょっとだけ?」

 私がそう言うと、お母さんは、私を抱き上げてぎゅっと抱きしめた。

「母さんも、可愛いあなた達が早く大きくなって、立派になるのは嬉しいけど、本当は巣立っていく日を考えたら寂しくて泣きそう。だからゆっくりゆっくり大人になってね。一緒にいられる間はうんとうんと愛するわ」

 うん。ゆっくり大人になりたいよ。大丈夫だよね、まだ一緒にいられるものね。

「あーたん、ちー、らいしゅき」

 いつの間にか起きていたお姉ちゃんが、無邪気に言ってふわふわの体で私とお母さんの間に入って来たのが、可愛くて、そしてちょっと切なかった。


 日々は穏やかで、そして優しく流れる。

 まだまだ小さい私達も、すっかり足も達者になって、家の中を走り回っている。

 今日の朝、お母さんが嬉しいことを言ってくれた。

「外にお散歩に行きましょうか?」

「わーい!」

 はじめてのお出かけ! 嬉しいな。広い外を駆け回れるよ、お姉ちゃん!


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