3 ワンダフルライフ?
こう生まれてしまったものは仕方がない。ゲームみたいにリセマラできるわけでもない。
くよくよせずに生きて行かねば。こうなったら立派な犬になってやる!
中途半端に記憶が残っているので、しばらくは前世の親や友人達のことや、憧れだった彼のことが頭の中を駆け巡った。特に、飼い犬の名前はわかったのに、結局名前も分からずじまいだった彼にもう会えないのだと思うと胸が痛い。
思い出すと泣きたくもなったけど、生き物としての本能には勝てないもので。
なんってったって、これからバリバリ育たなきゃいけない赤子ですから。最初は恥ずかしくて無理と思っていたけど、お腹が空いたらごくごくお母さんのおっぱいも飲んでますとも。慣れると美味しいよね、うん。栄養満点だし。
そして栄養をとったら余計なものは出ます。まともに歩くこともままならない、片手で抱き上げられるような子犬が自分でトイレに行けるはずも無く。おむつもありませんからね。赤子の体は我慢もきかないので……お母さん、後始末よろしくお願いします。羞恥心など宇宙のかなたに捨てました。
そんなこんなで、目が開いて一週間ほど。まだヨチヨチだけど四つ足で歩けるようにもなって、私は犬として元気に過ごしている。早々に慣れちゃう自分にちょっと呆れる。
私と双子で生まれた白い子犬はお姉ちゃんだ。私と違って赤ちゃんらしくまだ言葉もそんなに話さないけれど、これがまた、ものすっごく可愛いの。ふわふわのもふもふ。もうね、たんぽぽの綿毛か耳かきの後ろについてるやつ、あれみたい。白いポメラニアンの子犬って感じ? それにくりっくりの大きな目は青くて、とっても綺麗。
お母さんも犬の姿になると真っ白の長めの毛で、すらっとした狼みたいで素敵だ。お姉ちゃんはきっと大きくなったらお母さんにそっくりになると思うのよね。
なのに、なぜ私は真っ黒なんだろうか。見た目はそっくりらしいのだけど、色がね。
ある日、お母さんに尋ねてみた。
「おかあたん、にゃんれ、あたちだけ黒いのかにゃ?」
「あなたはお父さん似なのよ。お父さん、黒髪のそりゃあいい男だったもの」
ほう。そうなんだ。イケメンというかイケてる黒い犬なんだね……と、そこでお母さんの言葉の語尾がちょっぴり気になった。『だった』?
そういえば、生まれてこの方、一度もお父さんを見たことが無い。犬だから子育ては母親だけでするものなのかもしれないけど……。
「おとうたんはどこ?」
まさか死んじゃったとか―――。
「さあねぇ。今頃どこにいるのかしら。人間の街にでも戻ったんじゃないかしら」
はい? 人間の街に戻った?
「そうそう。もう少し大きくなったら詳しく教えるけど、今はもう私達魔犬族には雄はいないの。雌だけなのよ。一族を絶やさないためには、人間のいい男を捕まえなきゃね。あなたも男を魅了できるいい女に育ちなさい」
「え……?」
お母さんの言葉が斜め上すぎて、意味を理解するのに時間がかかった。
ちょっと待って? 私達子犬の父親って人間なの? 一族を絶やさないためにってことは、捕まえるのは餌としてじゃなく、そういう相手としてってことで……。
なるほど。変身できるというのは、そういう意味もあるのか! 確かにお母さんは人化したとき超美人だもの。くらっときて子供を作るお相手しちゃう男もいるだろうね。
こええぇ! 魔犬族、こええ! どエライものに生まれてしまった!
「私達の魅力と魔力に抗える者はそういない。それ故に人間の間では、魔犬族は破滅をもたらす存在だからと恐れられて忌み嫌われているの。だから気をつけないとね。でも万が一見つかっても、小さいうちは普通の犬に見えるから、魔犬族だってバレなきゃ問題ないわ。これって決めた相手以外の人の前で変身さえしなきゃいいのよ」
お母さん、生まれたての子供に結構難しいシビアなこと教えますね。
そうか……人間に愛されなきゃいけないのに、人間に嫌われている存在なのか。ちょっと凹。
まあ難しいことは大人になってから考えればいいやと開き直ると、子犬生活は結構楽しい。
お姉ちゃんと戯れたり、お昼寝したり、お母さんに甘えたり。
大きな大きな木の洞の中、その地下が私達の家。ちゃんとベッド他の家財道具も、キッチンもあって一見普通の人間の家のよう。あ、トイレはお外ね。
まだ私もお姉ちゃんも顔を出しただけで家から出たことが無い。それでも見上げるほど大きな木が茂る深い森の中だってわかった。近くには同じように洞の入り口のある木が見えて、そこはウチのように魔犬族の家になっているのだろう。ここは村らしい。
緑の森はとっても素敵。そして賑やか。小鳥の声、風が葉を揺らす音、虫の羽音、遠くの水の音……ととと、って聞こえるのは栗鼠か何かの小動物が木を伝う音だろうか。
お母さんも言っていたように、犬になった私はとっても耳がいいみたい。人間だった時と全然違って、世界はいろんな音に満ち溢れている。
それにニオイも。獣や草のニオイはそれぞれ違う。誰かがここを何時間か前に通った、というのもわかる。ここ数日で、お母さんが近くまで帰って来たのさえも、ニオイで分かるようになった。犬ってすごいんだね。
時々、お母さんは外に狩りに行く。獣の姿の時はとっても強いんだよ。
最初、そこそこ大きな鳥の首を咥えて帰って来た時には、ひいいぃー! って引いた。ひょっとしてそれ、そのままガブガブ食べちゃうの?
……と思っていたら、お母さんは人の姿になって、ちゃんと道具を使って調理した。まあ、捌くのはグロいかもしれないけど、火を使って焼いて、食卓に上ったのはお皿に載った美味しそうな鳥料理だった。私とお姉ちゃんも柔らかくしてちょっともらったら美味しかった。
そう。魔犬族は結構文化的。とはいえ、こんな森の中で食料を買えるお店も、飲食店も無い。蛇足だがコンビニなんかあるはずも無い。そうなれば自給自足しかない。
それに犬だもの、肉食だ。狩りに適した姿をしていて、尚且つ道具を使って調理して食べるという高度なことも出来る。魔犬族は野生の獣と人のいいとこどりをしたような種族なのだ!
……とか、素直に納得したいが、前世普通の人間だった意識が残っているので、果たして自分に狩りなど出来るのか、考えたら今から憂鬱。あー、大人になりたくない。
今日もお母さんは狩りに行った。私とお姉ちゃんは二人でお留守番。
「退屈らねー」
「にゃにちてあちょぶ?」
犬だけあって、驚くほどの早さで育っているとはいえ、私達はまだまだヨチヨチの子犬。子供だけで外に出たら鳥や他の肉食の獣に簡単に獲られてしまう。
仕方なく家の中で一緒にだらだら。お姉ちゃんは何が面白いのか、自分の尻尾を追いかけてくるくる回って目をまわしたり、木の枝を齧ったりして遊んでいる。そんな様子を生暖かく見ているのもまあ楽しいのだが、退屈ではある。
そこで、ふと目をやった先に、お母さんのタンスの引き出しがほんの少し出ていて、そこからピンクの布切れの端がちらりと覗いているのに私は気が付いた。
「何だろ?」
近づいて布を口で咥えて引っ張ってみる。むう、なかなか出てこない。
私が頑張っている後ろでお姉ちゃんが言う。
「あーたんに、めっ、ちゃれりゅお?」
多分、お母さんに叱られると言いたかったのだろうが、私以上にお姉ちゃんは舌っ足らずだ。
構わずタンスの引き出しを前足でカイカイしていると、もうほんの少しだけ引き出しが開いた。
再び布を咥えて引っ張ると、思っていた以上に大きなものがするんと出て来た。
それは―――。
わぁ、ドレス! 艶々の絹みたいな薄桃の生地に、白い糸で所々に花の刺繍のしてある、ふんわりと広がった裾も上品なとても綺麗なドレスだった。
「きれぇー!」
「ちゅごいにぇー!」
しばらくお姉ちゃんと眺めて喜んでいた。でも私達はちっちゃな子犬。実際に着てお姫さまごっこも出来はしない。せいぜいぴょんぴょん周りを回ったり、ニオイを嗅いだり、つんつん、ってしてみるくらい。
「おかあたんのニオイしゅるね」
「ねー」
あの人型のときの綺麗なお母さんが、これを着ているのを想像してうっとりしていた。私達も大きくなったら、あんな風になれるのかな。こんなドレスを着られるかな。夢は広がる。
お母さんの匂いのするドレスにくるまって、私とお姉ちゃんは知らぬ間に眠っていた。
「こら、おチビさん達。お母さんの一張羅で遊んでたわね?」
そんなお母さんの声と、ひょいと抱き上げられた勢いでお目覚め。わあ、帰って来てたんだ。しかも人型に変身している。叱られるかな?
「ごめんなちゃい」
「めんちゃい」
こういうときは先に謝っとくのがいいよね、お姉ちゃん。
でもお母さんは怒った顔も見せずに、優しく笑って言う。
「いいのよ。女の子だものね。今からお洒落に興味があるのはいいことだわ」
そして私達を人間の手でぎゅってしてくれた。
「あたちも、大きくなったら、こんなの着られゆ?」
「もちろんよ。大きくなっていい女に変身できるようになったら、綺麗なお洋服をきて、素敵な人間の男を捕まえにいかなきゃ!」
……お母さん、なんかその説明、ビミョーに乙女の夢をぶち壊します……。




