2 生まれ変わったようです
『この魂の最後の望みは何だった?』
『死の数分前に犬になりたいと考えていましたね』
『犬? えらく謙虚な望みだな。まあ、願いを叶えるのは易い。しかしそれではあんまりだから、命の早期返納特別ボーナスもつけておいてやろうかな』
話声が聞こえる。誰の声だろう?
私、死んだよね? 神様か誰かの声だったり?
変な会話……。
暗い。でも暖かい。とくとくと聞こえるのは鼓動だろうか。それにいい匂い。
色々な感覚に包まれ、緩やかに意識が浮上してきた。
あれ? 私、生きてる?
ふわふわと気持ちよくて夢見心地。私は誰かに抱っこされているようだ。
「可愛い可愛い私の子供達。母さんの声が聞こえるかしら?」
優しい声。そしてこの頭を撫でるうっとりするような大きな手の感触。
―――お母さん?
私、生まれ変わったみたい!
ちょっぴり意識がはっきりしてきて気が付いたんだけど、死ぬ前の記憶とかそのまんまで、私は自分の事を森詩杏だとわかっている。これって、ほら、アニメや小説であるような記憶を持ったまま転生ってやつ? それとも覚えてないだけで、生まれたての時ってこんな風に誰でも前世の記憶があったりするんだろうか。
そっと目を開けると、明るくて、でもぼやけてほとんど何も見えない。何度か瞬きするうちに、焦点が合って来て、まず目に入ったのは一面の肌色だった。
この柔らかくてふくよかな盛り上がり。おっぱいだよね。
生まれ変わったんだもの、赤ちゃんなんだよね、私。お母さんの胸に抱かれてるんだわ。
そーっと見上げると、そこには見たこともないような美しい人の顔があった。
ああ、なんて綺麗な人。この人がお母さんなの?
不思議な髪の色。白いような虹色のような。オパールみたいに光っている。長いまつ毛に覆われた瞳の色は金色。透き通るような白い肌にバラ色の唇。とても整った美しい顔立ち。
でも頭に、ふわふわの毛の生えた白い大きな三角形のものがぴこぴこ動いているのは耳でしょうか? 獣耳?
……色彩といい顔立ちといい、日本人じゃない。ってか人間なの? 私は一体どこに生まれ変わったっていうんだろう。わあ、でもお母さんがこんなに綺麗なんだったら、私もさぞや可愛い?
私の横ではもう一人もぞもぞしているのがわかる。さっき、お母さんは私の子供達って言ったもの。双子なのかな? だったら似ているはず。自分の姿も大体わかるよね。
そう思って横に視線を移すと、そこには同じく抱っこされている、真っ白のふわふわな毛に覆われた、丸々したとっても可愛い……。
「子犬?」
ちょっと待って。犬? 兄弟か姉妹かしらないけど双子の片割れが犬?
ってことは私もひょっとして―――。
恐る恐る自分の手を持ち上げてみる。ふさふさの毛に柔らかそうな肉球のついた手……というか前足が私の意思通りにピコピコ動いているではないか。しかも私は真っ黒。
ひぃええええ? 私、犬に生まれ変わってるうぅ!?
そういえば―――。
思い返してみれば、神様か誰か知らないけど、そんな会話をしているのを聞いたような。
更に振り返ると、確かに私は彼の犬みたいに無条件で愛される存在になりたいと思ったかもしれない。でもそれは喩えみたいなものであって、犬になりたいわけじゃなかったのよ!
願いを叶えるのは簡単で、ボーナスもつけるみたいなことも言ってたわよね? ひょっとしてこの前世の記憶も意識もばっちり残っているのがボーナスってこと?
自分が犬なんだよ? しかも生まれたての子犬だよ? 恐らく、しばらくおっぱい飲んで育つんだよ? しがない大学生でコンビニでバイトしてた森詩杏の記憶とか中途半端に残されても、ボーナスどころか恥ずかし過ぎる罰ゲームじゃん! 大きくなったって、犬じゃ転生物の物語みたいに前世の知識を生かせるわけでもないよ?
第一だ。ここってどう考えても日本じゃないでしょ。ってか地球? まだ目を開けたばかりで抱っこされているこの場を一歩も動いていないし、詳しく見たわけでもない。それでもお母さんを見ただけで明らかに違う世界だってわかるじゃない。獣耳に虹色の髪だよ!
この世界に彼はいないのだ。記憶があるまま犬に生まれたことに利点なんか微塵も無い!
神様の意地悪ぅ……。
とか、転生して早々に沈みつつも、そこで私はもう一つ気が付いてしまった。
この私達子犬を抱っこしている美しい女性。確かに頭に獣耳がついてるけど、人の姿をしているよね? なんで? お母さんじゃなく飼い主だとか?
いやぁ、でも普通、犬に乳を飲ませる飼い主もいない。多分私の兄弟であろう白い子犬、思いっきり女の人のおっぱいをちゅぱちゅぱ吸ってますけど?
お母さんに訊いてみよう。さっきこの人の言葉がわかったのだから、きっと私の言葉も通じるはず。
子犬の姿で喋れるかはわからないけど、思い切って私は口を開く。
「おちえてくらしゃい」
うーん、話せるには話せるものの、上手く発音できなくてものすごく舌っ足らず。我ながらちょっと恥ずかしい。
「まあ。おりこうさんね。目がやっと開いたばかりなのに、もうお喋りできるの?」
一瞬、女性は少し驚いたような表情を見せた顔を見せ、すぐに優しく首を傾げた。
「なあに?」
「あにゃたは、あたちのおかあたんでしゅか?」
あなたは私のお母さんですか……と言いたかったのにめっちゃ幼児語。でも通じてはいるみたい。
「そうよ。あなたは私の産んだ可愛い子」
この綺麗な人が、犬を産んだんだ……なんかくらくらする。
「あたちは犬なのに、おかあたんは、にゃんれニンゲンみたいなしゅがたなんれしゅか?」
「私達魔犬族は、小さいうちは犬の姿だけど、大きくなったら人に似た姿にも変身できるのよ」
え? 魔犬族? 普通の犬じゃないんだ!
「へんちんしゅる?」
「そうよ。魔犬族は、獣の姿のときは四つ足で地面を走れば風のように速い。鋭い牙はどんなものでも引き裂ける。人より耳も鼻もいい。その上、人のように二本の足で立てれば、手で道具が使えるから便利でしょ? それに、こうしてあなた達を一度に抱っこすることも出来るわ」
そう言って、お母さんは私達をぎゅっと抱きしめてくれた。
……案外、いいかもしれない。なんてハイスペックな種族!
いやいや。違うって。良くないって。
無条件に愛される存在になりたいって、思った私の趣旨とは大幅に方向性が違うんですけど?
やっぱり、どうせ犬なら普通の犬が良かったよ!
なんでこうなった?