18 嵐の道中
お屋敷を出発して、以前行った街を横目に通り過ぎたころ、やっぱり天気が崩れて来た。
雨雲に向かって走っているのか、空が暗くなってきて、雷鳴も聞こえはじめた。
そして、雨が降り始めたと思ったら、あっという間に強くなってくる。
この馬車には屋根があるとはいえ、前世で絵本で見たシンデレラのカボチャの馬車とか、外国の偉い人が向かい合って乗っていたような、完全に箱になった物ではない。後方と横には壁とドアがあるけれど、前方が開いていて前向きのシートだけだから、荷台を引いている二頭の馬のお尻と馭者の背中越しに景色が見える。幌馬車にも似た造りだ。そんなわけで向かい風が強いと結構雨も吹き込んでくる。
雷の音も大きくなって来て、稲妻がぴしっって走ったのがわかった。直後のガシャーン、という大きな音が響いて飛び上がる。
うう、雷って嫌い。人間の時も好きじゃなかったけど、人よりいい耳にはものすごく響く。
怖くなってくっつくと、リーン様は私を撫でながら微笑んでくれた。
「大丈夫だよ、怖くないから」
確かに、屋根があるから私達は今のところ大丈夫。だけど馭者をやっているハエルは気の毒なことだ。ずぶ濡れだろうし、雷も酷い。嫌な奴でも心配になる。お馬さんも怖いだろうな。
見かねてリーン様が雨に霞んだ前方を指差してハエルに声を掛ける。
「ちょっとあの木の辺りで雨宿りをした方がいいんじゃないか?」
「いえ、大きな木の下は落雷が怖いですから」
ハエルのその言葉の数秒後、リーン様の指差していた方に、ドーン! と、大きな音を伴って真っ直ぐに空から光が走った。
……思いっきり落ちたね。
近づくと木は真っ二つに裂けていた。雨の中なのに焦げ臭くて微かに煙も立ち昇っている。一目で落雷の威力がわかる恐ろしい眺めだ。
わぉ、雨宿りしてたら黒焦げになってたかも! 私はそもそも真っ黒だけど……とか、どうでもいいことでも考えないと、怖くて震える。ハエルがお利口でよかった。
これは一刻も早く着くよう、急いだほうがよいだろう。
しかし、馬達は雷に怯んだのか、舗装もしていない道は激しい雨で水たまりやぬかるみだらけで進みづらいのか、足取りがゆっくりになった。普通なら二時間くらいで着く所らしいけど、もう何時間かかっているだろうか。
それでも進み続けると、雨足も少し鈍り、雷も遠くなって来た。どうやら雨の中心は抜けたみたい。
「この峠を抜けたらすぐに着きます」
ハエルがホッとしたように言ったその時。
突然、ぞぞっと、体中の毛が逆立ったみたいな妙な感覚が襲った。そして――。
『危険!』
私の頭の中に閃くものがあった。何か来る!
馬も耳を動かしてぶるるっとおかしな声を上げた。私と同じように何か感じたみたい。
リーン様もハエルも気が付いていないみたいだ。多分、それは人間以外の動物の野生の本能が告げる警告。
「ウゥ……」
自分でも気が付かないうちに、私は唸っていた。
「シアン? どうした?」
リーン様が私に声を掛けたのと、バサバサ……そんな音が聞こえたのとは同時だった。風の音でも、雨の音でも無い。この音は――。
「なっ!」
目の前に、大きなものが空からすごい勢いで飛んできて、ハエルが仰け反った。
間一髪でそれはハエルの顔面に直撃はしなかったものの、手綱が不自然に引かれたことで、馬達が驚いたのか、馬車が大きく揺れた。
「何事だ?」
空から降って来たものは、空中で体勢を立て直すように羽ばたいている。そのシルエットに私は凍り付いた。
鳥? こんな雨降りに?
大きな鷲か鷹のような鳥は、一旦離れて高く飛び上がっては、再び降りて来る。鳥は雷に驚いて突っ込んできたというわけでもなさそうだ。明らかに狙って襲って来たとしか思えない動きだ。
「この……!」
馬を御する鞭で鳥を追い払おうとするハエルを、何度も執拗に鳥はつついて来る。
「ハエル!」
リーン様が座席から立ち上がって助けに行こうとするのを、つつかれながらハエルが制する。
「リーン様、危ないです。下がってください!」
「でも!」
ハエルの言う通り、リーン様までつつかれたり、万が一落ちたら大変だからと、私も後からリーン様の服の裾を咥えて必死で引っぱる。
「うわっ!」
また舞い上がった鳥が、一際激しく突っ込んできたその直後。ハエルの姿が消えた。
それは鳥に体当たりを掛けられてバランスを崩したハエルが、馭者台から転落したのだと気が付くのに半瞬も掛からなかった。
ええー! 走っている馬車から落ちたら……!
「ハエルーッ!」
「……な、何とか無事です」
おお、ハエルはギリ完全に落ちずに、馬と荷台を繋ぐところにぶら下がっていた。だけど、リーン様、ホッとしている間は無いよ!
制する者を失い、興奮した馬達はスピードを上げて無茶苦茶に走りはじめた。二頭の足並みが乱れているものだから、馬車は大揺れに揺れる。犬の足だとどこかに掴まるわけにもいかず、軽い私は座席やら壁に、ゴンゴンぶつかる。
ひいいー! まるでピンボールの球になったみたいー!
リーン様はなんとか手綱を取って、立て直そうとしている。このままじゃ、ハエルが落ちちゃう。
「落ち着いて。止まって、お願いだから!」
リーン様が一生懸命語り掛けて手綱を引いても、馬達は止まりそうにない。
「わああぁーっ!」
ついに必死に掴まっていたハエルの手が離れてしまった。叫び声が遠くなっていく。
ハエルー!
そして私も他人ごとでは無かった。車輪が石にでも乗り上げたのか、大きく弾んで荷台が傾いた。
ちょっ……。私、宙に浮いてるしっ! 放り出されてるっ!
「きゃーっ!」
「シアン!」
こちらに伸ばされたリーン様の手は届かなかった。直後、地面に叩きつけられてゴロゴロと転がったのは覚えている。そして、気が遠くなる間際に、馬車が道を外れて斜面に落ちていくのが見えた気がしたけど定かでは無い。
リーン様――――。
「いっ……たた……」
気が付いて、動くと体中が痛かった。
しばらくぼうっとして、何が起きたのか考えられなかったけど、段々と頭がはっきりしてきて思い出せた。
馬車の中でガコンガコン頭をぶつけて、その上外に放り出されて強かに地面に叩きつけられたのだ。痛いに決まっている。幸いなことに、私にはふさふさの毛が生えいて、下に草があったから大怪我は免れたみたい。
そうだ、リーン様は? 馬車は? 鳥はもういない? 先に落ちたハエルは?
色々と気になることが押し寄せて来て、私が立ち上がった時、少し離れた所から声が聞こえた。
「う……」
この声は。慌ててそちらに走ると、雨に濡れた草の上にその声の主が倒れていた。
「ハエル!」
良かった、生きてた! だけど……。
「……駄犬、お前も落ちたのか。無事か?」
「うん。でもあんた……」
憎たらしいけど綺麗な顔の額のあたりから血が流れていて、片目は開けられないみたいだ。それに、片足は変な方を向いてる。これ、絶対に骨が折れてる。
「血が出てる! 怪我してる!」
狼狽える私に、ハエルはいつものようにしっしと手を動ごかして追い払った。
「私のことはいい。それより、早くリーン様を……」
そうだ。私はご主人様を探さないと。ハエルにとっても大事なご主人様だもんね。
「わかった。動かないで、じっとしてて!」
そう言い残して、私はハエルを置いて走り出した。
馬のニオイ、馬車のニオイ。まだ小雨の降る中を、私は必死に探る。
峠道の横の急斜面に轍が残っていた。馬車はここを落ちて行ったんだ。
木の生い茂る斜面を下ると、馬車の残骸であろう物が散乱していた。そして少し先に一頭の馬が蹲っていた。生きてはいるが足を怪我したみたいだ。もう一頭は馬車が壊れて戒めから逃れられたからか、走っていったのだろうか。
壊れた馬車の荷台の辺りにリーン様の姿は無い。途中で放り出されてしまったのかな。
リーン様! どこなの? 無事でいて、お願いだから。
祈りながら私はリーン様のニオイを必死になって探した。
更に斜面を下って行くと、水の音が聞こえた。沢でもあるのだろうか。同時に、よく知ったニオイ。リーン様だ!
ニオイの方へ大急ぎで向かうと、浅いけれど岩がゴロゴロした小川があった。その中ほどの水の中に、岩に引っかかるように仰向けに倒れている姿。辛うじて顔は上を向いているので溺れはしないだろうが、半分ほどは水に浸かっている。
「いた!」
ぱっと見どこにも大きな怪我も無いようで、血もでていない。だけど、手足を投げ出し、青ざめて目を閉じた顔に胸がざわついた。
まさか、まさか……そんなネガティブな考えを振り払うべく、私は首を振った。
「リーン……様?」
水に入って恐る恐る近づいてみると、ちゃんとリーン様の音が聞こえて、雨降りでもぱっと陽がさしたような気分になった。心臓の音、微かな呼吸。
生きてる! ああ、良かった!
でも、仰向けに倒れたまま、リーン様はぴくりとも動かない。
「リーン様! しっかりして! リーン様っ!」
もう、人の言葉で喋ってようが構わず呼びかけてみても、鼻先で突いてみても、前足で揺すってみてもリーン様は目を開けない。完全に気を失っている。
とにかく水から上げないと、少し水が増えただけで溺れちゃうかもしれない。すでに水を飲んでるかも。何より、いくら夏でもこのままじゃ水に体温を奪われる。
そう思ってリーン様の服を咥えて引っ張ってみても、重くて全然動かせない。
どうしよう、どうしよう……。
リーン様を助けたいのに、私には何も出来ないの? ハエルに知らせに行っても、多分あの足じゃ歩けない。
他の誰かを呼びに行く? もうすぐパネラ様のお屋敷だって言ってたから近いはず。
だけど、せめてもう少しだけでも安全なところに動かさないと、帰って来るまでにリーン様が死んじゃう。
ああ。私に物を掴める手があったら。二本の足で歩けたら!
どうして私は犬なのよ!




