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17 嫌な予感



 プチピクニックからお屋敷に帰った夕方。

「おかえりなさい。楽しかったでしょうね」

 パネラ様は、玄関でそれはそれは可憐に微笑んでおいでだった。

 だが笑顔なのに怖い。なんというか、背後にどす黒いオーラが立ち昇っているような……気がしただけで見えたわけじゃないんだけどね。予想はしていたものの、大層お怒りだった。

「ハエル、あとはよろしく!」

 リーン様も恐怖を感じたのか、私を小脇に抱えて逃走。

 ……というわけで、以後は抜け駆けを許してもらえそうにないリーン様だった。本当に結婚したら、確実にパネラ様の尻に敷かれる未来しか見えないよリーン様……。

 そしてその日以降、ハエルの意地悪が生ぬるくなった気がする。相変わらずリーン様達のいないところでは「駄犬」「邪魔」呼ばわりだし、憎ったらしい嫌味も言う。だけど、蹴ったり箒を持って追い払ったりはしなくなった。

 それどころか、翌日には短くて太いロープの両端を結んだおもちゃをくれた。とっても噛み心地がよくて歯が磨けそうでいいんだけど、なんだか素直に喜べない私はひねくれているかもしれない。

「まさか毒でも塗ってあるとか?」

「……そんなものは塗っておらん。足を齧られては堪らんだけだ」

 私の酷い言いようにも、怒るでもなくさっさと去っていくハエル。おなじみの追いかけっこがなくなってしまい、結構寂しい。

 ひょっとして、鳥にさらわれた話を聞いて同情されているのだろうか。だったら面白くない。


 そんなこんなで月日はあっという間に過ぎていく。

 季節は巡って、本格的に暑さのやってきた夏真っ盛り。私がリーン様の飼い犬になってもうすぐ五カ月になる。

 生後六か月ともなると、私も随分大きくなって、リーン様とお揃いの大事な首輪は留め金の穴が二つほど広くなった。それにむくむくした子犬の体形でなく、締まりが出て来て見た目はかなり大人の犬に近づいたと思う。でもお母さんほどは大きくなっていない気もするから、まだ成長すると思う。

 お母さんが魔犬族は一年ぐらいで大人になると言っていた。そもそも前世で犬にそう詳しくもなかったわけだが、十か月くらいで大人になる小型犬より、大きい犬の方が時間をかけてゆっくり大人になるって聞いたことがあった気がする。その代わり、小型犬の方が寿命が長かったんだっけ。そういう縛りで言うと、私の成長スピードは中型犬くらいなのかな。まあ普通の犬とは違うし、魔犬族は大人になってからはとっても寿命が長いそうなので何とも言えないけど。

 正直、子犬特有の可愛さをアピール出来なくなったら皆に飽きられて嫌われてしまうかなとも思っていたけれど、お屋敷の人達は皆、大きくなったことを喜んでくれこそすれ、嫌がったりはしない。

 リーン様も、私がこうして大きくなってきても、変わらず、いや、今までにも増して私に愛情を注いでくれる。抱きしめて、頬ずりして、撫でて……いっぱいいっぱい語り掛けてくれる。可愛い、綺麗だって言ってくれる。

 その声に、本当は喋れるのに返事できない事が、苦痛に思えることもある。だけど、我慢我慢。リーン様はまだ私の正体をご存じないのだ。

 つい先日、十六の誕生日を迎えられたリーン様は、日に日に素敵さが増していく。たった数ヶ月なのに、どことなく面差しが大人っぽくなったような気さえする。ニオイもほんの僅かだけど、こう、男を感じるようになったというか。私と一緒で日々成長中。

 そんなリーン様に嫌われたくない。捨てられたくない。ただの犬として、お傍にいるだけでいい。

 だって、リーン様には婚約者のパネラ様がおいでだもの。本人達はフリだけなんて言っていても、誰がどう見たってお似合いだもの。

 そのパネラ様は、数日前から実家の方にお戻りになっておいでだ。

 といっても、別段リーン様の事が嫌になって戻られたわけではないし、このお屋敷にもすっかり馴染んでおいでだった。相変わらずリーン様と私を取り合いしている以外は、ご機嫌麗しく過ごしておられたパネラ様は、本当は帰りたくないとギリギリまで駄々をこねておいでだったくらいだ。

 でも、御父上のダグモンド伯から至急のお呼び出しが掛かり、嫌々ながら実家にお行きになったのだ。

「ああ、シアンちゃん。寂しいでしょうけどすぐに帰って来ますわね。私を忘れないでね!」

 そう私を苦しいほど抱きしめて言い残し、荷物も持たずにお行きになったパネラ様。

 ……寂しいかどうかは別として、忘れたりしませんって。たかが数日のことで……長くても二、三日の用事だとお聞きしていたからそう思っていたのだけど、もう五日になるだろうか。

「何かあったのかな?」

 最初はパネラ様がいないと静かでいいなどと言っておいでだったリーン様も、ちょっぴり心配そうになって来た。

 実は私も気になることがあるのだ。

 先日、メイドさん達が話しているのを小耳に挟んでしまったから。

 噂話が好きな彼女達は、ほとんどお屋敷から出ることの無い私にとって、外の世界を知る重要な情報源である。街から通いの人もいるし、住み込みのメイドさんもお休みの日には街へ行ったり買い物だってする。

 そんなメイドさんが聞いてきたところによると、若い女性の間で『眠り病』という謎の病がすごく流行っているのだそうだ。どこも悪くない元気な女性が、ある日突然眠ったまま目覚めなくなるのだそうだ。苦しみもせず、死んだり弱ったりもせずに、ただ眠っているだけなのに、いくら起こそうと呼びかけても目覚めないらしい。お医者さんもどうしていいかわからないのだとか。

「やだー、怖い! 私も罹ったらどうしようかしら」

「大丈夫よ。美人で教養のある娘しか罹らないらしいじゃない」

「あー、なら大丈夫かぁ」

 ……いやいや、皆さん充分美人じゃないですかぁと、ツッコミを入れたかった犬だけど、まあそれは置いておいて。眠ったまま目覚めなくなる―――そんな話を前にも聞いた。

 そう、パネラ様が語っていたこの国の王子のお妃候補の女性達のこと。

 まずは最有力候補だった隣国のお姫様。次は二番手の大公のご息女。その他にもお妃候補の女性が数人……だったわよね。絶対に怪しい話だった。病気じゃなく、呪いか魔法の類だと思われる。

 でもその地点では、お妃候補の貴族のお嬢様限定だった。どう考えても、誰かの陰謀が見えていたもの。故に、パネラ様もリーン様との婚約を急がれた。

 思うのだけど、パネラ様が調べさせた程度でわかったのだ。他の候補に名の挙がった女性やその親だって怪しいと思っただろうし、自分の大事な娘をそんな陰謀に巻き込みたい人はいないだろう。

 ひょっとしなくても、パネラ様同様、様々な手を使って候補を辞退出来るようにしたのではないかと思うのだ。そしたらお妃候補がいなくなってしまう。

 誰が何の目的でやっているかはわからないけど、あまりピンポイントでお妃候補を狙い過ぎたため、目立ちすぎて正体がバレてしまうのを防ぐために、身分関係なく眠らせて、謎の流行り病というオブラートをかけたのでは……と、前世でミステリーとか好きだった犬が、勝手に推理しちゃう次第だ。

 でも、そうなると、せっかく候補から外れるために、正式に婚約されたパネラ様も安全とは言えなくなるのでは無いだろうか。美人で教養のある若い女性そのものだもの。

 そして―――。

「ああ、そうそう。眠り病に罹った女の子の枕元にはいつも一枚の鳥の羽根が落ちているらしいの。だから鳥が病気をうつすんじゃないかって聞いたわ」

 メイドさんはそうも言っていた。

 鳥……か。ただでさえ鳥には個人的に酷い目にあってるから、すごく不吉。嫌な予感しかしない。

 私は犬だから、そもそも『眠り病』に罹ることはないけど、パネラ様が心配だ。何も無ければいいなと祈るばかりだ。


 そのパネラ様は、お元気であることはその日の夕方に便りが届いて確認できた。ひとまずホッと胸を撫でおろしたわけだが、ダグモンド伯の奥方……パネラ様の御母上が少し体調を崩されて、帰りが遅くなったということだった。

 そこで、リーン様の御父上が提案なさる。

「いずれ婿となる身であれば、迎えに行きがてら、見舞いに行った方がよいのではないか?」

 確かにお付き合いとして、そういう義理は通しておきたいところだ。

 リーン様も納得なさり、ハエルと馬車でダグモンド伯領にパネラ様をお迎えに行くことになった。

「リーン様、犬は置いて行きましょう」

 やっぱりそう言うよね、ハエル。うん、お約束だ。

「連れて行くよ。パネラもダグモンド伯もシアンに会いたいだろうし」

 そしてこちらもお約束通り、絶対に私も一緒にというリーン様。そしてやっぱりリーン様に軍配が上がるのだ。

 というわけで、私も行きますよ。リーン様の行かれるところにはどこにでもご一緒せねばね!

 他所の貴族様の領地、パネラ様の御実家がどんなところなのか見たいもーん。

 伯爵夫妻からのお見舞いの品を託され、いざ出発したのはいいのだけど……どうも雲行きが怪しくなって来た。いや、眠り病の事もあって、情勢もだけど、この場合は天気がね。

 犬になって、毛の湿り具合や空気のニオイ、気圧の変化で、私は感覚的に天気が読めるようになった。その私の天気予報によると、この後、結構荒れた空模様になる予感。

 屋根付きの馬車だし、今のところ薄曇りくらいのお天気。お馬さんも快調に進んでいる。何事も無く着けばいいのだけど。

 でも何なのだろう、この胸騒ぎは。


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