16 鳥の影
この世界の暦はどうなっているのかわからないとはいえ、体感的には日本の初夏に近い気候の昨今。私が拾われてすぐはまだ肌寒かったから、四季はあって季節は確実に移ろいでいる。
爽やかな風と緑の匂い、花の匂いが心地いい。馬の蹄の地面を蹴る音、振動も子守歌のように響いて、少し眠くなる。
何より手綱を持つリーン様に抱えられるように乗っているので、息づかいや鼓動まで近くて、ぽかぽかお日様に負けない温かさに包まれるこの安心感と言ったらもう……。
しかしまあ、毎度思うのだけどこのお馬さん、犬を乗せていても動じないのが偉いと思う。出来るだけ爪を立てない様にしないと。ゴメンね、犬の爪は猫みたいにひっこまないから。
馬って本当に走るのが早い。もう少し大きくなったら自分の足で馬の横を走ってみたい。
ああ、この風を切る感覚。前世でよく車の窓から顔を出して、嬉し気に風を受けている犬をよく見かけたけど、その気持ちがわかる。毛を吹き流す風がごぉーってなるの、クセになるね。ちょっぴり鼻は乾くけど。リーン様が乗馬が好きなのも、このごぉーっていうのがいいのかな。
しばらく走って、湖の見える丘の上の大きな木の近くでリーン様が馬を止めた。
「この辺りがいいんじゃないかな?」
「そうでございますね」
ハエルも同意したので、リーン様は馬から飛び降りた。私も抱っこで降ろしてもらう。
リーン様が馬を木に繋いでいる横では、ハエルが草の上に敷物を広げてくつろぐ準備を始めた。ここでお弁当を食べるみたい。
犬なのでお手伝いは出来ないから私は勝手に周囲をうろうろ。
わあ、本当に景色がいい。この丘の上の木陰から広がる眺め、素敵。柔らかい緑の草の覆う傾斜の先には、水面に陽の光を受けてキラキラ光る綺麗な湖が見える。
よし、犬らしくニオイも確認しておかないとね。
ふんふん、くんくん。何となく小さな草食動物っぽいのが前にいた気配は残っているけど、怖そうな動物のニオイはないね。
そんなことをしていると、リーン様の声が掛かる。
「シアン、一人で遠くに行っちゃ駄目だよ」
はーい。知らないところで迷子になるのは嫌だから、お馬さんと待ってるね。
馬は勝手に草を食んでいる。私が近くに行っても全く気にしない。わあ、馬って改めて近くで見ると大きいな。それに足が長くて羨ましいスタイルで、睫毛の長い目が優しくて素敵。
すごく美味しそうに草を食べてるから、美味しい? って聞いてみたら、ぶるるっと返事ともつかない声を上げただけだった。残念ながら人間以外の動物の言葉は私にはわからない。
「シアン、おいで」
リーン様が呼んでる。お昼の準備が出来たみたい。
急あつらえなのに、流石はお貴族様。サンドや果物、デザートのお菓子まで用意されたお弁当はとっても豪華。残念ながらリーン様は未成年なのでワインなんかは無い……って、私はそもそもアルコールは毒だから飲めないんだけどね。ハエルはちょっぴり残念そう。
そういえばお母さんが、人間の男の人とデートした時にお酒で気分が悪くなって、犬の姿に戻って逃げかえったって話してたよね。
そうそう。私にも鳥肉のお弁当があったんだよ。とっても美味しかったけど、お母さんがよく鳥料理を作ってた。柔らかくしてお姉ちゃんと私の口に入れてくれたな……と、これでもまた思い出してしまった。
急に別れたお母さんとお姉ちゃんを思い出したのは、多分、木陰を借りている木のせいだと思う。
木の種類なんて前世でもよく知らなかったけど、何の木なのかもわからない大きな木は、どんな葉なのかも見えない程高くて太い。洞は無くても、ちょっと森のお家に似てると思ったから。
お母さん、お姉ちゃん、元気かな。私の事は鳥に食べられて死んだって思ってるだろうか。こうして元気で、とっても可愛がってくれる人に拾われてるなんて思いもよらないだろうな……。
私が家族を思い出して少し寂しい気持ちになっていると、食事を終えたリーン様が私を撫でながら言う。
「なんだか元気が無いように見えるね」
ああ、いけない。リーン様に心配をさせては駄目だ。そうよ、寂しくなんかないじゃない。だってこんなに素敵で私を可愛がってくれるご主人様がいるんだもの。
私は気を紛らわせようと、近くに落ちていた木の枝を咥えて、リーン様に渡して遊びに誘ってみる。
「とってこいするの?」
「わん!」
こうしてちゃんとわかってくれるのが大好き。
後片づけで忙しそうなハエルを放置で、丘の草原でリーン様と思いっきり遊ぶ。
「上手に拾って来られるようになったね」
枝を持って行く度にすっごく褒めてくれるのが嬉しい。最近はパネラ様と一緒の時間が多いから、こうしてリーン様を独り占めできるのが嬉しくて堪らないのだ。
ひとしきり遊んで、ちょっとお疲れなのかリーン様が草の上にごろんと仰向けに寝ころんだ。ホント、お召し物とか気にしない人だな。
私も横に寝そべってみる。あー、気持ちいいな。
風に吹かれて、一緒にごろごろして幸せな気分に浸っていると、空を見ていたリーン様が指差して言う。
「わぁ。シアン、見てごらん。大きな鳥だよ」
鳥……。
見上げると、羽根を広げた大きな鳥が悠々と空を舞っていた。あのシルエット、見たことがある。
あの時の鳥と同じ!
『大きな鳥は怖いの。見かけたらすぐに隠れないとね』
頭の中に、さっき思い出していたお母さんの声が響いた。
言いつけを守らなかったから私は―――。
隠れなきゃ! 逃げなきゃ!
後で思えば私はちょっとしたパニックになっていたのだと思う。
「シアン?」
駆け出した私に、リーン様が驚いていたけど、それどころじゃなかった。隠れられるところ。空から見えないところに行かなきゃ!
とにかく木陰めざして走った。でも隠れられるところが……。
気が付くと私は、後片付けを終えて木陰に座っていたハエルの脇に顔を突っ込んでいた。
「何だ突然?」
「ちょ、ちょっと隠れさせて……」
この際、ハエルであろうと何でもいい。隠れられたら。
ハエルは不思議そうに聞く。
「どうした? 酷く怯えているな」
「鳥……怖いの」
森でのお母さんとお姉ちゃんと一緒の幸せな時間から、私をいきなり切り離した鳥。食べられるかと思った。死ぬかと思うほど怖かったのを思い出して体が震える。
私は無意識にハエルに鳥に攫われた時のことを話してしまった。
「なるほど。それであんなところに落ちていたのか」
「うん……」
ハエルは納得したようだけど―――ハッ! ひょっとしてこれって非常にマズイのでは? 怖いものを知られた。以後の意地悪の種を渡してしまったのでは……。
やっちまった感に固まるしか無い私を、ハエルが抱き上げて言う。
「もう鳥はいない。それにもう随分大きくなったから、鳥もそう簡単にお前を獲れん。大丈夫だ」
あれ? ハエルが優しい? これはこれでちょっと怖い。
「弱点をネタに意地悪を言わないの?」
「……湖に投げ捨てて帰るぞ?」
私も失礼だったが、やっぱりハエルらしい答えが返って来てなぜかホッとした。
「シアン、どうしたの? 鳥を見ただけで突然駆け出して」
リーン様が首を傾げながら木の所に帰って来られた。ごめんなさい、ご主人放置で……。
「リーン様、ひょっとしたらこの犬は鳥に捕まって、親犬から離されたのかもしれませんね。それなら生後間もない子犬があのような場所にぽつんといたのに納得がいきます。それを覚えているから鳥が怖いのでしょう」
おお。さっき私が言ったことを、さも自分が推測したかのように上手く説明したなぁ、ハエル。
「そうか。怖い目にあったんだね」
ハエルの手から私を受け取って、リーン様が優しく抱きしめてくれた。
「大丈夫。鳥なんか怖くないよ。シアンは僕が守ってあげるからね」
……そうだよね。もう怖くないんだよね。もうあの時より大きくなったんだもの。それに私にはリーン様がいるんだから。
一緒に木陰から出た時には、もう空に鳥の姿は無かった。
でも、一枚の大きな羽根が落ちているのをハエルが見つけた。それは濃いグレーに黒と白の模様の入った羽根だった。
「この辺りでは見たことの無い鳥の羽根ですね。もっと北の山の方に僅かにいる鳥に似ています」
ふうん。詳しいんだね、ハエル。そっか、珍しいんだ。
……この鳥の羽根が後々、大きな意味を持つなどとは、その時は私もリーン様も思いもしなかった。




