15 日々のお約束
「シアンちゃん、遊びましょ」
「パネラ、シアンは僕の犬だよ。僕と遊ぶんだよね?」
「まあ、リーン。正式に夫婦になったらどちらの犬などとは言わないわ」
「まだ正式に夫婦じゃないからね」
……また始まってしまった。
リーン様との婚約式の後、花嫁修業にパネラ様がこのお屋敷に来られて早くも一月。毎日この調子なのだ。
私も生後四か月目を迎え、まだ締まりのないむくむくした足や、顔つきが子犬の面影を留めているものの、随分と大きくなってちょっぴり見た目が犬らしくなってきた。走るのも早くなったし、乳歯が生え変わる時期でムズムズするから何か齧りたくなって仕方がない。
……すっかり犬になりきっているよね、私も。
外にお散歩に行かなくても、お屋敷の庭は無駄に広い。毎日リーン様達と遊んだり走り回るだけで結構ハードに動けるので、運動不足にはならない。
ハエルは相変わらず、他の人の目の無い所で私にちまちまと意地悪をしてくるけれど、まだ私が普通の犬ではないことをバラしてはいない。
……正確に言うと、ハエルは一度リーン様や御父上達に報告した。だが、私に魅了された人達に一笑に伏され、誰にも信じてもらえずにお終いであった。
それどころか、ハエルは危うくリーン様の教育係の任を解かれそうになったのだ。他の使用人の方々の陳情でなんとか処分は無かったものの……『常にリーン様の最もお傍にいる立場を犬に取られて嫉妬した可哀相な男』という誠に不本意なレッテルを背負ってしまった。屋敷の皆さんのハエルを見る目が、やや憐れみを帯びているのは気のせいでは無いだろう。
さて。私とどちらが遊ぶかという、酷く低次元な言い合いをしていたリーン様とパネラ様に、可哀相な男は無表情で冷たく告げる。
「この後、リーン様は語学、パネラ様はお作法と、それぞれお勉強の時間でございます」
そうそう。若いお二人はなかなか忙しい。
「というわけなので、しばらく犬は私が預かります」
……と、こうなるわけだ。私ももう諦めているので、大人しくハエルの足元に寄る。
「ハエル、シアンを虐めないでよ」
「絶対よ? 見張りを付けますからね」
リーン様とパネラ様のものすごい不信の目も毎度おなじみになってしまった。
「……虐めませんよ。このように私達は仲が良いのですよ? なあ、犬」
「……わん」
ある意味で一番私の事をよく知っている男だものね、ハエル。仲が良いわけではないけど。
嫌々という体で、それぞれのお勉強の部屋に向かうリーン様とパネラ様を見送って、ハエルと同時に溜息をつく。
「すっかり坊ちゃま達の信用を無くしてしまった。お前のせいだ、駄犬」
「だってあんた、さっきもしれっと蹴ったじゃない。自業自得でしょ?」
あー、歯がムズムズする。家具を齧ると叱られるから、ハエルの足でも齧っておこう。がしがし。
「貴様……」
ゴメン、痛かった?
蹴られる前に、たーっと走って逃げる私をハエルが追いかけてくるまでがお約束。
「待てっ!」
「べーだ」
最近かなり走るのも早くなったから、そう簡単には捕まらない。
これ、傍から見たら追いかけっこをして遊んでいる仲良しさんの、大変微笑ましい眺めであろう。おかげで多少はハエルの信用も戻っていると思う。
ほら、証拠にメイドさんが笑いながら私達に手を振って見送ってくれてる。
「シアンちゃん、逃げ切ってねぇ」
「わん!」
一応、私だって気を遣ってるんだよ? ハエルを追い詰め過ぎても怖いし、クビにでもなられたら余計な恨みを買うかもしれない。そうなればお鉢は自分に回って来る。
……この鬼ごっこが、実はいい運動になって面白いというのが、一番の理由だけどね。ハエルも疲れさせれておけば、少しはちょっかいを掛けて来る元気も無くなるだろうしね。
それに、何だかんだで人の言葉で話せる相手がいるというのは、地味に嬉しいのだ。たとえ憎たらしい大嫌いな男であっても。
午後を待たずして、リーン様のお勉強が終わったようだ。部屋から出て来て一目散に私の元に駆け寄って来てくださる若君の笑顔が眩しい。
「よし、パネラはまだだね!」
そんなことで張り合うあたり、婚約式を終えてもまだまだ十五のリーン様はお子様っぽい。そこがまた可愛いんだけどね。
「くうん」
すり寄ると、リーン様が私を抱きしめて頬ずりしてくれる。
「やっぱりシアンは僕だけの犬だよね」
うんうん。ハエルを除いて、パネラ様も嫌いじゃないし、御父上や御母上、お屋敷の人達も好き。それでも私のご主人様はリーン様だけだよ。
言葉に出しては言えないので、返事代わりにその綺麗な頬をぺろぺろってしておく。
……これ、人間だったら変態だけど、犬だから。理性とかぽーいってしたから平気。
しばらく私を心ゆくまでモフって、辺りを確認したリーン様は何か思いついた模様。
「ねえ、ハエル。いい天気だし、シアンを連れて久しぶりに遠乗りに行こうよ」
おおっ! それいいね。楽しそう! 行きたい行きたいー。
しかしハエルは難しい顏で、すぐにはいい返事をくれない。
「パネラ様はまだですよ? 午後もダンスのお稽古がおありになられますし、お昼は……」
「パネラ抜きでだよ。お弁当を持って、外で食べるのは気持ちいいよ」
お外でお弁当! なんて魅惑的な言葉。ま、犬は基本朝晩しか食べないから私はどうでもいいんだけども。
……要は、リーン様は極力パネラ様と離れたいというのがホンネだろう。婚約者といってもフリだもんね。ひょっとしたら私をパネラ様から遠ざけたいというのもあるかもしれない。
私の顔をちらっと見て、パネラ様がおいでの方も見て、しばらく考え込んだハエルの頭の中は、きっと色々な思惑が交差していた事だろう。慣れるとわりとわかりやすい男だ。
「わかりました。では出掛ける旨を屋敷の者に伝えて、昼食を用意させましょう」
……ハエル、地味にパネラ様が苦手だもんね。私が一緒の方がまだマシと踏んだと見た。
私は正直ハエルも置いていきたいけど、大事な伯爵家の跡取りのお坊ちゃまが一人でお外に出るわけにいけない。ハエルは教育係というよりボディガードみたいなものだものね。
「じゃあ、早々に準備して出かけよう」
ノリノリのリーン様に私もワクワク。えへへー、リーン様を独り占めなんだから。
帰った時に、絶対に置いてけぼりにされたことにパネラ様が拗ねているであろうことは、今からでも想像がついて非常に怖いということは、多分リーン様もハエルも充分に予想がたっていただろうが、今は考えない様にしているみたい。
ではでは、お弁当を持って出発しましょう。




